傲慢な姫君 -Arrogant Princess-
圧倒的だ。一方的だった。
双剣の猛攻でジェイドを追い詰めていくエスメレー。
想像していた通り、再戦した彼女は前回よりも遥かに厄介な戦士に成長していた。
決定的な傷は負ってはいないものの、ジェイドは徐々に浅い刀傷を増やしている。
このままでは押し切られる。負ける。殺される。
前回と同様の予感が脳裏をかすめていくが同時に感じて然るべきはずのある感情が湧いてこない。
……それは絶望感だ。
こんなにも為す術なくやられているのに。
敗北が、死が近づいているはずなのに。
それなのに……どうしてだろう。
どうして自分は今、彼女を倒せる気がしているのだろう。
(もうすぐ終わるわ……わたくしのクライス……。貴方の仇を母が討ちます)
畳みかけて勝負を決めるつもりで攻撃を加速させる怨念の聖母。
この攻撃が、次の斬撃が……これまでよりも深くジェイドを切り裂く。
……そのはずだった。
「……?」
当たらない。
かわされ続ける。
突然攻撃が空振りするようになってしまった。
(どういうことなの?)
2秒先の世界を見る魔眼は健在。
それを用いて相手が動く方向へ向けて斬りつけているというのに……。
攻撃が当たらない。
紙一重で全て回避される。
二刀が虚しく空を切る。
「くっ……!!」
初めてエスメレーの表情に焦燥が浮かんだ。
……………。
奇妙なものを見ている。
相手が……エスメレーが。
何人もいる。
コマ送りでぶれて重なり合って見えるのだ。
相手が剣を振り上げた時にはもう、その斬撃がどういう軌跡を描いて振り切られるのかまでがわかる。
だから相手の攻撃を避けられるようになった。
(もしかして、これが……)
2秒間先の世界。
エスメレーの見ている世界なのか。
……………。
柳生キリエが語る。
「私は面白がって自分の能力に『傲慢な女王』という名前を付けたけど、あの子は差し詰め『傲慢な姫君』ね」
それはキリエからアムリタに継承された能力の一つ。
この世で最も傲慢な姫君は相手だけの『特別』を許さない。
それを誇示する者は姫の手の中にも同じものがある事を知り絶望するだろう。
……………。
「嫌よ……やめて。2秒間先の世界に入ってこないで……」
エスメレーが涙する。高速の動きの中で涙の雫が後方に散っていく。
激しい攻防の中で彼女は理解してしまった。
相手も自分と同じものを見ているのだと。
2秒間相手に先んじられる優位性を失った今、優勢劣勢は逆転した。
経験と技量の差が出る。
徐々に負傷を増やしていくエスメレー。
打たれる。
その個所の皮膚が裂けて出血する。
喪服で目立ちはしないが既に彼女の全身は鮮血に赤く染まっている。
これは……この能力は……。
天が、女神が自分に与えてくれたもののはず。
非業の死を遂げた息子の仇を討てと授かった断罪の聖なる剣のはずなのだ。
それなのに、そのはずなのに。
今相手も自分と同じ聖なる剣を手にしている。
「クライス……ッ!!!」
敗色濃厚になっていく戦闘の中でエスメレーが悲痛な叫びを放った。
攻勢に転じたジェイドは容赦がなかった。
半端な負傷は戦闘中にでも回復してしまう両者だ。
ダメージを負わせるのなら徹底的にやるしかない。
拳打が、そして蹴りが。
雨霰のようにエスメレーに降り注ぐ。
激痛と絶望感で声なき叫びを上げる元王妃。
……左の鎖骨を拳打で砕かれた。
左手に持っていた剣が落ちる。
ハイキックが右腕を捉え、上腕骨をへし折られる。
右手の剣も失われた。
終わりだ。
両腕を潰された。
だが、それでも……。
両腕をだらりとぶら下げたままエスメレーが襲い掛かってくる。
体当たりか、噛み付いてくる気なのか……。
いずれにせよやらせはしない。
ジェイドの放ったローキックが脛骨をへし折り……。
ついにエスメレーが倒れた。
横倒しになり床を転がる喪服の聖母。
全身で息を吐くジェイド。
「終わり……ましたね……」
いつの間にか近くにきていたイクサリアとシオン。
シオンの言葉にジェイドが首を横に振る。
「いや、まだだ」
立ち上がることはできず、手を突く事もできないエスメレーが必死に頭を持ち上げる。
震えながら顔を上げて彼女はここに至っても憎悪に燃える双眸をジェイドに向けてくる。
「殺しなさい……。わたくしのクライスを殺した貴方の手で、わたくしもクライスの所に送りなさい……!!」
血を吐くような叫びだった。
「断る」
ジェイドの言葉に表情を歪ませるエスメレー。
覚悟を決めてここに来た。
それは……彼女を殺さないと言う覚悟である。
自分を憎悪し何としても死を与えたいと願っている女を殺しはしないと決めている。
「し、師匠……どうするおつもりなんですか?」
不安げなシオン。
まさか、このまま彼女を放置して帰るつもりなのでは……。
そんな彼女の前でジェイドが一度大きく身体を痙攣させるとその姿が変化していく。
性別転換の魔術を解いたのだ。
「!?」
突然姿をアムリタに戻した彼女に驚くシオン。
「……えっ?」
エスメレーも茫然としている。
「決着を付けてくるわ」
二人にそう言ってアムリタはエスメレーに向かって歩いていく。
驚いて戸惑っている元王妃に向かってしっかりとした足取りで。
彼女の対処法についてももう考えてある。
これもシオンと……癪ではあるが柳生キリエが教えてくれたことだ。
「……………」
エスメレーが無言で自分を見上げている。
その彼女の前に片膝を突いて屈みこむ。
……そして、アムリタはエスメレーの顔に両手を当てて自分の方へ引き寄せてから。
覆い被さる様にして彼女にキスをした。
(ええええええ!!!??)
目を丸くしているシオン。
キスをされているエスメレーも驚愕で硬直してしまっている。
やがて唇を離すとアムリタはエスメレーの目を真っすぐに見る。
「少しの間……眠ってなさい」
それからそう言って……彼女の腹部を思い切り殴打した。
「……く……はッ」
意識を失って崩れ落ちるエスメレー。
(きっ、キスしてから殴り倒した!!??)
シオンは目を白黒させている。
戻ってくるアムリタ。
その口の端から血が流れ落ちる。
「……舌を、噛んだんだね」
それを見て痛まし気に目を細めてイクサリアが言った。
「ええ。嚙み切るほどではないわ……心配しないで」
ハンカチで口元を拭いながらアムリタが答える。
「……あ、血を」
そこでようやくシオンはアムリタの意図を察した。
キスする前に自分で舌を噛んでいた彼女……エスメレーに自分の血を取り込ませるためだ。
自分たちの再生の魔術は傷を癒す時に傷口周辺の出血を体内に戻す。
エスメレーの口の中は何度も殴打を受けてズタズタだったはずだ。
その傷を癒す時にキスと共にアムリタが流し込んだ彼女の血が体内に入るだろう。
(見せるつもりなんだ……師匠は。エスメレー様に自分が何をされたのか、何をしてきたのかを……体験させる気なんだ)
輸血を受けた自分がそうであったように自分のこれまでの事を直にその記憶と意識に刻ませる気なのだ。
口で何を言おうが言い訳にしか聞こえない。
ならば直に見せるのが……味あわせるのがいい。
「……? それで、アムリタさんの姿に戻った意味は?」
「だ、だって男の人が急にキスしてきたらアレじゃない。お互いの傷口をぐりぐり押し付けあうのイヤだったからもうちょっとスマートにいきたかったのよ……」
顔を赤らめて狼狽しているアムリタ。
女の人でもアレじゃないかな、とシオンは思ったが……。
「……………」
何しろ彼女も隣のイクサリアもアムリタに急にキスした前科があるので何も言えないのであった。
「……帰りましょう。こんな場所にいつまでも留まっていたくないし。彼女は連れて帰るわ」
エスメレーを背負いながら言うアムリタにうなずく二人。
引き上げていくアムリタたち。
かつて悲劇を決着させた廃砦を後にする。
今日の戦いは果たして新たな悲劇の一幕だったのだろうか。
それとも、僅かにでも救いのある未来の始まりだったのだろうか……。
……………。
……数時間後。
「うわぁーッッ!!! ありえないし!!! 皆帰ってんじゃん!! 誰もいないじゃん!! ウチだけ残して誰もいないじゃんッッ!!!! ウチここに転がしたままで!!!?? ……うがぁぁぁッッッッ!!!!!」
目を覚ましたエウロペアが星の瞬く夜空に向かって咆哮していた。
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王都にある小さな宿屋の一室でエスメレーは目を覚ました。
一夜が明けたのか……朝だ。
手足の骨折は既に元通りになっている。
「……………」
ベッドで上体を起こした彼女は茫然としている。
シーツを握ったその手は僅かに震えていた。
「クライス……あの子が……」
喘ぐように言う彼女の目に涙が光っている。
「ちゃんと見てきてくれたみたいね。そういう事よ」
ハッとなって顔を上げた元王妃。
ベッドの脇にはアムリタが座って自分を見ていた。
「アムリタ・カトラーシャ……」
「ええ。改めましてよろしく」
軽く頭を下げたアムリタ。
その彼女を見るエスメレーがギリッと奥歯を鳴らした。
眠っている間に見た……実際に体験した記憶を反芻する。
確かにクライスは彼女にとって許されざる裏切り者だっただろう。
「……でも、でもッッ!! だからと言って……!!!」
「そうね。だから私がクライスを殺したことが正しいとは言わない。貴女の大事な息子の命を奪ったのは私。だから貴女が私を憎むのは当然だし、私はそれを受け入れるわ」
椅子から立ち上がってベッドに近付くアムリタ。
「だから何回でも復讐しに来ればいい。……殺されてはあげられないけどね。何回だって私は逃げずに相手になるわ。百回でも二百回でも、千回でも、一万回でも! ……ただね!!」
ばん、とベッドに両手を突いて前傾姿勢になりアムリタはエスメレーに思い切り顔を寄せる。
「もう一度言うけど私は貴女には殺されないし、貴女を殺す気もない。挑んできた数だけ負かして転がしてあげるわ!! その覚悟ができたら来なさい!!!」
「……………」
至近距離でぶつかり合う二人の視線。
エスメレーは激しい怒りを込めてアムリタを睨む。
だがその視線にあった冷たい憎悪の炎は今は感じられない。
「……とにかく、そういう事だから。じゃあ私は行くわね。ここの払いは終えてるから気が済むまで休んでいって」
笑みもなく怒りもなく、静かにそう言い残すとアムリタは部屋を出て行った。
「………………」
扉が閉まり足音が遠ざかった後もしばらくの間エスメレーは閉まったドアを見つめ続けるのだった。




