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アムリタ・カトラーシャという娘

 アムリタは栄光の十二星(トゥエルブ)の一家、カトラーシャ家の一人娘であった。

 遅くに生まれた娘で両親に溺愛された彼女は、穏やかな心優しい性格に育った。

 赤みがかった金髪のあどけない可愛らしい顔立ちの少女だった。


 王立の女学院に通っており座学の成績は極めて優秀。

 運動はやや苦手。

 詩集を読む事を趣味とし、草花や小動物を愛した。


 そんな彼女には物心つく前から家同士によって決められていた許嫁がいた。

 王国の第三王子クライス・アルヴァ・フォルディノス。

 政治的な立場の後ろ盾として十二星を少しでも味方にしておきたい王子側と、先代から権力中枢からは一歩退いた状態にあり復権を狙うカトラーシャ家の思惑が嚙み合った結果の政略結婚である。

 しかし、まだ幼いアムリタにとってはそのような事は気にならなかった。


 王子クライスは文武に秀でた好男子であり、また容姿も美麗で整っていた。

 アムリタはこの6歳年上の婚約者を無邪気に慕っていた。


 万事においてそつのない婚約者であったクライスは用事のない週末は大体土産を手にカトラーシャ家を訪問しアムリタを様々な場所へと連れ出した。


 ……あの日も、そうやって彼はアムリタを愛馬に乗せて草原へと連れて行った。

 よく晴れた日の事だった。


 アムリタ・カトラーシャ、14歳の初春の日の事。

 いつもの幸福なひと時のはずだった。


 しかし……。

 その日、彼女の運命は暗転する。


 ……………。


 剣が……鋭い剣の切っ先が自分の胸から突き出ている。

 鮮血でべっとりと濡れた剣先が……。


「……すまない。私にはそれしか言えないが」


 背後から……。

 声が、聞こえる。

 愛しい人の声が。

 自分の将来の伴侶になるのだと、信じて疑いもしなかった男の声が。


「全ては我が国の未来のため。どうか、わかってほしい」


 どうしてそんな事を言うのだろう?

 自分は今、大怪我をして死にかけているのに。


 草原に倒れ伏すアムリタ。

 流れ出ていく血に失われていく体温。

 何故、彼がこんな事をするのだろう?

 何故、自分は死ななければいけないのだろう?

 意識が闇に飲まれる直前まで、アムリタの意識を覆いつくしていたのは数多の「何故」であった。


 ……………。


「うわぁぁぁッッッ!!!」


 自分の叫び声で目を覚ました。

 ベッドの上で上体を起こしたジェイド。

 未だ乱れたままの呼吸が少しずつ収まっていく。


 時刻はまだ深夜だ。

 窓ガラスに映った顔は……男の姿(ジェイド)のもの。

 そのことにまず安堵する。


 動揺などの心的要因や、または負傷などの肉体的要因で変身術が解けて本来のアムリタの姿に戻ってしまわないように彼女はこれまで訓練を積み重ねてきている。

 王宮(ここ)で自分の正体を晒すことは破滅を意味する。


 激しい鼓動を刻む胸にそっと右手を当てる。


 ……あの日、ここに剣が突き出ていた。

 背に突き立ち胸を貫通した剣の切っ先が。

 優しい婚約者だと信じていた男の握った凶刃が……!!


「クライス……ッ!!」


 血が出るほどに歯を噛みしめる。


 あの日、あの時……自分の尊厳は徹底的に踏み躙られたのだ。

 生命を、将来を、そして本当の名を口にする自由すらもが奪われた。


 両親は自分を失った事で絶望して都を去っていった。

 巻き込むことはできないので実は今も生きているのだと告げることもできない。


 そうしてあの男は自分の次の婚約者を得て、その後ろ盾を得て玉座を……この国の支配者の座を窺っている。

 自分は邪魔だったのだ。

 婚約者を乗り換えるのに。

 だから始末された。


(許せない!! 必ず……必ず殺してやる!! この手で……必ず!!!)


 この憤怒と、憎悪だけが……今の自分の生きる糧だ。

 王子クライスを殺す。

 その為だけに地獄の底から自分は這い戻ってきた。


 この二年間を復讐のための準備に費やし、ようやく王宮へ入り込むことができた。


 自分の変身術は見た目を変えるだけではない。

 肉体を変化させて完全な男性になっている。

 そうやって得たもう一人の自分……異性の自分がジェイドだ。


 どう殺すか……いつ殺すか。

 それはまだまったく決まっていない。

 まずは今の生活に慣れつつ機会を窺うつもりだ。


 夜明けはまだ遠い。

 今は眠ろう。

 少しでも体力を回復しておかなければ……。


 こちらにそのつもりはなくとも、昼間のレオルリッドの一件のようにどこでトラブルに巻き込まれるかわかったものではないのだから。


 ───────────────────────────


 第二王妃アルディオラ・クシータ・フォルディノス。

 年齢は……確か三十代の後半のはず。しかし彼女を外見から正しい年齢を言い当てることのできる人間は少数だろう。

 二十代と言われても違和感は感じない。

 溌溂として若々しい女傑。黒色の長い艶やかな髪が自慢の美女である。


「聞いたわよ。エールヴェルツの跡取りとやり合ったそうね」


 侍女に淹れさせた紅茶のカップを手に王妃はそう言って嫣然と笑った。


「……申し訳ありません。売り言葉に買い言葉で」


 ジェイドが頭を下げる。

 表情には出さないが内心で彼は渋面になる。


 ……隠し通せるとは思っていなかったが昨日の今日でもう王妃の耳にも入っているとは。

 あの場には当事者同士しかいなかったし、恥をかかされた彼らが自ら吹聴するとも思えないので話が広まることはないだろうと高を括っていた。


(甘かったな。やはり王宮……どこに誰の目があるかわからない)


 王妃の直属として雇われた彼は勤務時間の半分ほどを彼女の傍で過ごす。

 このアルディオラ王妃がジェイドの王宮での後ろ盾である。

 彼女の口利きでジェイドは衛士として召し抱えられた。


「ふふふ、責めているのではないわ。むしろよくやったと褒めてあげたい気分よ」


 言葉の通りに王妃は上機嫌に見える。

 彼女のことをすべて把握しているとは言い難いが、それでもあまり感情を取り繕うとはしない人物であることはなんとなくわかってきた。


「あの家の連中はいけ好かないわ。当主もいつもムスッとして息苦しい事この上ないもの」


 ふん、と王妃は鼻を鳴らす。

 ジェイドからすれば彼女のような立場の人間が雇ってまだ日も浅い自分に聞かせていい類の話ではない気もするのだが王妃はまったく気にする様子もない。

 そういう所は本当に明け透けな女性だ。そこはジェイドも好ましくは思っている。


 だが、王妃は自分のことについて何も知らない。

 正体が女であるということも……まさか最終目的が第三王子の殺害にあるということも。

 それを知るのは自分以外にはこの世でただ一人。

 自分とこの王妃を引き合わせたあの男。

 協力者と呼んでよいのかは若干悩む処もある……あの胡散臭い男だけなのだ。


「……好きなようにやりなさい。余程のことでない限りは私が庇ってあげるわ」


「ありがとうございます」


 流石に……王子の殺害は余程のことだろうな、とまるで他人事のように冷めた感情でジェイドは考えている。


 召し抱えられる前から彼女の様子を見ていて思ったのは、アルディオラ王妃は退屈しているのだ。

 王はもう彼女の所に数年訪れていないと聞いた。

 子もいない。

 有り体に言ってしまえばこの王妃は王宮内で浮いてしまっているのである。

 何も知らない庶民(と、彼女は思っている)の自分がこの堅苦しい場をかき回しているのを楽しんでいる節がある。


 ……それならそれでいい。今はせめて一時彼女の退屈を紛らわせる役ができればいいと思う。

 いずれ自分は……………。


 彼女にとても大きな累を及ぼすことになるのだから。


 このまま事を成せば王妃に迷惑が掛かる……そう()()()に相談した事がある。

 それに対する返答は。


「……なんだ、キミはそんな事を気にしているのかい? その程度のことが引っかかってできないというのなら初めから復讐などしたいと思わないことだ」


 嘲るような薄笑みと共に言い放たれたその言葉。

 不快感と怒りを覚えるのと同時に頭から冷水を浴びせられたような気分になった。


 彼の言う通りだ。

 一人の人間を抹殺しようというのである。

 困る者も悲しむ者も大勢出る。

 その内の一人が自分が知る……そして少なからず好意的に見ている人物だからできないというのであれば、それは彼の言う通り初めから復讐など考えるべきではない、その資格のない者だろう。

 憎まれて地獄に落ちる覚悟のある者だけがその道へ踏み出していけるのだ。


 ……………。


 午後になり、昼食を終えるとジェイドは王宮内を散策する。

 警邏という名目である。

 王妃の好意で与えられている半ば自由時間のようなものであった。


 この時間を利用し自分は王宮内部の事をよく把握しておかなければならない。

 もしも王宮内で決行する事になれば果たしてどこが最適であるのか……。

 慎重にそれを見極めなければ。


「そんなに眉間に皺を寄せたままにしていたら戻らなくなってしまうよ?」


「……!!」


 突然声を掛けられて一瞬ジェイドの肩が揺れた。


 一呼吸を置いて真横に誰かがふわりと軽やかに着地する。

 上から……降ってきた?

 真上には上階のバルコニーがある。そこから飛び降りたのか。

 隣を見れば、一人の少女が自分に手を振っている。

 歳は若く見えるが大人びた雰囲気を纏った娘だ。

 僅かに青みがかった銀色の髪の涼やかな目元の美少女。髪型はショートウルフ。

 白と水色を基調とした瀟洒な装束に身を包み女性としては長身。

 160台の半ばくらいか? ジェイドと身長はほぼ一緒である。


 誰だ? と必死に考えるジェイドの脳裏にようやくある名前と顔が思い浮かんだ。


「失礼しました、イクサリア様。御髪が短くなっておられましたので気が付くのが遅れました」


「あぁ……(これ)ね。普段はウィッグを付けているんだ」


 そう言って王女イクサリアは前髪を指先で摘まんで弄ぶ。


 王女イクサリア・ファム・フォルディノス。

 確か……数名いる王の娘の中ではこの王宮に残っている最後の一人だったはず。

 比較的最近、縁談が破談になったと聞いたような覚えがある。


 初めて間近で見るイクサリアはこれまでに自分が見てきた「高貴な生まれの女性」たちとは少し違った印象の娘だった。

 清楚で上品でお淑やかで……というのではなく、どこか飄々としていて颯爽としている。


「キミがジェイドだよね? 会ってみたいと思った矢先に本当に会えるなんて、私はツイているなぁ」


 ずいっと顔を寄せて覗き込んでくる王女。

 その距離の近さと彼女の持つ一種独特なミステリアスな雰囲気にジェイドは何とも落ち着かない気分になる。


「キミの事が知りたい。少し話し相手になってもらえるかな」


 言葉尻はあくまでも柔らかく、しかし有無を言わさぬ強引さで踏み込んでくる王女であった。


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