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未来なんていらない

 ステーキを食えと自分に札束を握らせ消えて行って堀に落ちた女、鳴江アイラ。

 彼女はクライス王子の参謀だ。個人的な恨みはないのだが高確率でこの先殺さなければならない相手だろう。

 ……しかし、どうにも調子が狂う。


(クライスも何考えてあんな脳みそとっ散らかった女を参謀にしてるのかしらね……)


 悩むアムリタ。

 普段のアイラは文句なしに優秀な参謀で脳みそとっ散らかっていないのだが、アムリタはとっ散らかった所しか見ていないのでしょうがないといえばしょうがない。


「……浮かない顔だね」


 声を掛けられて振り返ったアムリタ。

 ベッドの縁に座っている彼女。

 背後には横たわる裸身のイクサリアがいる。


 ジェイドの私室には今、事後の気怠い空気が流れていた。


「そりゃ、悩み事は尽きないわよ」


 ふっ、とアムリタが苦笑すると起き上がってきたイクサリアが後ろから抱き着いてきた。


「……ね、次はジェイドの姿で愛して欲しいな」


「は? ちょっと貴女……何を言っているの。イヤに決まってるでしょ」


 全力で「何ゆってんだコイツ」という表情をするアムリタ。

 イクサリアはそんなアムリタに色っぽく微笑んでいる。


「この先、そういう機会があるかもしれないじゃないか。私で練習しておけばいいよ……男の人の性行為のさ」


「しません。……っていうか、あるわけないでしょそんな機会。貴女、私をどうしたいのよ……」


 自分が地獄の底から這い戻ってきたのは男女混合ハーレムを建てるためではないのだ。


「あんなにキミの事を慕っている女の子たちが集まっているのに?」


「それは……色々と不可抗力というか……私がミスったというか……」


 はぁ、と重苦しいため息をついて頭を抱えるアムリタ。

 実際にマチルダたちの存在はこの殺伐とした復讐の旅のさ中の一時の安らぎであると同時に悩みの種でもある。


 アムリタの脳裏に蘇ってくるのは協力者シャルウォートの言葉。


「君の性別転換術は完全なものだ。ジェイドでいる時、君は何から何まで完璧な『男性』になってる。生物学的にもね。……望むんなら女の子との間に子供を作ることだって可能さ」


「望まないっての。何考えてんのよ」


 その時はそう言って彼を睨みつけてやったものだが……。


(まさか本当にそういう選択肢を突き付けられる日がくるとは思わなかったわ)


 自分がジェイドになる理由は正体を隠すためであり、戦闘能力を高めるためであり、周囲の環境に溶け込むための擬態である。……それ以上でも、それ以下でもない。

 そのはずなのに……。


「異性」として好意を持たれているということがわからない程鈍感ではない。

 彼女たちにもしも自分が女だと告げたら……その時はどういう反応をされるだろうか。

 怒って拒絶されるだろうか? それはわからない。


 自分は……。

 王子クライスを殺して、そして消えていく身だ。

 色々なものを残していくわけにはいかないのだ。


異母兄(あにうえ)さまを殺したら……殺せたら、その後で死にたいというわけではないんだよね?」


「……え? そ、そうね」


 突然のイクサリアからの問いかけに少し驚くアムリタ。

 そこからわざわざ自決したいとは思っていない。

 ただ、過程で死ぬか。生きて成功した所で王族殺しで死罪になるだろう、というだけで。

 どちらにせよ、そこから自分が命を繋ぐとは考えられない。


「それなら、その先のことを考えてもいいんじゃないかな?」


「……………………」


 一瞬にして、いくつもの情景が脳裏に瞬いた。

 自分は笑顔で、年頃の娘のようにお洒落をして堂々と街を歩いていて。

 傍には友人や愛しい人がいて……。


「……やめてッッッ!!!!」


 思っていた以上に大きな声が出た。

 イクサリアも驚いている。


「お願い……やめて……」


 アムリタは震えながら自分の身体を抱く。


 ……いらない。


「未来」も「希望」もいらない。

「その先」なんて必要がない。

 それは毒だ。今の自分を弱くする猛毒だ。


 自分には怒りと憎しみと……ただそこから湧き出る殺意だけがあればいい。


「ごめんね」


 一旦離れたイクサリアが再び背後からアムリタを抱きしめる。


「そんなつもりではなかったんだ。迷わせるつもりも、惑わせるつもりも……」


 寂し気に笑いながらイクサリアはアムリタに頬を寄せる。


「キミが死んだらすぐに私も後を追うよ。地獄の底でもどこへでも……ずっと、ずっと一緒だ」


 熱を込めて囁くイクサリア。

 そのまま二人はお互いの体温を感じつつ、しばらくそのまま動かなかった。


 ───────────────────────────────


 ……その日、王国の市井に一大ニュースが駆け巡った。


 号外が出て、教会は祝福の鐘を鳴らしている。

 大通りはお祭り騒ぎであり、多くの商店がお祝いの特別価格を貼りだした。


『クライス王子、隣国ランセットの王女ユフィニアとの婚約を発表』


 ランセットはこちらの王国に次ぐ大陸でも有数の大国である。

 大陸最大の貿易港を持ち気候も温暖で栄えている国だ。

 そのランセット王家と縁続きになるという事はクライス王子の後ろ盾になるという事だ。

 これは継承問題における彼の立場を一気に有利にするだろうと思われる。


 ………………。


 十二星(トゥエルブ)硝子蝶星(スワローテイル)」クラウゼヴィッツ家の王都郊外の屋敷。


「……話をしても?」


「いいわ」


 豪奢な長椅子に座っているアムリタは不機嫌さ全開の表情だ。

 背後に立つシャルウォートは分厚い報告書の束を手にしている。

 彼が自身の情報網を駆使して集めた情報の報告書だ。


「ユフィニア王女には元々別の婚約者がいた。あちらの王様が決めた相手だ。……ところが」


 報告書を見るシャルウォートの瞳が細められる。


「彼は生まれつき肺に病を抱えていて、成長するごとに症状は悪化していった。恐らく婚姻までは持たないだろうと、そう言われていて……実際にその通りになった」


「…………………………」


 かつては別の婚約者がいた……どこかで聞いたような話だ。

 アムリタは黙ったままシャルウォートの話に聞き入っている。


「もし……婚約者が病没して空席になったら。クライス王子はそう考えたんだろうね。折しも大王によって王位の継承の仕組みを変更するという通達があった直後で、彼は継承戦に勝ち残るための強い手札を探していた。ユフィニア王女の存在はまさに打ってつけだった」


 王女を「予約」していた男はまもなくいなくなる。

 だとすれば……。


「それで……婚約者(わたし)が邪魔になった」


 アムリタの言葉にほろ苦く笑ったシャルウォートが肯く。


「だが王子の側から婚約は破棄できない。そんな事をすれば十二星をないがしろにしたって事で他の十二星たちの心証もガタ落ちする。彼はどうにかして婚約は無しにしつつも自分の評判は落とさないやり方を考えなきゃいけなかった」


「だから襲撃を装って殺した」


 長椅子の肘置きに置かれたアムリタの拳がギュっと握りしめられる。


「彼は悲劇の人となり、弔い合戦に勝利することで名を上げることもできた。おそらくはその頃から水面下でランセット側と接触して秘密裏に縁談を進めていた。すぐに発表したんじゃ節操がないって言われちゃうからね。どっちも。双方に冷却期間が必要なこの話は向こうにとっても渡りに船だっただろう」


 そこで話を一旦切るとシャルウォートはアムリタの顔色を窺った。


「気分はどうだい? 優れないようなら一旦……」


「別にいいわよ。今更だもの」


 はぁ、と大げさに嘆息してからアムリタはヒラヒラ手を振った。

 クライスは自分を裏切って手にかけた……その落ちの部分が変わるわけではない。


「けど……少しスッキリはしたわ。何で自分が殺されなきゃいけなかったのか、その理由がわかってね」


 そして彼女は窓の向こうに広がる緑色の草の海を遠い目で見つめた。


「……ねえ、シャル。人ってそんなに残酷になれるものなの? 大事に思っていたものを即座に捨てられるようになるの?」


 目を閉じて俯くアムリタ。

 今彼女の心を満たしているものは憤怒よりも空虚であった。


「今こうなってみて思い出そうとしても、頭の中に出てくるのはアイツの優しい笑顔と言葉ばっかり。あれが全部演技だったんなら歴史に名を残せるくらいの名優だわ。私は愛されて……大事にされていたと思う。それなのに……」


 それなのに、突然裏切られた。

 それも命を奪われたのだ。

 何もかもを一切合切闇に閉ざされたのだ。


「ボクはね……どっちかっていうと捨てられずにいつまでもグジグジと持ったままでいてしまう方さ。だから彼の気持ちはわからないね」


 そう言ってシャルウォートは肩をすくめる。


「ただ……そうやって割り切れる人の方が人の上に立つのには向いてるのかもしれないね。執着や未練は時として判断を鈍らせる原因になる。容赦なく捨てて前に進める人間の方がある意味で強いとは言えるんじゃないかな。……ま、それにしたって彼はその究極形だがね」


 シャルウォートの言葉を聞きながら不意にアムリタはイクサリアの事を思い出していた。

 自分の事を愛していると言って唐突に遭遇した殺人に迷うことなく加担した彼女。

 その瞬間にイクサリアは良識も道徳も躊躇なく捨て去ったのだ。


 目的の為に迷わず自分を捨てた兄。

 自分の為に迷わず全てを捨てた妹。


 ……まさか、そんな事でクライスとイクサリアの「兄妹っぽさ」を感じることになろうとは。


「楽しみが増えたわ」


「ん?」


 アムリタの言葉にシャルウォートが彼女を見る。

 翡翠の髪の娘は冥い顔で笑っている。


「婚姻前に殺すのと、後に殺すの……どっちがアイツにとって屈辱で苦痛かしらね。その瞬間のアイツの表情を想像しながらゆっくり決めることにするわ」


「そうするといいよ。……君に幸運を」


 そんな彼女を見て優しく微笑むシャルウォートであった。


 ────────────────────────


 その翁は見た目の割にはしっかりとした足取りで大通りを歩いていた。


 藍色の着物に淡い灰色の羽織を着て、足袋と草履を履いている。

 スマートな顔立ちであり、若い頃はさぞ美形で鳴らしたであろうと想像できる面相の老人。

 灰色の髪は中分けにされて前髪の両端は顔の左右に垂れている。

 この国では和服は珍しいので颯爽と歩む彼をすれ違う者は大体振り返っていた。


 彼の名は……鳴江(なるえ)柳水(りゅうすい)

 十二星(トゥエルブ)冥月(ヘルムーン)」の鳴江家当主。


 ……その男がおよそ数年ぶりに王都に姿を現したのだった。


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