落日
大王ヴォードラン・フォルディノス、崩御。
彼は数日前から昏睡に入っており、そのまま目を覚ますことなく息を引き取った。
建国王以来の英雄と言われ最も領土を広げた大王の死は一つの時代の終わりを告げた。
……………。
国を挙げた葬儀から半月程が経過したが今もまだ街中に喪章が掲げられている。
献花台には今日も喪服の者たちが長蛇の列を作っている。
地方からその為にやってきている者もかなりいるようだ。
四つ葉探偵事務所の所長室の窓から通りを行く黒服の人々を見下ろしているマチルダとクレア。
「正直傍迷惑なオッサンってイメージが強いんだけどさ。死なれてみるとちょい寂しくて悲しい気分になるな」
「間違いなく希代の傑物ではあったのですよ。細かいことを言えば突っ込み所も満載の人ですけどね」
大王のはちゃめちゃ部分が生んだトラブルに巻き込まれることになったこの二人にとっては中々簡単には言い表すことのできない相手だ。
……………。
夜半過ぎにようやく自分の屋敷に戻ってくることができたアムリタ。
彼女はふーっと長く息を吐いて背筋を伸ばしたり肘や膝を回してみたりしている。
長く直立の姿勢でいたので全身が強張ってしまっているのだ。
「お疲れさんっス。ご主人」
コートを受け取るマコトがそんな彼女を労う。
「私は帰ってこれるだけまだマシよ。イクサは後何日かは泊まりになるわね」
連日王宮には他国から弔問の為に多くの王族貴族や上級の政治家が訪れているのだ。
アムリタも十二星の一人として王家の者たちと共に彼らの対応に当たらなければならなかった。
それにしても凄い弔問客の数だ。
今日も何国もの王族や使者に対応した。
既に権力の座を退いた先代王なのにである。
「何だか疲れすぎて逆に眠くないわ。……ちょっとコーヒーを持ってきてもらってもいい?」
「了解っス」
アムリタが居間の長椅子に腰を下ろすとすぐにマコトがコーヒーを持ってきてくれる。
今日は甘めがいい。
多めの砂糖を入れて飲む。
「……ご主人」
いつの間にか近くにいたマコトが頬をハンカチで拭ってくれた。
それでアムリタは自分が涙を流していることに気が付いた。
「……………」
死んだと聞かされた時も、それから半月の間も一度も涙は出なかったのに。
何故今になって自分は泣くのだろうか。
自分の人生を引っ掻き回した男であるというのに。
彼が何事もなく最初から後継者にロードフェルドを指名していればクライス王子も他の大勢も死なずに済んだであろうに。
「う~~……」
わからない。
わからないけど、アムリタは泣いた。
それからしばらくの間彼女は泣き続けた。
────────────────────────────────
そんなある日、王宮でギュスターヴを見掛けた。
『黒羊星』の十二星。立場的には後輩にあたるが自分よりもずっと威厳のある男。
年齢は確か……四十になるかならないかくらいだったはずだ。
そんな彼は豪華な装丁の分厚い書物を手にしていた。
王国の紋章が表紙に箔押しされている。
「……建国史、ですか?」
「ええ。こういう時だからこそ我らの王国の成り立ちを振り返ってみようと思いましてね」
アムリタの言葉に頷くギュスターヴ。
こういう時とは大王が死んだからという事であろうか?
後発として十二の星に加わった彼が振り返ってみたいという王国建国の歴史。
六百数十年前、現在の王国の領土を支配していたのは別の国だった。
「狂王」と呼ばれて恐れられていた男が支配していた王国だ。
狂王は圧政を敷いて国民を力と恐怖で支配し、逆らうものは容赦なく処刑した。
この独裁者がそれだけ思うがままに振舞うことができたのは、彼は古い強力な魔術師の家系の末裔であり自らも強大な魔術師であったからだ。
狂王の国は魔術によって支配されていた。
最盛期には王城を魔術で空に浮かせていたという伝説もある。
闇の時代が続き人々は苦しみ絶望していた。
そんな時に一人の若者が狂王を打倒するために立ち上がった。
後に王国を建国し初代王となる若者である。
彼は焦らずに少しずつ慎重に仲間を増やしていった。
そうして、彼の同志として十二人の優秀な魔術師が集った。
そして長く苦しい戦いの末に若者と十二人の魔術師は狂王を打倒し彼の王朝を滅ぼしたのである。
若者は新たに国を建て、十二人の同志に星の称号を与えて最上位の貴族とした。
それが……十二星の成り立ちだ。
……………。
「……お互いに新たな星として、この国を支えていきたいものですな」
「はい。おっしゃる通りです、ギュスターヴ卿」
相変わらず彼の語り口は淡々としている。
それでもアムリタは微笑して肯いた。
(やっぱり真面目な人みたいね。初対面の時はどうしてこの人を怖いと思ったのかしらね……)
内心で首を傾げつつ歩いていくアムリタ。
その後姿を見送るギュスターヴの傍らに物陰から黒灰のコートの男……ロッカクが姿を現す。
陰気な男は口元だけに薄く笑みを浮かべて主人と同じく去り行く楽園星を見た。
「随分と好意的ですなぁ?」
「彼女のことは尊敬している。結果を出した者と地獄を見てきた者の言葉には重みがある。……彼女はそのどちらもだからな」
話しかけてきたロッカクの方は見ずに静かに語るギュスターヴ。
「滅ぼさねばならない存在だが、私の評価が変わるわけではない」
そう言って目を閉じる黒羊星であった。
─────────────────────────────────
大王の葬儀で普段は隣国で暮らしている『硝子蝶星』の十二星、シャルウォート・クラウゼヴィッツが王国へ戻ってきた。
彼はユフィニア王女と結婚し現在は出向のような形でランセット王国で生活をしている。
アムリタとは連絡は取り合っていたものの直に顔を合わせるのは五年半ぶりである。
「これまたすっごい美人さんを連れて帰ってきたねぇ」
少し離れた場所に立っている喪服代わりの黒い装束姿のトリシューラを見ておどけて肩をすくめているシャルウォート。
人前に姿を現すことが珍しいエルフである事と絶世の美女であること……二つの要因から葬儀やその後の弔問の間も彼女は誰よりも人目を集めていた。
「いつもみたいに君がたらしこんできたんだろ?」
「シャル! ちょっと……人聞き悪いわね!」
目を三角形にしてシャルウォートを睨むアムリタであるが否定もできない。
「何かある度に毎回毎回美女は君の味方になって話は丸く収まるじゃないか」
そう言ってシャルウォートは笑っている。
また微妙に反論しづらい所を突かれてアムリタは黙った。
こういう軽口を叩き合えるのも彼との関係の気安さである。
「王国での生活は二年目? 普段は何をしているの?」
「屋敷の診療所に改装してもらってね。向こうのお偉い方々を診てるよ。まぁ、半分以上はお喋り目的で来る方々ばかりさ」
苦笑するシャルウォート。道化じみたお調子者だが優秀な医師という一面もある彼。
王妃に気に入られていたことを思い出すアムリタ。
人にあれこれと言ってくれるがこの男はこの男で中々の人たらしなのだ。
どこへ行っても味方を作ってそれなりに上手くやっていけるだろう。
……………。
大王の葬儀に伴う再会は他にもあった。
……先日のことだ。
「……ちょっと」
見かけた黒い着物姿の、自分と同じ髪の色の女の袖を引くアムリタ。
彼女とも五年ぶりの再会だ。
「あら……」
それで足を止めて柳生キリエは振り返った。
王宮では彼女は何者でもないはずなのだがどういう名目で潜り込んでいるのだろうか。
「どうしたの? 私に何か御用かしら」
面白がるように袖で口元を隠してキリエはくすくすと笑っている。
「私が用っていうか……。あっちの姿で来てあげなさいよ。お爺さんの」
彼女の世を忍ぶ仮の姿は十二星『冥月』鳴江家の当主、鳴江柳水老人である。
大王とは親友で共に三聖と称されていた人物だ。
ヴォードランは結局鳴江柳水という男の正体が柳生キリエという大魔女である事は知らないままに世を去った。
それなら柳水の姿で見送るのが礼儀ではないだろうか……そうアムリタは思ったのだ。
「ふぅ~ん?」
キリエは何となく意味ありげな笑みでアムリタを見ている。
「何よ」
「ヴォードランに優しいのね。彼のせいであなたも随分と酷い目を見ていると思うのだけど?」
確かにそういわれればそういう事もあっただろう。
アムリタはちょっと複雑な表情になる。
「そうかもしれないけど、恨むにはちょっと私とあの人の関係は複雑すぎるわ。通しで考えると結論としては『こういう人だからしょうがないか』って感じ」
そう言うとキリエは控えめながら結構笑っていた。
「まさか何十年か越しに彼に対する一致した感想を親子で共有できるとはね。人生って面白いわね」
キリエが引き返していく。
アムリタの言う通りに柳水の姿に変化しにいったのだろう。
つまりは彼女……鳴江柳水もヴォードラン大王にはしょうがないと思いつつも振り回されて来たという事か。
あの超然としていて他者など知った事ではないと生きているように見える彼女でもそのように振り回すだけの熱と力が彼にはあったのだ。
そう言えばかなりの事をしてきた男だというのに彼を悪く言う人はほとんどいなかったように思う。
いつも苦言を呈していた三聖の一人であり彼の片腕で親友だったシーザリッドも人前で涙を見せることはなかったが見た事もないような寂し気な顔をしていた。
「……アムリタ」
声を掛けられて振り返る。
そこには顔にヴェールを下ろした喪服姿のエスメレーがいた。
「……お祈り、してこれたわ。ありがとう」
礼を言う彼女にアムリタが小さく笑って首を横に振る。
元王妃である彼女は世間的には現在も祖国の修道院にいる事になっている。
なのでアムリタの関係者という名目で弔問に来ているのだ。
「……愛も、情も、もうすっかりなくなってしまっていたと……思って、いたけど」
うつむくエスメレー。
「旅立たれてみると……少し、寂しい気がするわ。不思議ね」
政略結婚で嫁いできた彼女と、妻の事は子供を産ませるためだけの存在と割り切っていたような大王。
それが当人同士の認識だった。
それでも……。
きっとそれだけではなかったのだ。
例え当人同士が気が付いていなかったとしても。
人と人とはそんなものなのかもしれない。
エスメレーの横に寄り添うように立ち、そんな事を考えているアムリタであった。




