「黒羊星」のギュスターヴ
『王都治安局』
近年創設された王都の治安部隊を統括する部署である。
初代局長を務めているのはミハイル・ブリッツフォーン。
十二星『白狼星』の若き当主であった。
「……帰れ。仕事中だ」
「ちょっと……!!!」
五年ぶりに顔を出した友人にこの一言。
会わない間に少しは人当たりも柔らかくなったのではないかというアムリタの想像をブチ壊すミハイルの相変わらずの辛辣さ。
「私は貴方が取り纏めている四つの部隊の内の一つを出している家の当主! つまりこの訪問は業務の範囲内!! ……そうでしょ?」
「……フン」
白狼星のミハイルはこの五年でほとんど容姿は変わっていない。
相変わらず彼は鋭利な雰囲気を身に纏って若干常に不機嫌そうだ。
「変わっていないわね。安心したわ」
「お前は変わらな過ぎだ」
皮肉を言いながらコーヒーを淹れてくれるミハイル。
自分がコーヒー党だと覚えていてくれたようだ。
「ご結婚されたんですってね。遅れてしまったけど、おめでとう」
マグカップを受け取ったアムリタが笑顔で言う。
それに対してミハイルはぶっきら棒に「ああ」とだけ応えて肯いた。
「……父の紹介で会った人だ」
流石にそれだけでは言葉足らずが過ぎると思ったのか、そう付け足してくる。
「どんな方? 私も会ってみたいな。意地悪してないでしょうね?」
少しだけ意地悪く笑うアムリタ。
今まで自分が彼に取られた態度を鑑みればこの程度は言ってもいいはずだ。
「私には勿体無い気立ての良い人だ。彼女は温厚で物静かだが芯は強い。私に思うようにされるような人ではない」
てっきり「お前には関係が無い」とでも言われると思ったが意外と素直にミハイルは語ってくれた。
それを語っているときの彼の表情の穏やかさは五年前にはなかったもので……。
満ち足りた様子のミハイルを見るアムリタは彼が自分を五年前に好きだったかどうかなど、心底どうでもいい事だと思って暖かい気持ちになった。
……そんな二人の様子を、間近で黙って見つめている馬鹿デカいカニであった。
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王宮内、『紅獅子星』エールヴェルツの執務室。
「正直、かなり難しい任務だと思っていたが……。無事に戻ってきたと聞いた時は私も安堵したよ」
穏やかに笑うシーザリッド。
偉大なる三聖の一人である彼も五年で少し老け込んだように見える。
「ご挨拶がすっかり遅くなってしまい……」
恐縮して頭を下げるアムリタに構わないとシーザリッドが笑った。
「毎日忙しくしているのだろう。私も今は最後の引継ぎで少々バタバタしているが、それが終われば後はもうずっと暇な毎日だ」
彼は間もなく息子であるレオルリッドに当主の地位を譲り引退する。
最後の三聖が政治の場から去る事になるのだ。
「これからはレオと共にこの国を支えていってくれ」
「微力ながら……全力を尽くします」
微笑んで頭を下げるアムリタ。
口ではそうは言ったものの、そこまで滅私奉公する気はないのであくまでも「可能な範囲で」という話になるがそんな事を馬鹿正直にここで口に出すほど空気が読めないわけではない。
そこへ扉がトントンとノックされ一人の少女が入ってきた。
ブロンドでやや勝気そうな顔立ちの整った少女である。
見た感じ年齢は十代半ばと言ったところだろうか……?
「御祖父様、書類の提出は終わりました。……あっ」
堅苦しい動作でシーザリッドに頭を下げた少女が、そこでアムリタの存在に気が付いて声を出す。
(おじいさま……? レオは一人っ子のはずだけど……)
そんな彼女に優しく微笑みかけながら内心では眉を顰めているアムリタ。
「ご苦労だったね、エリー。『楽園星』のアムリタ様だ。ご挨拶なさい」
「は、はいっ! お初に御目に掛かります、エリーゼ・エールヴェルツです。よろしくお願い致します……!!」
緊張からか若干ぎこちなく自分に向かって頭を下げるエリーゼにアムリタも丁寧に自己紹介を返す。
聞けば……彼女はヴォイド家が滅ぼされた時にレオルリッドによって引き取られた孤児の一人であるという。
現在はレオルリッドの養女としてエールヴェルツ家で暮らしている。
9歳の時に引き取られたらしいので現在は14歳か。
(……おや?)
そのエリーゼが自分を見る視線に一瞬だがほんの僅かに敵対心を感じ取ったアムリタ。
憎悪や害意というほど強い感情ではなさそうだが、何となく自分はよく思われていないような……?
(はて、何ゆえ彼女にキライと思われているのかしら、私は)
考えてみたが理由らしきものはパッと思いつかない。
何しろ初対面だ。
ヴォイドの家が消滅したのは遠因に自分がいるのは確かだが、自分を拉致して暗殺者に育て上げようとしていた者たちにそこまで義理を感じているわけでもあるまい。
大体がそれが理由なら直接滅ぼしたレオルリッドにもっとストレートな憎しみがいくだろう。
「御祖父様、今日はパパ……じゃない、レオルリッド様は」
「レオは今日は仕事で遅くなるそうだ。夕食は私と取ろう。そうだ、久しぶりにママも呼んで外に食べに行こうか」
そう言ったシーザリッドはすっかり「お爺ちゃん」の相好だ。
突然できたこの孫娘を彼なりに大事にしている事がわかる。
……それはそれとして。
(今のレオの話は私に聞かせるために、あえてした感じがする……!)
ピンときたアムリタ。
そして今日は一緒に食事を取れないと聞いた時の彼女はほんの微かにだが露骨に落胆していた。
つまり本来の彼女の思惑としては「自分は今日はレオルリッドと一緒にお食事なんですけど?」とアムリタに聞かせてやるつもりで始めた会話という事になり……。
(読めたわ! この子、私にライバル心を持っているのね!!)
頭の中に散らばっているパズルのピースが綺麗に嵌まって一枚の画像を完成させた。
そこに描かれていたのは「嫉妬」と題された絵画である。
(大好きなパパを私に取られるかもって警戒しているのね。普段、私の話をどう聞かせているのよ……レオ、あいつはも~……)
初対面の相手にこんな嫉妬の炎の篭った目で見られる位だ。
少なくとも普段の会話から彼が自分に対してある程度の好意を持っていることは見抜かれているのだろう。
彼の性格からして露骨にそういう話をしているとは思えない。
つまりは世間話からアムリタが好きだという事が漏れ出てしまっているという事だ。
やれやれ、と内心でため息を付くアムリタである。
この小さなお嬢さんの可愛らしいジェラシーをなんとか払拭してあげなければ……。
(大丈夫よお嬢さん、貴女のパパと私はそういう関係ではないから)
優しくエリーゼに微笑みかけるアムリタだったが……。
(うぅーッ!! 余裕の笑みッッ!! 見下されてる!! あなたにパパは渡さないんだからッッ!!)
……あんまりエリーゼには伝わっていないどころか煽ったように受け取られているのだった。
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シーザリッドの執務室を退出したアムリタ。
彼女は上機嫌であった。
(若いっていいわね~。私にもあんな頃があったのかしら? よく覚えてないわね。後ろから心臓を剣でブッ刺された思い出はあるんだけど)
ほんわかした気分で足取りも軽いアムリタ。
退出している時に自分がエリーゼのドロドロした視線に見送られている事も知らず……。
そんな彼女が廊下を歩いていくと……。
向こう側から数名の集団がこちらに向かって歩いてくる。
一人の地位の高い男と、その周囲の従者たちといった様子だ。
男は灰色の長い髪のシャープなイメージの中年男。
背が高く黒いローブ姿で学者か魔術師といった風貌だ。
物静かで落ち着いていて、それでいて圧倒的な存在感がある。
多くの者を従える立場の……人の上に立つ者の雰囲気を持つ男だ。
こういった場合、身に付いた癖でついアムリタは道を譲って一礼してしまいそうになる。
だが今の彼女がこの国で道を譲らなければならない相手は王家のほんの数名しかいない。
そうでない相手に自分が譲ると逆におかしな事になってしまう。
なので仕方なしにそのまま進み、そうして両者は廊下の真ん中で顔を合わせた。
「これは……『楽園星』様」
ローブの男がよく通る低い声で言う。
自分よりも大分背が高い。目線は相手が大分上だ。
「お初に御目に掛かる。私は『黒羊星』のデュ・バエル家当主ギュスターヴと申す。以後お見知り置きを願いたい」
「ご丁寧に痛み入ります、ギュスターヴ卿。『楽園星』アトカーシア家のアムリタでございます。こちらこそ以後よしなに」
『黒羊星』のギュスターヴ……名前だけは聞いていた。
自分のいない間に任命された十一番目の星。
これまでに顔を合わせていなかった最後の十二星だ。
元々は財務局の御偉方で三聖であるシーザリッドの片腕として辣腕を振るっていた有能な男だという話だ。
なるほど、所作といいオーラといい自分よりもずっと十二星らしい男である……ギュスターヴ・デュ・バエル。
元々十二星でなかったのがおかしいのではないかと思うほどだ。
「今日はこれよりロードフェルド王にご報告申し上げねばならぬ事がある故、いずれゆっくりとこれまでのご活躍等をお聞かせ願おう」
そう言ってギュスターヴは優雅に頭を下げて立ち去っていく。
それを見送りながらアムリタはどうした訳か心の中に言いようの無い寒気と不安が広がっていくのを感じていた。
……何故だ?
間違いなく王を、国を立派に支えていくであろうあの力のある男を見て、どうして今自分は心の中に強い死と破壊のイメージを思い浮かべるのだろうか?
先ほどシーザリッドやエリーゼと会って心の中にあった小春日和のような心地よさが今は真冬の極寒の中に放り出されたようだ。
(この嫌な予感はなんなのかしらね。自分の後輩があまりにも大物っぽかったから何コイツみたいに思っているのかしら。了見が狭いわね、私……)
もやもやと心の中に暗雲のように広がっていく寒気に首を傾げるアムリタであった。




