万能メイドのマコトさん
丸っこい……とても大きい。
体躯もそうであるが、口から下に向けて伸びる二本の巨大な牙がとんでもなく目立っている。
彼はそんな男であった。
黒い円らな瞳がチャーミング。
「お初にお目にかかります、アマデウス様」
そんな限りなくセイウチな彼にアムリタが優雅に頭を下げる。
「ヨロシクねぇ、アムリタさま。アタシは『北極星』ズィーゲン家のアマデウスよ。どうか気軽にマダムと呼んで頂戴。『楽園星』のアムリタさまの御高名はかねがね伺っているわ。お若いのにかなり……ヤル感じね? ステキよ」
……オネエである。
のんびりとした動作で礼を返すセイウチの獣人、マダム・アマデウス。
「十二星に就任してすぐに反乱軍を鎮圧して、その後でさる大国との難しい交渉をお纏めになられたとか……スッゴイじゃない。マダムもビックリよ」
帝国との交渉を纏めたアムリタ。
だがその詳細は相手国の情報を含め未だ伏せられている為、マダムを始め王国の上層の者たちも非常にぼんやりとした話しか伝わっていない。
マダム・アマデウス……彼は自分が不在だった五年間で新たに任命された十二星の一人、王国史上で初めての獣人の十二星である。
十二星としてはアムリタが先輩となるが、何しろ任命されて間もなく長く国を空けてしまっているので気分的にはむしろ後輩であった。
マダムは国内の大きな獣人たちのコミュニティを纏め上げていた人物であったらしい。
……確かに謎の貫禄がある。
国内の獣人たちと王家は、クライス王子がウォルガ族の集落を攻め滅ぼしてから関係が悪化していたのだがロードフェルド王が何度も丁寧に話し合いを行い、ようやく彼らの中から十二星を迎えられるほどに両者の関係は良好化していた。
ロードフェルドの屋敷でマダムに引き合わされたアムリタ。
マダムの話を笑顔で聞いていたアムリタであったが、何やら途中で怪訝そうな表情になりそこからどんどん顔色が悪化していった。
「……ん? どうした? 何を顔を引き攣らせている?」
アムリタの様子がおかしい事に気付いたロードフェルドが声を掛ける。
「あ、あ、あの、そのですね……王様、ガブリエル様の……『棘茨星』ユーベルバークのお屋敷の住所を教えて頂けますでしょうか……」
アムリタは唐突に思い出してしまったのだ。
戻ってからずっと胸のどこかにあったわだかまりの正体。
『棘茨星』ユーベルバーク家の当主ガブリエルはアムリタの為にエルフの情報を得ようと国外へ旅立った。
自分はそれをそのままにして帝国に出発してしまっていたのだ。
自分の為に遠方へ向かったガブリエルを放置してしまっていたのである。
「ああ、その話か……」
慌てまくっているアムリタから早口の説明を受けた王は納得して肯いた。
「その話なら……まあ、俺が色々と言うよりも本人に会って話をした方がよかろう。車を手配するから行ってこい」
王の申し出に青い顔のままカクカク肯くアムリタであった。
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屋敷の敷地に車を突っ込ませて再会したガブリエルに身体が二つ折りになるのではないかと思うほどに深く頭を下げるアムリタ。
「……本当に、ほんっとーに申し訳ありませんでしたッ!」
五年ぶりに再会したガブリエル。
相変わらず彼は大柄なマッスルであったが、帝国でラシュオーンを見てきたアムリタにしてみると若干サイズに物足りなさを感じてしまう。
……筋肉に対する判定基準が完全におかしくなっているアムリタだ。
「はっはっは! 何かと思えばそのお話でしたか!! ……お戻りになられたと聞いてご挨拶に伺わねばと思っていた矢先の事でした!!」
突然のアムリタの全力謝罪にポカンとしていたガブリエルだが、事情を理解すると豪快に明るく笑い飛ばす。
まずはお上がりください、と促されて平身低頭のまま屋敷の中へ案内されるアムリタ。
応接間に案内されて彼女は改めて『棘茨星』の当主と向き合う。
「いやぁ……実はですなぁ、私の方もアムリタ様ほどではないにせよ行った先で色々とありまして……」
当時を思い出して苦笑しているガブリエル。
「結局王国に戻ってくるまでに九か月近く掛かってしまいましてね! もしもお待たせしていたらそれだけアムリタ様のご出発が遅れていたという事になってしまいます。既にお出になられたと聞いた時は安堵したものですよ、はっはっはっはっは!!」
聞けば……向かった先のエルフのコミュニティで彼は不審人物として捕らえられ長く拘束されていたのだという。
そこのエルフは人間種族を奴隷とまでは見なしていなかったが信用ならない種族だと言う不信感は持っていたのだ。
地道な説得により彼らの信用を得るまでにガブリエルは半年以上を費やした。
「私のせいでそんな事に……重ねてお詫び申し上げます」
居た堪れない気持ちでアムリタが再度謝罪する。
「いやいや! どうかお気になさらず! 悪い事ばかりでもございませんでしたよ!! ……少々お待ち頂けますか!!」
そう言うとガブリエルは席を立ち、少しして一人のエルフの婦人を伴って戻って来た。
穏やかで気品があるブロンドの美しい女性である。
エルフ女性は優雅な所作でアムリタに一礼し、アムリタもそれに応えた。
「妻です。その時に知り合いましてね。一緒に王国に来てもらいました」
「まあ……」
照れ笑いしているガブリエルに、はにかんでいるエルフ女性。
「王様にも素晴らしい事だと言って頂きましてね。そういうわけですので私としても得難い旅となりました」
彼と夫人が架け橋となり、現在もそのエルフの集落とは細々とだが人と物品の交流があるのだという。
アムリタと同様にガブリエルもまた王国とエルフ種族の交流を導いていたのだった。
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大王の呼び出しがあり、アムリタは彼の私室にやってきた。
現在は王位を息子ロードフェルドに譲り隠棲の身となったヴォードラン。
大王とは彼の名誉称号なので呼び名はそのままだ。
初めて入る大王ヴォードランの私室はアムリタが想像していたよりもずっと小さく質素なものであった。
豪奢な飾りも美術品もない。
恐らくは大王愛用の品なのだろうと思われる武具があちこちに無造作に置かれている。
そんな部屋の、大国の王のものとしては些か簡素に過ぎると思うようなベッドの上で大王はアムリタを出迎えた。
「……こっちへ来い」
「はい、大王様。失礼致します」
かつて太く力強かった大王の声。
聞く者の臓腑を痺れさせるかのような重厚感のあったあの声が、今は掠れていてか細い。
注意して耳を傾けなければ聞き逃してしまいそうだ。
頭を下げてベッドの大王の方へ歩いていく。
そのアムリタの心中は複雑だ。
自分が旅立った後で大王が病に倒れた事は聞いていたが……。
あの大王が……強大だった王国の支配者が……。
今では見る影もなく痩せ衰えてそこにいた。
「話は聞いている。……大義であったな」
「勿体ないお言葉でございます」
すっかり頬骨が浮いてしまっているヴォードラン。
艶を放って黒々としていた髪も髭も今は白に近い灰色である。
五年で……人はここまで変わってしまうものかとアムリタは世の無常を感じずにはいられない。
「お前のお陰で地獄へ持っていく自慢話が一つ増えたわ。……わしの人を見る目も確かであろうとな」
大王が笑う。咳き込んでいるのかと判断に迷うような声で。
何と答えていいのかわからずにアムリタは黙っている。
……思えば、自分のこれまでの人生はこの男に振り回され続けてきたようなものであった。
全ての発端となったクライスによる自分の暗殺事件も彼の一言が無ければ起こらなかったはずだ。
そうしたら、今頃自分は何事もなくクライスの妃となっていた事だろう。
つい最近も大王の言葉が発端となって帝国でえらい目に遭ってきたばかり。
だというのに、どうしてか恨み言は出てこない。
この大王の言動に悪意はないという事がわかっているからだろうか。
……悪意さえないのなら何をしてもいいと思っているわけではないが。
わからない。
わからないが……。
「……健やかであるか? アムリタよ」
「はい、偉大なる大王様のお陰でございます」
……結局のところ今現在が不幸ではないのだから、これまでの道のりも「そう悪いものではなかった」と総括するしかない。
とりあえずは何が起きようがそう悲観する事無く問題に体当たりでぶつかろうとする頑丈な精神性は培われたのだ。
それだけでもまあ人生にとってはプラスだろう。
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薄暗い路地裏に何体かの人でも獣でもない何者かが倒れ伏している。
獣人……でもなさそうだ。
一匹は一見人狼だが、よく見れば身体の各所に魚類のようなヒレがある。
そして尾も爬虫類らしきもののそれだ。
もう一匹はゴリラのようで、頭部に触覚があり両腕の肘から先は甲殻類のようなハサミ。
最後の一匹はフクロウに似た鳥人のようだが後ろ足はライオンかチーターのような形状をしておりサソリの物に酷似した毒針を有する尾が生えていた。
いずれも複数の生き物の特徴を有した、言うなれば合成獣の獣人か。
三匹ともピクリとも動かない。
周囲には血の匂いが満ちていた。
「……………」
そしてそんな異形の者たちを冷たい目で見下ろしている一人の細い目のメイド。
俄かに周囲が騒がしくなり数名の足音が近づいてくる。
やってきたのは黒い軍服の帯剣した戦士たちである。
全員が腕には百合の紋章の腕章をしている。
『楽園星』アトカーシア家に所属する剣士たちだ。
「……あれ? マコトさん」
剣士たちの先頭に立つ黒髪ストレートロングの女剣士が驚いて足を止めた。
「どーもっス。ちょっと事情がありましてお先させてもらってたっスよ」
周囲の惨状を示してマコトが微笑する。
「一匹も死んではいないはずなんで……。後お任せしていいっスかね?」
マコトの言葉にシオンが頷くと、メイドは集った剣士たちに会釈しつつどこかへ歩いて行ってしまった。
「殺してはいないって……あの方、お一人でですか?」
誓約剣士隊の隊士の一人が怪訝そうに眉をひそめている。
合成獣人はパワーとスピード……そしてタフネスも併せ持つ凶悪な魔物だ。
熟練の強者揃いである誓約剣士隊でも一体に必ず三人以上で当たることを徹底しているほどだ。
それを三体一人で相手にして、しかも殺さずに無力化するなどと……俄かには信じられない話であった。
「あの人はそれができるんですよ。御当主様の護衛ですからね」
そう言って隊士に何故か自分が自慢げに胸を張るシオンであった。




