暗躍する遺志
バルバロッサが薄暗い路地を抜けるとそこには二人の男が待っていた。
いずれもロングコート姿で鋭利な雰囲気の男たちである。
「首尾は?」
「まだだ。あの女は頭がキレる。今の段階じゃどうあったって乗ってはこねえよ」
待ってた男の内の一人が問いかけるとバルバロッサはそう答えて首を横に振った。
「どう転ぶのかわからない内にこちらからベラベラ喋って言質を取られるわけにもいかん。俺たちの活動が知られて本気度がわかればアイツは自分から察するさ。俺たちの規模やスポンサー様の存在をな……。その時に改めて誘えばいい」
煙草を咥えて火を付けるバルバロッサ。
「あれほど優秀な女があんなボロい店でいつまでも下女みたいな仕事をさせられているのに我慢ができるわけがない。……必ず転ぶさ」
そして風に紫煙を流しながら男たちは連れ立って闇の中へ消えていった。
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店内に戻ったアイラ。
たった今あったばかりの事を伝えるとアムリタはものすごい渋い顔をした。
「クライスの残党。……そんなのがいるのね」
自分が殺したクライス王子の配下だった者の一部が暗躍しているのだという。
げんなりする話であった。
「貴女の事は一切情報として流れていないから、何かされる心配はほとんどないと思うけど、念のため伝えておくわ。この話を誰に伝えるのかも、その判断は全て貴女に任せる」
アイラも憂鬱そうな表情である。
クライス王子の死は公式には事故死とされている。
だが表には出ない筋の情報としては王位継承の問題に絡んだ兄ロードフェルドによる暗殺という話になっている。
クライス派の残党がもしも報復を狙うとすれば相手はロードフェルドであろう。
(私は……ロードフェルド王子にはそこまでの義理はないし、庇い立てする気はないけど、アムリタに飛び火したらイヤだから)
悩むアムリタを見ながらアイラが考えている。
(貴女だけが無事であれば……他の事はどうでもいいの)
アイラからすれば前の主人の仇である少女である。
だが正直な所クライスの死については因果応報かと思う部分が大きく心情的に肩入れし辛い。
なのでアムリタとクライスの間のアイラは割りとニュートラルな立ち位置なのだ。
そしてアイラはアムリタに……ジェイドに命を助けられている。
アムリタはアイラに対して。
「彼女を生かしたのは私。だから彼女が新しい生き方を見つけるまでは私が面倒を見る!」
と、考えており。
アイラはアムリタに対して。
「彼女がいるから今の私がいる。それなら残った命は彼女を支える事に使います」
と、考えている。
……お互いが相手に対してヘンな責任感を持ってしまっている状態なのであった。
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その日、イクサリアは兄ロードフェルドに呼ばれて彼の屋敷を訪れていた。
互いに簡単に近況等を報告しあった後でロードフェルドが咳払いを一つし、本題に入る。
「実は、ティリア共和国の有力貴族からお前に縁談が……」
瞬間、部屋に極寒の土地の風が吹きぬけた気がした。
ロードフェルドの側近たちが思わず一歩後ろに下がったほどの殺気を彼女が発したのだ。
「……お断りしておいてね」
イクサリアが静かにそう告げた。
冷や汗を流す側近たちをチラリと一瞥してからロードフェルドがやれやれと嘆息する。
流石にこの兄は妹の放つ「圧」にも動じていない。
「そう言うだろうとは思ったが、当人のお前に告げぬままというわけにもいくまい。これが外交というものだ。そう睨むな」
「わかっているよ。殺気は条件反射みたいなものだから、気にしないで」
言いながらもイクサリア自身、もう少し自分の感情をコントロールできるようにならなければと考えていた。
どうにも自分とアムリタが引き離されそうになっていると思うと冷静さを失ってしまう。
「話はそれだけ? それなら私は失礼するよ」
硬質な雰囲気のままイクサリアは退出していった。
それを見送り、再度ロードフェルドは嘆息した。
そして彼女と入れ替わりになるように侍従が一礼して入ってくる。
「ロードフェルド様、ジェイド様がお見えになっております」
「ジェイドが? ……わかった。連れてきてくれ」
一瞬彼からも縁談のクレームか? と思ったロードフェルドであったがイクサリアが退出した直後なのでそれはありえないとすぐ思い返す。
……………。
来訪したジェイドの用件は先日アイラに接触してきたクライス派残党の件であった。
「そういう連中がいるという噂は俺の耳にも入っていたが、そこまで具体的に活動しているとなればもう見過ごせはせんな」
またも重苦しい息を吐くロードフェルド。
先ほどから彼はため息ばかりだ。
ジェイドは彼が最後に会った時より少し痩せたように見えた。
ロードフェルドは今、大王の後継者として彼から徐々に公務を引き継いでいる段階らしい。
日々色々と気苦労が多いであろう事はジェイドのように王宮外にいる者でも察せられる。
「クライス王子の部下たちはその後どう扱ったんだ?」
「鳴江アイラと一緒だ。取調べに対して抵抗せず協力した者に対しては一切を不問とした。厳密に言えば罪に問わねばならん者も結構いたのだがな。……クライスももういない。そこを厳しくやっても分断を深めるだけだ」
そして彼らは王宮に残る事を選択した者は各部署にバラバラに配属し、王宮を去る事を選択した者は自由にさせたのだという。
結局旧クライス陣営の者の八割以上が残留を希望し残りが王宮を去った。
「……では、暗躍しているのは辞めて出ていった連中か」
「だといいのだがな」
ロードフェルドは憂鬱そうな表情である。
より厄介なのは残留を希望した者の中によからぬ事を企む連中のスパイが混ざっていた場合だ。
「貴方はこの国にとって大事な人だし、今は色々大変な時期だ。十分に気をつけてくれ」
「俺の与り知らぬ所でコソコソと悪事を働かれるよりも、いっそ俺を狙って俺の前に現れてくれたほうが話が早いのだがな」
苦笑してロードフェルドは壁に立てかけてある自分の愛用の長剣を見る。
「……その時は俺が武力の方でも大王の後継者なのだという事を存分に思い知ってもらうとしよう」
元々が「武」の王子として鳴らしたロードフェルドだ。
王国軍を率いる将軍たる地位にいるのも王子だからというわけばかりではない。
確かな指揮官としての能力と人望、そして何よりも国内でも有数の武人としての実力でその地位にいる。
「何かあれば呼んでくれ。駆けつける」
「フッ……気持ちだけありがたく受け取っておくとしよう。お前は苦しい戦いの日々を終えてようやく平穏を手にしたばかりなのだ。お前のその平穏の日々を守る事もこれから王となる俺の責務だ」
そう言ってロードフェルドはジェイドの肩に手を置いた。
……力強い手であった。
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十二煌星「紅獅子星」エールヴェルツの屋敷。
父シーザリッドと息子レオルリッドが長いテーブルで夕食を取っている。
周囲には数名の執事とメイドが控えている。
国内有数の名門の当主親子。
共に金色の頭髪を頂く長身痩躯の美丈夫の父子。
結局シーザリッドの「三聖」という立場は今後も継続される事となった。
ロードフェルドが引き続き国政の師として教えを請いたいと願ったからである。
王子を支援していたわけでもない彼が国政の最高位に留まる事にほとんど異論が出る事がなかったのはシーザリッドの能力と人望ゆえの事であろう。
「……レオル」
「はい、父上」
食事の手を止め口を開いた父。
息子も手を止めて視線を上げる。
「お前も二十歳だな。もう成人だ」
「はい」
ナプキンで口を拭きながら言う父に肯く息子。
「いつまでも剣を振ったり軍略や政治の本を読んでいるだけというわけにはいくまい。そろそろお前も婚姻や跡継ぎの事を考えなければならない年齢になった。……誰かそう言った女性はおらんのか?」
「……なッ!!? 父上……!!?」
動転して目を白黒させたレオルリッド。
その脳裏に一人の女性の姿が思い浮かぶ。
彼女は気が強く闊達で聡明で、少しミステリアスで……緑がかった銀色の髪の美少女で……。
『私と貴方は親友でしょう?』
……耳の奥で声まで蘇ってくる。
(ば、馬鹿め!! 何をあいつの事を思い浮かべる!! 俺とあいつはそのような浮ついた間柄ではない……!!!)
カタカタと手にしたフォークとナイフを震わせ、エールヴェルツの若獅子はエールヴェルツの茹でダコになってしまっている。
「む……なんだ、いるのか?」
その息子の様子に何かを感じ取った父。
「いや!! いえ!! 違います!! そういう話ではなく……!!!」
「はっはっは。何だいるのではないか。屋敷へ連れてきなさい。パパも会ってみたいから」
真っ赤になってワナワナと打ち震えている息子に父親は楽しそうに笑っている。
「……いえ! ですからッ!!」
「大丈夫だ。パパは例えお前が平民の娘を連れてきたって応援するぞ。これからの若者は身分制度に縛られるべきではない。お前がその新たな時代の先駆けとなるのであれば私が支援する」
平民……。
そうだ、彼女は最近ちゃんとした戸籍を得たのだ。
正規のものだが……平民のものだ。
元一等星の家の娘だったが、今は平民なのだ。
「ルクシェーンの湖畔にうちの別荘があるのは知っているだろう。あれをお前にやるからその娘を誘って行ってきなさい。白い綺麗な建物だぞ。パパも昔ママと一緒に行ったんだ。二人の仲が一気に進展するぞ」
「……いえ、そこに誘って了承してもらえている時点で進展も何もないのでは」
思わず真顔で突っ込んでしまう息子であった。
そして壁際で控えつつ先ほどからやり取りを聞いているメイドは。
(ほんっと仲良いわね……この父子)
……と無言で考えていた。
ちなみに周囲の他のメイドや執事たちも大体が同意見である。
(……はぁっ、はぁっ、た、たまらないわ。美形のパパと息子のこの関係性ッッ!! 推せるッッッ!!!)
そしてエールヴェルツ家を箱推ししているメイドもいるのだった。




