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おわりのはじまり

 夜の学術院の廊下をアムリタが早足で進む。


「……遅くなっちゃったわ。リュアンサ、まだいるかしら」


 正規の住居は別にあるのだが職場に泊まり込むことが多いリュアンサは院長室に隣接する部屋を生活空間として改装してしまっている。

 そしてその隣の部屋に行く事すら億劫がって院長室の長椅子や仮眠用の簡素なベッドで眠る事も多い。


「リュアンサ、いる?」


 コンコンと院長室の扉をノックするアムリタ。

 しかし、中からの反応はない。

 眠っているのだろうか……そう思ってアムリタはドアを開けた。


 すると、吹き付けてきた夜風がふわっと彼女の髪を揺らしていく。


「うっ、寒……。風邪を引いちゃうわよ、リュアンサ」


 アムリタが窓に歩み寄ってそれを閉める。


「ケーキを買ってきたの。よかったら一緒に食べましょう」


 そこで……アムリタの視界に入ったものはデスクの向こう側の床に投げ出されたリュアンサの足。


「リュアンサ……?」


 ケーキの箱が床に落ちた。


「リュアンサっ!!! どうしたの!!!??」


 駆け寄って倒れているリュアンサを抱き起すアムリタ。

 目を閉じて動かない王女は口元から喉、そして胸元が真っ赤な血で汚れていた。

 そして胸には投擲用の刃物が二本深々と突き刺さっている。


「……ッ」


 全身の血が凍ってしまったような感覚に襲われる。


 抱き上げた時にはもうその身体には体温が無かった。

 鼓動も……無かった。


「リュアンサ、ねえ……噓でしょ? 返事をしてよ……」


 ぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙。

 その雫が動かないリュアンサの頬に落ちた。


「ずっと一緒だって……お婆さんになるまで一緒にいるんだって……言ったじゃない……」


 あの勝ち気でどこか意地悪に見える笑みを思い出す。

 それをもう二度と見れないのだという事実を脳が受け入れてくれない。


「私を……私を置いていかないでッッ!!! リュアンサーッッッ!!!!」


 主のいなくなってしまった院長室に血を吐くような慟哭が木霊した。


 ──────────────────────────────────


 深夜のアムリタの屋敷。

 居間にアムリタの家族や仲間たちが集まっている。

 全員が沈痛な表情で言葉を発する者は誰もいない。


 やがて、扉が開いて初老の医師が数人の看護師を伴って入って来た。

 その場の全員が一斉にその医師の方を見る。


「できる事は全てさせていただきました。酷いお熱です。意識はまだお戻りになりません」


 医師が辛そうに告げる。


 アムリタは……学術院の院長室でリュアンサの亡骸のすぐ側に倒れている所を発見された。

 高熱にうなされており意識がなく、すぐに屋敷に運び込まれて医師が呼ばれたのだ。


「……………」


 全員が無言のまま顔を見合わせる。

 この場に集まっている者たちは全員がアムリタの特別な身体の事は知っている。

 アムリタは負傷や不調は体内に満ちた高濃度の魔力が自動で修復する。

 それが致命傷であったとしてもだ。

 つまり魔術に……魔力によって体調が管理されているのである。

 それが体調を崩したままになったというのは魔力がおかしくなっているという事に他ならない。


(……可哀想に、アムリタ。余程ショックだったんだね)


 無言で目を伏せるイクサリア。

 恐らくアムリタの精神はリュアンサを失った事で激しいダメージを受けて、それがそのまま魔力の乱れとなり体調をおかしくしているのだ。


 リュアンサの死はまだ公表されていない。

 状況だけを見ればアムリタも容疑者の一人である。


 ……………。


 明け方近くになり屋敷にロードフェルドがやってきた。

 精悍な彼もさすがに憔悴しきっているが気力でそれを表には出すまいとしているようだ。


「……止まって、兄上様」


 出迎えたのは妹のイクサリアだ。

 彼女は無感情な視線を実の兄に向けて立ち塞がるようにしてそこにいた。


「念のために聞くけどアムリタを捕えに来たわけではないよね?」


「そんなはずはないだろう。見舞いだ」


 疲れた様子で首を横に振る国王。

 自分の周囲に容疑者としてアムリタの身柄を確保するべきだと主張する者はいたが自分の判断でその必要はないとしてある。

 十二星の地位にあるものが王女を殺害することなどありえないだろうと言いたいがアムリタとリュアンサの関係については一部の者は凡そ事実を察している。

 痴情のもつれではないのかと言われてしまうと反論しにくい。


「そう。ならいいけど、どちらにせよアムリタには会えないよ。意識が戻らない。面会謝絶だよ」


「そうか……」


 苦渋に満ちた表情で王が足元を見た。


「捜査は進めているの? 黒羊星には何かした?」


 事件の後でロードフェルド王はアムリタとリュアンサが進めていた黄昏の会や魔薬に関する操作や分析の話を初めて聞かされた。

 会のメンバーに『黒羊星』のギュスターヴがいる事もだ。


「ギュスターヴには出頭命令を出してある。……しかし、あの男がな。正直……まだ何かの間違いではないかと考えてしまう」


 ギュスターヴ・デュ・バエルは勤勉実直を絵にかいたような男であった。

 だから十二星に抜擢されたのだ。

 あのヴォードラン大王も「面白味はない男だが、仕事ぶりに関して奴ほど信頼できる男も他にいない」と彼のことを評していたほどである。


「彼の評価に付いてはどうでもいいよ。もし姉様を殺したことに関与しているのなら容赦はしないでよ、兄上様」


「わかっている……ッ!!」


 ロードフェルドは握りしめた拳を震わせている。


「もしも奴の差し金であればこの手で縊り殺してやる!!!」


 声を荒げ、そして王は再度下を向く。


「リュアンサ……」


 苦し気なその呟きの語尾は押し殺しきれない感情が滲み、僅かに震えていた。


 ……………。


黒羊星(ゴート)』のギュスターヴは王命に背き王宮へは出頭してこなかった。

 これにより彼が事件に何らかの形で関与しているということは決定的になった。


 デュ・バエル家の屋敷は今炎に包まれている。

 宵闇の空に赤々と立ち昇る炎。

 幻想的な赤い世界。

 一族が数百年の間暮らしていた屋敷が今、灰に還ろうとしている。


「……根が貧乏性なもので、どうにも勿体なく思います」


 大型自動車のハンドルを握るロッカクが軽く肩をすくめた。


「別に燃やさなくてもよかったんじゃないですかねえ?」


「構わん。もう私がここへ戻ることはない」


 後部座席のギュスターヴが静かに告げて目を閉じる。

 常である彼の鉄面皮はそのまま。

 長年暮らしてきた我が家が燃え落ちようとしている現在、何かを思っているのかは外からは窺うことはできない。


 黒い高級車が走り始める。


「我が家のみならず……王国の全てはこれより崩れ落ちる。今日が黄昏の日だ」


 ギュスターヴは一度も背後の自分の屋敷を振り返ろうとはしなかった。


 ─────────────────────────────────────


 ……アムリタ・アトカーシアがゆっくりと目を覚ます。

 気分は、それほど悪くはない。

 熱はもう引いている。


「おはよう、アムリタ。気分はどうかな?」


 眠っていた間イクサリアが自分の手を握っていてくれたらしい。

 右手を離れていく温もりが少しだけ名残惜しい。


「全部、悪い夢だったらって……」


 口にする自分に、寂し気に微笑むイクサリア。

 それで……自分の悪夢は現実であった事を知る。


「あはっ、ねえ、見てイクサ。真っ黒」


 自分の髪の毛を一房摘まんで持ち上げるアムリタ。

 彼女のトレードマークだった美しい翡翠の色の髪の毛……それが今は漆黒に染まっている。

 艶やかな漆黒の髪に、そして瞳の色も変貌してしまっており深紅。

 眠っている間に変わってしまった髪の毛と瞳。

 それはまるで彼女の内面の絶望が……闇が表出してしまったかのようで……。


 艶やかな黒髪を揺らしてアムリタが笑う。

 空虚で冷たい微笑みだった。


「変なの。ね、そう思うでしょ? イクサ」


「ううん。奇麗だよ、アムリタ」


 無邪気に笑っているアムリタにイクサリアは優しく口付ける。


 ゆっくりと唇を離してそれから窓に向かって歩いていくアムリタ。

 アムリタの屋敷は高台に建っていて王都の夜景を見下ろすことができる。

 その街が……燃えている。

 そこかしこで炎が上がっている夜の街。

 まるで篝火のようだ。


「綺麗ね……」


 ゆらゆらと揺れる炎を瞳に映して……街を焼く火をうっとりと見つめてアムリタが笑っている。


「キミが倒れてから……今日で三日。王宮や街の人たちが次々に魔物に変わっていってね。無差別に暴れ始めたんだ」


 そんなアムリタに後ろでイクサリアが語る。


 王都はすぐに恐慌状態に陥った。

 何しろ有事にはそれを鎮圧する役割である騎士団や衛兵たちからも大量に魔獣に変じるものが出た為に騒ぎを収めるものがいないのである。

 誰もが自分とほんのわずかの身の回りの者たちを守るのだけで手一杯で……その身近な者すらもいつ魔物に変化してしまうかわからない。


 都市機能は麻痺して今もそこかしこで破壊と殺戮が起こっている。

 王宮ももう魔物たちが闊歩しており王も他の十二星たちもどうなったのかはまったくわからない。


「ふーん……」


 そんなイクサリアの壮絶な話をアムリタは大して興味もないような様子で聞いている。


「まあ、どうでもいいわ。煩わしいものは全て叩き潰して消してしまいましょう。皆殺しよ。……リュアンサが向こうで寂しくないように、大勢送ってあげないとね」


 漆黒の魔女が酷薄に笑う。

 赤いオーラを湯気のように立ち昇らせるアムリタ。

 風もないのに彼女の黒髪がゆらゆらと広がって揺れている。


「わかったよ。全てキミの望むがままに。私のお姫様」


 イクサリアが恭しく騎士のように一礼する。


「お姫様は貴女でしょ」


 王女に向かって笑うアムリタ。

 在りし日にもあったやり取りだ。

 だけど、今のアムリタの笑みにはあの時の陽だまりの暖かさはなく……どこまでも暗く、どこまでも冷たい。


 イクサリアは……アムリタの為に生きている。

 それは彼女が憎悪の闇に落ちて全ての殺戮を望んだとしても些かも揺らぐことはない。


 アムリタが右手をかざすとそこに闇が集まり形を変えて大きな鎌になった。

 まるで死神のカードの絵柄のような巨大な三日月形の刃を持つ鎌。


「……ああ、調子がいいわ。今ならいくらでも殺せそう」


 そう言って漆黒の魔女は瞳を細めて熱い吐息を吐くのだった。

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