十字の雷霆
羅神城のラーヴァナの下へボロ雑巾のようにされた副官と部下たちが運び込まれた。
彼らは州境付近で無造作に地面に打ち捨てられていたのだ。
死者こそいないものの全員が酷い負傷でまだ意識は戻らず、各々苦し気に呻き声を上げている。
「……………」
無言の羅神将。
彼の周辺の景色が怒りのオーラで歪んで見える。
……これが、あの娘の返答か。
物別れに終わる事はわかっていた交渉であるが、ここまで苛烈な返答を寄越してくるとは思っていなかった。
アムリタを侮っていた事を認めざるを得ないラーヴァナ。
追い詰めてから狩るつもりだったが、こちらの仕掛けた罠を食い破って彼女は逆にこっちを威嚇してきている。
「……うっへ、マジで? こんなんする? 普通。……あーぁ、なんかもう、形からしておかしな事になっちゃってんじゃん」
しゃがんでゼダを突っついている戯神メビウスフェレス。
黒鎧の副官はどういうわけか頭部が亀のように半分ボディに引っ込んでしまっている。
他のエルフ兵士たちも腕やら足やらが普通曲がらない方向に曲がっていたりして、とにかく酷い有様だ。
普通に戦闘をして負かしたというだけではこうはなるまい。
相手を玩具にして弄んだという事か……。
「やー、これはちょっと……私が思ってたより大分イカれちゃってますね、星神チャンは」
さしもの戯神メビウスフェレスもドン引きで冷や汗を流している。
交渉が決裂した上で彼らが引き返してくるのは想定内であったが……。
「……?」
そして戯神がゼダの鎧に差し込まれている手紙に気付いた。
取り出して広げてみる。
「……なんだ?」
「星神チャンからだよ。『返すワケねーだろ、バーカ!! 文句あんなら掛かってきやがれ!! コイツらと同じ目見せてやんぜ!!!』だってさ」
大分脚色された意訳である。
とはいえ、ある意味で書き手の心情を正確に言い表しているとも言える。
「そうか」
激昂するかと思われたラーヴァナであったが、静かにそう呟くのみだ。
既に彼の怒りは臨界点を超えている。それで逆に冷静になっているのだった。
戦いはもう始まっている。
先遣隊はこの有様だ。
政治的に追い詰めてやるつもりだったが相手は正面からの激突を選んだ。
それならばそのように相手をするだけだ。
羅神ラーヴァナは十二神将の中でも指折りの武勇を誇る戦巧者。
連中はすぐに選択を誤った事に気が付くだろう。
「この征羅戦神を相手に真っ向勝負を挑むという事がどういう事なのか……自分の流した血の海の中で思い知るがいい」
鎧の隙間から覗く赤い眼光を不気味に揺らめかせ、低い声で告げるラーヴァナであった。
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アムリタのアルハーリア州とラーヴァナのジアーグ州……二つの州の境目付近の街は物々しい雰囲気に包まれている。
次々に集合する武装した兵士たち。
種族ごとの割合はやはりドワーフが一番多い。
頑健なドワーフ種族は敏捷性では他種族の後塵を拝するものの、非情にタフで力が強く戦士としても優れた種族だ。
今回、アムリタたちは防衛側である。
攻めてくる相手を食い止めなければならない。
非戦闘員たちは今のうちに州のより中心に近い街へと避難させている。
集合している州の兵士たちを視察していてアムリタはふと気付いた事があった。
「例の空飛ぶ車輪を付けている人が少ないのね」
空輪と呼ばれている脚鎧の足首の辺りに着ける金の車輪。
魔術が込められており帝国の兵士たちはそれを用いて自在に空を駆ける。
その車輪を装備している兵士が少ないのだ。ドワーフに至ってはほぼゼロである。
「わしらは空輪の扱いがヘッタクソですからのう。エルフのように器用に飛べんのですわ。それで無理に飛んで上でやり合うよりも下から撃ち落すほうがいいっちう事になりましてな」
説明してくれるドワーフ兵士。
なるほど、それで据え置き式の巨大な弩砲や投石器が多数設置されているのか。
「空輪をお作りなさったんはボルガン様だっちうのに、お恥ずかしいこってす」
驚くアムリタ。
空飛ぶ車輪はあのドワーフの工匠の手によるものだったらしい。
優れた細工師である事は聞いていたが、そのような魔具も作れる技術を持っていたとは。
「だもんで、ジアーグの連中もあんまし空輪を使いません。アイツらはボルガン様を嫌っておりますでな」
「え、じゃあ彼らは飛んでこないの?」
だとすればそれは若干明るいニュースである。
やはり集団戦闘において相手が自由に空を飛ぶというのは厄介で対処が大変だ。
しかし、そんなアムリタにドワーフ兵士は渋い顔で首を横に振る。
「いやぁ、それがですなぁ……アイツらはアイツら独自の方法で飛んでくるんですわ」
……………。
ジアーグ州、羅神ラーヴァナ軍陣地。
灰色の分厚い雲に覆われた空の下、ギシッギシッと奇妙な甲高い鳴き声が無数に響いている。
繋がれているのは巨大な虫だ。
表面を赤黒い甲羅に覆われボディがいくつもの節に分かれた、トンボともムカデとも……または甲殻類にも見え、しかしそのいずれとも異なる生物。
全長は3m近くもあり、頭部にはクワガタのそれに似た立派な顎があり背には大きなトンボのそれに似た透明の薄い羽がある。
いずれの虫の背にも鞍がある。
そこに乗り手を跨らせて飛翔するのだろう。
そんな虫たちの様子を見ているのは腰が曲がった猫背のトカゲ人間。
ローブ姿で杖を突いている。
「……すぐ出れんの? チャクラ。うわっ、相変わらずキモいね~コイツらは」
様子を見に来たメビウスフェレスが虫を前にして顔をしかめている。
「ビヒヒヒッ、これはこれは……戯神様。鎧トンボの準備は万端でございますぞ。……して、羅神様は」
チャクラと呼ばれた老リザードマンが奇妙な笑い声を上げている。
「精神統一ちゅ~」
そう言ってメビウスフェレスは背後の羅神城を振り返って仰ぎ見た。
「さようでございますか。羅神様には我らムンガルの谷の虫使いたちは格別のお引き立てを頂いておりますからな。そのご恩に報いるべく奮戦する所存でございますぞ……ビヒヒヒッ」
頬の後ろ側のエラを震わせて笑っている老トカゲ。
そんな彼をメビウスフェレスは冷めた目で見ている。
(大事にしてるっつーか……意地張って空輪を使わないせいで代わりの航空戦力がいるってだけなんだけどね)
羅神が普段は彼らを下賤な一族として蔑視しているのを知っている戯神である。
むしろ嫌悪していると言ってもいいだろう。
それでも彼は今、彼らに提供された装甲蟲を身に纏っている。
妻と娘が生きていた時には目にする事も嫌がっていたはずの虫をだ。
(人間憎さでもう、のーみそやら心やら色んなものが焼き切れちゃってっからね~……。まともだった頃の自分が何が好きで何がキライだったかなんて思い出せないんでしょーよ)
肩をすくめて嘲るように笑うと手にしていた袋から焼いた豆菓子を出して口に放り込むメビウスフェレスであった。
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初めにそれを察知したのはイクサリアだった。
「風が変わった。……来るよ」
羅神軍の襲来だ。
双眼鏡を覗きこむアムリタが飛来する無数の巨大な鎧トンボの群れを見る。
いずれもその背に装甲蟲を着込んだエルフ兵士を跨らせている。
空飛ぶ虫を駆る虫人間といった所か……、
「うー……ぞわぞわする光景だわ」
アムリタは虫が殊更苦手というわけではないが、それでもあの数が群れて飛んでくると背筋の辺りを駆け抜けていく寒気があった。
「さあさあ皆さん天幕の下へ……!!」
ドワーフ兵士に促されて革張りのテントの下に入るアムリタ。
かなりの高さが取ってあるテントだ。
飛んでくる鎧トンボの兵士たちは、まずはこちらの対空迎撃が届かない高度まで飛翔しそこから岩や火薬の詰まった樽や木箱を落としてくる。
それが常套手段である。
テントはそれを阻む目的で組まれたものだ。
爆撃もテントに当たって爆発するので距離がある以上にはあまりダメージがない。
上空で響く爆音に耳を塞ぐアムリタ。
「これは最初だけですわ。あの虫は重たい物を持って自陣と何度も往復できるほどの体力はありませんでな!! 最初に落としてきたら後は白兵戦を挑んできよります!!」
「なるほどね。……とりあえず、耳も痛いし少しお返ししておこう」
そう言うとイクサリアが真下から強風を吹かせる。
風は落下してきた火薬樽を再び上空へ舞い上げた。
そしてそこに群れている鎧トンボたちの真ん中で導火線が尽き爆発が巻き起こった。
炎に包まれながら無数に落下してくる虫とエルフ兵士。
「がっはははは! ザマぁみさらせ!!」
「おい落ちた奴は念入りにトドメ刺しとけよお!!!」
大喜びしながら物騒な事を言っているドワーフ兵士たち。
だが羅神側の戦力は飛んでくる鎧トンボだけではない。
続いて地上戦力が……地響きを立ててこちらに迫ってくる。
蟻……巨大な蟻だろうか。
体高2mはゆうに超えるであろう巨大な虫。
各パーツは蟻に似ているのだが手足が異様に太くシルエットとしては熊のようだ。
胸部や肩などに毛が生えている所も猶更肉食獣を連想させる。
どのような生物なのかはもうその姿を見ただけで十分予想できる。
腕力、頑丈さ、タフさ……全てを備えた白兵戦に長けた魔虫。
「おおっと、蟻熊がおいでなすった!!」
「星神様はお下がりくだせえ!!」
巨大な腕を振り上げて興奮状態で殺到する蟻熊たち。
途中遠距離攻撃で迎撃され数を減らすもまったく怯んだ様子がない。
「出番が来たようだな」
ウィリアムが二本の剣を抜き放つ。
彼は世界中で有名な冒険家、そして作家である。
しかしそんな彼のもう一つの姿である『剣帝』の異名で呼ばれる無双の剣士……そちらはあまり知られてはいない。
剣の技が極まっていくにつれて彼が剣を抜く機会は減っていった。
自分のそれは軽々しく振るうものではないという事を自覚し己を律しているからだ。
……だがこのような場であれば少々羽目を外そうとも大目に見てもらえるだろう。
老剣士は髭の奥でほんの少しだけ悪戯っぽく笑った。
彼の斬撃は空を奔る雷になぞらえて誰かが『雷霆』と呼んだ。
さすればこれは雷霆十文字と言った所か。
戦場を十字に奔った二筋の光。
大地がバツの字に裂け四つに分割される。
巨大な地割れに一たまりも無く落下していく巨大な虫たち。
何百いたのかわからない異形の魔虫の群れは一瞬で数える程度しか残らなかった。
自軍も……そして敵軍も。
どちらもが無言でその光景を見つめていた。
眼前で起きた事をまだ脳が上手く処理できていないのだ。
こんな事が現実であるのかと、自分が目で見た事が信じられないのだ。
「……先生がそんな本気出したらあちきの分が残らないっスよ」
そんな中でマコトだけが肩をすくめて苦笑している。
「最初の内にはりきっておかないとな。腰が痛くなってきたら後ろに引っ込ませてもらうのでね」
彼女を振り返ったウィリアムがそう言っておどけて見せるのだった。




