したいと思う事を
シャルウォートの屋敷で浴室を使わせてもらうアムリタ。
勝手知ったるなんとやら……である。自分は一年以上ここで生活していたのだから。
湯を浴び、そして魔力を回復させる霊薬を彼から貰ってようやくアムリタは一息付くことができた。
「例のウォルガ族の男だけどね、なんとか助かりそうだよ」
「そう……」
よかった、と言えばいいのかどうなのかわからないアムリタ。
自分と同じくクライス王子に嵌められ地獄を見たのであろう彼。
そして復讐の為にやってきたのであろう彼。
……その相手を同じくクライスを恨み復讐を企んでいる自分が打ちのめしてしまった。
「君を色々と調べさせてもらって編み出した新型の治癒術さ。言うなれば君とボクの二人で助けたようなものだね」
「死なせかけたのも、その私なのだけどね」
コップに注がれた霊薬を飲み、その苦さに顔をしかめたアムリタ。
そして彼女はシャルウォートにあの不可思議な老人、鳴江リュウスイとの関係を尋ねた。
「うーん……彼はね、彼の事は正直言ってボクも大したことは知らないんだ。と、言うよりも彼をよく知る者なんていないんじゃないかな? 同じ『三聖』って呼ばれてる他の二人でさえもね。とにかく昔から謎ばかりの人でね」
「三聖」と言われながらも権力と関わる事を好まず、何年も王都に寄り付きもしない男。
シャルウォートは彼と同じく、その長いものに巻かれて生きようとはしない姿勢を好まれたのか昔から柳水と多少の交流はあった。
「とはいっても味方かと言われて肯けるほど深い付き合いというわけではないよ。数年に一度手紙が来て、それに返事をする程度さ。聞けば大王様ですらそこまでの交流はないらしいから、それでも特別な方なんだろうけどね」
よく知らない、そうシャルウォートは言うがその謎の老人にジェイド……アムリタの事はかなり把握されてしまっている気がする。
実際に老人はその口ぶりからシャルウォートをアムリタの関係者だと見なしている様だった。
そこの関係は当事者以外は打ち明けたイクサリアしか知らないはずなのに。
「そうか……そんな事がね。確かに数時間前に彼がボクの所にいきなりあのウォルガの男を運び込んだ時は驚いたよ。彼は後でジェイドが来るはずだから、なんとかこの男を助かる様に治療してやれと言っていた。君の手配かと思っていたが、まさか彼の独断だったとは……」
ううむ、とシャルウォートは唸っている。
結局、柳水については二人は対応を決定する事ができなかった。
今の所はこちらの益になる行動が見られるが味方とするには正体不明が過ぎる。
何故こちらの味方をするのか。
どこまでの事を知っているのか。
それは本人に問いただすしかないだろうと言うのがシャルウォートの意見だ。
アムリタとしても目下の懸念は老人よりもその養女の方である。
「あの瞬間、私はウォルガ族の人がクライスを恨んでる彼の敵だと認識できていた。……それなのに、彼からアイラを庇って彼を倒してしまった」
彼女は苦悩している。
「何をしているのかしらね。……自分がわからなくて怖くなる」
「ふむ」
彼女の話を聞いて、何やら思案顔のシャルウォート。
「それはそんなに難しい話かな? 聞いた感じでは、どうも酷く単純な話のように思うんだけどね」
「え……?」
驚いて顔を上げるアムリタ。
「君は彼女を死なせたくなかったんだよ。それだけの事じゃないかな」
「なっ……! バカを言わないで。彼女はクライスの参謀で……」
抗議の声を上げるアムリタだが、自分を見るシャルウォートの穏やかで優しい視線に言葉が続かない。
「……いいかい? 君はクライス王子が憎くて殺してやりたい。だからこの復讐を始めた。そうだよね?」
無言で肯くアムリタ。
「そう、だからこれは君の『そうしたい』から始まっている話なんだよ。そして同じように君はアイラ女史に対して『死なせたくない』と思った。だから助けた。二つは両立する話で何もおかしい事はない。もしかしたら君は王子の陣営の者は全員憎まなきゃいけない、殺さなきゃいけないと思っているのかもしれないけど……別にそんな事はないんだ。したくない事ならしなければいい。憎みたくないなら憎まなければいいし、殺したくないなら殺さなければいい。全て君の好きにしていいんだよ」
「……………」
シャルウォートの言葉にアムリタは茫然としている。
それは彼女が思い描いていた「復讐」というものとは違う。
彼女は心の中のどこかで、いくら復讐の動機に正統性があったとしても人を殺めると言うのは罪深い事で……自分は罪人であり苦しみながらそれを行わなければならないと思い込んでいた。
「……よく、わからないわ」
「うん。考えてみるといいよ。君なりの答えが見つかるといいね」
微笑んで静かに肯くシャルウォートであった。
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無理やり薬で魔力を補給したアムリタはまたも己の肉体を強化する魔術を使って走って王宮まで戻る事になった。
ようやく自室に辿り着けたのは既に東の空が白みかけている頃であった。
「………………」
「うわっ、何だ……どうしたんだよ。スゲー顔だぞ」
湯を浴びて汗を流し、軽く食事を口にしたらもう出勤である。
疲労感を漂わせ目の下に隈を作って現れたジェイドを見てマチルダが驚く。
「昨夜はドタバタしていてな……眠る時間を取れなかった」
いつもよりも幾分低い声になっているジェイド。
単に眠っていないと言うだけではない。
昨夜は人生で一番と言っていいレベルで動き回ったし緊張した日でもある。
その疲労は全部そのままだ。
「寝てないのかよ。そんなんで出てきたってまともな仕事にならないだろ」
眉を顰めてそう言ってからマチルダはやおら周囲の目を窺うかのように辺りを見回した。
「……よ、よし。ちょっとこっちに来い」
ジェイドの手を引いて歩き出すマチルダ。
どこへ行く気か疑問に思いながらももうそれを口に出す気力もないジェイドは黙って連れられて行く。
マチルダがジェイドを連れてきたのは宮殿の中庭であった。
ベンチに座って自分の足をちょいちょいと指差している。
「ほらっ、横になれよ。オレのここ、枕にしていいから」
「そういうわけにはいかないだろう。誰かに見られたら……」
渋るジェイドだがマチルダは首を横に振る。
「大丈夫だって。誰か来たらお前が具合悪くなったから休ませてるって言うよ。それ聞いてブチ切れる奴はそうはいないって」
そうか、と曖昧にうなずくジェイド。
正直横になれと言う誘いは今の彼にとってはたまらなく魅力的であった。
そこに意識がいきすぎて思考がぼやけている。膝枕の必要性にはまったく考えが及んでいない。
結局言われるままに彼はベンチに横になるとマチルダの腿に頭を乗せ、1分もしない内にすーすーと寝息を立て始めた。
「……お、おーい、寝たな? ……眠れたんだよな?」
囁くように言うマチルダ。
当然ジェイドからの返事はなく、彼はただ規則正しい寝息を立てている。
改めて真下のジェイドの顔をまじまじと見つめるマチルダ。
「ほんと……キレイな顔してんなぁ。女の子みたいだよな」
段々マチルダの頬は赤みを帯びてきて、鼻息が若干荒くなってくる。
ごくりと彼女の喉が鳴った。
「……こ、こ、こうしててもいいってくらいには、オレの事を気に入ってくれてるって事だよな? そうだよな?」
ゆっくりとマチルダの頭が下がっていく。
(いや、これは……寝息を確認しようとしてるだけだ。寝てると思ってたら呼吸してなかったりしたら、ヤバいし……)
誰に対してだかわからない言い訳を心中でしているマチルダ。
本当に寝息を鼻先で感じられるほどに両者の顔は接近して……。
「クワーッ!! 何やってやがんですか!! このデカ女!!!!」
「うおわぁぁッッッ!!!???」
慌ててバネのようにマチルダは頭部を振り上げた。
目の前にはクレアが不機嫌MAXな感じで仁王立ちしている。
「まったく油断も隙もあったもんじゃないのです!!! このハイパーどすけべ女騎士!!!!」
「どすっ!!? ち、違えよ!! オレはそんなんじゃねえ!! ただ……その、ジェイドの体調が……心配で……」
後ろ暗い部分はあるのか言い訳の語尾は徐々に小さくなっていく。
「そ、それよりオマエ!! 仕事しなきゃいけないんじゃなかったのかよ!! こんなとこいていいのかよ!!」
「ふんっ。今日はれっきとした正真正銘の正規の休暇なのですよ。おサボりがバレたからといって、別に年中無休になったわけではないのです」
腕組みをしてクレアは勝ち誇っている。
「ジェイドさんを探していたらとんでもない淫行シーンに遭遇なのですよ。なんなんですかねアナタは。このメガトン淫乱女騎士!!」
「だ、だから違えって言ってんだろ!! ジェイドが疲れてるから休ませて……って、騒ぐんじゃねえよジェイドが起きる!!」
既に散々二人して騒いでしまってから急に我に返るマチルダだ。
しかしジェイドはこの騒ぎの中でもまったく目を覚ます様子がない。
「なるほど、お疲れの様ですね。……そういう事ならしょうがないのです。一旦休戦なのですよ」
そう言うとクレアはジェイドたちのベンチの正面の芝生、ちょうど彼の顔を真正面で臨む位置にちょこんと膝を立てて座った。
「そういう事でしたら私はここで彼を見守るのですよ。これ以上アルティメットハレンチ女騎士がヘンな事をしないか見張るのです」
「し、しねえっての……。おい、そこちょっと近すぎるだろ」
眠るジェイドを挟んでぶちぶちと言い合う二人であった。
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姉に呼ばれて来てみれば、またも午後のお茶会である。
この前やったばかりだというのに。
「……それで、姉様は今日はどういった御用向きなのかな?」
ティーカップを優雅に傾けてイクサリアが問う。
ニヤリと笑う正面のリュアンサ。
「実はな、お前のオトコに会ったんだよ。ジェイドな」
「へえ」
ぴくりとイクサリアの右の眉が揺れた。
「アイツはいいな。オメーが愛だのどうだのってトチ狂った事言い出すのもわかる気がするぜ」
そこまで話すとリュアンサは目を鋭くキラリと光らせる。
「……さーて、そこで今日の本題だ。アタシもアイツが気に入った。オメーらの関係に混ぜてくれよ」
「……………」
無言でカップを置くイクサリア。
姉妹の視線が交錯する。
午後の学術院の中庭に乾いた風が吹き抜けていくのだった。




