わからない自分
「とりあえずソイツをそこへ寝かせな」
そう言ってリュアンサが顎でしゃくった方を見ると恐らくは仮眠用であるらしい簡素なベッドがある。
言われたようにアイラをそこへ横たえるジェイド。
「んじゃーチャチャっと終わらせっかね」
横たわるアイラの身体の上に右手を翳したリュアンサ。
すると王女の手が青白く光り苦しげに喘いでいるアイラを照らし出した。
これが王女リュアンサの魔術。
彼女はあらゆる物に対して魔力波動を照射する事により内部の状態を詳細に走査する事ができるのだ。特に生物……それも彼女の専門とする人体に対してはその精度は数百倍に跳ね上がる。
(プレギオンバイパーの毒だなコリャ)
即座にアイラの身体を冒す毒の種類を看破したリュアンサ。
国内南東部……主にプレギオン山脈周辺に生息する毒蛇から採取したものだ。
(手遅れになるまでの時間……残り17秒)
リュアンサはフン、と鼻を鳴らして不敵に笑うと白衣の内側からアンプルを一本取り出し手早く中身を注射器に入れ替えアイラに投与した。
「はいよ、一丁上がりだぜ。……こんなモン、天才にかかりゃァ5秒で十分なんだよ。欠伸が出るぜ」
ニヤリと笑って見得を切るリュアンサに、ジェイドはその場にヘナヘナと崩れ落ちた。
緊張が途切れ一気に疲労が来たのである。
「んで……事情を説明しやがれよ、事情を。オメーもクライスの手下なのか?」
「いいえ、自分はアルディオラ妃殿下の衛士で……。彼女が襲われている所にたまたま出くわしました。毒だと思ったので……リュアンサ様ならどうにかしてもらえると……」
座り込んでいる自分を見下ろしているリュアンサに、息も絶え絶えな様子で返答するジェイド。
「………………」
リュアンサは視線だけで斜め上を見上げてこめかみの辺りを人差し指の爪で掻いている。
(……って、簡単に言うけどよォ。この毒は体内に入って大体10分で完全にアウトになるんだぞ? コイツ、10分以内にアタシんとこまで女を抱えて駆け付けやがったってのか?)
仮に学術院の敷地内で襲われたとしても10分でここへ運び込むのは無理だろう。
そして被害者の身分を考えると現場が学術院である事はありえない。
つまりは院の外からここまで10分以内に成人女性一人抱えて駆け付けているというわけで……。
「……クククッ、まーいーや、何でも。オメー、気に入ったぜ。気合の入ったヤローってのはやっぱ見てて気分イイよな。アタシのオトコになれよ……ジェイド。心配すんな、クレアにはアタシから話しといてやっからよ」
「えぇっっ!!??」
王女はとんでもない事を言い出した。
どうして一難去ったと思えば即次のトラブルが発生するのだろう。順番待ちでもしていたのだろうか。
「……いや、別に……クレアとは何でもなくて……」
「あァん? 何だそうなのかよ。フカシこいてやがったのかあのバカ。無断欠勤はしまくりやがるわオトコがいるとか人を傷付けるウソ吐きやがるわでホント救えねーヤツだな」
そしてリュアンサは改めてジェイドを見るとニヤリと笑う。
……獲物を狙う肉食獣の笑みだ。
「だったら何にも問題ねーよなぁ? アタシは王国で最強の天才で最強の美女だ。最強が二つも付いてるカノジョなんてサイコーだろ?」
「イヤ、その……あの……じ、自分は平民なので、そういうワケには……」
必死に逃れようとするジェイド。
こういう時に役立つ平民設定。ありがとう平民。
「つまんねーコト言ってんじゃねー。生まれた家で勝手に決まってるようなモンになんの意味や価値があんだよ。テメーもオトコなら『俺は平民だが王族の女をモノにしてやったぜ!! ゲハハハハ!!!』とか言って笑いやがれ!!」
何その笑い方!! ……ものスゴイ下衆いキャラにされている!!!
それにしても、彼女も身分にまったく頓着しない性格なのか。
さすが姉妹、そこはイクサリアと一緒である。
ついでに身長はジェイドが166でイクサリアが167……そしてリュアンサが171。
恋人に自分より高い身長を求めない所も一緒だ。
ハッとそこで気が付くアムリタ。
(そうだ、イクサ!! ……ごめんなさい、名前を使わせてもらうわね!!)
王女の……しかも恩を受けてしまった相手からの要求だ。
拒否する為にはもう他に方法は無い。
「その……実はイクサリア様とお付き合いをさせて頂いております。ですから……リュアンサ様とは……」
「あァッッ!!? テメーか、アイツを女にしやがったのは!!!」
異様に驚いているリュアンサ。
既にそういう存在を匂わせるような発言をイクサリアがしていたのか。
「はぁ~ン……そうか、テメーがなァ」
改めてジロジロとジェイドを見ているリュアンサ。
「とっくにテメーは王族の女をモノにしてゲハハハって笑ってたワケか」
「笑ってないですけど」
どこから持ってきたのだろうか、その山賊のボスみたいなキャラは。
「ふ~ん、まァそういう事なら仕方がねーな」
(よかった! 意外とあっさり引いてくれた!!)
ほっと胸を撫でおろすアムリタ。
「……で、アイツはまだ動かせねーからここに置いとくがよ。オメーが持ち込んだんだから顔出して面倒みやがれよ。後、アタシからはクライスんトコに連絡入れたりはしねーぞ。面倒クセーことになりそうだしよ」
「わかりました」
ジェイドにしてみればたまったものではない話ではあるのだが、リュアンサの言い分としては至極真っ当で異存の挟む余地はない。
いまだ眠り続けるアイラ。
その呼吸は先ほどまでと比べて随分穏やかになっている。
改めて自分に礼を言って帰っていくジェイドを見送るリュアンサ。
(イクサはマジギレさせると相当ヤバそうだからな。横取りはしねえ)
俯く王女。
……泣いている?
否、彼女はクックックと喉を鳴らしているのだ。
「アタシはスジってもんをわきまえてる女だからなァ。ちゃーんと頭を下げてお願いするぜ。『お姉ちゃんとジェイドを共用しましょう』ってなァ」
ヒヒヒヒッと白い歯を見せて口元を三日月のような形にして不気味に笑うリュアンサであった。
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ジェイドが官舎付近まで戻ってくる。
その足取りは重い。相当に消耗してしまっている。
体力精神力もそうだが、特に魔力の消費が凄まじかった。
既に時刻は日付が変わろうかという頃だ。
……だが、この夜はまだ終わらない。
自分が打ち倒したあの半獣人の男はどうなっただろう。
死んだのか……?
それとも生きていて捕らえられたか。
吹き飛んだのが物陰だったのでそこで意識を失っていればまだ発見されていない可能性もある。
それを確かめなければ……。
戦闘のあった場所まで戻って来たジェイド。
男が吹き飛んだはずの物陰を窺うが、そこには人影はなかった。
(逃げたの……? でもあの負傷でそれが可能とは思えないわね)
訝しんでいる内心のアムリタ。
となれば……捕らえられたか。
しかしそれにしては周囲に衛士や騎士団の者の姿がまったく見えないというのは不可解だ。
「よぉ」
「……ッ!!!」
不意に、背後から声を掛けられてジェイドは弾かれたように振り返った。
……そこには月光を浴びて立つ和服姿の老人がいた。
以前自分に「久しぶりだ」と声を掛けたあの老人である。
鳴江柳水。
その男が「三聖」と称される十二星の家の当主であるという事はジェイドはまだ知らない。
「ワン公の耳付けた奴なら、もうそこにはいねえ。『硝子蝶星』の屋敷に運ばせたぜ。あいつは王宮じゃ治療してやれねえからな」
「なッ……!?」
思わずジェイドは絶句する。
この老人はどこまで事情を把握しているのだ。
「んん? 余計な事したか? 殺したくねえんだと思ってよ。殺す気ならトドメ刺してから行くよな?」
見ている。
この老人は自分が戦っていて、そしてその後でこの場を立ち去った事を知っている。
しかし彼が言うようにジェイドが半獣人の男を放置してここを去ったのは、その時点では生かすも殺すも考える余裕はなくとにかく焦っていたからだ。
「まあ殺してえなら今からでも好きにすりゃいいさ。……ふわぁ、眠い。今晩は夜更かししちまったなあ」
欠伸をしながら柳水はジェイドに背を向ける。
「待ってくれ。貴方は何者なんだ……?」
「……おっと、そうか」
呼び掛けると足を止め、肩越しに振り返る老人。
「俺は鳴江柳水ってもんだ。お前さんがさっき助けてくれたアイラの義父ちゃんだよ。うちのムスメを助けてくれてありがとうよ。……また会おうぜ」
そう言うと柳水は軽く手を上げて静かな足取りで去っていく。
(……鳴江柳水。十二星「冥月」)
その後ろ姿を見送りながらもジェイドの心中は複雑だ。
名前と肩書を明かされても色々と不可解な所が多すぎる老人である。
……そして、彼はあの半獣人の男をシャルウォートの屋敷へ運ばせたという。
そっちも当事者として顔を出さないわけにはいかなくなってしまった。
あの屋敷へは週に一度の非番の日に行く事にはなっているが、それまで放置というわけにはいかないだろう。
(……今日はもう、完徹になるわね)
げっそりして重たいため息をつくジェイド。
……………。
……こういう時には郊外にあるあの男の屋敷の立地が恨めしい。
ジェイドは強化した肉体で夜の市街を疾走する。
残り少ない魔力を絞り出すようにしながらだ。
普段は馬車などを利用しているがこの時間にはそのようなものは走っていない。
普通に徒歩では夜明けまでかかっても屋敷までは辿り着けないだろう。
(何をやっているんだろう……私は……)
今日の自分の行動や思考は自分自身でも納得のいかないものばかりだ。
高速で夜の闇を切り裂きながらアムリタの思考には疑問と虚無感の靄が掛かっていた。
一時間以上も疾駆を続け、ようやくその大きな屋敷の扉の前に辿り着く。
来訪を予期していたか、珍しく玄関で出迎えてくれたのはシャルウォート本人だった。
「やぁ。……おやおや、これは散々なご様子だね」
「……み、水……」
汗だくのアムリタが喘ぐように言う。
既に魔力はほぼ尽きて、彼女は男性の姿を維持する事すらできなくなっていたのだった。




