仕事のイレギュラー
敵の拠点からの脱出を図ったアムリタたち。
しかしそこにギュスターヴ配下の闇のエージェント、ロッカクが立ちふさがる。
狙撃され負傷したうらみマスクと魔術を使うことができないアムリタとイクサリア。
この窮地を一行は脱することはできるのであろうか。
「抵抗は無意味ですよ。魔術が使えませんよね? お二人のお体には牢屋へ入っていただく前にあるお薬を投与しておりますので」
「……………」
王女が眉間に皴を刻む。
魔術が使えないのは場所のせいだと思っていたのだが、そうではなく薬を打たれていたらしい。
「早速一匹釣れてきたのは喜ばしいことですが……随分とまた珍妙なお友達ですな」
おどけたセリフ回しだがロッカクの冷たい目に油断はない。
どうやら自分たちが囚われていたのは助けに来るものを釣り出す目的だったようだ。
この場でかろうじて戦えそうなのはうらみマスクだけ……。
その彼も撃たれて負傷してしまっている。
「動かないでくださいね皆さん。私はお嬢様方を狙っています。殺すなと言われておりますが五体満足でという条件はございませんでしたのでね」
ロッカクの銃口はアムリタたちに向けられている。
うらみマスクが動けば彼女たちを撃つと言っているのだ。
魔術が使えない状態の二人に流石に熟練者の銃撃を回避するほどの動作は不可能。
絶体絶命。
そう思われたその時……。
「おォ~い、楽しそうにやってンじゃねえかよ。アタシも混ぜてくれよ」
声が聞こえ、次いで銃声。
「ぐあッ……!!」
背後を振り返ったロッカクが呻き声をあげて左の眼を押さえた。
顔面の半分が流れる血でべっとりと濡れている。
「……………」
アムリタが呆然としている。
ありえない。
……だって、今聞こえたあの声は。
「ソイツはあの夜にオメーにご馳走してやりそこなったヤツだぜ。よぉーく味わってくれよなァ」
「馬鹿な……ッッ!! 貴様ぁ、何故生きているッッ……!!」
憎々しげに叫んだロッカク。
その視線の先、廊下の奥に黒光りする拳銃を手にして白衣の彼女が立っている。
「お生憎様。書類に不備があったみてェでよ。あの世は受け入れ拒否だとさ」
もう一人の王女が……。
リュアンサ・リューグ・フォルディノスがそこにいた。
「ほぼ即死でしょう。あそこからどうにかする手段なんてなかったはずです……はぁっ」
大きなため息をついて前傾姿勢だったロッカクが身を起こす。
どかした左手の下の目は銃撃で無残に潰れてしまっていた。
一時取り乱したように見えた彼は片目を失いながらももう冷静さを取り戻したようだ。
「本当に……仕事で発生するイレギュラーほどイライラするものもありませんな」
ロッカクの背が急にボコンと膨らんだ。
「……!」
目を細めて拳銃を構えるリュアンサ。
「『妖怪』ってご存じですか? 皇国にいる、こちらでいう魔物と幻獣を混ぜたような存在なんですがね……。我が家の先祖にその妖怪がおりまして、まったく迷惑な話ですよ……」
バリッ!! と背中のコートを破いて何かが伸びる。
脚だ……巨大な黄色と黒の先端が鋭く尖った長い脚。
ジョロウグモの脚だ。
「お陰様で自分もこの通り、人とも妖ともつかない中途半端な存在でしてね」
中折れ帽が床に落ちる。
ロッカクの額には宝玉のように赤黒く光る無数のクモの目があった。
「うちは代々こんな身体でしてね。それが原因で祖国には居られず西に流れてきまして。それで今のご主人様の先々代に拾われて今も使って頂いております」
「ヒトだかバケモンだかわかんねェのはオメーの身体でも血筋でもねェよ」
しかしそんな身の上話をリュアンサは一蹴する。
「オメーの生き方だろうがッ!!」
立て続けに鳴り響く銃声。
しかし自分へ向けられた銃弾を悠々とかわしたロッカクは背後へ跳びクモの足を使って壁に取り付いた。
「ククッ、これはこれは手厳しい」
壁のロッカクがニヤリと不気味に笑う。
口が耳の近くまで裂けて牙が覗く……人外の笑みだ。
「貴女のような人がうらやむものをなんでも持って生まれてきた御方には到底御理解いただけないでしょうな」
虚空を奔る銀閃。
リュアンサの手から拳銃が叩き落される。
床に落ちたそれは真っ二つだった。
……糸だ。
鋼の硬度と刃の鋭さを持つ糸をロッカクは口から吐いたのである。
その速度は魔力による強化が失われている今のアムリタの動体視力ではまったく捉えることができなかった。
「リュアンサ!! ……リュアンサッッ!!!」
悲鳴のようにアムリタが叫び続ける。
死んでしまう、また殺されてしまう……折角、折角生きてまた会えたのに……リュアンサが。
そもそもが彼女は医師であり学者であって戦闘要員ではないのに。
「……ンな泣きそうになってんじゃねェって、アムリタ」
傷ついた右手をペッペッと下に向けて振ってリュアンサは血を飛ばしている。
「地獄帰りのお姉ちゃんはちっとばかし無敵だぜ」
「強がりを言うッッ!!!」
再び刃の糸を吐くロッカク。
目で追えない速度のそれを同じく目では追えない速度で動いてリュアンサが回避する。
一瞬前まで彼女のいた位置の床を裂いていく刃糸。
「な……」
絶句するロッカク。
そしてそれはアムリタも同じであった。
今の彼女の動きは魔力で強化された肉体でなければ不可能なもので……。
「なァるほど……ゴキゲンなチカラじゃねェの。そんじゃァ遠慮なく模倣させてもらうぜッッ!!!」
ギラリと目を光らせて笑うリュアンサ。
翳した右手に銀色の光が灯る。
(あれは……あれは……私の……)
「『テメーのものはアタシのもの』……!!!」
銀の糸が虚空を十字に切り裂く。
咄嗟のことで反応できずに壁の半妖の男はまともにそれを浴びた。
自分が得意とする……刃の糸を。
「ゴえッッッ……!!!!」
胴をバツの字に斬られてロッカクが鮮血を吐き散らした。
「あぁ……本当に……」
地面に落ち尻もちをついて虚空を見上げる。
「仕事のイレギュラーは……イライラ……す……る……」
虚しく笑って、そして男はがっくりと項垂れる。
それきり……ロッカクの瞳は永遠に光を失った。
「……ま、ざっとこんなモンだ」
パンパンと砂埃を払うように手を叩くリュアンサ。
その彼女にアムリタが抱き着く。
「リュアンサ……私の、私の血を使ったのね」
「あァ、もうこりゃダメだと思った時にな」
……………。
あの時。
ロッカクによって致命の一撃を受けたあの時。
「……チッ……クショーが……ッ」
血を吐きながら倒れたリュアンサ。
彼女は必死に白衣のポケットからケースを取り出し乱暴にそれを開ける。
中身は注射器だ。アムリタの血が入っている。
「イクサ……イクサ……リアっ」
きわめて成功率の低い賭けだ。
だがこのままではもう後十秒もしない間に自分は命を落とす。
躊躇っている場合ではない。
首筋に針を突き立てて全ての血を注入する。
「……アムリタ……を……頼む……ぜ」
直後にリュアンサの心臓は鼓動を止めた。
……………。
大聖堂に運び込まれたリュアンサの亡骸。
だがその体内ではアムリタの血が彼女の修復を開始していた。
「リュアンサ……!! リュアンサッッ!!!」
横たわる彼女の前でロードフェルド王が泣き崩れている。
「……げほッッ!!」
喉に詰まっていた血を大きく吐き散らして咽るリュアンサ。
バネ仕掛けのように勢いよく彼女は上体を起こす。
「ああッ!! ……クソッ!! 最悪の気分だぜ……ッ!! げほ!! ごほッッ!!!」
少し動いただけでも全身が引き裂かれるような激痛が走る。
致命傷の修復はまだ全然途中なのだ。
「死んでみるってのは……ロクでもねェな……」
「……………」
眼前の光景に王は尻もちを突いて茫然としている。
だがやがて彼も妹が生き返った事を理解する。
「リュアンサッッ……!!!」
「だぁッ!! 鬱陶しいッッ!! くっ付いてくんじゃねェよ!!!」
飛びついてきた兄の顔面を掴んで押し退けるリュアンサ。
「クッソ……痛ぇ……!! バカ!! こっちァまだ半分死んでンだよ!!」
「あ、ああ、そうか……すまん。……と、とにかくよかった! すぐに皆に知らせて……」
涙を流して喜んでいるロードフェルドを鋭く睨む妹王女。
「オイ、待て兄。アタシが生き返った事は誰にも知らせんじゃねェ。殺り損なってる事がわかればまた殺し屋が送り込まれてくんだろうがよ」
「それもそうか……。では、せめてアムリタにだけでも……。彼女はお前を見て高熱を出して倒れてしまって……今も昏睡しているんだ」
ぎゅっと胸元を握りしめるリュアンサ。
この胸の痛みは……傷のせいではない。
「……ダメだ。知らせるな」
「リュアンサ……」
断腸の思いでリュアンサが告げる。
「アタシとあいつのラインは連中に割れてる。一番知らせちゃいけない相手なんだよ。アイツが持ち直したらアタシが死んでねェことがバレちまう」
震える身体に鞭打ってリュアンサは立ち上がる。
「お、おい……!」
「兄、アタシの研究室を封鎖してくれ。調査だっつッて誰も近付けんな。やんなきゃいけねェ事があるんでな」
リュアンサが敷布の代わりにされていた血で汚れた白衣を着る。
「殺してェくらい邪魔に思ってらっしゃるどなたかがいらっしゃるンだ。一つご期待に応えてやろうじゃねェのよ」
リュアンサにはわかる。
自分が殺されたのはあの呪詛の薬絡み。あれの調査を自分が引き受けていたから。
つまり、刺客を送り込んできた何者かはリュアンサならあれをどうにかしてしまうと危惧しているという事だ。
「キヒッ、燃えるじゃねェかよ……!! アタシは妨害されればされるほどテンション上がるタチでなァ……!!」
血で汚れた犬歯を剥いて獰猛に笑うリュアンサであった。
……………。
「ご依頼の呪いの浄化の方法はキッチリ確立しといたからよ。……あ~ちなみにここに来る前にもう水源は浄化してあるんで水道は使っても問題ねェ」
「……………」
姉を抱擁して泣いているアムリタ。
そしてそれに対して照れ臭そうにそっぽを向いているリュアンサ。
二人を眺めながらイクサリアは複雑な表情だ。
……彼女が思い出しているのは兄ロードフェルドの事。
『もしも奴の差し金であればこの手で縊り殺してやる!!!』
あの夜……あの時には彼はもう姉の蘇生を知っていたわけで。
激昂、悲憤は演技であったということだ。
(五年会わない内に随分と狸親父になったね……兄上様)
あの激情家で腹芸は苦手であったはずのロードフェルドが……。
何とも言えない思いで嘆息するリュアンサであった。




