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真紅の暴帝

 城壁の上から飛び降りてきたエウロペア。

 ロングスカートの裾を翻し、小柄なメイドは腰に手を当てて仁王立ちする。


「さぁさぁ……ジェイド様は奥へどうぞ。三階にて我らが同志『哀しきもの』がお待ちしておりまする」


 脇へどいて恭しく頭を下げ、通るように促すテンガイ。


「……じゃあ、二人とも。行ってくる」


 イクサリアとシオンを振り返るジェイド。

 三人は互いの目を見て肯き合う。


「うん、気を付けてね」


「お帰りをお待ちしてます」


 二人の声を背に受けて翡翠の髪の青年は半壊した館の中に消えていった。

 それを喜怒哀楽の二人も黙って見送り、イクサリアたちの方に向き直る。


「心配しなくたってさぁ、殺しやしないって……多分ね」


 冷たく笑うツインテールのメイド。

 その口元で鋭く尖った犬歯が光っている。


「……でもさ、手足の一本くらいなくなっちゃうのはしょうがないじゃんね?」


「そっちが気を遣うのは自由だけどこっちはそんなつもりはないからね」


 長剣を抜き放ったイクサリアがその切っ先をエウロペアに向ける。


 王女はつい先日、目の前の二人の仲間である『楽』の男ジェレミーに不覚を取ったばかりだ。

 一瞬で意識を飛ばされ昏倒させられた。

 もしも眼前のメイドがあの男と同等の実力者であるというのなら相当の強敵である。


「ヒヒッ、それじゃいくよ。いきなり死んでこっちをガッカリさせないでよね~」


 エウロペアの指先から走る真紅のライン。

竜の爪(ドラゴンクロウ)』がイクサリアに襲い掛かる。

 しなる赤い光が真上から彼女を両断するように振り下ろされて……。


 命中したと思ったその瞬間、王女の姿が消失していた。


「……!?」


「こちらは殺すつもりだよ。躊躇しない」


 一閃。


 イクサリアは……エウロペアの背後にいた。

 すれ違ったように互いに相手に背を向けて、長剣を振り抜いた姿勢で。


「……がぁッッッ!!!」


 血を吐き散らすメイド。

 左わき腹のやや上あたりを切り裂かれそこからも激しく出血している。

 目にもとまらぬ速度ですれ違いながら斬っていったのだ。


「やってくれんじゃんさぁッッ!!! ジェレミーに簡単にやられたって聞いてたから雑魚だと思ってたのにッッッ!!!」


「そこは否定しないが、その敗北が色々と学びを与えてくれてね」


 あの男の速さに対応できないようならこれから先、アムリタの力になる事はできないという事だ。

 強めた風に乗って更なる加速を手に入れた王女。

 まだあの男の速度に到達してはいないがエウロペアはそれでも回避できなかった。

『怒』の少女は『楽』の男ほどのスピードはないようだ。


 エウロペアは激しく身をよじってその冠名の如く怒り狂っている。


「うおぁぁぁッッッ!!! よくもッッ……よくもウチにこんな傷をッッッ!!!!」


「おぉ……おおっ、これは困った事になりましたな! エウロペア様、どうぞお鎮まりくだされ! 冷静になるのですぞ!!」


 余程まずいと思ったのかテンガイが目の前のシオンの事はそっちのけで宥めに回る。


「うるさいッッッ!!! ウチに指図するなぁぁぁッッッ!!! このッ……この下等生物(ニンゲン)どもがぁぁぁッッッ!!!!」


 空に向かって咆哮するエウロペア。

 その瞳が金色に輝いている。


 周辺の地面が震え始めた。


「……なんだ?」


 足元を見て眉を顰めるイクサリア。

 エウロペアの怒りが大地を鳴動させている。


「ウチは真紅の暴帝ッッ!!! 最強の生命(いのち)ッッ!!! レッドドラ…………」


「キリエ様がお嘆きになられますぞッッ!!!」


 怪僧のその叫びがエウロペアをハッと正気に引き戻す。

 一瞬で金色だった瞳が元のエメラルドグリーンへ。


「……そ、そうだった。ヤッバ……またウチ、ブチ切れて滅茶苦茶するとこだった……」


 ツインテールの少女は自分の両手を見て茫然としている。


(……向こうのドタバタに構う必要はない。ここで畳み掛ける)


 向こうがコンディションを整えるのをわざわざ待っている必要はない。

 イクサリアが風に乗る。再度の加速から……斬る。


「あ、言っとくけど……」


 高速で接近するイクサリアの方を向きもせずにエウロペアが口を開いた。


「アンタの速度(それ)はもう、ウチには通じない」


「……なッ」


 絶句する王女。


 ……掴まれている、手を。

 剣を握る手をその上から鷲掴みにされ突進を止められている。


「ね?」


 至近距離のエウロペアがふふん、と笑った。


 ……ドガッッッ!!!!!


 顔面を殴り飛ばされ、横に吹き飛んだイクサリアが地面の上を砂埃を立てながら転がっていく。


「……なぁ~んだ、頭冷やしてやればやっぱり雑魚じゃんね」


 肩をすくめたメイドがハッと鼻で笑った。


「いやはや……肝を冷やしましたな。この場で何よりも恐ろしいのが『怒』のお方の暴走ですので……」


 懐から出した手拭いで汗を拭いているテンガイ。


 そこまでの一連の流れをシオンは黙って眺めていた……わけではない。


 テンガイの前に何かがドシャッと投げ出される。

 大きな人型の何か……ぶすぶすと黒い煙を上げている人とも蟲ともつかぬ怪物。

 これで三体。

 蟲人間を亡骸に変えて大地に転がしたシオン。


「おおっ、おおおお……」


 その様子にテンガイは感銘を受けている。


「人蟲鬼をもう倒してしまわれたか! これならば、もう少し連れて来るのでしたな!!」


 天涯は組織のアジトから人蟲鬼を連れてきて周囲に潜ませていたのだ。

 それをシオンに向けてけしかけたのである。


「付き添いは二人までという話ではなかったんですか?」


 冷たい目で睨むシオン。

 それを大きな坊主が大きな腹を揺すって笑って受け止める。


「ほっほっほっほ、この者たちは拙僧の法力にて生み出せし者どもにて……。つまりは拙僧の刀、拙僧の具足も同然にございますぞ」


 この怪生物たちは自分の道具だと言い切る坊主。

 シオンはこの生き物がテンガイの妖術で姿を変えられてしまった人間だとは知らない。

 それでも、目の前の男の悪意を感じ取りなんとなくその事を察していた。


 そしてテンガイはそのグローブのように大きな掌をシオンへ向ける。


「ほっほっほっほ、『転輪魔幻掌(てんりんまげんしょう)』……拙僧のこの手が触れたるものは魂の真なる形態(かたち)を取り戻すのでございまする」


 踏み込む怪僧。

 巨体からは想像もつかない速度でテンガイはシオンに肉薄し、その腕を掴んだ。


「さぁさぁ、貴女様はどのような新たな御姿となられますかなッッ!!!!」


 テンガイはそのまま小柄なシオンを持ち上げて吊り下げようと力を入れる。

 だが……動かない。

 まるで大地に根を張ったかのように彼女はびくともしない。


「ぬゥッッ……!!」


「生憎ですが、つい何日か前に生まれ変わったばかりなので……私」


 ドォォン!!!!!


 拳がテンガイの腹に叩き込まれる。強化した全身の力を込めた一撃だ。

 それだけではない。

 着撃(インパクト)の瞬間に魔術を放ち電撃を浴びせる。


「ごへェェェェッッッッッ!!!!???」


 口から、耳から……黒煙を吹きながら後方へ吹き飛ぶテンガイ。


「あの人の為の私に生まれ変われたんです。だからもう、他のものになる気はありません」


 瞳は冷たいままで口元だけに薄く笑みを形作るシオンであった。


 ────────────────────────


 館の中を歩いていく。

 人気のない広い建物の中に自分の足音だけが反響している。


 そこかしこに激しい戦闘の跡が残っている館。

 瓦礫もそのまま。

 折れて投げ出されている剣や、破壊された鎧の一部等もそのまま。

 あの後、ここを一度も訪れたことはなく。

 こうして戦いの跡を見るのはこれが初めてだ。


 自分の為の戦いだった。

 ここでこれだけの跡が残る激しい命がけの戦いをして、仲間が自分の為に時間を稼いでくれたのだ。


 大階段を上り二階へ着いた。


 あの日はここに悍ましい光景が展開されていた。

 並んだ縊死体が奥まで続いていた。

 当然今はもうそれらの亡骸は引き上げられているが、一瞬当時の幻を見る。


 長い廊下を歩いていく。

 ここはあの日、あの悍ましい亡霊とイクサリアが戦った廊下。

 亡霊は彼女が倒したが、彼女もまた命を失っていてもおかしくないような状態で発見された。


 ……仲間が、皆が血を流してくれたから自分は今ここにいる。


 階段を上り三階へ。

 あの日はここに怨念の相手が待ち構えていて……。


「……来たわね」


 今日は自分がその怨念の相手だ。


 喪服の女が……エスメレーがダンスホールで待っていた。

 奇しくもあの日、彼女の息子がそうしていたように。


 今日の彼女は二本の剣を持っている。

 両手に同じ剣を一本ずつ。


(……二刀流?)


 内心で怪訝な表情になるアムリタ。

 剣の素人が……何か妙な事を思いついたのか。


「今更貴方に何故あの子を殺したのか……そんな事を聞く気はありません」


「ああ。こっちもそんな事を語る気はない」


 冷めきったエスメレーの言葉。

 真冬の夜のように冷え切っていると言うのに、そこには憎悪と殺意の炎は揺らめいている。


 元王妃はクライスの死の原因は政治的闘争の結果だと思っているのだろう。

 だが実際にはそうではない。

 そのようなものだとされたのは彼の死後の事だ。


 真実に……正義というものに見る物によって変わる様々な形があるように。

 人の死にもまた様々な形があると知った。


 自分にとってのクライスの死とは、正当なる報復の結果であり因果応報だ。

 しかし彼女(エスメレー)にとってのクライスの死は息子の消失であり、大切な家族との永遠の断絶なのだ。


 その哀しみは……胸に空いた大きな穴は、たとえ復讐が達成されたとしても埋まることはない。

 生きている者が何をどうしようと、もう死者は喜ぶことも悲しむこともないのだから。

 しかしそれでも……。

 復讐(それ)をしなければ、前に進むことのできない生がある。


(凄くよくわかる。私自身がそうだったから……)


 両者、前に出る。

 お互いが相手に向かって静かに歩を進める。

 間合い同士が接触するまで残り5m……4m……3m……。


(心が張り裂けそうだから、それで息をするのも辛いから……だからどうしても私にこの世から消えてほしいのよね、エスメレー)


 ……2m……1m……。


 爆ぜる。


 想いが……殺意が。


 二本の刃が襲い掛かってくる。

 技量の差を、経験の差を強い殺意と怨念で埋めて。


 想像していたよりもずっとずっと速く、そして鋭い二つの斬撃に戦慄するジェイド。

 回避しきれずに剣先が薄くこちらをかすめていく。

 痛みと熱を感じる。

 床に血が滴る。


 向こうは二秒間先の未来を視る魔人。

 この程度の負傷は想定内だ。

 踏み込んで拳打を放つ。


 だがその一撃は空しく誰もいない空間を穿った。


「……………」


 無言でジェイドが唇を嚙んだ。


「貴方は……痛みを恐れない人だと知っているわ」


 冷静にジェイドの動きを見て後方に引いて攻撃を回避したエスメレー。


「だからもう貴方の捨て身の一撃をわたくしが受けることはない」


 彼女は物憂げに……静かに、そして冷たく言い放った。

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