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赤い世界の二人

紅獅子星(クリムゾンレオ)』エールヴェルツ家の屋敷。

 高い塀と堅牢な門で囲まれた広大な敷地。

 この一族のような要人の住居は本来こういった非常事態には多くの警備の騎士が配備されるのが通例である。

 だというのに広い庭園には現在誰の姿もない。

 警備の騎士を回すという申し出を今当主不在のこの屋敷を預かるシーザリッドが断ったのである。

 その分の人員は他の場所へ回してほしいと。


 エリーゼ・エールヴェルツは不安げに窓から外を見ている。

 未だ混乱が収束する様子のないあちこちに火の手が上がる都。

 養父レオルリッドは現在、部隊を率いて混乱収束のために出撃している。


「……おじい様、王都はこれからどうなってしまうのでしょうか」


「エリー、こっちへ来なさい。私の隣へ」


 手招きする養祖父シーザリッドに素直に従い、ソファの彼の隣に腰を下ろすエリーゼ。

 そんな彼女の頭をシーザリッドが優しく撫でた。


「心配はいらないよ、エリー。この国には頼りになる若者が大勢いるのだ。彼らがきっとこの危難も払いのけてくれる事だろう。私たちはここで彼らの無事を祈るとしようか」


 穏やかに微笑むシーザリッド。


 エリーゼは知らない。

 この屋敷の上空に今、長剣の形の炎が数百浮いていることを。

 それはシーザリッドの魔術によるものだ。

 炎の剣は結界のように屋敷を防衛しており悪しきものの接近を感知し自動で迎撃する。

 上空からミサイルのように飛来し標的を焼き貫いて炭に変えてしまう。

 すでに何匹もの魔物がこれで命を落としており、消し炭とかした骸を見て恐れ新たな魔物はもう屋敷に近付こうとはしない。


「女神様、どうかパパをお守りください」


 壁に掛けられている大きな女神の絵画に向かって祈りを捧げるエリーゼであった。


 …………同時刻。

 そのエリーゼが無事を祈った養父レオルリッドは。


「……レオ、ごめんね。今は貴方とお話をしている時間はないの」


 ……漆黒の楽園星と対峙していた。


 冷たく強大な魔力が彼女を中心として渦を巻いている。

 まるで奈落へと続くブラックホール。

 口を開いて待ち構える虚無のあぎと。


 その中心に闇の女王のように黒いドレスの彼女が立っている。

 右手に大鎌、左手は腰。

 悠然として尊大に。

 積み上がった夥しい数の魔物の屍の山の頂に彼女は立つ。


「話はしなくていい。俺と一緒に帰るんだ」


 険しい表情で一歩踏み出すレオルリッド。

 真紅のマントに金色の鎧の十二星……一歩彼女に近付くごとに自分が死に近付いている感覚がある。


 正体不明の何物かが市街で虐殺を行っている。

 そう報告を受けて魔物が出現したのだと思いレオルリッドは現地へ駆け付けた。

 しかしてその場には確かに多くの魔物がいた。

 ……虐殺をする側ではなく、される側としてだ。


 殺戮を行っていたのは黒いアムリタだ。

 そう、戦闘ではない……一方的な殺戮劇が展開されていた。

 アムリタは笑いながら……楽しんで虐殺を行っていた。

 相手を無残に嬲り殺しにすることを喜んでいた。

 恐ろしい力を持つはずの魔物たちを、更なる圧倒的な力で蹂躙していた。


 その場のすべての魔物を殺しつくして彼女が一息ついたタイミングでレオルリッドは声を掛けたのだ。


「気は済んだか、アムリタ」


「……レオ?」


 その時になって初めて自分の存在に気が付いたアムリタが屍の山の上で不思議そうにこっちを見た。


 ……………。


 また一歩、前へ。

 鎧が鳴る。

 自分は死に近付く。


 やめろと本能が警告を発している。

 この先にいるものは触れるべきではない存在だ。

 無慈悲にして強大な死神だ。


(違う、あいつは……)


『私たち親友でしょ?』


 ……もう、遠い昔のことのような彼女の言葉を思い出す。


「……止まって、レオ」


 初めて。


 その声に僅かに苛立ちが滲んだ。


「私ね、渇いてるのよ。飢えてるの。……どいつもこいつも弱すぎて全然殺してるって、命を奪ってるんだって実感が得られないの。だってそうでしょ? たかってきた虫を叩いた時に生命について思いを馳せることなんてないわよね? それと同じよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ……!」


「アムリタ、お前は疲れているんだ。……リュアンサ様を失って心が傷付いて疲弊している」


 さらに踏み込んだレオルリッド。


「今のお前に必要なのは静養だ。これ以上駄々をこねるのなら力ずくで連れて帰るぞ」


「できるの? レオ……貴方に」


 アムリタからの黒い圧が増す。

 冷気にも似た息苦しさ。

 常人であればそれを向けられただけでも意識を保つことができないであろう殺気。


「私を……アムリタ・アトカーシアを攻撃できるの? 私たち親友よね?」


「試してみるか」


 エールヴェルツの若獅子が吹き上げた魔力のオーラは直に炎と化した。


(親友か……! 虚しいものだ。そう思っていたのはずっとお前だけだ……!!)


 吹き上げた炎が巨大な翼になる。

 地を蹴り飛び上がるレオルリッド。

 纏った炎が大きな鳥の姿になる。


 不死鳥(フェニックス)と化して彼は漆黒の魔女に一直線に突っ込んだ。


(俺にとってはずっと前からお前は親友ではなく片想い中の相手だったからな!!!!)


 灼熱が……。


 爆ぜた。


 赤い爆発が巻き起こる。

 天に向かって立ち上る巨大な炎の竜巻。

 中心地点では岩石がゆっくりと溶け出している。


「……しまった」


 少し離れた空の上で吹き付ける熱風を翳した腕で防ぎながら表情をゆがめるイクサリア。

 レオルリッドが駆けつけてきた時、この王女は少し距離をとって二人のやり取りを見守ることにした。

 行動原理の全てがアムリタのためというイクサリアにとってこの場ではどう動くのが最適解なのか判断がつきかねた為である。


 ……もっと前に割って入るべきだったか。

 そう思ったがもう遅い。

 この高熱では接近するだけで自分も深刻なダメージを負ってしまう。

 視界が定まらないので風を放つわけにもいかない。


 だけど、彼女の笑い声が聞こえる。

 だから静観で良かったのだ……今はそう思うしかない。


「あははははっ!! そう……やればできるじゃない!!!」


 石が溶け始める超高熱の地獄でアムリタが笑っている。

 熱風で髪が煽られているがどこも火傷を負っている様子はない。

 身に纏った超高濃度の魔力が障壁となって熱を遮断しているのだ。


 そのアムリタが振るう漆黒の大鎌。

 受け止めるのはレオルリッドの手にした赤く輝く光の剣だ。

 光と熱の刃と闇の鎌。

 どちらも魔力で作り出した武器が何度も打ち合わされる。

 その都度甲高い破裂音のような音が響いて青白い火花のような魔力の残滓が散った。


 軽やかなステップで舞い踊るように二人が武器をぶつけ続ける。

 まるでダンスをするように。

 息をするだけで肺が焼けて命を落とすような獄炎の世界で。


「……………」


 レオルリッドは無言で唇を嚙む。


 ……わかっている。

 もともとアムリタは強力な魔術師だった。

 それが今は心のタガが外れて暴走状態になり魔力が大幅に増しているのだ。


 殺す気でやらなければダメージを与えることは到底できない。

 殺す気で……。


「オオオオッッッッ!!!!」


 紅獅子星が吼えた。


 その攻撃が出ない、出せない自分自身の不甲斐なさに叫んだ。

 手を抜いているわけではない。

 攻撃は一撃一撃全てが全力で……。

 だけど、それは彼女を殺すまいと必死になっている攻撃だ。


 どうしても……どうしても。

 彼女を殺すための一撃を自分は放つことができない。


「あぁ……そうなのね。やっぱり」


 刹那の間に耳に届いた彼女の声に魂が凍り付く。

 それは相手に対する興味を失った者の声だった。

 自分を見る彼女の紅い瞳の……そこに宿った狂熱が失われていく。

 冷めていく。


 悟られてしまった。知られてしまった。

 自分ではアムリタを殺すことはできないのだと。

 本気の殺意を持ちえないのだと。


「……言ったでしょう? レオ。私は時間がないの。忙しいのよ」


 冷たい目でアムリタが自分を見ている。


()()()のつもりなら、私の憎悪(せかい)に土足で踏み込んでこないで」


 虚空に描かれた漆黒の三日月。

 尾を引く真っ黒い闇。

 暗黒の魔女が大鎌を振るって自分とすれ違っていく。


「……………」


 レオルリッドの胸甲が斜めに裂け、そこから激しく血が噴き出す。

 魔力で補強された頑強な金属製の鎧をまるで紙のようにあっさりと魔女の刃は切り裂いていった。

 叫びはもう声にはならず……。

 アムリタに向けて伸ばした手が空しく虚空を掻く。


 ゆっくりと空を見上げながら仰向けに倒れていくレオルリッド。

 視界から外れてしまう前にすでに漆黒の魔女は自分に背を向けている。

 ……もう自分に用はないというかのように。


 ……………。


 アムリタとイクサリアがその場を立ち去った後で周囲に姿を見せる黒い騎士たち。

 ブリッツフォーン家の『影騎衆(シャドウトルーパー)』たちである。

 彼らは未だに強く残る高熱の余波に怯みながらもレオルリッドの救助を開始する。


 影騎衆たちは二人の戦いを物陰に潜んで見てはいたが指揮官の指示で割って入ろうとはしなかった。

 あの強大な魔術師二人の間に入ったところで彼らにできることはない。

 無駄に屍を増やすだけである。


「ミハイル様。楽園星様は……」


 その場の指揮を執る『白狼星』の若き当主が首を横に振る。

 飛び去ったアムリタたちを追跡するべきかと。

 銀色の髪の男はメガネの位置を直しながら僅かな間迷った。


「彼女は現在、暴走状態だ。こちらから接触するべきではない。今の我々には他にしなければならないことがある」


 忸怩たる思いでミハイルはそれを口にする。

 自分自身に言い聞かせるように。

 今の痛々しい彼女を……アムリタを放置せざるを得ないとは。

 その事が心底に心苦しい。


 しかしミハイルが言ったことも決して苦しまぎれというわけではない。

 実際に彼らの使命は街を脅かしている魔物の討伐と無事なものたちの救助だ。

 今のところはアムリタは魔物しか標的に選んでいないようだ。

 それならばわざわざ手を出して注意をこちらに向けることはない。


 ……ただ、彼女のその状態がいつまで続くのか。


 もしも王都の魔物を狩り尽くしたとしたらその先に彼女の凶刃は誰に……何に向けられるのか。

 巨大な暗い疑問を先送りしている現状。


 その事を考えると暗澹たる気分になるミハイルであった。



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