黄昏の都にて
王都某所、地下。
豪奢な空間。パーティー会場のようだ。
荘厳なシャンデリアの下に赤絨毯が敷かれ金の縁取りがされた真っ白い丸テーブルが並んでいる。
そこに『黄昏の会』メンバーが集まっている。
彼らは全員浮かれ気味でグラスを片手に歓談している。
地上は地獄のような光景が広がっているというのにだ。
「やはり、高く積み上がったものが崩れていく様というのにはカタルシスがありますな」
「まったくです。これは芸術ですよ。そこかしこに死体が転がり炎に包まれた街並みといったらなんと美しいことやら……」
好き勝手な事を言いながら悦に入っている仮面の者たち。
いずれもがこの国でも有数の犯罪に関係している組織の長たちである。
彼らは金も栄誉も望んだものは大体手に入れてしまい、その果てにエンターテイメントとしてこの王国の破滅を演出し最前列で観賞しようと目論んだ。
その為の組織がこの『黄昏の会』だ。
無論彼らの中にこの崩れ行く王国と運命を共にしようと思う者などはいない。
自分の資産や失いたくないものは避難させた上で彼らはこの悲劇を引き起こしたのである。
会場に遅れて入ってくる黒いローブ姿の男。
ギュスターヴ・デュ・バエルだ。
「遅れて申し訳ない」
「ははは、貴殿はメンバーの中でも一番不自由なお立場ですからな」
遅刻を詫びるギュスターヴに仮面の男の一人が笑って応えた。
「さて、全員が揃った所で乾杯と致しましょう」
メンバーの一人がそう言って全員のグラスに酒を注いで回る。
「……では、計画の成功と我らメンバーの繁栄に」
『乾杯ッ』
全員がグラスを持ち上げて乾杯の声が唱和する。
「……うっ」
……そして一人が呻いてグラスを手から落とした。
続いて一人、また一人と血を吐いて苦しみ始める会のメンバーたち。
瞬く間に周囲は無数の骸の転がる地獄絵図と化す。
黒い血を吐きながら苦しんで死んでいく仮面の男女。
同志であるはずの者たちの惨たらしい死に様を灰色の長い髪の男が冷たく見下ろしている。
「これだけの事をしておきながら、自分の身だけは安全であると何故思えるのだ」
ギュスターヴが静かにそう言ってグラスを真横にして中身を床に捨てる。
毒の盛られた酒を。
立っているのは三人だけ。
ギュスターヴとアイザック教授と、そして皆に酒を注いだ仮面の男。
「……死体はどうする?」
しわがれた声で言うアイザック。
ギュスターヴは足元の仮面の屍たちをチラリと一瞥する。
「まだ使い道があるかもしれん。念のために入れておけ」
ギュスターヴの言葉に杖を突いた腰の曲がった老教授が肯いた。
そして……アイザックの体から青黒い煙のようなものが立ち昇る。
ゆらゆらと形を変える気体のようなそれの表面には無数の苦悶の表情や髑髏の面が浮かび上がっては消えていく。
それは上空で無数に分裂して死体に舞い降りると口や耳から体内に入り込んでいった。
すると、ガクガクと人形のようにぎこちない動きをしながら死体が立ち上がる。
たった今内部に入り込んだ悪霊が身体を操っているのだ。
「いつ見ても便利な能力だな……ジューダス・ヴォイド」
その様子を見て教授を教授でないものの名で呼んだギュスターヴ。
五年前の『紅獅子星』エールヴェルツ家によるヴォイド家の掃討作戦。
その作戦にこのアイザック教授も参加していた。
長年の研究で教授はヴォイド家に関する知識を多く有しており、レオルリッドが協力を仰いだのである。
彼に孤児が囚われている可能性があるので助け出してくれと頼んだのはこの教授だ。
犠牲はあったものの作戦は成功裏に終わり、教授はその後屋敷の跡地を調べていた。
……そして、そこでそれに身体を乗っ取られたのだ。
『……アムリタ・アトカーシアとイクサリア王女が動き回っているぞ』
教授の口から漏れた声は先ほどまでのしわがれた老人のものではなく、別人のエコーの掛かった低い男の声だ。
『あの二人には我も以前煮え湯を飲まされている。甘く見るなよ』
「わかっている。だがいくら腕が立とうがあの二人は魔術師だ。対魔術師の戦闘においてこの国で私の右に出るものはいない」
静かに告げるギュスターヴに酒の入ったグラスを渡す仮面の男。
先ほど全員に毒入りの酒を注いだこの男は今日の集まりの前に既に殺されており、今身体を動かしているのは事前に体内に入り込んでいるジューダスより分離した悪霊である。
「……私は魔術師が徹底的に研究されあらゆる対処法が編み出された時代の知識を継承しているのだからな」
そう言ってグラスを傾け、酒を飲み干すギュスターヴであった。
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死と破壊と炎の街中。
高速で屋根から屋根へと跳びながら移動しているメイド。
まるで重力などないかのように、彼女の周囲だけ時間の流れ方が異なっているかのように。
舞うように虚空を行く糸目のメイド。
だが、その表情には焦りが窺える。
(あぁ、もう、どこっスか……。ドウアン、あいつ!)
マコトが唇を噛んで周囲に鋭く視線を走らせている。
この惨劇を引き起こしている大きな原因、人々を魔物に変えているのはドウアンの呪詛だ。
元々あの男は動物霊を使って相手を呪う術を得意にしていた。
それを薬剤の形にしたものが例の魔薬だが今回はそれを水源に流したのだろう。
ドウアンはプライドが高く自己顕示欲がとても強い。
これだけの事をしでかしたのが彼なら絶対に直に成果を確認しようとするはず。
この都のどこかで苦しむ人々を見て嗤っているはずなのだ。
見つけ出して始末しなくては……。
それが自分の御役目だ。
だけど、今はそれだけではない。
アムリタの心を乱す要素は全て排除する。
彼女は今、リュアンサを失った悲しみでおかしくなってしまっている。
黒く染まったアムリタは飛び出していってしまったきり屋敷に戻っていない。
悲しみだけは自分ではどうしてあげることもできないが……。
それでも他の彼女の心を乱すものを取り除くことはできるはずだ。
せめて彼女に失ってしまった大事な人の思い出に浸る時間を持ってもらうために。
「……おや?」
そんなマコトがふと屋根の上で足を止めた。
小さなビルの入り口をバリケードで塞いで籠城している者たちがいる。
指揮を執っているのは大柄な赤い髪の女性。
彼女は大きな斧槍を肩に担いでいる。
「オラーっ! 気合入れろよ! バケモンは一匹も通すんじゃないぞ!!」
声を張り上げているマチルダ。
どうやら探偵社の建物の中に周辺住民を匿っているらしい。
「ぼ、所長ッ! こんなの探偵の仕事じゃないですよ!!」
長槍で武装している事務所スタッフが泣き言を言っている。
そこへずしんずしんと重たい足音を響かせてやってくる大きな粘土のボディのゴーレム。
その肩に乗っているのは探偵社の暴れウサギ。
「情けない事を言ってんじゃないのですよ。今、あなたの双肩にご町内の平和が掛かっているのです。シャキシャキ気張っていくのですよ」
「ひぃぃっ! 荷が重い!!」
ゴーレムの上から檄を飛ばすクレアに頭を抱える所員であった。
「マチルダさんたち、頑張ってるっスねえ」
そのメイドの視界に事務所の方へ向けて走っていく三匹の魔獣人が入った。
「……ちょっとだけお手伝いしていくっスかね」
屋根を蹴って飛翔するメイド。
その両手には手品のようにいつの間にか二本の短剣が逆手に握られている。
風のように早く……音もなくマコトは魔物たちに襲い掛かって一瞬で屍に変えた。
「お、マコトじゃねえか。ハハッ、悪いな手伝ってもらっちまってさ」
メイドに気付いたマチルダが手を振っている。
「アムリタの指示で見回ってんのか? 大変だな。まー、御覧の通りでこっちはどうにかやってるよ。心配すんなって伝えてくれ」
ニコッと笑ってメイドが一礼する。
……アムリタの事は伝えない。
今話をしても彼女たちに余分な負担を掛けてしまうだけだ。
「あ、そうだ。後さ、悪いんだけどうちのピンクメイド見かけたらいい加減戻れって伝えてくれるか。事務所が大変だって時にどこほっつき歩いてんだか……」
やれやれと困り顔でマチルダが嘆息している。
どうやらエウロペアが出歩いてしまっているらしい。
まあ、彼女なら単身うろついていてもどうにかできるような者はいないだろうが……。
肯いて了解を示し、再び跳躍して屋根の上に消えるマコトであった。
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自動車は裏返しにされ、半壊した建物は火の手を上げている。
ギュスターヴたちが黄昏の日計画と呼んだこの惨劇。
収束の気配は未だ見えない。
だが王都の民はただ怯えて逃げ回るだけではなかった。
青と銀のカラーリングの鎧を着込んだ大男が街で暴れている。
白銀の髪と濃い髭のまるでクマのような体躯の初老の男だ。
「がははははッ! 血が滾るわい!! やはり現場はいいな……引退するのは十年ばかり早かったか!!!」
虎の頭部の魔獣人を丸太のように太い腕のヘッドロックで締め上げて悶絶させているアレクサンドル・ブリッツフォーン。
先代十二星『白狼星』であった男。
初老の彼だがいまだその頑健さは健在であり屈強な魔物を物ともしない。
「……はしゃぎすぎです、父上」
そんな父を見る馬上のミハイルは嘆息している。
ミハイル親子は部隊を率いて街に出ていた。
荷馬車に大量の水の入った樽を積んできている。
「無事な者たちを探せ。必要ならば水を与えてやれ」
配下の『影騎衆』に命じるミハイル。
主の指示を受けて黒い鎧の騎士たちが散開して街へ散っていった。
そして逆に一人の他の者たちよりも軽装の影騎衆が近付いてきてミハイルに顔を寄せて小声で何事かを囁く。
「……何? 馬鹿なことを言うな」
報告を聞いたミハイルが不快げに表情を歪めた。
「ですが……複数の者が同じ情報を持ってきておりまして、誤報の可能性は極めて低いと思われます」
「……………」
眉間に皺を刻んで黙るミハイル。
「『紅獅子星』のレオルリッド様が……現在、『楽園星』のアムリタ様と交戦中。周辺は炎に覆われ灼熱の地獄と化しておりもう余人が近付ける状態ではないとのこと」
重苦しい声でそう報告して顔を伏せる影騎衆であった。




