妖星のキリエ
月下の屋上、対峙する二人。
アムリタ・カトラーシャと鳴江柳水。
その柳水老人はアムリタを自分の娘と呼んだ。
「何を言っているの? 私はカトラーシャ家の一人娘で……」
「『神耀』と『冥月』は一枚のコインの表と裏でな。どちらかの家に直児が出ない時はもう片方の家が出す慣わしだった。昔っからな」
襟から出している手で顎を擦りながら語る柳水。
「カトラーシャの夫妻……お前さんのお父ちゃんとお母ちゃんはどっちに原因があったのかは知らねえが子供ができなくてよ。それで俺が産ませた子を出したってワケだ。アムリタって名前もよ……考えたのは俺だよ」
それが事実ならカトラーシャの家の父母とは自分は血が繋がっていないという事になる。
あの日からあまり思い出そうとしてこなかった父母の姿を思い浮べるアムリタ。
どちらも自分にはとても優しくて……愛されてきた記憶しかない。
だが目の前のこの男は事実を口にしている。
理屈ではなく、自分にはなんとなくそれがわかる。
「……見ときな」
そう言った柳水老人の身体がミシミシと軋むような音を立てながら突如膨れ上がった。
その全身をゆらりと湯気のように立ち昇る魔力のオーラが覆う。
「!!!」
実際は二周りくらい輪郭が大きくなっただろうか。
痩せた老人から筋骨隆々の偉丈夫に姿を変えている。
年齢もどう見ても三十前後だ。
老人ではなくなってしまった若い柳水が呆気に取られているアムリタを見てニヤリと笑った。
「どうだ? これが俺の能力だ。本当の年齢なんぞとうの昔に忘れちまって思い出せもしねえ。ずっと昔からこうだ。この国に流れてきて初代に手ぇ貸して鳴江の家を立てたのも俺だ」
十二星を率いて独裁者を討ち王国を建国した初代王の伝説。
だとすれば……彼はそこからでも既に六百数十年間生きているという事になる。
「お前だって直に同じ事ができるようになるさ。『不滅のもの』よ」
「私が……」
ピンと来ない。
自分が姿と名前を変えながら数百年生きる……?
「おォっと、ついはしゃいじまった。見せたかったのはこんなもんじゃねえ。こっちの方だ」
勝手に反省した若い柳水の身体が再度変容していく。
今度は縮んでいくようだ。
全体的にほっそりとスリムになり肩は丸みを帯びて……。
(……女の人!!)
「ふふふ、どう……? 私も貴女と同じで、本体は女性型」
見たところ二十代の外見。
睫毛の長い瞳はやや垂れ目気味でどこが超然とした美女だ。
そして何より……自分と同じ翡翠の色をした髪の毛。
その碧がかった銀色の髪を夜風に靡かせて彼女はそこに立っている。
「本当の名前はキリエ、柳生キリエっていうの。改めてよろしくね。鳴江柳水は創作活動をする時の雅号なのよ。いつの間にやら本名みたいに扱われ出して、面倒なのでそのままにしてしまってあるけど……」
「それはいいのだけど……」
はぁ、と嘆息しつつ口を開くアムリタ。
ようやく口を挟む余裕ができた。
「お話はそれだけ? 悪いのだけど私にとってのお父様とお母様はカトラーシャの家のお二人よ。血が繋がっていると言われたって貴女の事なんてどうでもいいし、興味もないわ」
「あら……お母さん悲しいわ。いえ? 男の側で作った子だしやっぱりお父さんかしら? ややこしいわね」
自分で言ってくすくすとキリエは笑っている。
「……でもそれ、大事なコトよ。『知ったことか』の精神ね。気に入らないことはぜーんぶそう言いながら無視してズンズン前に進みなさい。貴女にはその力があるのだから」
首を少しだけ傾けて優しく……そして妖しく微笑むキリエ。
まずい、とアムリタの本能が警鐘を鳴らしている。
笑顔を見ているだけで惹きこまれそうになる。
もっとこの人の話が聞きたい、一緒にいたいと気持ちが傾き始める。
「王子の事だってそうよ? まさか貴女、あの阿呆ボンと自分の破滅がつり合うだなんて思ってはいないわよね? とんでもないわ。貴女の方がずっと上……ずっと高い所にいるわ」
どこから取り出したものか、番傘を差すキリエ。
そういえばいつの間にやら着ている着物も男物から女物へ変わっていた。
「……笑って踏み潰していきなさい。私はそれを楽しみに見物するわね」
そう言い残すとやはりいつの間にか履き替えていた黒塗りの女物の下駄をからんころんと軽快に鳴らして彼女は去っていってしまう。
「……柳生キリエ」
呟くアムリタ。
周囲には季節でもなくその周囲に生えてもいないはずの紫色の桜の花びらが舞っていた。
……………。
それから暫くして、イクサリアが戻って来た。
「ただいま。……おや? どうしたんだい?」
夜空ではなく誰もいないある一点を見つめて立ち尽くしているアムリタを見て王女は何かがあった事を察したようだ。
「鳴江柳水が来たわ。彼、私の血の繋がった本当のお父さんなんですって」
大して感慨もない、といった風にあっさり告げるアムリタ。
イクサリアにはなるべく全て話しておこうと思っている。自分たちはもう一心同体といってよい間柄なのだから。
王女は少しの間、黙ってアムリタと柳水の邂逅の話を聞いていた。
「まさか、鳴江のおじさまがね」
そして聞き終えた彼女はふう、と吐息を漏らした。
「……で、キミは彼の事を別にどうでもいいと思っていると」
イクサリアが言うとアムリタは「ええ」と肯く。
「だから何? って感じね。自分の事をなんでも知っています、みたいに言われるのはちょっとイラっとする。今までだって別に見物されていただけのようなものだし、私には関係ないしどうだっていいわ」
「うん。それならば私も彼の事は気にしない」
優しく微笑んだ王女。
彼女はアムリタを自分の思うようにしたいと思っていない。
彼女の大切なものが自分の大切なものだし、彼女が興味を示さないものなら自分も興味はないのだ。
「でも、年を取らずにずっと生きていけるというのは少しロマンがないかな?」
イクサリアの言葉にアムリタはうへぇ、とイヤそうな顔で舌を出す。
「冗談言わないで。たった18年ですらこれなのよ。こんなのが終わりなく続くとか、くたびれちゃうわ」
……そして、二人の少女は顔を見合わせて同時に吹き出すのだった。
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一夜が明けた。
アムリタは王宮の倉庫の一角で仮眠をとった。
少し無理のある体勢で寝ていたせいか身体のあちこちが強張っているが気分はそう悪いものではない。
そっと自分の胸に手を当ててみる。
いつもより僅かに鼓動が早い。
今日はこれから友人に会うのだ。
その件で緊張している。
……そして、少しだけそれを恐れている。
昨晩王女に託した二通の手紙を彼女はきちんと相手に届けてくれた。
二人とも深夜に窓から現れた王女に大層面食らっていたそうだ。無理もない。
間もなく……約束の時間。自分が手紙で指定した時刻だ。
何度も付近を警邏していて知っている。
この時間帯のこの倉庫は邪魔が入る心配がほとんどない。
約束の時刻の5分前にまずは赤い髪の彼女が現れた。
「……アイツ、こんなトコで何の用事なんだよ」
ブツブツ言いながらマチルダが倉庫に入ってくる。
「おーい、ジェイド……いるのか? 来たぜ。どこ行ってたんだよ。急に姿を消すから心配して……」
そして……マチルダは立っている自分を見つける。
男物の軍服を着てそこにいる、緑銀の髪の少女を。
「ん? 誰だアンタ。オレは友達に呼ばれて……」
「もう少し待ってね。クレアも呼んであるの」
アムリタがそう言うとマチルダは「え? え?」と目を白黒させている。
初対面のはずなのに妙に親し気で事情を知った風であるアムリタに戸惑っているのだろう。
そしてクレアリースは指定の時刻から3分ほど遅れてやってきた。
「新しい下着に着替えていたら遅くなったのですよ。ロケーションがちょっと気にはなりますがこの際贅沢は言ってらんないのです。バッチ来いなのですよ!!」
……謎の気合を入れて現れた!!
そしてクレアはその場にいた二人を見てカチーンと固まる。
……………。
「ええと……何から話したらいいのかしらね。そうだ、まずは自己紹介からか」
ふう、と深呼吸してから未だ困惑顔の二人を見るアムリタ。
「私の名前はアムリタ……アムリタ・カトラーシャ。十二煌星『神耀』のカトラーシャ家の娘で、クライス王子の前の許嫁だった女ね」
「……!!」
慌てて直立の姿勢になる二人。
相手が一等星と知って畏まっている。
「……え? ちょっと待つのですよ。カトラーシャ家のお嬢さんと言ったら」
一転怪訝そうな表情になるクレア。
その話は王都の民ならば知らぬ者はいないだろう。
王子の婚約者が命を落とした惨劇のニュースは数年前にこの都を震撼させたのだから。
「ええ、世間では私は死んだ事になっているわ。だけど私は本当は生きていて、名前と顔を変えて王宮に入り込んでいたの。ジェイドという男は、その私の仮の姿」
「はぁ……?」
何を言っているんだ、というような風に表情を歪めたマチルダ。
即座に理解や納得のできる話ではないだろう。
アムリタは語り始めた。
なるべく、ゆっくりと丁寧に……。
自分がどう言った存在であるのか。可能な事、これまでにやってきた事。
クライス王子との関係と因縁。
そして今は不調でジェイドの姿になれなくなってしまった事も。
「………………」
始めの内は、少しおかしな娘の作り話かというように呆れた様子で聞いていた二人だったが、話が進むにつれて嘘や創作ではない事が少しずつ理解できてきたのか表情が強張り始める。
そしてアムリタが話し終える頃には二人は座り込んでしまっており、頬に汗を伝わらせていた。
「……じ、じゃあ、お前が本当に」
「ええ、ジェイドよ。マチルダ……貴女に膝枕をしてもらって眠ったジェイドが私なの」
ガクッと項垂れて床を見るマチルダ。
「マジかよ……」
そう掠れた呟きが聞こえた。
クレアの方はぽかんと口を半開きにして呆けてしまっている。
「騙すような形になってしまって本当にごめんなさい。これが最後になるでしょうから、どうしても私自身の口で二人には説明をして謝罪しておきたかったの」
そう言ってアムリタは二人に深く頭を下げるのだった。




