空より来たる不吉
北部の大都リュクセンタイアまでは王都からは馬で一日半ほどの道程である。
広い街道を王子ロードフェルドは一軍を率いて行軍する事になる。
その道行きから既に祭典は始まっているとも言える。
街道沿いには多くの民が詰めかけ、そこを通っていく王族や十二星の家の者たちを万歳で見送るのである。
「……知らなかった。街道からこんなに人が集まるんだな」
その人出に驚いているジェイド。
彼は今レオルリッドの白馬の前に相乗りで跨っている。
道中は騎馬だというのに……考えてみればジェイドは馬に乗れないのであった。
「ああ。だがこの程度で驚いていたら北都に着いたら目を回すぞ」
小柄なジェイドを腕の中にすっぽり収めるようにして愛馬を進めるレオルリッド。
「そっちの凄さは知っている。何度か参加したことがある……前に」
「そうか。一等星の者たちは大体が先に現地入りするものだからな」
ジェイドの言う「前に」とはアムリタとしてという事だ。
それを察してレオは肯く。
一等星の家の者など、上位の身分の者たちは移動中の人込みを嫌い、大体が少し前から現地に入っているのが通例なのである。
「しかし……」
ジェイドが改めて自分の現状を確認しながら眉を顰める。
「やっぱり、変じゃないか? この乗り方。僕が後ろに乗るのが普通のやり方なのでは?」
「だ、駄目だ何を言っている。万一俺の馬が暴走してお前を振り落としてしまったらどうするんだ」
何故か焦って早口になるレオルリッド。
(とは言っても、この体勢の方が慣れていて安心感はあるわね。クライスとのデートの時はいつもこうだったし……あー、何か余計な事を思い出しちゃった)
(おかしくはない……おかしくはないはずだ。俺は安全面を考えて言っているだけだ。他の意図などない。断じてない。よこしまな気持ちなどあろうはずもない。俺もジェイドも男で……俺たちは親友だ)
なんだかどちらも悶々と考え込んでいる馬上の二人であった。
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警戒は続けていたが心配されていた道中の襲撃はなく、王子の一行は大都リュクセンタイアに予定通りに到着した。
この時期、大王とその一行は都の中に滞在するのだが王子たちは城壁の外側に設営された野営地に滞在する。
そのどちらもを終了するには容量がキツく、また都内部は人で溢れかえっているために警備が難しくなるためである。
野営地とは言っても一棟に数百人を収容できる大型の宿泊施設の立ち並ぶ本格的なものだ。
心配されていた道中での襲撃は無かった。
しかし本番はここからだ。
年に一度の王国最大の祭典。
大陸中から集まる人々。
何かを企む者にとっては絶好の機会だろう。
……………。
野営地の中の小さな建物にサモエドのマークの旗が掛かっている。
ジェイドの部隊の臨時の詰め所だ。
「いや~、相変わらずスゲー人だぜ。そういえばオレたちにも祭りを見に行く余裕はあるのか?」
タオルで汗を拭いているマチルダ。
彼女は城壁の向こう側……都の中が気になってしょうがないようである。
マチルダの言葉に机で周辺の地形図を見ていたミハイルが顔を上げる。
「遊びに来たのではないぞ。……と、言いたいところだが休憩時間に何をしようが、それはお前たちの自由だ」
ミハイルの言葉にマチルダがパッと顔を輝かせる。
「よっしゃあ! ハムカツ食うぜ!!」
「それ祭典時食べなきゃいけないものなんです……?」
ガッツポーズをするマチルダに怪訝そうなクレア。
この時期に都に集まるものは祭典を見物しに来る者たちだけではない。
その人出を当て込んだ様々な人やモノが集まるのだ。
大道芸人もいれば異国の品々を扱う露店も立ち並ぶ。
「よし、なら休憩時間になったら俺が式典会場を案内してやろう」
レオルリッドがそう言ってジェイドの肩を叩いた。
「は? ちょっと何ゆっちゃってるんです? 戦争がしたいんですか?」
そんなエールヴェルツの若獅子をジロッと睨みつけた学術院の暴れウサギ。
ところがレオルリッドは勝ち誇った様子でふふん、と笑った。
「何を、ではあるまい。休憩時間とはローテーション順に取るものだ。つまり俺とジェイドは同時に休憩に入る! 何もおかしな事などないだろう! はっはっは!!」
「……ぐぬぅぅぅぅぅぅ」
哄笑するレオルリッドにクレアはすり減るほどに歯を噛み締めている。
サモエド隊の活動は現状二人一組が基本だ。
ジェイドは行きの道中で馬に乗せてもらう関係でレオルリッドと組になっている。
なので休憩に入るのも彼と一緒だ。
(何故この男は、女に向かって男同士で休憩に入ることで勝ち誇っているんだ? ……バカなのか?)
テンションが上がっているレオルリッドを不気味そうに見ているミハイルであった。
「………………」
そしてクレアだけではなくマチルダやイクサリアもレオルリッドに敵意の籠った冷たい視線を注いでいて……。
(す、すごい……っ! 隊士の皆が……全員が隊長に夢中に……。どうしたらこんな風に多くの人を、それも特別な人たちばかりを虜にできるの……?)
愕然として膝をカタカタと震わせているシオン。
全然関係がないミハイルまで巻き添えを食らっているが彼女はそれには気が付いていない。
彼女の心中に渦巻いている感情は嫉妬と……そして憧憬である。
(私もあんな風に大勢に好かれることができたら……ハーディング家の再興ももっと進むのに……)
そんな各自の心理戦の中で当人のジェイドは……。
(休憩時間は素直に休んでいたいんだけど……疲れてるし)
と、内心でアムリタが冷めたことを考えているのだった。
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大都リュクセンタイアの市街の外れ……うらぶれた寂しい通りにもう何年も前に閉店してしまった雑貨屋がある。
窓や扉には板が打ち付けられててひっそりと静まり返っているその廃屋には人の気配はない。
だが実際には現在その建物はクライス派残党たちのアジトになっていた。
薄暗い室内には小さな明かりが灯りテーブルを囲んでいるバルバロッサと幹部たち。
裏口から静かに出入りする工作員たちが次々に「活動」の準備が終了した事を告げていく。
一つの報告が届くたびにテーブルの上に広げられている都市全体を記した図面にチェックマークが増えていく。
「やっぱり昼間にやるべきじゃないか? インパクトもケタ外れだしよ……」
幹部の一人の発言にバルバロッサはゆっくり首を横に振った。
「それはダメだ。確かにインパクトはあるかもしれんがパニックが広がりすぎればこっちにとっても予想外の事が起きる」
フーッと紫煙を吐くバルバロッサ。
「王家の主催するこの祭りが惨事になれば確かに連中の権威は失墜するだろうが王子さえ殺れれば俺たちの目的は十分達成できるんだ。いらない欲をかいてリスクを取るべきじゃない。……何より」
男は鋭い目で幹部たちを見回す。
「……あの方が明るい内は動きたくないそうだ。俺たちとしてもあの方の聖なる復讐の戦いを無駄に見世物にしたくはないだろ?」
「………………」
バルバロッサの言葉に幹部たちは沈黙する。
そうだ、これは単なるテロ行為ではなく聖戦なのだ。
志半ばで倒れたクライス王子の無念を晴らすための戦いだと……視線を交わして確認し合う。
(『聖母』に『聖戦』か……。便利な言葉だ、まったくな)
そんな中でただ一人バルバロッサは冷めた目で煙草を燻らせるのだった。
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日は落ちて夜になった。
とはいえ町の中はまだ煌々と明かりが灯り喧騒は収まる気配を見せない。
「……夜になっても賑やかなままだな」
町の方角を窺ってジェイドが言う。
「式典が終わるまではここは不夜城だ。眠りたければ耳栓を用意しておけとはよく言ったものだ」
レオルリッドの言葉に、そう言われてみればアムリタとして式典を見に来た時は耳に詰め物をして眠った事を思い出す。
「この辺りは見回りが他にもいるな。我々は移動し……」
ジェイドがそう言いかけたその時……。
街の方角から爆音が聞こえた。
それから少し遅れて無数の悲鳴も。
都市の内部で何かが……起こった。
「……何があった!」
声を上げるレオルリッドを片手を上げたジェイドが制する。
自分たちの役目はロードフェルド王子を守ることだ。
……………。
野営地より数km西方。
巨漢の怪僧がかざした掌を庇に遠くを見やっている。
その背後には喪服の女性がいる。
「……ほっほっほ、おられますなぁ。これはご挨拶申し上げなければ」
到底肉眼で何かが見える距離ではないのだが……この法師は野営地の方角に何かを見つけたらしい。
フッとテンガイの姿が掻き消える。
一瞬遅れ、喪服の女性の姿も闇に溶けていくかのように消えていった。
……………。
都市の中からは断続的に爆発音が続いている。
悲鳴も徐々に数を増して広がっていっているようだ。
「……………」
胸に重たい何かを感じて険しい表情でジェイドが拳を当てた。
単に事件が起きたというだけではない……何かもっと、大きな危険が……。
(!! 何か来る…………上ッッ!!!!)
弾かれたように空を見上げるジェイド。
ひゅるるるるるるるるる……。
星の瞬く夜空から何かが降ってくる。
何かが……落ちてくる。
……ドォォォォン!!!
その何かは自分の真ん前に落ちてきた。
周辺には高い建物など存在していないのに。
地面が砕け、もうもうと土煙が上がる中でゆっくりと巨体を起こした何者か。
真っ黒いシルエットがむくりと持ち上がる。
……それは東の国の僧侶の格好をした巨漢だ。
「ほっほっほっほ、お初にお目に掛かります……アムリタ様」
「なッ……!!?」
驚愕に表情を凍てつかせるジェイド。
この姿の自分を……アムリタの名で呼んだ……。
「おぉっと、そちらのお姿の時はジェイド様でしたか。これはこれは……拙僧とんだご無礼おば」
ぴしゃりと自分の禿頭を手で打つ坊主。
「何者だ……」
警戒心を限界まで引き上げてジェイドは構えをとる。
そんな彼に向けて巨漢は白い歯が綺麗に並んだ口を三日月のようにして笑った。
「拙僧、テンガイと申す者。天涯法師にございます」
数珠を鳴らし拝んだ手を擦り合わせるテンガイ。
「あの御方にお仕えする喜怒哀楽の『喜』……『喜ばしきもの』テンガイ!!」
名乗って満面の笑みを浮かべるテンガイ。
……そして砂埃の向こう側から足音が聞こえてくる。
姿を現したのは……喪服の女性。
物悲しく、そして暗い強烈な「陰」のオーラを放って彼女は闇の向こう側からやってくる。
「喜怒哀楽……『哀』」
黒い聖母は冷たく静かな声で告げる。
「……『哀しきもの』エスメレー」




