奔放な王女
イクサリアは自分の周辺を回りながらじろじろと無遠慮に眺め回してくる。
それだけではなく、時折臭いも嗅いでいるようだ。
(ヘンな御方だ……)
淑女とは凡そ呼べたものではない振る舞いである。
しかしそんな奇行も彼女の容姿でやられると神秘的、ミステリアスであると表現が置き換わる。
……やはり美しい容姿を持つ者は得だな、と他人事のように考えているジェイド。
「キミは変わっているね。今まで会ったどんな殿方とも違うな。でも何が違うのかがよくわからない」
「……………………」
イクサリアは首をかしげている。
それはそうだろう……そうジェイドは思った。
自分は身体は男だが心は女だ。
そこの特異性を違和感として感じ取っているのなら王女の感覚は賞賛される鋭敏さであるが……。
それは、自分にとっては本能で正体を暴いてしまうかもしれない極めて危険な相手でもあるという事。
心が警鐘を鳴らしている。
彼女とこれ以上接するべきではない。
「自分は平民です。珍しく感じるのはそこではないですか」
「そうかな? 私は平民の友達もいるよ。だがその人たちにキミと同じものを感じた事はないな」
会話を打ち切ってその場を離れたかったのだが即座に否定されてしまった。
彼女に平民の友人がいるというのは意外だ。
生まれからして一切接点はないはずなのだが……。
離脱の切欠が掴めないジェイド。
とうとう王女は自分の体に触れはじめてしまった。
二の腕を触られ軍服の上から軽く揉まれる。
「う~ん、ガチガチに鍛え上げているというわけでもないんだね。だけど、レオルを倒してしまえるくらいには強い。不思議だね」
暗澹たる気分になる。
またも昨日の悶着の話題が出た。
つくづく軽はずみな事をしたものだと昨日の自分を蹴っ飛ばしたい心持になるジェイド。
「知っているかい? レオルはあれで剣をとらせたらヒギンズから三本に一本は取れるくらいには強いんだよ。その彼をキミは結構一方的にやっつけてしまったって言うじゃないか」
ヒギンズ……。
王国の白竜騎士団のヒギンズ団長の事だ。
どうやらあの御曹司はこちらが想像していた以上の強者だったようだ。
「騎士団に迎え入れたいとか十二星が迎え入れたいとか、そういう申し出がいくつかあったと聞いているよ。義母さまが全部突っぱねたらしいけどね」
自分の知らないところでそんな事になっていたとは。
返す返すも王妃には頭が上がらない。
「……今は、王宮は色々とピリピリしているからね。どこの陣営も優れた人材を喉から手がでるほど欲しがってる」
王女の声のトーンが思わせぶりに低くなった。
その話は……知っている。
というか大々的に告知されたので国内に知らない者はいない。
数年前に『大王』ヴォードランがある宣言をした。
それまでの年長者優先の王位継承の制度を廃止し、継承権を持つ自分の子供たち数人に平等に権利を与えて争わせるとしたのである。
長兄、ロードフェルド。
長女、リュアンサ。
次男、クライス。
その三人が候補となった。
イクサリアはその時点で婚姻が決まっていたので継承候補には含まれていない。
後に縁談は破談となるが、そうなっても継承者に復帰はしていない。
血を分けた三人の王の子が次の玉座を巡って相争う事になったのである。
(可能であれば……王位継承戦はクライスに勝利してほしいものだ)
……そう思っている。
その上で……この手で殺してやりたい。
(お前に絶望を与えるのは僕じゃなきゃならない。勝手に他の件で絶望して欲しくない。そんな事になれば僕の手による絶望の深みと味わいが掠れてしまう)
それに人生の絶頂を味合わせてその高みから突き落とすとなれば復讐の形としてこれ以上のものはないだろう。
……とはいえ、それはあくまでも希望だ。
殺せるのであれば贅沢を言うつもりはない。
「ふふ、そんな暗い顔をしなくてもいいんだよ。高貴な方々のちょっとした遊戯さ。やらせておけばいい」
くすくすとイクサリアは無邪気に笑っている。
ジェイドが国の行く末を憂いているとでも思ったのか。
実際は彼は復讐しか頭にはなく、その先がこの国の滅亡であっても知ったことではないというのが本音なのだが……。
そうして、彼女は自分の方を向いたままバックステップで一歩離れた。
「ね。私はなんだかキミの事が好きになったよ」
腰の後ろで手を組むとお辞儀をするようにやや前傾姿勢になり、上目遣いでイクサリアがこちらを見てくる。
同性であり、そんな感情はもう無くしてしまったはずの自分でも一瞬ドキッとする仕草だ。
「お友達になってくれないかな?」
「ご容赦下さい。畏れ多い事でございます」
謝辞するジェイド。
(冗談じゃない……。王宮内にいくつか人脈は欲しいと思っていたけど、こんなに大きくてピカピカなパイプは望んでない)
ただでさえ余計な事をして注目を浴びてしまっているというのに。
「私がいいと言っているのに?」
「身分が違いすぎます」
ジェイドがゆっくりと首を横に振る。
なるべく激しい拒絶に見えないように気を使いながら。
むう、と唸った王女が口を尖らせて頬を膨らませた。
怒ったというのをわかりやすくジェスチャーで示しているのだ。
半分はおふざけである。
「いいよ。キミがそう言うのなら気持ちが変わるまで追いかけるだけさ」
んぐ、と言葉に詰まるジェイド。
……一番されたら嫌な事を。これ以上衆目を浴びるわけにはいかないのに。
少しの間考えてから翡翠の名の青年ははぁ、と大きな息を吐いた。
「わかりました。謹んでお受け致します」
ジェイドの言葉にイクサリアが「やった」というように悪戯っぽく笑う。
普段は大人びた姫であるが、こういう表情をすれば歳相応に見える。
「ですが、お願いがあります。僕は王宮内で注目を浴びたくないんです。先日のエールヴェルツ様の件は本当に軽率でした。どうか、僕と王女様がお友達であるという事は秘密として一目のある場所でのやり取りは必要最小限にしていただけませんか」
「いいとも。二人だけの秘密だね」
幸いにしてそこは二つ返事で了承してくれたイクサリア。
なんとか……無難な方向で着陸ができたか、とジェイドが気を緩めたその瞬間。
その日一番の衝撃が彼を襲った。
「……………………」
視界一杯に広がったイクサリア。
鼻腔をくすぐっていった爽やかな香り。
そして…………唇に温もり。
キスをされたのだと気がつくまでに十秒以上が経過していた。
離れていったイクサリアがどこか夢見るような表情で自分の唇に指先を当てている。
「お友達は……このような事はしません」
「うん、そうだね。これはお友達とは別だよ。私がそうしたいと思ったから」
動転しているのか、王女の言葉はやや早口だ。
「不愉快だったら許してほしい。まだよく作法がわからないんだ、キスは…………」
一歩、また一歩とゆっくり後ずさっていくイクサリア。
ジェイドは呆然とそれを見送る。
「初めて、だったから。……じゃあ、またね!」
頬をやや赤く染め、まくし立てるように一気にそういうと王女はその場で腰を落とし勢い良く跳躍した。
そして数m飛び上がって上階のバルコニーの柵に手を掛けその向こう側へと姿を消す。
ほんの一瞬の事であった。
猫のように身軽な女性だ。
「僕だって……初めてだ」
いまだ半ば茫然自失のままで掠れ声で呟くジェイドだった。
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どことなく浮ついた足取りで自室に戻って来た王女イクサリア。
彼女は上着を脱いで適当にその辺に放るとベッドに身を投げ出す。
「ひゃあああぁぁ~~~~……やっちゃった!!」
足をじたばたさせるイクサリア。
一頻りバタ足してから天蓋を見上げる王女はハァと物憂げな吐息を虚空へ吐き出す。
「自分が突拍子もない行動をする人間だって自覚はあったけど……はしたないにも程があるね。何故いきなりあんなことをしてしまったんだろう」
イクサリアは戸惑っているようだ。
……自分の突然の蛮行に。
話している内になんとなくそういう気分になってしまったのだ。
それを自覚した時には既に身体は動いていた。
……強いて言うのなら目だろうか。
彼の何かを秘めているような……時折哀しみや憂いを覗かせる瞳を見ていたら吸い寄せられるような気分になって……。
直感に従って行動して後で痛い目を見た経験はこれまでも何度もあるというのに……。
(だけどそれで後悔した事は一度もないんだよね)
しかし早々に気を取り直した彼女はベッドの上で置きあがり胡坐をかいた。
驚くべき切り替えの早さだ。
「つまり私にとって今のキスは必然だったということか! ……と、するのなら私は彼に好意を持っているという事になる。何故なら私くらいの歳になると親愛の情だけで異性と口付けを交わすという事はないからだ」
ふむふむ、とイクサリアは自分の言葉に納得してうなずいている。
「しかし私と彼は出会ったばかり。それも問題はないかな。世間には一目惚れというものがあるらしい。これはそのケースに当てはまるはずだ」
ピキーン、と王女の背筋を電流が駆け抜けた。
「そうか。これが恋なのか。私は生まれて初めて誰かを好きになったんだね」
垂れ下がる前髪をそっと指先で避けて天井を見上げる。
水色の瞳が見ているものは目の前の景色ではなく、あのどこか寂しげな瞳をした緑銀の髪の青年だ。
「私のような変わり者でも、ちゃんと人を好きになる事はできるのか」
この神秘的で凛々しい王女を人が噂するとき、容姿の事以上に話題に上る事がある。
それは彼女が変わり者であるという事だ。
奔放で時に突拍子も無いことをやらかす。
ルールを守る事を嫌がっているのではなく、彼女なりのルールがあってそれに従って生きている。
そんな自分の周囲との齟齬を彼女自身自覚はしている。
周りが期待しているように動けない事を申し訳ないとも思う。
恋というものに関しても全くピンときていなかった。
自分が誰かの花嫁になり子供を生んで……だとか、そんな事は想像もできない。
だけど、そういうものに淡い憧れがないわけではない。
前の縁談の時は自分のそういう理想主義な所が暴走して、相手の暴かなくてもいい闇を暴いてしまい破談にしてしまった。
「誰にだってプライバシーというものはあるんだ。もう了解を得ずに相手の深い部分に踏み込むのはやめよう。……そうか、これが恋なのか。ステキなものだね」
トクントクン、といつもよりも若干速く鼓動を刻む自らの胸に右手を当てて目を閉じる王女であった。