天才王女リュアンサ
王女リュアンサ……王立学術院創立以来の天才。
医学、薬学、生物学等の歴史を一人で数百年進めた女と言われている。
「ギィアハハハハハッッ!!! どォォだ見たかお前らぁッッ!! これが天賦の才ってヤツだ!! アタシが神だッッ!!!」
大盛り上がりの学長室。
酒臭い空気の中ではしゃぐ白衣の研究者たち。
長年大陸を席巻し多くの患者を苦しめ続けたある難病があった。
だが近年、彼女の考案した治療法と新薬により患者たちの症状は劇的に改善した……今日はその報告書が届いたのだ。
「流石……流石でございます、リュアンサ様。見た目も喋りも立ち振る舞いも全てが邪悪なのに中身は天才で心優しい」
「……テメェそれどう考えても褒めてねェだろッッ!!!」
スパァン! と小気味の良い音を立てて褒めたのかなじったのかよくわからない研究員をファイルでしばいたリュアンサ。
「そちらは喜ばしい話なのですが……」
研究員の声のトーンが低くなる。
「また職員たちが引き抜きを受けているようでございます」
「ハッ! 放っとけよそんなモン。そんなんでグラ付くヤツなんざどうせ残ったって役に立ちゃしねェ」
ドカッ! と乱暴に学長の椅子に座って足を組むリュアンサ。
「出ていきてェヤツは好きにさせろ!! 去る者はコロす!!! 来るヤツもコロすッッ!! それがアタシのやり方だッッ!!! 文句あるかッッ!!!!」
……皆殺しである。
それだと自分以外誰も残らない。
「あの~……」
「あン?」
そこにおずおずと声を掛けたモジャモジャ頭……エドガーだ。
このメルキュリア家の当主代行はリュアンサの副官のようなポジションなのだ。
「リュアンサ様は……王位を継ぐ気はまったくないんですよね?」
「……ったりめ~だろうがバァカ! どこにそんな事してるヒマがあんだよ! アタシは研究で忙しいんだ!! 統治なんざやりてぇヤツで勝手にやりやがれ!!」
ギッと親指で首を掻っ切る仕草をするリュアンサ。
「いや、それなら……もう最初から辞退してしまえば色々面倒も起きないんじゃ?」
「こォの、スカポンタンがッッ!!!!」
ドゴォ!! と分厚い辞典をエドガーの頭に叩き落とすリュアンサ。
昏倒したエドガーはゆっくり向こう側に倒れていった。
「おめェ、それだとアタシがあのツルッパゲ2匹に負けた女として歴史に残っちまうじゃねェかよ!!! なんでそんな赤っ恥かかなきゃいけねェんだ!!!」
ドガッと再び乱暴に椅子に腰を下ろすと机の上に足を投げ出した王女。
「継承戦にはキチッと参加して勝つ!! その上で即位は蹴る!!!」
「……いや、それ通りますかね」
職員は不安げな様子である。
そんな職員を見てリュアンサは鋭い犬歯を光らせてニヤリと笑う。
「単にやりませんじゃ通らねェかもしれねえがな。そこは逆にアタシが次の王を指名してやんのよ。勝者が言うんだ文句は出ねェだろ」
「どなたか……そのような候補が?」
この巨大国家の統治者を選ぶのだ。
その辺の者から適当に……とはいかないだろう。
「イクサリアはどうよ……?」
「い、イクサリア様でありますか? 確かに……縁談が破談になられて戻ってこられて、毎日……その、フワフワとお過ごしのようですが……」
何となく釈然としない様子の職員だ。
(……あ~、まァコイツらは知らないからな)
リュアンサの脳裏に青銀の髪の涼やかに微笑む異母妹の姿が映し出される。
そんな彼女の手には返り血で汚れた剣があった。
(アイツが兄妹ン中で一番大王のヤベー部分を濃く継いでるんだよな)
だから……。
もしも仮にイクサリアが即位するような事になれば、彼女は歴史に名を残す名君になるか。
この国の最後の王になる。
そう思うリュアンサであった。
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弟に続き、兄オーガスタスが命を落としてから数日。
王宮内には未だに暗い空気が漂っている。
あちこちに喪章が掲げられ、職員たちも黒いリボンを胸に付けて業務を行っていた。
兄弟どちらも葬儀は近親者と極近しい立場の者少数だけで行われ、本葬は事件が解決してからという事になっているようだが……。
果たして本葬ができるのはいつになるのか、と人々は囁き合っていた。
(私でもイクサでもなかったっていう事は、オーガスタスが殺されたのは……多分王位の継承問題に絡んだいざこざのせい)
アムリタはそう考えている。
とはいえ、その不穏な動きが自分が行ったアルバートの殺害とまったく無関係ではないだろう。
兄は弟の死を調査している最中に襲われているのだから。
もしかしたら自分の殺しが今まで微妙なバランスで成り立っていた王宮の均衡を崩し、更なる流血を呼び寄せたのかもしれない。
(……知ったことじゃない。いくらでも好きに殺し合いなさいよ)
思考とは今一つ一致していない辛そうな表情で下唇を噛むアムリタ。
洗面台の鏡には冷たい目をした女が映っている。
「……人殺しの顔ね」
そう呟いてアムリタは虚しく笑った。
そして彼女は右の掌を鏡に当てて顔を近付ける。
「だけど、まだまだ止まらない」
鏡の中の自分に宣言するように固い声で告げるアムリタであった。
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「猛牛星」のガディウス家縁の男……バルトラン・ガディウスは現在某所に身を潜めている。
王都の一角にある粗末な家。そこは彼がこの仕事を受ける前に偽名で得た隠れ家である。
ここの事は自分以外誰にも知らせてはいない。
先日、彼は王子クライスからの依頼で十二星オーガスタスを襲い、その命を奪った。
しかも疑惑がリュアンサ派に行くように殺し方の指定付でだ。
その報酬を受け取り、次の仕事までの待機という体で彼は身を隠している。
カーテンを閉め切って日中から薄暗い室内で酒瓶を直に喇叭飲みするバルトラン。
「げはははは。今頃は皆様方、俺っちを血眼んなって探してっかぁ?」
口元を乱暴に手の甲で拭い、傷だらけの日焼けした顔の男は笑った。
彼が現在の雇い主であるはずのクライスにも潜伏先を伏せている理由は一つ。
口封じに自分が始末されると読んでいるからである。
(……そうはいかねぇよ、若僧が。こちとら潜って来た修羅場の数が違うんだよ)
十二星の家の当主殺しは露見すれば王子であろうと死罪は免れない大罪。
だからこそ直接の部下ではなく、外注にやらせておいてその後で口を封じる。
「いかにもお坊ちゃんらしい教科書通りのやり方だよなァ。げははははッッ!!」
哄笑するバルトラン。
その彼の耳に、ほんの小さなカタンという音が玄関方向から聞こえた。
「……………」
バルトランは即座に歴戦の戦士の顔になり、壁に立てかけてあった剣を手に取る。
息をひそめ気配を殺し……慎重に玄関に近付く。
扉に手紙が挟まっている。
誰だ? ……ここに手紙を送る者などいるはずがない。
気配を探るがこれを持ってきた者は既に立ち去った後のようだ。
封筒を手に取り、裏返したバルトランの表情が凍て付いた。
そこには王家の紋章が刻印されている。
クライスだ。
彼は自分の隠れ家など当に把握していたのである。
……それなら何故、刺客を送らずに手紙を置いていったのか。
微かに震える指先で封筒を開けて中の手紙を取り出す。
血走る目を文面に走らせた彼の口から呻き声とも悲鳴ともつかないか細い声が漏れた。
手紙にはクライスの字で、地方都市から一人の娘を迎えて侍女として召し抱えたという内容が記されていた。
地方都市から来た娘……それはバルトランと別れた妻との間にできた一人娘である。
妻と別れたのはもう二十年も前の事で娘の存在はほとんど誰も知らないはずなのに……。
「………………」
その場にへなへなと両膝を突くバルトラン。
甘かった……クライスは自分を口封じしようなどとは考えていなかったのだ。
それどころか手元に置いた娘を人質に骨の髄までしゃぶりつくすつもりでいる。
バルトランはただ、小刻みに震えながら絶望の表情で項垂れた。
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王子クライスの執務室。
豪奢な机に座るこの部屋の主の前に一人の女性が立っている。
長方形のレンズの眼鏡を掛けた切れ長の瞳。
褐色の肌に冷たい雰囲気の美貌。
銀色の長髪に軍装を一部の隙もなく着こなしたスマートな女性だ。
「結局君を呼び戻すことになってしまったな。申し訳ないと思っている。色々と忙しくなる前にゆっくり休ませてやれればと思ったのだが……」
「いいえ、元より休暇は必要ありませんでした。お心遣いに感謝致します」
褐色の美女は淀みなくそう言うと主人に一礼した。
彼女はクライス王子の参謀。
十二煌星、「冥月」の鳴江家当主の娘……鳴江アイラ。
鳴江の当主は妻も子もいない為、彼女は養女である。
異国から留学生としてやってきて王立アカデミーに学び、主席の成績で鳴江の家の当主の目に留まった。
「アルバートさんがお亡くなりになった時に呼び戻して下さればよかったのです」
「それはそれ、これはこれだよアイラ」
ゆっくりと頭を振る王子。
「あの時点では既に死んでしまった者の事よりも生きている君の休養の方が私にとっては重要だった……そういう事だ」
王子の言葉にアイラは無言で肯く。
……アイラにはよくわかっている。
クライスとはこういう人物であると。
愛も情もない男ではないのだ。死んだアルバートの事も部下として友人として大切にはしていた。
だが彼は死んだ。
その瞬間に王子の中で彼の存在は大切な者から既に過去のものとして顧みるに値せずと切り替わったのだ。
その機械のような切り替えの早さ、それこそが彼の真髄。
(……あの時もそうでしたね)
6歳年下のかつての婚約者……アムリタ・カトラーシャ。
王子は少なくとも「あの時」までは彼女のことを愛していたし大切に思っていたはずなのだ。
だが2つの事柄がすべてを狂わせた。
一つは大王による王位継承の仕組みの変更。
……そして、もう一つは……。
その時にクライスにとってのアムリタとは大切な婚約者から排除すべき対象に切り替わったのだ。
しかもその死を最大限に活かすべくある部族が利用された。
彼は婚約者を失いながらも弔い合戦で武勲を挙げた英雄として名を上げることになる。
「アイラ、私はこの国の王にならなければならない。……それが天命だからだ」
宣言するかのように重々しく言い放つ王子。
アイラはそんな彼に再度無言で頭を下げるのだった。




