胡乱な協力者
王都の外れの丘陵地帯にその屋敷はポツンと建っている。
かなり大きな屋敷だ。周辺の広々とした土地を含めて屋敷の主のものである。
美しい白い屋敷。
周辺のロケーション含めマイナスの感情を呼び覚ますような要素は何一つないというのに、ジェイドはその屋敷を見るとどこか背筋に涼しい風が吹くのを感じる。
……主人の人柄の為せる業か。
非番のその日、ジェイドはその屋敷を訪れていた。
通常であればこれだけの規模の屋敷であれば二桁の使用人がいるはずだ。
しかしここには主の他には侍従長が一人とメイドが二人……合わせて三人の使用人がいるだけである。
それでいて屋敷の状態は常に完璧であり、ジェイドが見た限りでは荒れている箇所は一つもない。
呼び鈴を鳴らすと馴染みのメイドが顔を出し、建物内へ案内される。
向かう場所は地下にある主人の書斎だ。
屋敷の廊下を歩く。
異国のオブジェを通り過ぎる。
相変わらず……秘密基地めいた雰囲気の内装だ。
(秘密基地か。言いえて妙だな……まさしくここは彼の秘密基地だ)
その主人は……十二煌星家の内の当主の一人であり、この世でただ一人自分の復讐の目的を知る者でもある。
ノックもせずに彼は分厚い扉を開け放ち、無遠慮に中へ踏み込む。
「……やぁ、待っていたよ」
窓際の大きな窓枠に行儀悪く座って足を垂らしていた男が入ってきたジェイドに軽く手を振った。
そして彼は手にしていた分厚い書物を書斎机に重ねてある本の塔の一番上に置く。
背の高い若い男。確か、年齢は二十代後半だったはず。
細面の細い目の美形だ。いつもニヤニヤと口元には笑みがある。
多少クセっ毛の橙色の髪の毛。
装束は襟に金色の縁取りのある白いスーツ。
シャルウォート・クラウゼヴィッツ……彼の名前だ。
十二星「硝子蝶星」のクラウゼヴィッツ家の現当主だ。
「ご気分はいかがかな? マイフレンド」
「いいわけがない」
苦々しくそう言い放つとジェイドは乱暴にソファに腰を下ろす。
そんな彼の反応をフフ、と笑ってシャルウォートが軽く流した。
前傾姿勢でソファに座っているジェイドの身体が軋みながらやや縮んでいく。
一分足らずでアムリタの姿に変化を終える。……いや、元に戻ったというべきか。
髪の色は翡翠の色のまま。
これだけは変身の賜物ではなく、もう地毛の色になってしまっている。
この色がイヤだというわけではないのだがかつて自慢だったブロンドがもう永遠に失われてしまったらしいという事はやるせなく哀しい。
「おお、早いね。大分慣れたようだね」
「まあね……。一人の時間に訓練してる」
何かあっても咄嗟に変身が解けないように訓練もしているが、逆に必要な時に即座に変身ができるような訓練もしているのだ。
初めは10分以上かかっていた男女の変換も今では1分未満でできるようになった。
「さぁ~て、それじゃあいつものように色々と調べさせてもらうとしようかな」
ニヤリと邪悪に笑うシャルウォートにアムリタが眉を顰める。
「イヤらしい顔ね……」
「いや酷いね。これでも社交界ではそこそこ人気のあるフェイスなんだけどね」
大袈裟に肩をすくめてシャルウォートが嘆いた。
そんな彼の前でアムリタはおもむろに衣服を脱ぎ始め、躊躇わずに全裸になる。
「もうちょっと恥じらいってものが欲しいなぁ」
軽口を叩く彼をギラリと冷たく光る目で睨み付けるアムリタ。
はいはい、というように嘆息しつつシャルウォートは軽く頭を横に振る。
一糸纏わぬ姿になったアムリタに対して彼が行った事は診察である。
この男には多数の肩書きがある。
大貴族の当主の他にも、魔術師、医師、そして研究者と。
その多数の肩書きがアムリタと彼を引き合わせた。
「…………………」
聴診器を取り出したシャルウォートが自身の診察を開始する。
口元のいつもの笑みは消えて真剣な面持ちだ。
もう……彼に裸身を晒す事は何とも思わなくなってしまった。
最初はたまらなく嫌だったのだが。
自身が彼の研究素材となる事が協力の条件の一つなのだから嫌だとは言えない。
彼に言わせれば自分は非常に希少な存在なのだそうだ。
……それはそうだろう。
自力で死から蘇ってくるような人間がそうそういるとも思えない。
「『紅獅子星』に絡まれた」
「……聞いているよ、君の武勇譚は」
診察の手を止めずに答えるシャルウォート。
「目立つのはイヤじゃなかったのかい? 随分とド派手にやったようだが」
「計算違いだったわ。恥をかかせてやるのだから当事者間だけで終わる話だと思っていたのに……」
アムリタは心底苦々しいといった風で大きく息を吐く。
「教訓として以後は軽々しく悶着は起こさないほうがいいよ。王宮は誰が見てるかわからない。身に染みてよくわかっただろ?」
シャルウォートの忠告にフンと鼻を鳴らしてアムリタはそっぽを向いた。
10分程度あれこれ調べられて彼の診察は終わった。
無造作に脱ぎ散らかされていたジェイドの上着を拾ったシャルウォートがアムリタの肩にそれを掛ける。
いつもの終了の合図である。
「……傷跡もほとんど消えたねえ」
アムリタの胸元を見てシャルウォートが言った。
「……………………」
二人が出会った頃、そこには無残な傷痕があった。
心臓を抉られた時の傷だ。
その傷痕も徐々に小さく目立たなくなり、今では僅かに皮膚の色が違って見える部分があるだけとなっている。
アムリタは……応えない。
元々傷の事なんてどうだっていい。男の姿になった時にも傷はそのままだったのでそれが目立たなくなったのは喜ばしいと言えなくも無いが。
どうせ、内側には一生消えない傷が刻まれてしまっているのだ。
「……憎しみは……消えない」
1分以上の沈黙の後で囁くような小さな声で言う。
今度はシャルウォートからの返事はなかった。
……それにしても。
診察を終えて服を着なおしてから、アムリタはシャルウォートをちらりと窺った。
彼は今書斎机で先ほどの診察の結果を分厚いノートに書き付けている所である。
得体の知れない協力者である。
彼が何故自分に手を貸しているのか……その目的は未だに謎だ。
進んで王子殺しの共犯者になろうというのだ。正気の沙汰とも思えない。
だが今一つだけ確かな事は自分はこの男の手を借りなければ到底目的を果たす事などできないという事だ。
王宮へもこの男の手引きで入り込んだ。
懇意にしているアルディオラ王妃に引き合わせて彼女が自分を気に入り召し抱えてくれるように誘導してくれた。
善意でやってくれているはずはない。
彼には彼の……何か目的があるはずだ。
もしかしたらそれは自分にとっては非常に不都合な……破滅につながるようなものなのかもしれない。
(構うものか……)
それならそれで結構。
どの道、彼がいなければ今頃はとうに自分は火葬されて墓の下だった。
オマケで手に入れたような人生だ。
目的までただ突き進むのみ。
この巨大な国家の中枢にいる人物を殺めようと言うのである。
自分に残っているもの全てをぶつけても尚余りある。
「友達はできたかい?」
「……!」
不意に声を掛けられ、アムリタが小さく息を飲む。
咄嗟に脳裏をイクサリア王女の顔が横切り、驚いた表情のままシャルウォートを見てしまった。
……幸いにして彼はノートに視線を落としたままこちらを見ていなかった。
「できるはず……ないでしょ」
「そうかい? 王宮に入って半月だ。そういう相手もいておかしくはないと思ったんだがね」
ようやく彼はノートから顔を上げた。
自分を見るシャルウォートの目……アムリタが苦手に感じている視線だ。
楽しんでいるような、それでいて深い部分を見透かしているような、そんな視線。
「悲壮感を漂わせて独りでいれば無駄に目立つよ。そのエールヴェルツの御曹司の一件だって、君が特定の十二星の派閥に入っていれば起きなかった事だ。群れからはぐれた一匹狼だから狙われたのさ」
「……っ」
露骨に渋い顔をするアムリタ。
煩いとは思いつつも彼の発言は的を射ているので反論ができない。
「何度も言ってるがね、ボクは君の復讐を止めるつもりはない。だからこうして後押ししているんだが……」
シャルウォートはペンの尻でこめかみの辺りを軽く擦る。
「だからって君がその時まで独りで暗ぁ~く生きていきますって言うんならそれは反対だね。君は嬉しい事も楽しい事もまだまだ経験するべきだよ、若いんだから」
「それは余計なお世話」
眉間に皺を刻んで苦々しくアムリタは言う。
しかしそんな彼女の剣呑な視線をオレンジの髪の男は余裕で受け止める。
「怖いのかい?」
ああ……またあの、見透かすような目だ。
「復讐心が薄れていってしまうのが、憎悪が欠けていってしまうのが怖い?」
「ええ、怖いわ。怖いに決まってるでしょ」
自分の物ではないような低く暗い声が喉から漏れる。
小さな引き出しの家具の上に乗る鏡に映った自分の顔がふと目に入った。
冷たい目をした少女がそこにいる。
……アムリタ・カトラーシャとはこんな顔の娘であっただろうか?
こんな冷たい目をした冷めた表情の娘だったか。
髪の色以外は前のままのはずなのに、そこに映った娘はまるで知らない人のようだ。
もう前の顔には戻れないのだろう。
何も知らず無邪気に笑えていた頃の自分には……。
笑い方などもう忘れてしまった。
「憎悪だけが今私を生かしているんだから」
「………………」
笑われるか、哀れまれるか……どちらもありえると思ったが実際にはシャルウォートはただ黙って目を閉じるだけだった。
反発はしてみたもののこの男の言う事も一理ある。
確かに先日のレオルリッドの一件は自分が他の十二星の派閥と懇意にしていれば起きなかったはずだ。
派閥に加わるとまではいかなくとも誰かと近しい立場になっておくことも考えるべきなのかもしれない。
最後には失望させる事になる人間関係だが……。
どの道、事が成就した後に自分に待っているのは破滅だ。
真相を明らかにする術がない以上、最後まで自分は凶悪な犯罪者として終わるしかない。
(だとするなら……王女さまとの関係も前向きに考えてみるべきかもしれない)
ありがたい事に向こうから近付いてきてくれたのだ。
復讐に……利用できる部分があるのか。それを慎重に考えなければ。
瞼の裏に蘇るあのクールな姫の颯爽とした立ち振る舞いに深く考え込むアムリタだった。
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