わがまま
かつては荘厳で美麗な一室だったのだろう。
その事は朽ちかけた装飾品の数々から窺うことができる。
かなり広いフロアだ。
円柱が二列に立ち並び奥にはこれもまた朽ちかけた玉座がある。
廃墟の城の……かつての支配者の間。
そこに今黒衣の男が一人佇む。
「……………」
何を思うのか、ギュスターヴ・デュ・バエル。
表情のない彼の横顔からはそれを窺うことはできない。
「ここか、ギュスターヴ」
背後から声をかけられるが彼は振り返らない。
そこにいるのは腰の曲がった小柄な老人……アイザック教授。
実際にはその体内に潜み体を操っている悪霊の集合体ジューダス・ヴォイドだ。
そもそもがその名も便宜的にそう呼ばれているだけでジューダスと言っていい存在なのかはだいぶ怪しいところだ。
ジューダス・ヴォイドとは数代前のヴォイド家の当主。
悪霊を使役する魔術の達人であったが、いつしか自分自身悪霊と混ざり合って同一の存在となってしまった。
無数の怨念の集合体である「彼」には既に個の感覚のようなものはない。
かつてアムリタとクライス王子の舞踏館での戦いでイクサリア王女に滅ぼされたはずの悪霊。
あれも確かにジューダスではあった。
だがその一部だ。
すでに本体分体の区別もなくなってしまっている悪霊の大部分はヴォイドの屋敷に潜んでいた。
だがその住処もレオルリッドたちによって焼き払われ、悪霊は教授の身体を乗っ取ることで逃げ延びていたのである。
「ドウアンには連絡がつかぬ。離反したかもしれん」
元々が利害が一致したので組んでいただけの相手。
忠実でもなく誠実でもない男だ。
どこで離れていこうが不思議はない。
「なら次の手を打つだけだ」
無感情にギュスターヴが言い放つ。
「……最もあれもまったく信用するには値しない相手なのだが」
誰でも構わないしどんな手段でも構わない。
王国を破壊することだけが自分の使命だ。
……この血脈の末裔である自分の宿命なのだ。
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薄暗く冷たい牢獄。
そこに今アムリタとイクサリアが囚われている。
どこなのだろうか、ここは。
鉄格子の嵌まった明り取りの向こう側は湿った土の壁だ。
(地中なのか? ここは……。この廃墟は地底に埋まっている?)
周囲を調べながら考えを巡らせているイクサリア。
ここもどうやら魔術師対策が施してあるらしくどんな些細な魔術も使用できない。
剣は取り上げられていないが、どうせ魔術が使用できなければ武器を持ってもたかが知れているという判断からか。
アムリタは……。
石壁に寄りかかって足を投げ出して座り、茫然としている。
「……………」
どこを見ているのかもわからないその目は虚ろで生気がまるで感じられない。
あの敗北が……彼女の心を折ってしまったのか。
リュアンサ殺害の首謀者であると自ら口にしたギュスターヴと対峙したアムリタ。
彼女は対魔術師に特化した能力のギュスターヴに為す術もなく大敗を喫した。
彼がそのつもりなら今頃はもう命はなかった事だろう。
壊れかけた彼女の心を最後に支えていたものは憎悪だった。
殺意を奮い立たせて無理やりに身体を動かしていたアムリタ。
その憎悪と殺意をまったく無意味なものだと仇討の相手に否定されアムリタは折れてしまった。
イクサリアが呼び掛けても彼女は応えてくれない。
魂が抜けてしまったかのようだ。
「アムリタ……」
王女が涙を流す。
人形のように動かないアムリタを抱きしめるイクサリア。
その涙が頬に滴ってもアムリタはまったく反応を示さなかった。
「お熱いハグ中に失礼しま~っす」
「ッ!!」
突然第三者の声が聞こえ、王女はアムリタを背に庇うように身構えた。
牢獄の鉄格子の向こう側にいるのは青い肌の女だ。
「キミは……」
忘れるはずもない。
数か月前に自分がこの手で首を撥ねた女のことを。
その魔族の女、メビウスフェレスは首元の無残な傷跡を指さしながらニヤニヤ笑っている。
「なるほど……あの時の意趣返しというわけかな」
嘲笑いに来たのならまだいい。
もしも、まともな抵抗もできないこの状況で嬲り殺しにする気なら……。
アムリタだけは命がけで庇わなくては。
背筋を伝う冷たい痺れを感じながらイクサリアはそう決意するが……。
「違うっつ~の。ちょっと静かにしてろなさいよ」
おかしな言葉遣いの女魔族はポケットから古ぼけたキーを取り出す。
そしてそれを使ってガチャガチャと牢獄の扉の頑丈な錠前を外している。
「どこの世界に自分の首をチョンパした奴を助けに来るやつがいるんですかって? ところがいるんですな~、これが」
自分で否定して勝手に突っ込んで、そして鍵を開けたメビウスフェレス。
「どういうつもりなのかな?」
「見りゃわかんでしょ~よ。将来いいお嫁さんになれそうな私が助けにきたんですって」
冷めた半眼で自分を見ている王女に対してメビウスが口を尖らせている。
千年以上生きていてお嫁さんになれていないならこの先も無理な気がしなくもない。
「それを真に受けて喜べるほど頭蓋骨の中は春模様ではないつもりだけど」
「ま~、そうでしょね。こっちも改心してイイ奴になったわけじゃないから安心しなよ~んだ。……てかさ~、困るんだよねぇ、も~ちょい君ら頑張ってくんないとさぁ?」
不満げなメビウスフェレス。
青い肌の小柄な彼女はイクサリアを指差して口をへの字にしている。
「こっちは楽しみたいのよ。白熱した一戦を期待してんですよ。それが一方的だと困っちゃうの。チケット代返せなんですよ、払ってねーですけど」
やれやれと言った様子で肩をすくめてみせる青い女。
「ま、そんなワケで鍵は開けましたんであとは勝手にしてちょーだいよ。言っとくけどもっかい捕まったら次はもう知らんからね。逃げ出すタイミングはよく考えなよね」
「……ああ、ありがとう」
フッと苦笑しつつ王女が礼を言ったその時……。
「……私がッ!! 見ッッッ参ッッッッ!!!!」
突如として牢獄のフロアに叫びながら覆面の男が突入してきた。
ボロボロの黒いコートに革袋を被っている男である。
「うおッッ!!!!??? タイヘンなヘンタイ出現!!!!!」
ビビり散らかして仰け反るメビウスフェレス。
そんな彼女に向って覆面の男はビシッとポーズを決める。
「ヘンタイではないッ! 私は罪なき者の嘆きの声を聞き届けるもの……闇よりの裁きの使者」
カッ! と覆面の二つの黒い穴が光った。
新ギミックだ。どういう仕組みなのだろう。
「おでんならば牛すじよりも大根ッッ!! うらみマスクッ!!!」
「そりゃ~まあおでんの大根は最高ですからね。ってゆかコイツと食の趣味が合致すんのヤだな」
うらみマスクを指さしながら王女に向かって嫌そうな顔をしているメビウスフェレス。
千年生きた魔族もやるせない気分にさせる恐るべき不審者のパワーである。
「ま、まあいいや……ホラ、どっからどう見てもお呼びじゃない系のお迎えも来た事だしさっさと……」
だが、イクサリアはほろ苦く微笑んで首を横に振る。
アムリタが……動こうとしない。
彼女が逃げようとしないのなら自分もここにいるだけだ。
彼女が死ぬのなら、自分も一緒に最期を迎えるだけだ。
「なるほどな。確かにそれも友情だろう」
王女の言わんとする所を察して腕組みをした住所不定の男が肯く。
「……だが、考えてみるがいい。王女よ。もしも心が健康であったならアムリタ・アトカーシアが望むのはどんな友人だろうか? 彼女はどんな人に自分の側にいて欲しいと願うだろうか?」
覆面の男が穏やかに諭す。
「自分の意思なく追従してくる者を……果たして彼女は喜ぶだろうか?」
「……………」
無言のイクサリア。
だが王女の瞳は揺れている。
「喧嘩をするほどなんとやら、だ。思ったことを言い合うこともできない。自分の意志や考えをぶつけられない相手は本当のパートナーにはなれない。……どうして欲しい? 何を願う? それを……彼女に言っていい。伝えてよいのだ、王女よ」
言いたいことは……ある。
彼女に望むこと……あるに決まっている……!!
「ごめんね、アムリタ。連れて行くよ。キミの望んでいることとは違ってしまうかもしれないけど……」
震える声でイクサリアは言う。
アムリタのドレスの二の腕のあたりを持って王女は俯いた。
流れる涙がぽつぽつと石の床に落ちて染みになる。
「死なせたくない。生きていてほしい……」
アムリタを背負ってイクサリアが立ち上がる。
牢獄を出ていく三人をバイバイと手を振ってメビウスフェレスが見送った。
……………。
石造りの通路を走るイクサリアとうらみマスク。
ここは想像していたよりもずっと大きな建物の内部のようだ。
ただ広く、ただ暗い廊下が随分と長く続いている。
助けに来たのだからうらみマスクは道を知っているのだろう。
そう思って王女は黙って彼を追走している。
「……イクサ」
「!」
耳元で小さな声が聞こえてイクサリアは目を見開く。
一瞬幻聴かと思った。それほどの小さな囁き声。
「アムリタ……っ!!」
「ごめんね、イクサ。もう大丈夫……自分の足で歩けるわ」
震えながら王女はアムリタを床に下した。
初めて彼女にわがままを通したことが今になって怖く感じる。
だけど、その王女の声は……確かにアムリタに届いていた。
「アムリタ……」
イクサリアの声が涙で震える。
アムリタの髪の色が……翡翠の色に戻っている。
「どうしよう、どうしたらいいの……イクサ。私滅茶苦茶やっちゃった……皆に迷惑をかけたわ……」
困り顔でアムリタが泣いている。
それを見るイクサリアも大泣きで……。
「大丈夫だよ、アムリタ。一緒に謝りにいこう」
泣きながら王女が泣いているアムリタを抱きしめる。
「でもっ……でも、レオなんてぶった斬っちゃったし……死なせちゃってるかも……っ!!」
「大丈夫だよ、アムリタ。半分私がやった事にするから。二人でお墓参りにいこう」
……何がどう大丈夫なのか。
それはわからないが、二人は抱き合って泣いている。
その時だ。
……パァン!!
銃声が響いて呻いたうらみマスクが右の二の腕を押さえた。
その手の下から赤い雫が滴り落ちる。
「……やれやれですな。こちらの仕事を増やさないで頂きたい」
硝煙を上げる銃口をこちらに向けている灰色のコートの男……ロッカク。
冷たく細い目でアムリタたちを見ている体温を感じさせない男。
「仕事で発生するイレギュラーほどイライラするものはありませんね。こんな所までもう助けに来る方がいらっしゃるとは……」
薄笑い……これは苦笑か、を見せながら言うロッカクであった。




