楽園星の帰還
青空に向かって勢いよく黒煙を吐きながら力強く蒸気機関車が線路を進む。
「見えてきたわ! 王都よ……! 私たち本当に帰ってきたのね……」
窓から身を乗り出しているアムリタの視界が涙で滲んだ。
「ご主人、危ないっスよ……」
マコトがそんなアムリタを車内に引き戻し、ついでにハンカチで涙を拭ってくれた。
「ごめんなさい、ありがとう。思わず感極まっちゃった」
座席に戻ったアムリタは照れて苦笑している。
「それにしても便利になったものだね。まさか『蒼玉の森』のすぐ近くまで汽車が走っているとは」
感心しているのはイクサリアだ。
五年ぶりの王都を見てもアムリタのように感情が揺れ動いた様子もなく普段通りに涼やかに微笑んでいる王女。
王国に帰ってきたアムリタたち。
彼女をまず驚かせたのは『蒼玉の森』を出るとすぐ目の前を横切るように敷かれたレールであった。
五年前にはなかったものだ。
アムリタたちが不在の間に敷設されたものなのだろう。
お陰で線路沿いに歩いて辿り着いた駅から王都に直通する汽車に乗ることができた。
「五年か……帝国にいる間の事は一瞬のように感じるけど、この調子だと王都もどこがどう変わっているのかわからないわね」
「王家がなくなっているかもね」
自分の言葉に冗談めかして笑うイクサリアだが、いざそうなったらそうなったで一向に彼女は気にしないのだろうな……と、そう思うアムリタである。
「それはないでしょうけど、アトカーシア家がなくなっている可能性は結構ある気がするわ……。シオンもアイラもエスメレーも皆無事かしら」
口に出したら俄かに不安になってきたアムリタ。
何しろ連絡もなしに五年間の不在である。
自分たちの置かれていた状況だけはキリエがちゃんと頼んだ手紙をロードフェルド王子に届けてくれさえいれば伝わっているはずだが……。
……………。
汽車を降りたアムリタたちが王都へ出る。
「うわ……」
街中の様子は五年前とはまったく変わってしまっていた。
道路は車道と歩道にきちんと分けられ、そこかしこに信号機がある。
車道を走っているのはほとんどが蒸気式自動車で馬車はほんの少し見かける程度。
「ほう……以前とは馬車と自動車の数が逆転しているな」
顎髭を撫でてウィリアムが感心している。
彼の言う通り、五年前は蒸気自動車は実用化されてまだ間もなく、一部の財産のある物好きが所有している程度のものだった。
それが今や我が物顔で道路を往来している。
「もの凄い地方から来た人の気分だわ。この感覚に慣れるまではしばらくかかりそう……」
目の前を行き交う蒸気式自動車を眺めて嘆息するアムリタであった。
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駆け寄ってきたアイラに抱きしめられるアムリタ。
「お帰りなさい。……もう、私がどれだけ心配したと思っているの」
五年ぶりのアトカーシア家の屋敷だ。
幸いにして自分の家は取り潰しにはなっていなかったようだ。
涙するアイラに強めに抱かれた後は続いてやってきたエスメレーに優しく抱擁される。
二十代も後半に差し掛かりすっかり理知的で落ち着いた大人の女性になっていたアイラ。
最後に会った時と全然まったく容姿が変わっていないエスメレー。
しばしの間、再会の喜びを伝えあい互いの無事を確認するアムリタたち。
「ゆっくりしたい所だけど、まずは荷物を置いたらロードフェルド王子に帰還の報告に行かないとね」
「王宮に使いを出しておいたわよ。戻りましたのでこれからご挨拶に伺いますってね。……それと、今はもう王子ではなく国王陛下よ」
流石に抜かりのないアイラだ。
そしてこの五年間で王位を継承していたらしいロードフェルド。
アムリタたちが一息ついてからいざ王宮へ出向こうとしたその時、屋敷の前に凄まじい急ブレーキの音を響かせて一台の大型蒸気自動車が停まった。
「……戻ったのかッッ!!!!」
先に下りた従者が後部座席のドアを開けようとしたが、それよりも早く叫びながら飛び出してきた大柄なスーツ姿の男。
見慣れた鎧姿ではなく、今は前はなかった髭で口の周りを覆っているがそれは紛れもなくロードフェルドであった。
「ご無沙汰しております、王子……じゃない、国王陛下。アムリタ・アトカーシア只今帰還致しました」
「よく……戻ってきてくれた」
瞳に涙を浮かべたロードフェルド王がアムリタを力強く抱きしめる。
「手紙を受け取ってお前を行かせた場所がエルフたちの巨大な帝国であると知った。しかもそこでは人間は奴隷にされているというではないか。……俺がどれだけお前たちを行かせたことを後悔したか。すまなかった。許してくれ……アムリタ」
そして王はアムリタの隣に立つイクサリアを見る。
「イクサリアも……美しくなったな。母君によく似てきた」
「兄上様のすっかりご立派になられましたね。王者の貫禄がありますよ」
笑みを交わす兄と妹。
どうやらキリエは頼んだ手紙をきちんと彼に届けてくれていたらしい。
涙で謝罪しているロードフェルドだが、そこは彼が悪いという話でもないだろう。
あんな小さな森の中に空前絶後の大帝国への入り口があろうとは誰も予見できまい。
「奴隷制度は……どうにか撤廃してもらう事ができました。今はもう帝国の人間種族はエルフと同じ平民になれたんです」
「……!?」
カクンと大口を開けてロードフェルドが固まってしまった。
アムリタが言った言葉に混乱しているようだ。
「後、国交も十二星に人を出してくれる話もお許し頂きましたので」
「………………」
今度は何だか顔色が真っ白になっている王。
「……どうにか脱走できたとか、恩赦で帰国だけは許してもらったとか……そういう話ではないのか」
呆然と呟くロードフェルド。
帝国の話を聞いてその規模を理解した時、彼は全てが無謀で無理な話だったと理解した。
自分は友人と妹たちを死地へと送ってしまったのだと。
だから戻ってきたとの一報を聞いたときはどうにかして脱走してきたのだと思ったのだ。
それがまさか。
まさか……。
アムリタは申し付けた用事をきちんとこなした上で王国へ帰還してきたのだった。
……………。
結局、王はそのままアムリタの屋敷で夜まで話し込んでいった。
向こうであった事をなるべく丁寧に説明するアムリタ。
一々驚愕したり呆然としたりしていたロードフェルドは話し終える頃には疲労困憊と言った様子でぐったりしていた。
「……十二の神。帝国の執政者たちか」
「はい。……まあ、成り行きで」
ちょっと苦笑いしているアムリタ。
実際大層な肩書である。
自分以外の戦神たちはその看板に見合うだけの存在……神と呼ばれてもいいような者たちばかりだが、自分だけは釣り合っていない。
常人ではないという自覚はある。
だがそれでもあの戦神たちと並び称されるのは畏れ多い。
「私は引き続き神将として仕えよと皇帝陛下に命じられておりますので今後はいったりきたりになると思います。それはお許しください」
ロードフェルドが何度も肯く。
王にすればそれはいいも悪いもない。
帝国からすれば自分は属州の一つにも全然及ばないような規模の国の王だ。
「もう俺では掛けるべき言葉も見つからん。褒めればよいものか、感謝すればいいのか、泣いて有難がればいいのか……。お前は俺という人間が評するにはスケールが大きすぎる」
「そこはいつも通りにして頂けると……。私一人で成し遂げた事でもないですし。あちらに行った五人全員での功績です」
自分が出世するために……十二神将になる為に全員が惜しみなく力を貸してくれた。
誰が欠けていても自分の帰還はずっと遅くなっていたはずだ。
「もっと話を聞きたいが、今日は一旦引き上げることにしよう。ここまでの話だけでもまだまったく頭の中で整理ができておらん」
苦笑しつつ立ち上がるロードフェルド。
アムリタとしても彼とは国交や迎えるエルフの十二星の事について話を詰めなければならないが、それはそこまで急がなくてもいいだろう。
……正直、数日はのんびりダラダラしたい。
ここまでが激動過ぎた。
心も脳みそも休養を欲している。
ロードフェルドが乗った王家所有の大型車が出ていくと、入れ違いにもう一台の蒸気式自動車が猛スピードで屋敷の敷地に飛び込んでくる。
「……車ってみんなあんなにスピードを出すものなの?」
眉を顰めるアムリタ。
そして彼女は入って来た自動車の座席のドアに描かれた百合の花の紋章を見る。
「あ、楽園星の紋章……」
という事はアトカーシア家所有の自動車という事か。
土煙を上げて屋敷の敷地内に滑り込んだ自動車の……その後部座席のドアが蹴破ったのかと思うほどの勢いで開き誰かが飛び出してきた。
「……師匠~っ!!!!」
「え……えぇっ?」
飛び出してきたのはストレートの黒髪の美女。
黒い軍服姿がなんとも勇ましい。
その顔は……面影には見覚えがあるようなないような……。
彼女は突進してきてその勢いのままアムリタに飛びついてくる。
「ちょっと待って……シオン? シオンなの……?」
「そうですよ! 私以外に誰がいるんですか!! 一番弟子ですよ……師匠の剣です……」
台詞の後半は涙で尻すぼみになり上手く聞き取れない。
そのシオンの腕の中で絶句しているアムリタ。
再会の感動はあるものの……それを上回る衝撃。
自分が歳を取っていないのだから自分の血を受けて魔術を継承しているシオンも五年前の容姿のままなのだろうと……そう何となく思い込んでしまっていた。
ところが実際には彼女はすっかり成長して立派な大人のレディになってしまっていたのだ。
自分と同じくらいだったはずの身長は今や彼女の方がずっと高い。
顔立ちもかつてあったあどけなさのようなものは今やすっかり消えてなくなり成人した女性の凛々しさと頼もしさが同居している。
しかし……。
こうして自分を抱き締めてわんわん泣いている彼女に五年前を思い出す。
歳を取って容姿に変化があっても、中身はあのシオンなのだという懐かしさと、そして安心感を覚える。
「随分……随分長い事空けてしまったわね。貴女が元気そうで本当に嬉しいわ、シオン」
そう言ってアムリタは自分よりも高い位置になってしまった彼女の頭を優しく撫でるのであった。




