復讐者たちの戦い
……自分にその兆候が表れた時、彼女は嬉しそうに笑ったのを覚えている。
「眼が……何か眼がおかしいわ……」
両目を押さえて俯いた自分。
視界が激しくぶれる。そのせいで眩暈と頭痛がする。
「あら、新しい能力に目覚めたのね」
彼女は上機嫌にそう言った。
東の国の装束を着た女。
どこからともなく現れて泣き暮らしていた自分に力をくれた女。
「すぐに慣れるわ。極まれにいるの。私があげた能力を切っ掛けにして自分固有の能力に目覚める人がね。それはあなただけの能力よ。よかったわね」
……………。
エスメレーが一歩前に出る。
静かに……そして無造作に。
「何だっていい、どうだっていい……」
剣を手に向かってくる。
その切っ先から赤い雫を垂らしながら。
「使えるものはなんだって使うわ。あの子の無念を晴らす為なら……なんだって」
(本当に……少し前の自分を見ている気分ね)
何とも言えない気分になるアムリタ。
しかし今はそこに気を取られるわけにはいかない。
(2秒先の世界が見えるですって? なんてインチキ、そんなの無敵じゃない)
道理でこちらの攻撃が全てかわされるはず。避けたはずの攻撃を微妙に食らっているはずだ。
彼女が戦闘の素人で本当によかった。
戦闘巧者にそんな能力が芽生えていたら今頃自分はもう息をしていなかっただろう。
(……まさか、負けそうになるなんてね)
見通しが甘かった。
同じ魔術を使えるのなら鍛錬している自分に一日の長があると思っていたのに……。
「絶望したのなら道を空けてちょうだい。わたくしは貴方には用がない」
その言葉には嘲るような響きはなく、あくまでも彼女は淡々と告げる。
(ところがそうでもないのよ。今貴女の目の前にいる私が……貴女の本命よ)
できるなら正体を明かして彼女の全ての注意と憎悪を引き受けたい所だがそうもいかない。
誰の人目があるかわからないし、何よりもジェイドで押されている相手にアムリタの姿になったら確実に倒されてしまう。
「……やるしかない」
自分に言い聞かせるようにそう言うとジェイドは構えを取った。
やはり付け込む隙は彼女が戦闘の素人であるという点だ。
自分が優位にいる内はいいがその弱点は追い込まれたときに必ず露呈するはず。
もう……致命傷以外の負傷は気にしない事に決める。
突っ込む。できれば……組み付いてしまいたい。
組み付いてしまえば未来視の優位性は大幅に損なわれる。
エスメレーの迎撃……!
突きが来る。腰が入っていないのでふにゃふにゃの攻撃だ。
だがそれを常識外れのパワーとスピードでやるので剣先は激しくぶれて攻撃の軌跡は蛇行する。
まるで毒蛇の一噛みのように。
被弾を覚悟して回避の動作は最小限に……。
「……ッッッ!!!!」
苦痛の叫びを嚙み殺す。口の端から血が滴った。
脇腹を通過していった相手の剣。
思った以上に深くやられた。……臓腑に……届いたか。
魔力を傷口に回す。この戦闘中に治癒するのはまず不可能だろうがせめて傷口は開かないように押さえておく。
「どうして……そこまで……」
ほんの僅かにエスメレーが動揺する。
ああ……狙っていた弱点が出た。
元王妃が初めて見た負傷を恐れぬ覚悟を決めた戦闘相手。
彼女が戸惑ったのはほんの一瞬……2秒間。
自分がどうしても欲しかった2秒間だ。
渾身の力で拳を繰り出す。
それを……彼女はかわせない。
2秒先を見て攻撃を回避する事に慣れきっていた彼女は未来視を発動しそこなった今、攻撃に反応できずに硬直してしまう。
ド……ゴッッッッ!!!!
狙った部位に……彼女の右腕に炸裂する拳。
へし折れて関節ではない部分でくの字に折れ曲がるエスメレーの前腕部。
「……あぐッッ!!!!」
苦痛の叫び声を上げてエスメレーが表情を歪めた。
(よし折った!!! 利き腕!!!)
あの骨折は10分や20分では治癒できない。
この戦闘中に元に戻す事は不可能だ。
利き腕を潰されて、しかも激痛が未来視の発動を妨害するだろう。
……これでエスメレーの戦闘力は激減したはずだ。
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流砂にどちらも腰まで埋まって掴み合っているレオルリッドとテンガイ。
不気味な笑う僧侶は怪力であり振り解く事ができない。
「うおおおおッッ!!! おのれッッッ!!!」
じりじりと押し込まれていくレオルリッドの背後にガキンガキンと巨大な顎が打ち鳴らされる音が近付いてくる。
「ほっほっほっほ! さぁお若い御方……入滅の時でございまするぞ!!!」
殺意を込めた邪悪な笑みを満面に浮かべたテンガイ。
背後に……巣の底へと押し込まれていくレオルリッドの頬に冷たい汗が伝う。
じりじりと首の後ろあたりに冷気を感じる。死が迫っている。
ガキン! ガキン! ガキン! ……グシャァッッッッ!!!!
……何かを挟み、アリジゴクの大顎が閉じた。
「むむむッ……!! なんと!!??」
驚いて目を見開いているテンガイ。
アリジゴクが大顎に挟み込んだものは自分が押し込んだレオルリッドではなく……。
「……何をやってんですかね。男二人でお砂場遊びなのです?」
大顎に挟まれているのは泥でできた巨兵。
そしてそのゴーレムの肩の上には小柄で丸メガネの女性が立っている。
クレアリースは眼下の二人を見下ろしてふふん、と得意げに笑うとメガネの位置を直し……。
ギギギギギギッッッッ……!!!!
……その時、大顎に更なる力が掛かり閉まり始めた。
ベキベキと音を立ててゴーレムがひしゃげてボディにヒビが入り始める。
「あわわわ!! ちょ、ちょっとちょっとマズいのですよ! ブッ壊されるのです……!! どうにかするのですよ!!!」
ゴーレムの上でオタオタし始める学術院のパニックウサギ。
「あーぁ、何やってんだ。カッコ付けて出てっといて……」
嘆息しつつ走ってきたのは赤髪の長身の女戦士……マチルダだ。
彼女はどこかの建物から引っぺがしてきたドアを担いでいる。
そしてそのドアを流砂に向かって投げ入れるとジャンプしてそこを足場にして更に前へ跳んだ。
そのマチルダが両手で振りかぶっているものは彼女の新たなるメインウィエポン……巨大な斧槍だ。
「……そぉらよッッッと!!!!」
ジャンプしながら彼女はハルバードをフルスイングする。
その一撃は派手な音を立てて大顎の片方を折って吹き飛ばした。
「……よし、よくやった。褒めてやるぞお前たち」
ピンチから一転、急に尊大なレオルリッド。
今彼の足の下は底のない流砂ではなく、巨大なアリジゴクの頭である。
安定した足場を得た今……再び魔術の行使のための集中が可能になった。
エールヴェルツの若獅子の瞳が輝きを放つ。
「おおぉぉッッ!!?? 熱ゥゥゥいッッッ!!!!」
レオルリッドを掴んでいた腕が炎に晒されて慌ててテンガイが手を放した。
そして若き獅子は前方に両手で翳し、そこに巨大な火球を作り出す。
「さて、これでようやく馳走してやれるな。遠慮なく味わうがいい」
「……ああ、いや、いえいえ……拙僧生憎とただ今空腹ではござらぬで……」
両手を上げ、冷や汗をだらだら流しながら首を横に振って拒否の態勢のテンガイ。
逃げようにも腰まで砂に埋まってしまっていて即座には抜け出せない。
「これが……エールヴェルツの炎だッッッ!!!!!」
唸りを上げて迸った巨大な紅蓮の竜巻。
「ごわあああぁぁぁぁッッッ!!!!!」
赤き炎がテンガイを飲み込む。
「……こ、こ、こ、こんな馬鹿なぁぁぁ~~~~~ッッッッ!!!????」
ごうごうと燃え盛る業火の中で黒く崩れ落ちていくテンガイであった。
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……彼女は予想外の行動に出た。
「…………」
折れた右腕はだらんと下げて、左手で落ちた剣を拾い上げるエスメレー。
そして彼女は……。
そのままジェイドに背を向けた。
(……!! 逃げるつもり!!?)
まさか迷いなく撤退に踏み切るとは。
まずい。逃がすわけにはいかない。
次のチャンスがいつになるかわからないし、今の戦いを経験した彼女は次はより厄介な相手になっているはず。
「……ま、待て!! エスメレー!!」
必死に叫ぶジェイド。
エスメレーが足を止めて彼を振り返る。
「ぼ、僕だ……王子を殺したのは……」
「!!」
なんとか引き留めなければ……彼女を。
その為にはもうこれしかない。
「ロードフェルド王子の命令でクライス王子を実際に殺したのは僕だぞ……エスメレー」
本当ならばロードフェルド王子に関する誤解も解いておきたい所ではあるが、そこから否定し始めるともうこの場で収集をつけるのが無理になってしまう。
「そう……そうだったの」
すーっ、とエスメレーの頬を涙が伝い落ちた。
「それなら……次は貴方から確実に殺すわね……」
再び背を向けた元王妃が闇の中に去っていく。
信じていない、という様子ではないが。
まさかこれを言ってもまだ撤退を選ぶとは……。
彼女の中には炎のような復讐への執念と氷の冷静さが同居している。
「……ま、待てッ!! がハッッ……!!!」
追いかけようとして前屈みになり、激しく地面に血を吐き散らすジェイド。
魔力で押さえつけていた脇腹の傷が開いてしまった。
やはり……相当な深手である。
それを今更ながらに自覚させられるジェイド。
エスメレーがこの場に留まらなかった事で命拾いをしたのは彼女ではなく自分だったのだ。
(……あ、まずい……意識が飛ぶ……!!)
激しい痛みと消耗で視界が霞み意識が遠くなっていく。
一旦全ての魔力を傷の回復に充てなければ……。
「……ジェイド!!」
近付いてくる足音。
幸いにしてそのタイミングでレオルリッドが駆け付けてきてくれた。
「レオ、よかった……!」
彼に縋りつく。
もう自力で立ってもいられそうにない。
「すまない。この姿を……維持できない。一旦、アムリタに戻って……魔力を全部……回復に充てるから」
荒い息の中、血を吐きながら喘ぐように言う。
「人目に付かない場所に……連れて行ってくれ。傷は……自分で治せる……治療院には、行かない……で……」
段々と掠れて小さくなっていく声……それは同時に男のものから女の声にも変化していく。
彼の腕の中でアムリタに戻っていくジェイド。
だが……彼は痛みと意識の混濁で人違いをしていた。
今アムリタが縋り付いている相手はレオルリッドではない。
「どういう事だ、これは……」
自分の腕の中で少女になってしまったジェイドに呆然と呟くミハイルであった。




