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あなたの思い出を私に

 ……真っ暗な水の中を漂っているような感覚だった。

 まどろんでいるかのように全ての感覚が、そして思考が鈍く重い。


(私は……何をしているんだろう……。私はどうなったんだろう……)


 自分は今沈んでいるのだろうか。それともどこかへ流れていく途中なのだろうか。

 ぼんやりと考えているシオンにはわからない。


 やがて闇の中にぼうっと明かりが灯る。

 その光の中に一人の少女がいた。

 一目で上流階級の者だとわかる出で立ちの……愛らしい少女。


(彼女は……『アムリタ・カトラーシャ』)


 何故か初めて見るはずのその少女の名前がわかった。


 僅かに橙色の混じったブロンドの笑顔が愛らしい美少女。

 両親に、周囲の人々に愛されて何不自由なく育った彼女。

 婚約者は王子様で……まるで物語のような幸福そのものの人生だった。


 俯瞰して少女の人生を眺めていたはずのシオンはいつしか自分が少女と重なり合っている事に気付く。

 シオンはアムリタとして笑って、アムリタとして生活する。

 このままずっとそれが続いて欲しいと願った。

 暖かい日々だった。


 ……しかし、それはある時一気に崩れ去る。


 突然の婚約者の裏切り……そして死。

 幸福な少女アムリタの物語は突然の悲劇によって断絶する。


 しかし運命は彼女の退場を許さなかった。

 アムリタは髪の色を変えてかつての愛らしい笑顔を失い蘇った。

 冷たい憎悪と殺意を胸に復讐者として地獄から還ってきた。


 アムリタは姿を変え、名前を変えて青年ジェイドとなった。


 そして復讐の為にクライス王子の側近だった兄アルバートを標的と定め……。

 泣き叫ぶ兄の頚椎を無慈悲にも一発の蹴りで破壊し、死に至らしめた。


 ……………。


 シオンは走っている。

 泣きながら走っている。

 どこへ向かっているのかは自分でもわからない。

 何をしたいのかもわからない。

 ただ……走っている。


 目が覚めてすぐに彼女は眠りに就いていた時に見ていた事、体験した事について思い返した。

 それが妄想や単なる悪夢ではないという事は理解している。

 理屈を超えた何かが……脳に刻み込まれたその光景が現実にあったものなのだと告げている。


 あぁ……あの人が。


 自分が師匠と呼んで慕ったあの人が……。

 兄を殺した仇なのだ。


 どうすれば良いのか、どこへ行けば良いのか……それがまったく見えないわからないままに、涙を流しながら少女は走り続けている。


 ────────────────────────


 柳生キリエの屋敷に『楽』の男が戻ってきた。


「……それで、連れてきてしまったというわけ?」


「はい。地べたに転がしておくのもどうかと思いまして……。それに、目を離して誰かが起こせばまたアムリタ様たちに割って入る可能性がありましたから」


 意識のないイクサリアを抱きかかえているジェレミーがフゥ、と物憂げに鼻で息を吐く。

 どうにも覇気のない男である。


「殺さなかったのは賢明ね。もしもその子を殺めていたら、あなたは怒り狂ったアムリタ(あの子)に殺されるわよ、きっとね」


 悪趣味な事を言ってキリエはくすくすと笑っている。


「そうですか。まだ死にたいほどこの世に絶望もしていないので……。とりあえずよかったとしておきます」


 自身の生き死にの話をしているというのにどこか他人事のような口調のジェレミーである。


「……とにかくご苦労様。その子は私が預かるわ。あなたはゆっくり休んでちょうだいね。食事は使用人の誰かに食べたい物を伝えて。持っていかせるわ」


「簡単に済ませられるものならなんでも……。では、自分はこれで。おやすみなさい、キリエさん」


 軽く頭を下げてからジェレミーが部屋を出て行った。

 部屋には二人の女性が残される。

 主のキリエと、そして長椅子に寝かされているイクサリア。


「会うのは久しぶりね。……あなたがそんな風に成長するとは思っていなかったわ」


 静かに眠り続けるイクサリアにキリエが語りかける。


「……私の可愛いアムリタの事を好きになってくれてありがとう、イクサリア」


 そう言ってキリエはイクサリアの前髪を指先で優しく梳いた。


 すると、ドタバタと騒がしい足音が近付いてくる。


「キリエっ!! 聞いてよキリエ!!!」


 ノックも無しにバーンと扉を開け放って部屋に飛び込んできたのはメイドの少女だ。

 桃色がかった銀色の髪をツインテールにした少しツリ目の美少女である。


「今ね! そこでジェレミーのアホと会ったの!! 何をしてたのかって聞いてやったら、ウチがわざわざ聞いてやったってのに!! アイツなんて返事したと思う!!? 『疲れてるからまたにしてください』だって!!! キィィーッッッ!!! バカにしてる!!! アイツ、ウチの事ナメてるって!! 絶対ッッ!!!」


 ズガンズガンと地団太を踏んでいるメイド。


「殺していい!!? キリエ!! ……アイツ、殺しちゃっていいよね!!?? あんなヤツ、ウチの『竜の爪(ドラゴンクロウ)』で……」


「エウロペア」


 名前を呼ばれたメイドがハッとなって言葉を止める。

 キリエは口の前に人差し指を立ててシィーっと静かにするように彼女に促した。


「あ、誰か……来てたんだ。ごめんなさい。ウチ、ついブチ切れちゃって……」


「あなたのその短気なのも困ったものね。せめて他の三人とは仲良くしてねと言っておいたでしょう」


 しゅんとなるエウロペアに困り顔で苦笑するキリエ。


「わかってはいるんだけど……。なんか、人間ってメンドくさいね。みーんな思ってもない事ばっかり言っててさ。楽しくもないのに笑って、怒っても悲しくてもそれを出さないように頑張っちゃってさ。ウチらはもっと、暴れたければ暴れてたし……自由だった」


「でも、あなたはそんなこちら側で生きていく事にしたんでしょう?」


 ふわりとエウロペアを抱きしめるキリエ。


「……うん」


 キリエの腕の中で彼女の胸元に頬を寄せてメイドは安らいだ表情で目を閉じた。

 しばらく抱擁した後で手を話すとエウロペアは元気良く離れていく。


「うるさくしちゃってゴメン、キリエ。ジェレミーのアホにもちゃんと謝ってくるね」


 手を振ってエウロペアが部屋を出て行った。

 キリエはそれを微笑んで見送る。


「……彼女は人間ではなくて、()なの? 柳生キリエ」


「あら……」


 驚くキリエ。

 いつの間にか……イクサリアが目を覚ましている。


「それとも鳴江のおじさまと呼んだ方がいいかな? 前みたいにね」


「あなたのお好きな方でどうぞ。そっちの方が話しやすければ姿を変えるわよ」


 くすっと笑ってからキリエは再び口の前に人差し指を立てた。


「だけど今の子の話は内緒。人の事をべらべらと喋るのははしたないわ」


 どちらも余裕の微笑み。

 だが空中で交差する視線が互いに冷たい火花を散らしている。


 すると……。


 屋敷のどこかからドガーン! パリーン!と派手に物が壊れたり割れたりする音が聞こえてきた。

 キリエしか知らない事だが音が聞こえてくるのはジェレミーを泊めている部屋の方で……。


「……………」


 はぁ、と大きくため息をついて肩を落とすキリエだった。


 ────────────────────────


 僅かな間、シオンが走り去ってしまった自分の部屋で立ち尽くしていたジェイド。


(追わなきゃ……!)


 やがて我に返ったようにアムリタはそう思い部屋を飛び出す。

 とはいえもうとうの昔にシオンの姿はない。

 どこへ……彼女はどこへ向かったのだろう。


 例え彼女に全てが露見したとしても、彼女が自分を憎むとしても……。

 それでも自分は彼女に会って話をしなければならない。

 自分がエスメレー元王妃と対峙しなければならないように。

 シオンの事も避けては通れない運命だから。


(……笑ってしまうわね。命を助けてもらって、だから何とか助けたくて……命を助けて、そうしたら今度は憎まれて命を狙われるの?)


 暗い顔で笑う内心のアムリタ。


 彼女が何故自分の正体を知るに至ったか。

 自分が不在の間に何者かが彼女を訪問して吹き込んだ?

 ……恐らくそれは違うだろう。


 ジェイドの正体は実はアムリタと言う女で……彼女は死んだはずのクライス王子の元婚約者で……。

 そんな荒唐無稽な話を突然話されてすんなり信じる者はいるまい。

 彼女の態度は明らかに自分の正体や過去を確信しているもののそれだ。


 だとするなら彼女がそれを知った切欠は自分の輸血しか考えられない。

 血を分けたことでこっちの記憶を垣間見たのか。

 遺伝している強力な魔術が継承されているのだ。

 そういう不可思議な現象もありえない話じゃない。


(……それに、キリエ。あいつ……多分その事を知ってた気がする)


 柳生キリエのあの微笑を思い出しながら考えるアムリタ。


 ……ずっと疑問だった事がある。

 ただの人間だったはずのエスメレー元王妃が何故自分と同じ魔術を……血統によるもののはずのその魔術を使えるようになったのか?

 その答えが恐らくこれなのだ。


(つまり、喜怒哀楽の……おそらく四人いるのでしょうけど、その四人は……)


 ……()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。


 だとするなら、今のシオンはアムリタの身体強化の魔術も使えるという事になる。

 自分の頼みとする強化の魔術に加えてハーディング家の……「天車星」の雷の魔術も使えるシオンはかつてない強敵となっているだろう。

 もしもその彼女が憎しみで自分に殺意を向けてきたら……。


 はぁ、と走りながらジェイドが嘆息する。


(だから何? やったのなら、その責任は受け入れなさいアムリタ。私自身がずっと言い続けてきた事でしょう)


 走りながら……身体が徐々に熱を帯びていくのとは正反対に頭は冷たく冴えてきた。

 そうする事で今シオンがどこにいるのか、それが見えてきた気がする。


 向かった先は……修練場。

 かつて自分が彼女の兄、アルバート・ハーディングを殺害した現場。


 思った通りに彼女はそこにいた。


「シオン」


「……来たわね、アムリタ・カトラーシャ。アルバート兄様の仇……!!」


 涙を乱暴に拭ってシオンが身構える。


「ここで私が貴女を殺す!! 貴女が兄様にそうしたように……ッ!!!」


 叫んだシオンの放つ冷たく激しい殺意。

 それが現実の暴風のように吹き付けてきた気がして目を細めるジェイドだった。

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