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王女の強化合宿(お勉強編)

 色々とあった一日が終わり、官舎の自分の部屋へと戻ってきたジェイド。

 ここは以前いた官舎とは別の棟なのだが、部屋の内装は統一されているので感じる空気は前と一緒だ。


(……懐かしい気分)


 ここと同じ部屋でクライス王子をこの手で殺す日を夢見て計画を立てて……。

 泣いて呪って静かに殺意を研ぎ澄まして過ごしたあの日々。


 まさか自分が今も生きていて、その時の事を思い返す事になるとは思っていなかった。


(それから、何度も彼女(イクサ)にこのベッドに押し倒されて……)


「…………………」


 ……余計なことまで思い返してしまった。

 今はピンク色の思い出で脳内を満たしている場合ではない。


 あの退廃的で倒錯的な日々はもう戻っては来ないだろう。

 何故なら今のこの部屋は窓の向きが以前の部屋とは異なっていて夜でも結構明るく人目のある位置だから。

 ……前のようにイクサリアは日が落ちてから暗幕を被って飛んでくるというわけにはいかない。


(……それにしても白狼星(アイツ)、困ったわね)


 明かりを消してジェイドの姿でベッドに横たわると天井を見上げながらミハイルを思い出す。

 怜悧冷徹を絵に描いたような氷の貴公子ミハイル。

 自分はあんな飼い殺しのような目に遭う為にここへ戻ってきたわけではない。

 どうにかして現状を打破しなくては……。


(ロードフェルド王子の指示らしいけど、どうして私を彼に……? 私は王子を護る為に戻ってきたっていうのに)


 思うに……王子としても仲介を頼んだイクサリアが捻じ込んできたので断れなかったがやはり自分を戦わせる事には反対なのかもしれない。

 だからミハイルに付けて危ない現場からは遠ざけておこうと……。


(それとも、『この男の心を開かせる事もできない者に俺の護衛は務まらない!』とかかしら……。いや、ないか……どういう試練よ。それ)


 自分の考えを自分で打ち消して嘆息する。


(とにかく、お利口さんにして澄ましていてもどうにもならなそうね。捨て身でいきましょう)


 方針を定めたら後は体力を蓄えなければ。

 目を閉じて数分で眠りに落ちるジェイドであった。


 ────────────────────────


 翌日。今日も自分の仕事はミハイルの付き人……という名目の放置。

 しかし昨日までとは違う。

 ジェイドも黙って立っているだけではない。


「……どういうつもりだ」


 書類から顔を上げてミハイルが言う。

 背後に立ったジェイドが自分の手元を覗き込んでいるのである。


「気にしないで欲しい。僕はいないものと思って進めてくれ」


 平然と答えるジェイド。

 彼は姿勢を変えることなく書類の文面に目を走らせている。


「気が散る。離れていろ」


「それはお断りする」


 静かに、だがはっきりと拒絶する。

 ミハイルの右の眉毛が僅かに浮いた。


「教えろとは言わない。見て勝手に覚えるから貴方はそのまま仕事を続けてくれ」


「……………………」


 放置されているのだから好きにやるまでだ。

 開き直ったジェイドが書類仕事を凝視する。

 これでミハイルが我慢しかねて自分を追い出すようならそれはそれでいい。


 まだ文句のありそうな顔のミハイルであったが、結局諦めたのか言われた通りに書類仕事に戻る。

 そうなると彼の集中力はやはりかなりのものでジェイドの存在などまったく気にしていない。


(馬鹿め。見て覚えられるのなら苦労はない……)


 冷たく鼻を鳴らすミハイルだったが……。


(……なんて考えているのでしょうけど、そんな事はこちらも百も承知なのよ)


 アムリタとて並の女ではない。

 女学院に通っていた頃は座学の成績で学院上位3位の内から漏れたことのないほどの才女だ。

 その反面運動が壊滅的だったが……。


(流石に高度な事をやっている……)


 そのアムリタをして現時点でミハイルの仕事内容で理解できているのは三割弱だ。

 後の部分はまったくちんぷんかんぷん。

 それでも出てくる単語だけは残らず拾って記憶に放り込む。


(それでいい。今私が知りたいのは自分が理解できる部分とできない部分をハッキリさせること)


 どこがわからない。何がわからないのかを理解する事が始まりなのだ。

 そうする事で自分が何を学べばいいのかがわかる。


 ……そうして昼休みの時間がやってきた。


(目と頭が疲れた……)


 ずっと脳味噌はフル回転で煙を吹きそうだし、書類仕事を凝視しすぎて目は充血している。

 そんなジェイドが手製の粗末なサンドイッチを齧りながらため息を付く。


「まーたそんなもの食べているのですよ……」


 馴染んだ声がして顔を上げると背の低い丸い大きなメガネを掛けた濃い緑色のローブ姿の女性が立っている。キノコの傘のような大きなベレーのような帽子を被った彼女。


「クレア……!」


 大きな瞳で愛嬌のある顔立ちのどう見ても十代前半の実際は二十歳の女……クレアリースがそこにいた。


「戻ってきていると聞いたので会いにきたのですよ。やっぱり私のカレシは世界で一番カッコいいのです」


 ジェイドの了承も得ずにポンと彼の膝の上に飛び乗ってきて座ったクレア。

 ……見た目だけでなく仕草まで幼女っぽい。


 カレシ……だろうかと一瞬悩んだジェイドであったがクレアがそう言うのならそれでいいのかもしれない。どちらにせよ自分にとってはクレアはもう親友で家族のような存在だ。そこに恋人が加わってもなんという事も無い。

 ……そういう所が最近大らかになってしまったジェイドである。


 そしてクレアはジェイドが食事をしながら書き付けていたメモを見て眉を顰める。


「……? 王国法のお勉強を始めたのです?」


「今いる部署の業務内容でちょっとな……」


 やれやれ、と嘆息しながら答えるジェイドだ。

 一から事情を説明したい所なのだがそれには時間が足り無すぎる。


「ヘンなとこに回されたのですね? まあ……あのお店では生活苦しいでしょうから頑張るのですよ」


(パン屋がやっていけなくなって生活費を稼ぎに戻ってきたと思われている!!!)


 表情を変えないジェイドと内心で愕然としているアムリタ。

 弁明したい所ではあるがやはり時間が足りない。


「行き詰ったのなら学術院(うち)のボスのとこ行くといいのですよ。あの人、専門は医学とか生物学なんですけど法律(そっち)関係も専門家をガン詰めして泣かせるくらいには天才なんで」


「リュアンサ王女が……」


 ギザ歯を見せて笑うあのハイテンションでマッドでクレイジーな美女の姿を思い浮かべるジェイド。

 誰かをガン詰めして泣かせている姿が王宮一似合う女……リュアンサ。


「そうか、ありがとう」


「あははは、こらこらやめるのです。ペットではないのですよ」


 膝の上のクレアを頭を撫でたり顎の下をこちょこちょしてみたりするジェイドであった。


 ───────────────────────────────


 その日の業務終了後、クレアに薦められた通りに学術院を訪れリュアンサを尋ねたジェイド。

 王女の恋人というか愛人のようなものである彼は学長室に隣接する彼女の私室までほぼ顔パスである。


「……はァァ!!?? お勉強だァ!!???」


 パパッと白衣とスーツを脱ぎ捨てて下着姿になっていたリュアンサが振り返り思いっきりイヤそうな顔で言った。

 うん、とジェイドが肯く。


「オメーなァ……ようやくツラ出したと思ったらお勉強教えろとか……。アタシのこのムラムラはどう処理しろってんだよ、あァん?」


 ギロリと上目で睨んでくるリュアンサ。

 ムラムラの解消にお付き合いできなそうな事に関する怒りなのか、迫力がいつもの五割り増しである。


「チッ、仕方がねぇな……。オラッ、ちょい上向きやがれ」


「……?」


 言われるままに斜め上を見上げるといきなり唇に吸い付いてきたリュアンサに思いっきり濃厚なキスをされる。


「……ぷはッ! よォし、とりあえず今はこれで我慢しといてやんよ。んで、何だって? 詳しく話してみやがれ」


「あ、ああ……」


 キスに頭がボーッとしかかっていたジェイドが慌ててメモを手渡しながら大雑把な説明をした。

 すると……。


「もういい。止めろ。そこまででいい」


 そして説明はまだ全然途中なのにリュアンサに発言を遮られてしまった。


「全部わかった。テメーらの仕事の内容もこの書類がなんの書類かも、オメーがどこがわかんなくて困ってんのかもなァ」


(今の説明だけで!?)


 黙って眉を顰めるジェイドに内心で仰天しているアムリタ。

 言ってる自分自身でも何を言っているかよくわからないくらいだったのに。


「……それにしてもよォ、オメー、イジメられてんのか」


 下着姿でベッドの上で胡坐をかいているリュアンサがニヤリと笑う。


「イジメ……なのかな。よくわからない」


 首を傾げるジェイド。

 ミハイル自身がジェイドを扱いかねて困っているようにも思える。


「泣き寝入りしねェでガツッとやり返してやろうって根性はイイぜ。それでアタシんトコに来たのも正解だ。一週間でテメーをこの分野のエキスパートにしてやんぜぇッッ!! ソイツを叩き出してテメーがそこのボスになりやがれッッ!!!」


(ならないわよ!! 本末転倒でしょうそれ!!!)


 彼に自分を認めさせて自由な時間を手に入れるためにリュアンサの下を訪れたのだ。

 追い出してもどうしようもないし、彼の仕事を奪ったら却ってこちらの時間は無くなってしまう。


 ……ともあれ、こうしてジェイドはリュアンサとマンツーマンで短期集中合宿に入るのだった。


 ────────────────────────


 その日からジェイドは学術院の……リュアンサの部屋で生活する事になった。

 業務以外の時間は勉強漬け。

 食事の時間は愚か、入浴中ですら浴室に覚えるべき事が貼り出されている生活。

 短時間の睡眠を取り、起きれば出勤まではまた勉強。


(……辛い!! 何よこれ!! 滅茶苦茶辛い……ッッ!!!)


 かつてクライスの命を狙い、シャルウォートを師としてクラウゼヴィッツの屋敷で体術、格闘の訓練に明け暮れていた時の事を思い出す。

 シャルウォートはあんなヘラヘラしているキャラのクセに格闘訓練の時だけは人が変わったように厳しかった。

 何度も血を吐いて、骨を折ったりヒビを入れたりして訓練場の床を転がった。


(でもあの時よりも確実に辛い……!!!)


 リュアンサは言葉は悪いが教えるのは上手い。

 しかし覚えなければいけない事の量が多くそのどれもが眩暈を感じるほどに難しい。

 肉体的な疲労と負傷は自身の体質そのものに組み込まれている魔術によって復調できるが脳の疲労はその限りではない事を思い知らされる。


 しかしリュアンサも自分の時間を丸ごと潰して付き合ってくれているのだ。

 文句は言っていられない。


「ほォ~ら、メシの時間ですよ~ッてなぁ。脳にゴリゴリ栄養いくヤツ作ってきたからよォ。お代わりしまくりやがれよなァ」


 ……意外だったのはリュアンサが結構家庭的な女性であったという事だ。

 家事は何でも卒なくこなす。料理も上手だ。


(……ううッ、私だけ……私だけがカオスシェフ……)


 無表情で食べるジェイドの内心で密かに涙するアムリタであった。

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