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彼女の不味いパン屋さん

 彼女は椅子に座り、淡々と質問に答えている。

 周囲を屈強な武官数名に囲まれて。


「……はい。ヴォイド家にはクライス様の指示で私が連絡を取りました」


 少し俯き気味の彼女に表情はない。褐色の肌の女性……鳴江アイラ。

 調査協力という名目での事実上の尋問である。

 ただ、それを主導するロードフェルドの指示でそれほど厳しいものではない。


 数日間における「協力」の後に彼女は解放され自由の身となった。


「これからの事は考えているのか? よければ俺の手助けをしてくれないか。優秀な人材は喉から手が出るほど欲しい」


「お声がけ感謝いたします。ですが……私は主を死なせてしまった女です」


 憂いの感情の浮いた瞳でゆっくりと首を横に振るアイラにロードフェルドは肩をすくめる。


王宮(ここ)を去る、か。残念だ」


「実家の義父と相談してからの事となりますが、そうなるかと」


 アイラは十二星(トゥエルブ)冥月(ヘルムーン)」の鳴江家の養女だ。

 独断では身の振り方を決めることはできない。


 ……………。


 アイラが退出するとロードフェルドは側近たちと言葉を交わす。


(あれ)の所業については色々と驚かされてきたが……今回の話が一番ショックだな。『幽亡星(あんなもの)』まで駆り出してきていたとは……」


 禁忌とされてきた十二星、『幽亡星(ファントム)』のジューダスを自陣に招き入れていたクライス。

 その猛威は敵方だけには向かわず、クライスの部下たちにもかなりの犠牲者が出たという。


「御手を汚すことを厭わずに進まれてきた御方が最後までそのやり方を貫かれたということでしょうかな」


「舞踏館を改めにいった部下たちも幽亡星の所業には絶句していた。いまだ職務に復帰できないほど心を病んでしまった者もいる。そんなものを使ってまで王位が欲しかったのか……クライス」


 沈痛な表情で下を見るロードフェルドであった。


 ──────────────────────────


 アイラが取り調べのあった騎士団の詰め所の外に出ると小雨が降っていた。

 傘など持ち合わせていない。

 彼女が灰色の空を見上げて小さく嘆息する。


「……アイラ」


 そんな彼女に声をかけるものがいた。

 傘を差して彼女を待っていたアムリタだ。


 アイラに傘を手渡すアムリタ。

 しかしアイラはそれを差そうとはせずにアムリタに抱き着く。


「疲れた……。ねえ、私頑張ったわ。一生懸命頑張ったの。アムリタ、慰めて……褒めて」


「はいはい、お疲れ様。帰って暖かいものを食べましょ」


 アムリタは抱き着いてくるアイラの背に手を回して軽くポンポンと叩いた。


「ジェイド分が足りてないの。摂取しなきゃ……ジェイドになって、アムリタ」


「こんな所でホイホイできるわけないでしょ! 見られたらどうするのよ」


 アムリタが拒否するとアイラが露骨にしょげ返る。

 そんな落ち込む彼女を促して帰路に就くアムリタであった。


 …………。


「……なあ、別にそこまでしてやらなくていいじゃないのか?」


 マチルダにそう言われたことがある。

 アイラの扱いに付いてだ。

 彼女は今、アムリタが面倒を見るような形になっている。


「仕方ないわ。私には二つの選択肢があった。彼女を生かすのか……それとも殺すのか。私は生かす方を選んだ。それなら最後まで責任を取らないと」


 十二星本家の養女だ。

 アイラが望むのならいくらでも生きていく道はあるだろう。

 それも世に生きる大半の者たちが届かない高い位置にある道が。


「彼女が何か新しい生き方を見つけるまでは面倒を見るわ。それが拾ってきた私の責任よ」


 ペットの飼い主のような事を言っている。

 アムリタは生真面目だな……と苦笑するマチルダであった。


 ────────────────────────


 王都の一番栄えている区域、メインの大通りからは少し離れているがそこそこに賑わっている商店の立ち並ぶ通りがある。

 そこに今日、新しい小さな店舗が一軒オープンした。


 店の名前は……『アムリタ・ベーカリー』

 手作りのパンを提供する店である。

 可愛らしく小洒落た店だ。


「……今日からここが私の家、私の職場よ!」


 両手を空に突き上げて目を輝かせているアムリタ。

 エプロン姿ではしゃぐ彼女。

 その後ろでイクサリアたちが暖かい目で彼女を見て拍手をしている。


「さあ、中へどうぞ。皆がお客様第一号ね」


 優雅に一礼してアムリタは友人たちを店内に招き入れる。


「へへっ、楽しみだな。思いっきり腹を減らせてきたぜ」


「お友達だからって忖度はしないのですよ。シビアな感想を聞かせてあげるのです」


 マチルダとクレアが……そして二人に続いてイクサリアとアイラが入店した。

 店内には飲食もできるスペースが用意してある。

 アムリタはそこに皆を座らせると自分が焼いたパンを持ってきた。

 トレイの上にはこんがりときつね色に焼かれた丸いパンが並んでいる。


 ……………。


 そして……。


「すまん! どんなものが出てこようがとりあえずは褒めるつもりで来たけどこれは無理だ! ヤバい!! ……っていうかパンってこんなパサッパサにできるもんなんだな」


「口の中に砂漠が発生したのですよ。唾液どころか体中の水分が持ってかれるような気がしたのです」


 青ざめて渋い顔をしたマチルダとクレアが慌ててお茶をがぶ飲みしている。

 そんな二人を見てアイラが呆れたように嘆息する。


「……軟弱ね、貴女たち。私の生まれた国では子供たちが一匹の地虫を取り合って殴り合いをしていたわ。それに比べたらご馳走よ、これは」


「ある意味最強の罵倒なのです、それ」


 比較対象が食料と言ってよいのかも微妙な一定以上の生活水準の国に暮らす者なら絶対口には入れない虫である。


 そんな彼女たちのやり取りを他所に一人で黙々と食べているイクサリア。


「……イクサ、美味しい?」


 アムリタに問われてイクサリアは優しく微笑みを返す。


「私にとっては味は重要じゃないよ。キミの作ったものを食べられるという事が幸福なのだから」


「いやいやいやいやいや、ミイラ化が始まっちゃってるのですよ。ほらペッしなさい、ペッて。これはもうパンとかいう物体ではないのです。パンの形をした旱魃なのですよ」


 慌ててクレアはイクサリアから食べかけのパンをひったくるとお茶を飲ませた。


「……なんで皆でそんな意地悪言うのよ!」


 ……アムリタがむくれてしまった。


「いや……意地悪っていうか、なぁ?」


「ちょっとどのくらいの吸水能力があるのか確認したいですね。一個で小さい池くらいなら干上がらせるかもしれないのですよ」


 マチルダとクレアは微妙な表情で顔を見合わせている。


「……っていうか、パンに自信があったんだよな?」


「あるわけないでしょう。やった事ないんだから」


 何故か胸を張って言うアムリタだ。

 マチルダが呆気に取られて一瞬固まる。


「え。じゃあなんでパン屋さんでいこうと思ったのです?」


「小さい頃に絵本で見て、いいなって思ってたのよ。私には手製の粗末なサンドイッチを作った経験もあるしね」


 手製の粗末なサンドイッチを作った経験というのは即ちパンにその辺の食材を適当に挟んだ事があるというだけである。


「……それに、私は誰かを傷付ける為に殺めるために死から蘇ってきた女だから」


 アムリタが自分の両手を見る。


「そんな死と破壊を与えるだけのものだったはずの私の手が何かを生み出せたら……幸せだなって」


「いい話風なんだけど、微妙に生み出されたものが死と破壊から逃れきれてないな……」


「とりあえず世界中のパン屋さんに謝罪してほしいのです。その程度の経験でこんな物体並べてパン屋を名乗ったら同業者から暗殺者送り込まれても文句言えないのですよ」


 アムリタの言葉にマチルダとクレアは嘆息している。


「……なんでよ!!!」


 オーナーの声は半分悲鳴であった。


 とまあ、アムリタの作ったパンは不評を越えて最終的には何か触れてはいけない禁忌のような扱いになったものの……。

 この日、アムリタ・ベーカリーには遅くまで明かりが付いており楽し気な女性たちの話声が聞こえていたという。


 ……………。


 王都にあるとある商店街の一角に評判のパン屋がある。

 そこは可憐な少女が店長を務める不思議なパン屋。

 売っているパンは引くほど不味く、口に含めば人は果ての無い砂漠の幻影を見る。


 ……しかし不思議とその店にはいつでも笑顔があるという。


 ────────────────────────


 ……………。


 ……からん、ころん。


 軽やかに下駄が鳴る。

 どことも知れぬ寂しい通りを一人の女が歩いている。


 東方の着物を着て、番傘を差した女だ。

 魔性の美貌で彼女は薄く笑っている。


「……新しい玩具(おもちゃ)を探してあげなきゃ。はぁ、やんちゃな子供はすぐに壊してしまうから」


 くすくすと笑っている女。

 薄桃色の布で後頭部に纏められた緑銀の髪が揺れている。


 ……からん、ころん。


 軽やかに下駄が鳴る。

 その足音が遠ざかっていく。


 彼女の通り過ぎた後には紫色の桜の花びらが散っていた。

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