喪服の襲撃者
顔なじみになっていた年老いた侍従長はすっかり取り乱してしまっていた。
「……おぉ、ジェイド様。王子が……坊ちゃまが……」
号泣している侍従長に案内され足早に屋敷の廊下を進むジェイド。
「王子……ッ!!」
ノックもそこそこに乱暴に扉を開けて室内に入ると、窓際に立つ男が振り返った。
「ドタバタと騒々しいと思えばお前か」
ロードフェルドだ。
その姿を見た時、ジェイドは膝の力が抜けて腰砕けになりかけた。
「……襲われて重傷だと聞いたから」
魂が抜けるかと思うほど体中を使って長い息を吐き出すジェイド。
ロードフェルド王子が襲撃されて重傷を負ったという情報は王宮外へは一切出ることがなかった為、アムリタがその事を知ったのは彼が襲われた三日後の事であった。
「見ての通りだ。傷は負ったがお前が慌ててやってくる程ではない」
王子は上半身裸であり、腹部には包帯が巻かれている。
流石は剛健な武人だとジェイドが感心していると……。
「いいや、ジェイド。君からも諫言してくれ。傷は臓腑を傷付けていて一時はかなり危なかったのだ。今だって本当は絶対安静で寝台から離れるなと治癒術師たちからは言われているというのに……。ああやって見舞い客たちに見栄を張っている」
「おい……!」
嘆息して苦言を呈する側近に不機嫌そうに詰め寄ろうとして……。
「う……ぐッ」
腹部を押さえて身体をくの字に曲げてロードフェルドは呻いた。
「王子!!」
慌てて駆け寄る周囲の者たち。
……こうして王子は半ば無理やりにベッドに戻された。
……………。
「ばれてしまっては仕方がないので白状するが……そういう事でな。正直、俺も一時は死を覚悟した」
ベッドに横たわったロードフェルドの語った所によると……。
謎の喪服の女の一撃を受け重傷を負って彼が死を覚悟したその時、幸いにして衛士たちが駆け付けてきてくれた。
するとそれを見た喪服の女はあっさり撤退してしまった。
逃げるにしても王子に止めを刺していく余裕は確実にあったはずだと彼は言う。
あえてそれをしなかった事にはどのような意図があるのか……。
「そういえば昨日な、大王様が見舞いに来て下さった」
話題を変えたロードフェルド。
ジェイドは少し驚いた。
あのヴォードラン大王はケガをした息子を見舞うなどと言う……失礼だが普通の親のような行動は取らないような人物であると思っていた。
『よかったな、ロードフェルド』
意識を取り戻したばかりの息子に向かって大王はそう言ったという。
『この試練がお前をまた一つ高みへと誘ってくれる事だろう』
「………………」
話を聞いてジェイドは絶句している。
(どういう父親なのよ……)
内心でもアムリタが絶句している。
「あれでもあの御方も我が子に愛情が無いという訳ではないのだ。……表現方法が大分独特なだけでな」
ロードフェルドはそう言って苦笑する。
我が子を千尋の谷から突き落として、更には上から岩石を投げつけておいても愛情ですで通るのだろうか?
疑問なジェイドであった。
さて、とそこで王子が咳ばらいをした。
「お前たち、外せ。ジェイドと二人だけで話がしたい」
そこまで話すとロードフェルドはそう言って人払いをした。
自分たち以外が退出し誰もいなくなったのを確認してから王子は視線でジェイドに「もっと近付け」と促す。
声を抑えて内密な話がしたいと言うのだろう。
ジェイドが素直に応じて王子に顔を寄せた。
「……実はな、女の顔を見た。この話はまだお前以外誰にもしていない」
「!」
驚くジェイド。
ロードフェルドの表情はどこか辛そうで……それは傷の痛みによるものではなかった。
「一瞬の事だったので確実とは言えんが……エスメレー様であったように思う」
「エスメレー様……」
その名前は知っている。
クライス王子とまだ婚約者であった頃に彼の口から聞いた記憶がある。
心優しく聡明な人である、と……。
「そうだ。クライスの……母君だ」
彼のその言葉は凍て付いた真冬の夜のような冷気を部屋に広げる。
「……………」
俯くジェイド。
クライスの母が……ロードフェルドを襲った。
その意味は考えてみるまでもない。
……復讐だ。
暗殺の首謀者とされている王子に息子の仇を討ちに現れたのだ。
「ただ、あれが本当にエスメレー様だったとするのなら腑に落ちん点がいくつかある」
かつての大王の妃、エスメレーは今から十数年前に離縁を許されて王宮を出た。
現在は生まれ故郷であるクロスランドに戻り修道院にいるはずだという。
彼女が王宮を去る時、挨拶を受けてロードフェルドも会っている。
当時の彼女は四十代前半……容姿は美しいが年齢相応に年老いてもいた。
それが……先日の喪服の女はどう見ても二十代前半だったように思う。
エスメレーだとすれば若すぎる。
そして、エスメレーは深窓の令嬢であり武術の心得どころか満足に運動もした事のない人物だ。
だが喪服の女は国内屈指の剣の使い手である自分と互角に立ち回った。
剣の扱い自体は素人に毛が生えたようなものながら恐るべき身体能力と反応速度で凄まじい戦いぶりであった。
「………………」
話を聞きながらジェイドは胸中にイヤな予感が暗雲のように広がっていくのを感じる。
覚えがある。
実際の年齢よりも遥かに若い容姿を持つ女。
彼女の魔性の微笑みを思い出す。
視界の端に紫色の桜の花弁が散った気がした。
覚えがある。
戦闘の経験は浅いが驚異的な身体能力で戦う者。
……毎日鏡の中にその人物を見ている。
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その日、王宮から帰ってからアムリタはずっと難しい顔をして何事かを考え込んでいるようだった。
そういう時にアイラは彼女に話しかけようとはしない。
ただ黙って見守るだけだ。
「……アイラ、お話があるの。聞いてもらえる?」
「王宮に戻るのね?」
夕食の席で意を決して口を開いたアムリタにアイラはそう返事をして微笑んだ。
驚いて動きを止めるアムリタ。
それから彼女は苦笑して肯く。
「お見通しね。……ええ、その通りよ。やっぱり私が見て見ぬふりをするわけにはいかない。これは……私の戦いの続き」
ロードフェルド王子は襲われ、そして命を落としかけた。
その相手はクライス王子の母親エスメレー元王妃であるかもしれない。
王子がもしもクライスを殺した者として狙われたのであれば……それは彼が請け負うべき恨みではない。
……クライスを殺した自分が受けるべき怨念だ。
「私も一緒に行きましょうか?」
「それは力強いのだけど、お店を閉めたくないの。アイラには私の留守を任せたい」
アイラの申し出にゆっくりと首を横に振って答える。
……それは嘘だ。
店の事は口実である。
今度の相手は恐らくクライスに仕えていた者たちの残党。
アイラの元の仲間たちだ。
自分に力を貸すことで彼女が以前の仲間たちと殺し合いになるというのは……あまりにもやるせない、救いのない話である。
だけど彼女には気を使われたとは思わせたくない。
店番を頼むのはそういった事情からだ。
とはいえ……そんな自分の心情などアイラにはとうにお見通しだろう。
それでも彼女は何も言わずに留守番を了承してくれた。
……………。
ジェイドに変身してアイラが持ってきてくれた王宮の衛士の白い軍服に袖を通す。
クライスと戦う時にアムリタの姿で着て不自由がないようにサイズを調整してあったのだが、そこは元に戻した。
(もう着る事もないだろうと思っていたが処分しないでよかった)
数か月ぶりに袖を通した衣装の着心地を確認しているジェイド。
……すると、椅子に座ってそれを見ていたアイラが俯いて肩を震わせている。
「……うッ……ふぐ……うぅッ」
膝の上で握りしめられた彼女の拳にぽつりぽつりと涙の雫が滴っていた。
「どうした?」
驚いて咽び泣いている彼女に歩み寄るジェイド。
「……うう、カッコいいわ。ステキよ……ジェイド……。私……私、本当に……生きてて……よかった……」
「……………」
……なんだか知らないが生きる喜びを感じさせてしまった。
その日はアイラのたっての頼みでジェイドの姿で彼女のベッドで一緒に眠った。
しばらく留守を任せるのだしそのくらいはやってあげよう、と引き受けたのだが……。
めちゃくちゃ抱き枕にされた。
……そして、朝起きたら二人ともアイラの噴き出した鼻血まみれで惨殺現場みたいになっていた。
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王宮に戻る事を決めたアムリタ……ジェイドであったが、勝手に入っていって居座るわけには勿論いかない。
前回同様、王宮にいるのなら名目、立場が必要になるのだ。
今回はアルディオラ王妃の衛士というわけにはいかない。
その職務では普段のロードフェルド王子との接点が無さすぎる。
王子に近しい場所で仕事をもらわなければならない。
なんとなく王子に直に頼むと「いらん。必要ない」と言われてしまいそうな気がしたのでそこはイクサリアに頼むことにした。
すんなりいったのか、或いは強引な手を使ったのか……それはわからないが頼んでから半日ほどで王女はジェイドにロードフェルド王子の周辺を警護する近衛の衛士という職務を取ってきてくれた。
「……………」
関係者との待ち合わせ場所に指定された王宮の衛兵の詰め所前にジェイドは立っている。
(……ここしばらくずっと本当の私だったから、気を付けて過ごさないと……ボロを出さないように)
現在の王宮内にいる人物でジェイドがアムリタである事を知る者はイクサリアと姉のリュアンサ、王子ロードフェルド、学術院にいるクレアリース……そしてエールヴェルツ家のレオルリッドの5人だけだ。
その他の者に正体がバレるわけにはいかない。
以前ほどバレて致命的な事になるわけではないが、確実に奇異の目で見られるだろうし高確率で追い出されてしまう。
(何より……何より前の衛士だった時に女のクセに平気で男と一緒に浴場とか利用してたヤツだってバレてしまう!!!)
当時はもう感覚が麻痺していたし、全てどうでもいいと思っていたから平気で過ごしていたが思えば凄い事をしていたものだ。
「……おい」
「!!」
いつの間にか……すぐ側に男が立っていた。
冷たく鋭い目をした銀の長髪の若い美男子だ。
白い軍服に左の肩に青いマントを羽織っている。
そして、マントには白い狼の紋章が描かれていた。
(……『白狼星』ブリッツフォーン)
白い狼の紋章は十二星「白狼星」のブリッツフォーン家の証。
しかも本家の者だ。
長身でありジェイドよりも大分目線は上にある。
「ジェイドだな。ブリッツフォーン家のミハイルだ。お前の面倒を見るように言われて来た」
「ああ、よろしくお願いしま……」
相手は一等星だ。
失礼にならないように頭を下げるジェイドだが、ミハイルはそんな彼など眼中にないかのように背を向けて歩き始めてしまう。
「初めに言っておくが、私はお前に何の期待もしていない。私の邪魔だけはするな。それだけだ」
振り返らず背後に向かって冷たく言い放つミハイル。
(これはまた……キツいの当てられたわね)
表情を変えないジェイドだが、内心ではアムリタが引き攣り笑いを浮かべているのだった。




