血を与えよ
ジェイドを庇って刺客の刃に倒れたシオン。
腕の中の彼女に刻一刻と死が迫っている。
……死なせない。死なせるわけにはいかない。
何としても彼女を……助けたい。
「教えてくれ……どうしたら……」
シオンの頬にジェイドの涙が落ちた。
「どうしたら……彼女は助かるんだ……」
「ふふふ、慌てないで。私が助けるわけではないわ。私はその方法を提示するだけ」
キリエはジェイドが抱き上げているシオンの腹部の傷に手をかざす。
その彼女の手が、ぼおっと光る紫色の淡い光に包まれた。
すると触れてもいないのに突き刺さっている剣が抜けて地面にガシャンと音を立てて落下する。
更に血が噴き出るのでは……表情を強張らせるジェイド。
「出血は止めたわ。まずは騒がしくなる前にこの場を離れましょうか」
彼女のその台詞を合図にしたかのように強い風が吹く。
紫色の桜の花弁が舞い散る。
思わずジェイドはその風に目を細め……再び目を開けた時には周囲の風景が一変していた。
王宮内の王子の屋敷のすぐ側だったのが市街地になっている。
錆びれた街並み……貧民街のようだ。
目の前には白い簡素な建物がある。
周囲の見すぼらしい建物の中でこの一棟だけがまともというか……手入れが行き届いていて清潔な感じがする。
キリエはジェイドに付いてこいと視線で促すと建物に入っていった。
建物の内部は病院か……或いは研究所か。
そう言った趣だ。
広い部屋にいくつも寝台が並んでいて机の上には試験管や名前も知らない器具が置かれている。
「ここは私の研究所の一つ。さあ、その子をそこへ寝かせて」
「ラボ……」
呟きながらキリエに言われるままにシオンをベッドに寝かせるジェイド。
顔色は悪く呼吸が浅いシオン。
不安と恐怖でジェイドが息苦しさを覚える。
「私は永い時を生きて色々な魔術を自分に試している内にすっかり人から外れた存在になってしまったから、色々と自分の事を調べているのよ。自分が何者なのか、どんな存在なのか……知っておきたいでしょう?」
言いながらキリエは襷を掛けて着物の袖をまくり上げる。
「その子、今は私の力で血を止めているけど長くはもたない。だから……これからあなたの血を彼女に輸血するわ」
「僕の血を分けても、傷が……」
シオンの腹部には剣で抉られた無残な傷がある。
確実に臓腑まで届いているだろう。
その傷がある限りいくら輸血してもどうしようもないのではないか。
「あなたの血が彼女の血に上手く混じれば自己再生が始まるわ。そうなれば彼女は助かる」
「……!!」
自分の持つ強力な自己再生の魔術……それは血によって継承されたもので予め身体に備わっているものだ。身体が損傷されれば自分の意思とは関係なく魔力を消費して再生を開始する。
心臓を破壊されても自力で復元して蘇生するほどに強力なもの。
確かに……それなら助かるかもしれない。
だが……引っ掛かりも覚える。
彼女の台詞の中にあったある言葉。
「上手く……?」
「ええ、そうよ。あなたや私の血は、普通の人間にとっては劇薬だから上手く適合してくれる可能性は低いのよ。十二星は魔力の素養に優れた血筋だから多少は成功率も上がるでしょうけど……それでも二割弱くらいかしらね」
……低い!
成功率は20%を切るというのだ。
シオンの隣の寝台に横たわり、キリエに腕に管を繋がれながらジェイドの顔が強張った。
「だけどこのままではただ死なせるだけよ?」
「わかっている……」
もう他に選択肢はない。
やるしかないのだ。
輸血が始まった。
ジェイドの血が繋がれた管を通してシオンへと流れ込む。
……異変はすぐに現れた。
「がッッ!! かはッ!!! あぁぁッッッ……!!!」
身体を大きく痙攣させたかと思うと苦し気に悶え始めたシオン。
それを見ている事しかできないジェイドも必死に歯を食いしばる。
「眺めていたって結果は変わらないわ。あなたも少し眠りなさい」
キリエがジェイドの目の上あたりに手をかざす。
……すると突然抗いがたい強い眠気に襲われ、彼は即座に眠りに落ちた。
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王宮で起きた異変の情報は即座にクライス派の残党たちのアジトにも届けられた。
「モーリスか……。奴はなんでいきなり暴走した?」
報告を受けバルバロッサが顔を顰めている。
自分たちの組織の潜入メンバーであった騎士モーリスが突然独断でジェイドを襲撃。
失敗して死んだらしいという報が彼の下へ届いたのだ。
「仕事ぶりは確かで命令には忠実でしたが、昔からヘラヘラしていて何を考えているのかわからん所のある男でしたな」
ブロンドを短く刈り込んだ眉の薄い厳つい顔の巨漢が言う。
バルバロッサの腹心ヴォルグである。
王宮に残っていた旧クライス王子の派閥の者が起こした凶悪事件。
これでまた警備は厳重化し、他のクライス王子の元部下たちに対する監視も厳しくなってしまった。
「功を焦ったか、それとも突然今ならいけると思ってしまったのかは知らんが……余計な事をしてくれたものだ」
当分は王宮への潜入などできそうもない状況になった。
バルバロッサが自ら出向いてジェイドを暗殺する計画は頓挫である。
同じ情報を得てアイラもまた重たい気分で頭を抱えていた。
(不測の事態を誘発してしまったみたいね。上手く切り抜けてくれているといいけど)
バルバロッサがアジトを出たタイミングで自分も逃げるつもりでいた彼女であったが、そういうわけにもいかなくなってしまった。
引き続き留まって身中の虫としてこの組織を壊滅させる方法を考えなくてはならない。
今回の件でバルバロッサを釣り出して狙う事は難しくなってしまった。
だとするなら……。
(どうにかしてエスメレー元王妃を単独か少数で外へ出す事はできないかしら)
組織を実質的に率いているバルバロッサを狙ったが失敗した。
……それなら象徴的なトップであるエスメレーをどうにかできればやはり組織は弱体化するだろう。
混乱が続く組織のアジトで周囲の喧騒を他所に考え続けるアイラだった。
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ロードフェルド王子に呼ばれていたミハイルが詰所に戻ってくる。
「……どうだった?」
即座に声を出したのは待っていたイクサリアであった。
彼女の表情は険しく普段の余裕がない。
ミハイルは首を横に振る。
その反応で待っていた皆が一層陰鬱な雰囲気になる。
「残念ながら王子も二人の所在は掴めていないそうです。あちらでも捜索は続けているとの事」
屋敷の警護任務に就いていたジェイドとシオンの二人が何らかの事件に巻き込まれた。
現在二人の所在は不明だ。
現場には一人の男の死体が残されていた。
クライス王子の部下だった騎士で戦闘の痕跡があった。
(……そして、現場には相手の騎士のものではない大量の出血の跡があった)
……血の跡の話はまだ隊のメンバーたちには伏せているミハイルだ。
現時点で話をしても余計な不安を煽るだけである。
あの血がもしもジェイドかシオンどちらかのものだとしたら。
(やめろ。そんな想像をした所で何の意味もない。私にできる事は今は一刻も早く二人を見つけ出す事だけだ)
じわじわと足の下から這い上がってきて全身を満たしていくような冷たく暗い予感を頭を軽く振って振り払う。
「我々も二人の捜索に参加する。各自心当たりを当たれ」
「わかった。家の者たちも動員するぞ」
即座にそう言ってまずはレオルリッドが早足で出ていく。
「オレは街へ行くよ。あいつの店に行ってみる」
「そっちは任せるのですよ。私は院に戻ってボスと話をしてみるのです。あの人もけっこー地獄耳なので」
続いてマチルダとクレアの二人がどたばたと出発していった。
その場に残ったのはミハイルとイクサリアの二人だ。
王女は真っ先に飛び出していくかと思ったが……そう考えてミハイルは意外に思う。
立ち上がってフラフラと進む王女。
その足が会議机の脚に引っ掛かって彼女はつんのめる。
「あっ……」
その二の腕をミハイルが掴み倒れないように支えた。
「………………」
イクサリアの目から涙が零れ落ちる。
それを見たミハイルは静かに腕を離した。
「メソメソしていても彼らは出てはきません」
「……わかっているよ。キミは本当に意地が悪いね」
涙を拭いたイクサリアがミハイルをジロッと睨みつけてから詰め所を出ていった。
それを見送りミハイルは静かに長い息を吐く。
(あの気丈で物事に動じない御方が、ここまで脆くなるものなのか)
卓上のベルを鳴らすミハイル。
すると即侍従が姿を現す。
「父上にお会いしたい。お時間を貰ってくれ。……『影騎衆』をお借りしたいと伝えろ」
ミハイルの言葉に滅多な事では表情を変えない初老の侍従はわずかに眉を顰める。
「ミハイル様、影騎衆をお借りすると言うのは……」
「わかっている。だが今はそんな事は言っていられない。人手がいるのだ。……それも優秀な」
畏まりました、と頭を下げて侍従が退出していく。
これでいい。少なくとも捜索と言う任務において影騎衆以上に優秀な集団を自分は知らない。
皆のように自分は足を使って捜索は行わない。
自分の役目はここに留まり全体を統率する事だ。
……しかし今はそれがたまらなくもどかしい。
少し前までの自分ならば何も思わなかったはずなのに。
(私も……大分変ったか)
椅子に座って静かに目を閉じるミハイルであった。
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……硬い木の床の感触を頬骨に感じる。
(? どうして、床で寝て……)
「……ッ!!!!」
眠りに入る直前までの記憶が一気に蘇り跳ね起きるジェイド。
自分は傷付いたシオンと共にキリエに連れて行かれて……。
周囲を見回す。
見慣れた部屋……官舎の自室だ。
何故ここに……?
そう思った瞬間、ベッドに寝かされているシオンに気が付いた。
「……シオン!!!」
彼女をベッドに寝かせたので自分は床に転がされたのか。
恐る恐る彼女の様子を窺う。
繊細な壊れ物を扱うかのように。
まず何よりも呼吸を……。
息は……。
(してる!! 呼吸がある!!!)
魂が抜け出てしまうほどの安堵感で膝が崩れる。
窓の外は既に月が昇っている。
あれから数時間は経過しているという事だ。
それで呼吸があるという事は少なくとも自分の血が合わずに自己再生が始まらなかったという事はないだろう。
「……よかった」
床に座り込んだまま涙を零すジェイドであった。




