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その背には黒い翼

 激痛に顔をしかめながらジェイドは上手く人目を避けて自室まで戻ってきた。

 肩と二の腕に突き刺さった串はまだ抜いていない。

 抜けば出血して跡を残してしまう。


(これ、相当深く刺さってるわね……)


 二本の串はどちらも貫通しているといってよい程に深々と肉に突き刺さっている。

 なるほど……これを数発も背に浴びれば一たまりもあるまい。


 浴室で串を引き抜き、痛みに歯を食いしばりながら傷口を洗う。

 そうして手当を終えてベッドの縁に座り、ようやく一息付けた所でイクサリアが戻ってきた。


「具合は……?」


「問題はない。浅くはないが僕は心臓を抉られても自力で元通りにした事がある。この傷なら……多分二時間もあれば完全に治癒できるはずだ」


 全身に魔力を循環させて驚異的な速さで傷を癒していく。

 それを聞いて王女もやっと少しほっとした顔になる。


「奴の死体は?」


「遠くへ置いてきたよ。ずっと遠くにね」


 イクサリアの言葉にジェイドも安堵の息を吐く。

 これで即自分たちに捜査の手が伸びるようなことはないだろう。


「見ていてくれたかな……? 私が生まれて初めて人を殺すところを」


 王女はくるりとその場でゆっくり回って見せた。

 踊るようなステップで、舞台の上の演者のように。新しい衣装をお披露目する少女のように。


 ああ、とジェイドは肯いた。

 ……見ていた。目の当たりにした。

 彼女が自分の為に遂にその手を汚したところを。


「泣きそうな気持ちだよ。恐ろしいんだ。……だけど、それ以上に私は今喜んでいる」


「…………………」


 ……お互いに望んだことだ。

 だけど彼女にそうまでさせてしまった事に僅かな苦味を感じるのも偽らざる感情だ。……それは後悔なのか、罪悪感なのか自分でもよくわかっていないのだけど。


「私たちは……これで()()()()になれたね。やっとキミに追いつくことができた。キミの(せかい)に私も足を踏み入れたんだよ」


 イクサリアが笑った。

 恍惚として瞳を輝かせている王女。

 ぞっとするほど……彼女は美しかった。


「これで私の背中の翼は永遠に黒く染まってしまったけど、その漆黒こそが私の愛の証。黒曜石(オブシディアン)の翼を広げて私はどこまでも高く舞うだろう。キミへの愛の為に」


 ジェイドは微笑む。哀しい笑みだ。

 そう、これで二人はお揃い。

 どちらも人を殺めた者同士……取り返しのつかない二人が互いを微笑で見つめる。


「あ……でも」


 彼女は急に表情を陰らせる。


「殺すべきではなかったよね。生かして話を聞くべきだった。ごめんね……キミが傷付いているのを見て抑えが効かなくなってしまった」


「いや、あれでいい」


 悔やむ彼女を否定する。

 確かにあの男が何故自分を狙ったのか知りたい。

 しかし躊躇なく殺す気だったからこそあっさりそうできたが、あれがもしも殺すことを躊躇って手加減していれば思わぬ反撃を受けていた可能性もある。

 向こうも手練れだ。

 戦闘や殺しの素人の自分たちが常に優位に立てるとは限らない。


「そんなに甘い相手じゃない。殺さずにどうにかできた保証はない。あれでよかったんだ」


「……うん」


 イクサリアはベッドの縁に座るジェイドの隣に腰を下ろし、身を摺り寄せてきた。


「っ……」


 傷跡が痛みジェイドは顔を顰める。


「あっ……! ごめん……そうだよね。二時間だったよね」


 慌てて身を引くイクサリア。


「うん、大丈夫。そのくらいなら我慢できるよ……二時間……」


(……コイツ、二時間経ったら私を襲う気だ!!!)


 内心で愕然とするアムリタであった。


 ────────────────────────


 重く立ち込める灰色の雲の下で、()()は風に吹かれてわずかに揺れていた。


「恐ろしい……なんて恐ろしい事だ。この王宮は……呪われているのか……」


「悪魔だ。悪魔の仕業に決まっている……」


 見上げる王宮の衛士や職員たちが皆顔色を失い震える声で囁き合う。


 王宮にある高い鐘塔の、その尖った屋根の先端にある風見鶏。

 その風見鶏が半ばから断ち斬られ、残った芯に人が串刺しにされている。

 まるで……モズの早贄だ。


 胴を串刺しにする鉄芯を軸に、くの字に身体を折り曲げて両手足をだらんと下げて揺れている男の命が既にない事など確認するまでもなく皆理解しており……。

 どう回収するべきか、その目途も立たず亡骸はいつまでも晒しものになっている。

 そして男の白く濁った目はいつまでも下界の喧騒を見下ろしていた。


「遠くへ置いてきた、というが……」


 鐘塔の屋根で揺れるバルトランの死体を遠目に見ているジェイド。


()()()とはな」


 フゥ、と嘆息して目を閉じる。

 またとんでもない事をやらかしてきたものだ。

 センセーショナルでショッキングなのも彼女の計算の内なのだろうが。


 しかし前回の大聖堂の件なら人数がいればいわゆる「普通の人」でもやってやれなくはないラインなのだが……ここまで人間離れした所業だとそれをやれる者は大幅に限られる。

 とはいえ……。


 イクサリアが言うには趣味である月夜の散歩は今まで誰にも見つかった事はないらしい。

 目撃した者が皆無とも言い切れないが、それが王女イクサリアだと確信している者はいない。

 彼女が風の魔術を使う事を知る者はいるが、どの程度の強度かを知る者はいない。

 ……つまり直に目撃されたのでもなければ王女が容疑者に名前が挙がる可能性は低いのだ。


「それなら……せめてあの死体がクライスにショックを与える事になってくれていればいいんだが」


 誰にともなく呟くジェイドでった。


 ────────────────────────


 珍しく王子は苛立ちの感情を露にしている。

 普段滅多にそういった内部の感情の動きを表に表さないこの男が。


「……誰だ」


 書斎机の上で握り締められた拳。

 その手の中でペンがへし折れる。


「誰がバルトランを殺した? あの経験豊かで頭も切れる用心深い男をだ……」


「………………」


 苛立つ王子の側には参謀であるアイラが無言で控えている。


 クライスがバルトランを信用している部分の大きい所に彼のクレバーさから来る臆病さがある。

 上昇志向の若手のように功に焦ったり、勝負の駆け引きを楽しんだりする事はない。

 あの男が自分の仕事に何よりも求める物は確実性だ。


 そのバルトランが死んだ。何者かに殺された。

 挙句ああやって、恐らくは自分に見せ付けてやる為に晒し者にされている。


(ロードフェルド)(リュアンサ)の手の者にあそこまでやれる者がいるか……?)


 ……それは非常に疑問だ。

 対立陣営の人材は大体把握している。

 その中にバルトランを負かして殺し、挙句にあんな凄惨な行いができる者がいるとは思えない。

 思えばその疑問はアルバートが殺された時点で既にあったものだ。


 兄か姉の手による者と思っていたが、そうではないのかもしれない。

 だというのに相手は自分に非常に強い敵意を抱いている。


(ウォルガ族か? 連中の生き残りか? ……だが、奴らには戦闘力はあってもその後の工作を行えるだけの器用さがあるとは思えないな)


 ウォルガ族とはクライス王子がかつての婚約者アムリタを襲撃し殺害した相手に仕立て上げて攻め滅ぼした半獣人の部族である。

 大王ヴォードランに鎮圧され服従させられるまでは王国領の一部を自分たちの土地だと主張し独立国同然に振舞ってきた。

 二百年近くも王国に放置され生活エリアを実効支配してきたウォルガ族だが大王はこれを許さず、精鋭を率いて出陣し鎮圧。王国に服従を誓わせたのである。


(『しかしウォルガはこの仕打ちに納得はしておらず十数年間反抗の機会を窺っていた。そして遂に王子を襲撃し、婚約者は巻き込まれて犠牲になってしまった』……というのがアムリタ暗殺の為に私が用意したシナリオだった)


 罪を擦り付ける為のウォルガ族の男たちは予め拉致して用意してあった。

 彼らは襲撃の際に反攻を受けて命を落としたという事にして殺してある。


 そうして……クライスは婚約者の弔い合戦だとしてウォルガの集落を攻め滅ぼした。

 大部分の戦士を殺し生き残った女や子供は元いた土地に戻る事は許さないとして各地にバラバラに送って転居させた。

 部族としては壊滅させたと言っていいだろう。


 ……濡れ衣である。

 ウォルガの動向に付いては王国側も注視していたが彼らにその時点で反抗の気配は無かった。

 だが将来的にはわからないとクライスは思っていた。

 彼は自分が王になった後の事までその時点で考えていた。

 犯人役としてウォルガが利用されたのは将来に向けて禍根を断っておくという意味もあったのだ。


(邪魔はさせん。既に次の王位はほぼ私で決まったのだ。ここまで来てつまらぬ者に足を引っ張られてたまるものか)


 王子の瞳に暗い炎が宿る。


「……アイラ、『幽亡星(ファントム)』に連絡をとれ」


「!! ……クライス様、それは」


 普段なら主人の指示に即座に了承の意を示すアイラが眉を顰めている。


幽亡星(ファントム)』……それは異端の十二星。

 王家の暗部を司ってきた者たち。

 あらゆる汚れ仕事を請け負ってきた死と狂気にまみれた一族。

 あの大王ヴォードランですら、王国の権力を手中にするためのクーデターも同然の戦いの中で彼らを用いる事はしなかった。


「止むを得ないのだ、アイラ。バルトランまでが殺されてしまった。相手は相当の使い手で、しかもこちらを強く憎んでいるようだ」


 クライスの言葉にアイラが辛そうに俯いた。


「後一歩の所まで来ているのだ。私は王になる。むざむざ殺されるわけにはいかない。手段を選んでいる場合ではない」


「……わかりました。クライス様」


 遂にアイラも覚悟を決める。

 ともすれば使い手すらも傷付けかねない忌まわしき猛毒の刃を使う覚悟である。


 そして……その猛毒の刃はコンタクトを取ったその日の夜に王子の館を訪れた。


「……………ッ」


 アイラは今、カチカチと小刻みに鳴る自分の歯を必死に噛み締めなければならなかった。

 そうしなければ開いた歯と歯の間から押し殺している悲鳴が漏れ出してしまうかもしれない。

 彼女は決して臆病でも神経が細くも無い。

 どちらかと言えば肝は太く精神は豪胆である。

 それだというのに……今、彼女の心の中を満たしているのはただひたすらに純粋な恐怖であった。


 人か……? これは……。


 べっとりと黒いマントか……ローブか……ボロボロの黒い布をすっぽりと被った()()

 異様に背が高い。身長はゆうに2mを超えるだろう。

 ただ猫背なので頭部らしきものは若干下がった位置にある。

 どこまでも黒い姿に、頭部だけに真っ白な仮面。

 のっぺりと白く丸いその仮面は目の部分に二つの黒い穴があり、鼻なのか……クチバシなのか、その下に前方に突き出した若干下に向かって曲がっている尖ったパーツがある。


(これほどまで……ッ!! これほどまでに忌まわしいのか……『幽亡星(ファントム)』とは!!!)


 喘ぐように呼吸を乱すアイラ。


 異形の足元からはそれを取り巻くように無数の青白い骸骨や崩れかけた人影が、まるで地面から湧き出てくるように半身だけを覗かせてもがいている。

幽亡星(ファントム)』は可視化できるほどの無数の悪霊を引き連れて現れた。


『オォォォォォォォ……ッ』


 嘆きの呻き声のような……低い風が巻くような声を出す『幽亡星(ファントム)』。

 そうして異形はゆっくりと首を横へ曲げてアイラの方を向いた。


「……ッッ」


 ……何故か、アイラはその時自分が見ているものは白い仮面だというのに。


 ()()()がニヤッと笑ったのだという事がわかった。

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