一人ではできないこと
約束の一週間が過ぎ去り、リュアンサによる地獄の……と言いつつも何だかんだ至れり尽くせりな強化合宿が終わった。
「……本当にありがとう、リュアンサ」
「バぁッッカ! 頭なんて下げてんじゃねェ……オメー以外にこんな事ぁやんねーよ」
心の底からの感謝の念を込めて深々と頭を下げるジェイドにいっちまえ、というかのようにシッシッと追い払う仕草をするリュアンサ。
その手を取ってジェイドは優しく口付ける。
忠誠を誓う騎士のように片膝を床に突いて……。
心優しき愛する王女へ敬意を込めて。
気障な仕草にリュアンサが苦笑する。
「オメーだけだぞ。よォくそこんとこ理解しとけよな……バカ」
そう悪態をついてから……王女は優しく微笑むのだった。
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さて、こうしてジェイドはミハイルの書類業務を代行できるだけの法律関連の知識を手に入れたわけであるが……。
(そこで『できるようになりましたからやらせてください!』なんて言ったら彼の思う壺なのよね)
ジェイドの内心でアムリタがフッフッフと不敵に笑っている。
デキる者は簡単に動かない。慎重に機会を待つのである。
(そんな事をした所で『いらん』って言われて終わりでしょう。彼は別に日々の業務に助っ人を欲しているわけではないのだから。求められていないシーンで自分から売りこむ助力なんて鬱陶しがられるだけなのよ。……そこで必要になるのが私がこれまでに培ってきた『間を読む』スキルというわけね。自分が必要とされるシーンを見極めてそこでさり気なく手を貸す。そうする事で……)
「……おい」
ハッと我に返るジェイド。
見れば仕事の手を止めたミハイルが自分の方を向いている。
……これまでに一度もなかった事だ。
「はい。……僕に何か用なのか」
語尾がやや警戒するかのように低くなってしまったのは致し方ないことと言えるだろう。
そのジェイドに向かってミハイルが数枚の書類を差し出す。
「お前がやれ。やれるのだろう」
「え……?」
思わず呆気に取られてしまったジェイド。
ミハイルが怜悧な光を放つ目を細める。
「やれないのか? 私の見込み違いだったか」
「いや。やれる。……やらせてください」
頭を下げて書類を受け取る。
そしてペンを手にして執務机に座る。
……そうして、凡そ30分後。
出来上がった書類を一通りチェックしているミハイル。
それを見守るジェイドは知らず知らずの内に握った拳に汗を掻いていた。
「問題はないようだな。……時間も、まあ及第点か」
ミハイルの言葉にジェイドが脱力して長い息を吐く。
「何故、仕事を僕に……?」
「お前がリュアンサ様の所で勉強をしているという話は聞いていた。私にも色々と伝手はある」
ギシッと椅子の背もたれを鳴らしてミハイルがジェイドの方を向く。
「どのようなコネで潜り込んできたのかは知らないが、お前がそれだけの男であれば放置しておくつもりだった。……だが、私は努力し結果を出した者は正等に評価をする」
ミハイルは机に両方の肘を置くと顔の前で手を組んだ。
「努力はしていたようだからな。結果を確認した。……そういう事だ」
「ミハイル……」
褒めてはいるようだが相変わらずにこりともしないミハイル。
それはジェイドも同じなのでお互い様か。
「結果の出ない努力を褒められるのはせいぜいが子供の間だけだ。よかったな。お前の努力とリュアンサ様の労力が無駄にならずに済んで」
褒められているのだか皮肉られているのだかわからない。
ジェイドの目を見ながらミハイルは数日前に病床のロードフェルドから呼び出しを受けて面会してきた時の事を思い出していた。
『お前に任せたい。どう扱ってもらっても構わん。……だが、お前の目から見てその男に何か認めるべき所があるのだったら、話を聞いてやってくれ』
……王子は自分にそう言っていた。
(認めるべき所か……ないとは言えんな)
椅子に座り直して改めてジェイドと向き合うミハイル。
「……話してみろ、お前の望みを。何がしたくて戻って来た、ここへ」
「!! 僕は……以前ロードフェルド王子に助けてもらった事があるんだ。だから……今度は僕が王子の力になりたい」
ジェイドは語り始める。
王子に対してよからぬ事を企む者たちの手から彼を護りたいのだ、と。
今彼を狙っている集団は手強い相手が混じっているらしい。
実際に凄腕の戦士である王子も重傷を負わされている。
だから……自分は戦いに来たのだと。
アムリタとクライスの因縁のことなどは流石に話せないが……。
それ以外の部分はなるべく丁寧に説明した。
「つまり、お前の言う王子の警護がしたいというのは日常的、一般的な話ではなく……特定の相手、集団を相手にするものという事か」
そうだ、とジェイドが肯く。
自分の今の敵はクライス派の残党たち。
自分が殺したあの男の怨念を引き継いでいるであろう者たち。
……そして、恐らくその中にいるであろうエスメレー元王妃だ。
「それならば既存の警護部隊に組み込まれても目的は達成できまい。もっと自由に動ける権限が無ければな。それにお前一人ではどうにもならん」
「……………」
それはミハイルの言う通りでありジェイドも苦しい所である。
一人でできる事には限りがある。それに自分は王宮では下級の一兵士。
権限と人数……どちらも自分に必要で自分ではどうにもならないものだ。
翡翠の髪の青年が口惜しさに唇を噛んで床を見る。
「お前の部隊を組織しろ、ジェイド。信頼できる者を集めてお前が指揮を執れ」
「……!!」
驚いて顔を上げるジェイド。
……今ミハイルは何と言った?
その言葉をまだ自分の脳が咀嚼しきれていない。
自分の部隊を……持て? 指揮を執る?
「そんな事を……僕がしてもいいのか?」
「今になって腰が引けたか? お前にはそれが必要だ。私はお前の面倒を見るように言われている。ならばそうするしかあるまい」
相変わらず皮肉めいた言い回しをするミハイルであるが、ジェイドは目を輝かせて前のめりになる。
「ありがとう!! ミハイルも手伝ってくれるのか」
「当然だろう。私の責任で集めさせる部隊だ。私が無関係と言うわけにはいかん。全体の指揮は概ねお前に任せることになるが私もまったく口を挟まないわけではない。……そうだな、副隊長あたりの肩書は貰っておこう」
冷たく澄ました男の手をいきなりジェイドが両手で握った。
「わかった。よろしく頼む」
「……………」
強めに握られた自分の右手をチラリと一瞥するミハイル。
やはり彼の表情は僅かにも動くことはなかったが。
「早速、心当たりを当たってくる」
余程うれしかったのか彼にしては珍しくジェイドは振り返って手を振って庁舎を出ていった。
「……ふん」
一人残されたミハイルが鼻を鳴らして握られていた自分の右手を見た。
まだそこにはジェイドの手の熱が残っている。
(一人ではできない事か……)
ミハイルは誰かを頼った事がない。
誰かに期待した事はない。
だが、あの男が自分の知らなかった世界を示してくれるのだろうか?
(お前は私に何かを見せてくれるのか……ジェイド)
腕を組み、静かに目を閉じるミハイルであった。
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……まずは居場所がわかって、近くにいる者から。
そう思ってジェイドは王立学術院までやってきた。
今朝はここから出勤しているので早々に戻ってきたことになる。
先にリュアンサに勉強の効果があった、と礼を言いに行こうかと思ったが学長室には「面会謝絶」の札が掛けられていた。
彼女は熟睡中という事だ。
リュアンサも一週間付きっ切りでジェイドの面倒をみてきて疲れているのだろう。
そんなわけなので、先に彼女を呼び出してもらった。
「……はあはあ、なるほどなのですよ。ジェイドさんの部隊ねえ。出世したのですね」
係員に呼び出してもらったクレアリースはジェイドの説明を受けてコクコク肯いている。
「危険な仕事だから申し訳ないんだが、クレアに手を貸して欲しいんだ」
頭を下げるジェイドにクレアは満足げににんまりと笑う。
「仕方ないですねぇ。ジェイドさんは本当に私がいないとダメなんですから……。まあ真っ先に私をスカウトしに来たその熱意を買ってあげるのですよ。エリートがカノジョでよかったですよね?」
ふんぞり返りすぎて後ろにひっくり返りそうになるクレアだ。
(一番最初に来たのは、貴女が一番近くにいたからで……しかも貴女は前科があるので仕事場に拘束されている事がわかっていたからなのだけど、私は空気が読める女だから余計な事は言わないわ)
内心でそんな事を考えているアムリタである。
「ロードフェルド様は次期王ですからね。その方をお守りする重要任務ともなれば上手くやればバーンと出世してボーンとお給料も上がるのです。よかったですねジェイドさん。これでパン屋さん潰れても生活は安泰なのですよ」
「……潰れてはいない」
そこはボソッと反論するジェイドであったが、その言葉にはあまり力はなかった。
ともかく……こうしてジェイドの部隊の隊士一号はクレアリース・カーレオンに決定したのだった。
クレアをスカウトしたジェイド。
彼女に必要事項を伝達した後に次の行動に移る。
急いで手紙をしたためて王宮内の郵逓局へ。
国家重要事案扱いとして速達にして貰う。
これで王都内であれば24時間以内に相手に手紙を届けてくれるはずだ。
……彼女は今、王宮の外で働いている。
血生臭い世界に引き戻すのは躊躇われるがそれでも頼りになる彼女には声を掛けないわけにはいくまい。
掛けなければ掛けないで後で「水臭い」と怒られるだろうし……。
順調な滑り出しだ。
上機嫌に郵逓局を出るジェイド。
すると……。
「ね、誰かの事を忘れているのではないかな?」
そんな風に急に真後ろから話しかけて来る者がいるのだった。
「キミが部隊を組織するのなら、そこに絶対にいるべき人がいるよね?」
背後から耳元に……吐息が掛かるほどの至近距離で。
その声が不機嫌そうに聞こえるのは最近まったく会えていなかったからであろうか。
背後を振り返るのが少しだけ怖いジェイドであった。




