避けられぬもの
あの襲撃の日の夜。
大ホールに雪崩れ込んできた精鋭の重装衛兵たちの集団を前にしてマチルダは死を覚悟した。
(……ダメだ。これはどうにもならねえな。元気な時でもヤバそうな相手だってのに……もうオレは身体が満足に動かねえ)
それでもマチルダは鉄槌を構えクレアの前に立つ。
……最期の意地だ。
自分が息をしている内は後ろのクレアには指一本触らせはしまいと。
だが、次の瞬間。
大ホールは白い光に包まれ轟音に包まれた。
極大の雷が大ホールを満たしたのである。
……………。
数秒ほど意識を失っていたらしい。
階段に投げ出されていたマチルダがよろよろと起き上がろうとする。
凄まじい音と光だった。
今もまだ耳は痺れており聴覚は戻り切っていない。
近くを見回せばクレアも似たような有様だった。
彼女もなんとか立ち上がってくるがフラフラである。
衛兵たちは……。
全員が大ホールに倒れていた。
ぶすぶすと黒い煙を上げながら。
「……何が……あったんだよ……」
茫然としてマチルダが呟くとホールの入り口からカツーンカツーンと靴音が聞こえてくる。
それはどこかこの世ならざるものじみていて……。
まるで闇の世界から聞こえてくるかのようだった。
男が一人……歩いてくる。
黒いボロボロのロングコートを着込んだ肩幅の広い背の高い男。
袖口から覗く両手は包帯で覆われており……何より異様なのはその頭部。
淡い茶色の革袋をすっぽりと被っているのだ。
目の部分に黒く穴が開けてあり、その穴にデザインが合うように妙にヘタクソなタッチでガイコツらしきものが描かれている。
珍妙な覆面の男はブーツを鳴らしながらゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。
恰好は珍妙でも発する圧は只者ではない。
「私は……地獄よりの使者」
くぐもった低い声で言う男。
そして彼はビシッとポーズを決めた。
やや肘を曲げた両手を広げ(この時右腕を左腕よりやや高い位置に置くのがポイント)左右の手は何かを鷲掴みにするかのように指を曲げ……腰を少し落として両足を開く。
「怨念の化身ッ! 『うらみマスク』!!!」
「うらみマスク!!!??」
思わず声をハモらせ、イヤそうな顔をシンクロさせて叫んだマチルダとクレア。
「……いや、っていうか、アンタ、オーガスタス様だろ。ハーディング家の。死んだんじゃなかったのかよ」
「ぬうッ……!! そのような男は知らん」
半眼のマチルダにうらみマスクがプイッとそっぽを向く。
「私は闇よりの慟哭……人知れず流れた悲しみの涙を贖う者」
ビシッとポーズを決める覆面の男。
「うらみマスク!!!」
「わかったっつの」
「あんなバカでかい雷を操る人が当主以外にもいたら滅茶苦茶有名になってるはずなのですよ。今の出した時点で正体バレバレなのです」
十二星『天車星』のハーディング家に伝わる魔術は電撃の魔術である。
しかし、当主であるオーガスタスはクライス王子の雇った暗殺者バルトランの襲撃を受けて命を落としたはずだが……?
「ある男の依頼でお前たちの救援に来た。もう少し早く駆け付ける予定だったが……このカッコいいコスチュームを準備していたら遅れてしまった」
「あ、それ笑いを取りにいってるんじゃないのかよ」
割と残酷な事を真顔で言うマチルダであった。
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……そして二週間後。
王都郊外にある広大な墓地。
建ち並ぶ墓石の中でも一際立派な墓石の前に佇む一人の少女。
墓碑銘は『アムリタ・カトラーシャ』
だがこの下に眠る亡骸は彼女のものではない。
今、アムリタは自分自身の墓石の前に立つ。
シャルウォートが言うには自分の代わりにここに眠っているのは貧民区の診療所で病気で命を落とした少女だそうだ。
彼はその亡骸を両親に金を払って引き取り自分の身代わりとした。
褒められた行為ではないがそれが今の自分に繋がっていると思うと文句は言えない。
風に吹かれている彼女に足音が近付いてくる。
「姿を現すと思っていたわ……ポイズンデビル」
「誰だそれ。……私は深淵より響く嘆き。声なき叫びを聞き届けるもの」
ビシッと男がポーズを決める。
「うらみマスク!!!」
カッコいい(本人としては)名乗りにもアムリタの反応は特にない。
二人の間に乾いた風が吹き抜けていく。
「私の友達を助けてくれて……本当にありがとう、オーガスタス卿」
「うらみマスクだというのに……」
深く頭を下げるアムリタに不満げに鼻を鳴らしてうらみマスクがマスクを脱いだ。
彼の長い黒髪が風に流れる。
オーガスタス・ハーディング……彼が何故生きていたのかというのも詰まるところアムリタの時と一緒であった。
彼はバルトランに襲われ瀕死になり、シャルウォートによって助け出されていた。
そしてシャルウォートは用意した別の人物の死体をアムリタの時同様に幻術で見た目をオーガスタスに変えてその死を装ったのだ。
オーガスタスは治療術で一命は取り留めたもののその傷は深く、潜伏しつつ療養生活を送っていた。
シャルウォートが何故そこまで準備を整え迅速に行動できたのか。
それは三人の王位継承権利者の陣営には全て彼の息のかかった間諜が紛れ込んでいるから。
彼とアムリタが出会う前からの話である。
アムリタは自分が切欠で彼を継承を巡る騒乱に巻き込んだのだと思い込んでいたが、実際にはそうではなくシャルウォートはそれよりも前からこの件に深く嚙んでいた。
彼自身の目的のためにである。
「『硝子蝶星』から全てを聞いた。お前とクライス王子を巡る因縁の物語をだ」
「……………」
黙ってオーガスタスの話を聞くアムリタ。
自分がクライスの前に姿を現したように、この男が自分の前に姿を現すのもまた必然……運命である。
自分は彼の弟の命を奪ったのだから。
「アムリタ……私は弟を殺したお前を許しはしない」
オーガスタスの言葉にアムリタは黙って目を閉じるとわずかに俯いた。
そうだ、これは自分の罪。自分の業。
逃げてはいけないものだ。
「……だが、もう報復は考えていない」
「!」
驚いてアムリタが顔を上げるとオーガスタスは既に自分に背を向けて立ち去ろうとしているところだった。
「生きろ、アムリタ。アルバートを殺した罪を背負い生き続けろ」
去り行く男の後ろ姿にアムリタは頭を下げる。
「ありがとう。オーガスタス」
「そのような男は知らん。……私は終焉の御使い。子供たちの通学路に旗を持って立っている者」
振り返り彼はビシッとカッコいい(彼としては)ポーズを決める。
「……うらみマスク!!!」
(気に入っているのね……)
一応の礼儀としてポーズを決めている彼にぱちぱちと拍手を送るアムリタであった。
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久しぶりに……メッセージを送った。
内容はただの一言、シンプルに。
「会いたい」とだけ。
ここの所アムリタはずっと独りで過ごしていた。
自分の前にオーガスタスが姿を現すことがわかっていたから。
彼との相対に余人を差し挟むわけにはいかない。
その邂逅も終わった。
だから彼女に……メッセージを送った。
恐らくはそれが届いてすぐに飛び出してきたのだろう。
文字通りに彼女は飛んできた。
「……アムリタ!!!」
痛いほどの強さで彼女に抱きしめられる。
だけどその痛みも心地よい。
「あぁ、この温もりが私の全てだ。会えない間寂しくて胸が張り裂けそうだった」
「ごめんなさい、イクサ。でも全て終わったから」
自分を抱擁して涙を浮かべているイクサリアにアムリタが微笑む。
「具合はどうなの? 平気?」
問いかけるとイクサリアは身を離し、風に乗って飛び上がるとバレリーナのように空中で一回転してふわりと着地する。
「御覧の通りだよ、お姫様。キミの騎士はすっかり元通りさ」
「だから、お姫様は貴女でしょう」
苦笑しつつもアムリタは安堵する。
最後に会った時にはイクサリアはまだ杖を突かなければ歩けない状態だった。
その有様ですら奇跡的な回復の結果だといえるほど、あの夜の彼女は危険な状態で発見された。
全身の生命力を失い、死に瀕していた。
アムリタの手を取り自分の胸に当てるイクサリア。
そこにはどくんどくんと確かな命の脈動がある。
「……感じるかい? キミに貰った生命が今、私の中に確かに存在している。こんなに幸福な事はない。私はキミと一つになっている」
「………………」
言葉の通りに全身で、表情で幸福感を表すイクサリアを見てアムリタも表情を綻ばせる。
が……。
(い、言えない! それをやったのは私じゃないなんて……!!)
イクサリアは瀕死の自分にアムリタが生命力を分け与えて自分は命を取り留めたのだとそう思っている。
しかしアムリタにはそんな事が可能な能力や魔術はない。
では誰がやったのかというと……。
(ごめんなさい、シャル!! 貴方の手柄を横取りしています!! でもこれ病人のメンタルにも関わってくる話だから……!!)
……実はシャルウォートなのであった。
彼は王女に自分の生命力を大量に分け与えて一時はミイラのようにゲソゲソになっていた。
まあその魔術はアムリタの身体を研究することで彼が編み出したものであるので、広義にはアムリタ「も」イクサリアを助けたと言えないこともないかもしれない。
それだけの事をしたにも関わらずその功績は秘されて王女当人には知らされず、あまつさえ彼女からアムリタの身体を色々した男としてむしろちょっと冷たい目で見られている男、シャルウォート。
……………。
アムリタとイクサリアは広い草原で落ち合い、二人で草の海に座っている。
そして二人はそれぞれお弁当を作って持ってきていた。
「そうだ。折角なのだからお互いの作ってきたものを食べよう」
イクサリアがそう提案し、二人はお弁当を交換する。
「私の得意料理なの『手製の粗末なサンドイッチ』」
得意料理というが、実際にはそれしか作れない。作ったことがないアムリタである。
そして彼女がイクサリアの持ってきた弁当箱を開けてみると……。
「わぁ、すごいわね。流石は王族……私が見たこともないお料理よ」
「いや、私自身も見たことがないよ。何せ料理をするのは初めてで見様見真似でやってみたものだからね」
クールに前髪を指先で流しつつイクサリアが言う。
ちなみに彼女は「何を作ったの?」というアムリタの問いに対して「さあ?」という返事を返した。
何を完成させようと決めずに作り始める料理というものがあるのだろうか。
そして、二人の少女はお互いの作ってきたものを一口食べてみて……。
「……うん、あんまり美味しくないね」
「ごめんなさいイクサ、口には入れてみたけどこれ飲み込むの無理そう」
そう笑いあったのだった。




