二階の闇
ぼんやりと天井を見ている。
ここは……自分は知らない場所だ。
窓が無い所を見ると、どこかの施設の地下なのか……。
「……………」
鳴江アイラはベッドに寝かされている。
意識を取り戻して半日ほどだ。
手足にはまだ痺れがあって思うように動かせない。
無理に動こうとしても怪我を増やすだけだろう……そう思って静かに横になっている。
彼女は知らない事だが、ここは学術院地下の秘密の病室である。
この部屋の存在は学長とほんの少数の上位職員しか知らない。
(私は……襲われて、それで)
意識を失う直前の事を思い出しているアイラ。
自分は何者かに襲われ、恐らくは毒を受けて意識を失った。
今こうしているという事は死にはしなかったという事か……。
(彼は無事だったかしら……)
翡翠の髪の青年を思い浮かべる。
その時……。
「!!!」
アイラは目を見開いた。
ベッドの脇に突然男が現れたのだ。
いや、或いはずっと前からそこにいたのか……。
頭部には獣の耳……半獣人の男が椅子に座って自分を見ている。
ウォルガ族の生き残りの男、ハザン。
それが彼の名前だ。
「動クナ」
ハザンが低い声で言った。
「動カナケレバ、殺サナイ」
「……っ」
男からの圧にアイラが息を飲んだ。
「オ前ヲくらいすノ所ヘハ行カサナイ。あむりたニ任サレタ。俺ノ仕事ダ」
「アムリタ……?」
茫然と呟く。
その名前は、確か……。
「あむりた、強イ。あむりた、俺ヲ倒シタ。ソシテ、命ヲ助ケタ。一族ノ復讐ハアイツニ託シタ。あむりた、キットくらいすヲ殺ス。俺ハココデ俺ノ仕事ヲスル」
その時、コンコンとノックの音がしてからドアが開いた。
入ってきたのは橙色の髪の毛のニヤけた美形の男だ。
「……貴方は……『硝子蝶星』」
「やあ、久しぶりだね」
笑顔のシャルウォートがアイラに向かって軽く手を上げる。
「さて、君も色々とわからない事だらけだろう。時間はあるんだ。少しボクとお話をしようか」
そう言ってシャルウォートはハザンが立ち上がって無言で譲った椅子に腰を下ろすのだった。
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唸りを上げて巨大な鉄塊が虚空を横薙ぎにする。
「どォォォォりゃあああああああッッッッ……!!!」
なす術もなく吹き飛ばされる衛兵たち。大風の中の木の葉のように。
鎧をひしゃげさせた彼らは床に叩きつけられ……まだ意識のある者は激痛にもがいている。
「どぉよ!!! ホラ、次のヤツ来やがれッッ!!!」
ドン、と足元に鉄槌を突いてマチルダが叫んだ。
「……くそ、女二人になんてザマだ!!!」
「化け物みたいなパワーだぞ!! 近付くな!! 弩弓兵を出せ!!!」
剣や槍を持った衛兵たちが退き、入り口からクロスボウを構えた兵士たちが入ってくる。
「んげ!! バカ野郎、飛び道具は卑怯だろ!!!」
それを見て顔を引き攣らせたマチルダ。
そんな彼女の前にひょいと小柄なクレアが立つ。
「これだからゴリラの親戚は肝心な時に役に立たないのですよ。エリートが華麗に処理するのです。そこで指を咥えて眺めてるといいのですよ」
クレアは肩掛けカバンの中から試験管をいくつか取り出した。
いずれも中には白い粉末が入っている。
そして、彼女はそれをクロスボウを構える兵士たちに向けて投げた。
「……さあ起動するのですよ!! 叡智の守護者たちよ!!!」
その叫び声を合図にしたかのように、空中でバンと音を立てて弾ける試験管。
『……オーン』
立ち上がる無数の巨大なシルエット。
それは粘土でできたボディの虚ろなる魂の巨人たち。
魔造巨兵ゴーレムである。
「うわああッッ……!!」
「撃て!!! 破壊しろッッ!!!」
弩弓兵たちが狙撃を開始するも、ゴーレムは身体に突き立つ矢など意にも介さず暴れまわる。
「おおっ、すげーすげー。……っていうか、すげー筋肉」
感心するマチルダ。
勇ましく暴れるゴーレムたちはどの個体も見事な逆三角形のボディである。
表面はのっぺりとしているのだが、そこに脈打つ血管が浮かび上がっているような気がするほどだ。
「ハイパープロテインを触媒にして作ったマッスルゴーレムなのですよ」
ふふん、とクレアが得意げに胸を反らせる。
「へぇ~。オレ、プロテインって名前しか知らなかったけどそんな風に使うんだな」
「違いますけどおバカさんに説明してる余裕はないのですよ」
呆れ顔で嘆息するクレア。
「ちなみに中身まで全部粘土だから筋肉はないのですよ。見た目と気分の問題なのです。性能も普通のと一緒」
「……なんだよ!!!」
……見た目だけマッスルであった。
クロスボウの部隊は壊滅させたがまだまだ増援はやってくる。
倒れている仲間たちを引きずって回収しつつ、戦線に加わる新たな衛兵たち。
……………。
防衛戦が続く。
奮戦する二人。
積み上がっていく敵側の負傷者。
「ああっ、くそ……しつこいなあ。後から後からやられ役を追加しやがって……。怪獣みたいな女だとか噂が立ったらどうしてくれるんだよ……」
手の甲で顎をから滴る汗を拭うマチルダ。
さしもの女傑も体のあちこちに傷を負っている。
「……どうせこれが終わったら私たちはめでたくお尋ね者なのですよ。怪獣どころか凶悪犯罪者なのです。どこか遠くの国にとんずらしてそこで四人で末永く幸せに暮らすのですよ」
そう言うクレアの表情にも疲労の色が濃い。
自分自身戦っていなくても逃げ回りながらゴーレムを精製し続けた彼女は体力と魔力を大分消耗してしまっていた。
軽口を叩き合う息が上がってきている二人。
「あ……」
カバンに手を入れて青ざめるクレア。
……ゴーレムの触媒が尽きた。
(ちくしょ……腕が上がらなくなってきちまった。膝も完全に笑っちまってる……)
下唇を噛むマチルダ。
乱れる呼吸。体に満ちた熱は少しずつ冷めていっている。
否が応でも理解させられてしまう。
自分が戦えるのはあと僅かな時間であると……。
「……オイ、ちんちくりん」
「はぁ? 何なのですか」
敵の攻勢が一段落したタイミングでマチルダが近付いてクレアに囁く。
「次の波が来たら……オレがなるべく引きつける。お前は上か外に逃げろ。チビだからどうにかなるだろ」
「!!! ちょっと何ゆってんですか!! 冗談じゃないのです!! 私にこの先どすけべ女騎士に命を助けられた女とかいう重たい烙印背負わせる気なのですか!!!」
片方のレンズにヒビが入ってしまったクレアの眼鏡の奥の瞳が燃えている。
「気合入れるのですよ!! 恋する乙女のド根性をここで見せないでどこで見せるっていうんですか!!! 私たちは一人も欠けないのです!!! 全員でここから帰るのですよ!!!」
「……っ」
その叫びの迫力に思わずマチルダは息を飲んでいた。
それから彼女は「へへっ」と鼻の頭を指先で掻いて苦笑する。
「生意気言いやがって。……仕方がねえな。もうちょい死に物狂いでやるとするか」
マチルダがそう言って肩をすくめたその時……。
次の増援が大ホールに突入してきた。
……これまでで最大の人数だった。
しかも先ほどの衛兵たちよりも明らかな重装備の。
「あ~ぁ……」
絶望の表情で口元を笑みの形に引き攣らせたマチルダが思わず声を漏らしていた。
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時計の針を少し戻す。
マチルダたちと別れ、二階に上がってきたアムリタとイクサリア。
大廊下を真っすぐに突っ切ればその一番奥が三階への階段だ。
一階の喧騒は遠く、二階は不気味なほどに静まり返っている。
「…………………」
通路が大廊下に差し掛かったところで二人は足を止めた。
止めざるを得なかった。
その先の光景を少しの間、脳が理解することを拒んだからである。
「え?」
その声は自分が上げたものだったのか。
それとも隣のイクサリアのものだったのか……アムリタにはわからない。
広い廊下の両側に人が奥へ向かって等間隔に列を作っている。
メイドがいる。執事がいる。衛兵も……料理人の格好をしている者もいた。
職種も男女もバラバラ。
その人々が自分たちを出迎えるように通路の両脇で奥まで等間隔に並んでいるのだ。
ただ……彼らの足は床から離れていて。
首に掛かったロープに揺られている。
この世で最も凄惨で悪趣味なオブジェ。
首を括った遺体が廊下の奥まで二列で続いているのだ。
「……嘘……嘘、嫌……な、なによこれ……」
思わず数歩アムリタはよろめきながら後ろに下がっていた。
『オォォォォォォォォォォォ……』
声が聞こえる。
忌まわしい鳴き声が。
廊下の中央部分の床から何かが染み出してくるように姿を現す。
漆黒の毒の沼地を摘まんで持ち上げたかのような長躯、そしてその先端には鳥の骸骨のような白い仮面。
闇に生きて死を喰らう狂気。
『幽亡星』ジューダス・ヴォイド。
『オオオオォォォォ……喰ワセテ……喰ワセテ……』
ずるり、と音を立ててゆっくりとした不気味な挙動でジューダスが二人の方を向く。
『……ソノ、魂ヲ……喰ワセテ……』
「……フッ、これはとんだお化け屋敷だね」
短く苦笑して前に出るイクサリア。
「アムリタ……行って。二階は私の担当だよ」
「……で、でも!!!」
微笑むイクサリアに青ざめた顔を引き攣らせるアムリタが首を横に振る。
その取り決めはあくまでも相手がまともな人間か理屈で説明が付く存在だった場合だ。
……見ただけでわかる。
あれは……計り知れない不吉。
形を持った絶望そのもの。
目に見えている死の運命だ。
「ここで足を止めれば、下階の二人の頑張りも無駄になってしまうよ」
「……っ」
流れる涙を乱暴に袖で拭い、血が出るほどに強く唇を噛みしめる。
その様子を見てイクサリアは優しく微笑む。
「うん。それでいいんだ」
そしてイクサリアはアムリタの顎に指を掛けて少しだけ上を向かせると唇を重ねた。
「……愛してる。キミが生きていてくれる限り私は不滅だ」
うなずいて、そして……アムリタは走り始めた。
廊下の奥に向かって。
忌まわしき異形に向かって。
牽制のためにイクサリアも前に出るが、異形は自分の脇を走り抜けていくアムリタには目もくれずに王女の方を向いたままであった。
「よかったよ、素直に行ってくれて。キミのような汚らわしい存在を1秒たりともあの人の視界に入れておきたくないからね」
『喰ワセテ……ソノ眩イ、大キナ魂……喰ワセテ……喰ワセテ……………喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウ喰ウウゥゥゥゥゥ……!!!」
ジューダスの蠢動が激しさを増す。
興奮しているのか。
「……魂をご所望かい? でも残念だね。キミに摘まませてあげられる分なんて小指の先ほどもないよ」
自らの胸に手を当てて冷たく笑うイクサリア。
「何故なら私の魂はとうの昔に愛しいあの人に全て捧げてしまっているからね」
唸りをあげて迫る巨大な黒い影の異形に向かい剣を抜き放つ王女であった。




