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君に捧げる

 自分では彼女を……イクサリアを殺せないと、そう悟ってしまったときに全ての力が抜けた。

 この復讐の旅は途中どこか一か所で躓くだけで全ては終わりだと言うのに……。

 ジェイドは大きく息を吐き出し、全身のシルエットが歪み形を変えていく。


 本来の姿にアムリタ・カトラーシャの姿に戻っていく。


 変身の様子を見ているイクサリアは微笑んだまま表情を変えない。

 予想していたのか、全部わかっていたのか。

 女性の姿に変わっていくジェイドを静かに見つめている。


「……ね、キミの本当の名前を教えて」


 変身を終えたアムリタの耳元に口を寄せて若干熱の篭った声で囁くイクサリア。


「アムリタ・カトラーシャ」


 ただひたすらに空っぽの心で自分の本当の名を名乗る。

 多少自棄にもなっている。

 全ては露見してしまった。まだ復讐は道半ばだというのに……。


 イクサリアはそのアムリタの顎に優しく細い指先を当てて……。


「ありがとう。この世でたった一人の私の愛しい人」


 微笑んで、それからやや頭を下から持ち上げるようにして口付けた。


「!!!?」


 またもいきなりキスされた。しかし今日は自分は女性の姿だ。


「ふぉっ!? わ、わ、私は本当は女で……」


「そうだね。そうじゃないかとは思っていたんだ。寝姿を見たあの日の夜から」


 一向に動じた風もなくイクサリアはアムリタをベッドの上に横たえ、その上に覆いかぶさるような体勢になった。


「しかも、しかも……殺人者で……!」


「うんうん。そして私がその共犯者というわけだね」


 見下ろすイクサリアの瞳が妖しく水気を帯びて光っている。

 ゾッとするアムリタ。

 その魔性の魅力に引き寄せられて言葉を失う。


「今夜は……キミに殺されなかったら、こうしようって思っていたんだ」


 囁くような小声なのに、脳に直接その言葉は染み込んでくるようだ。

 覆いかぶさってくるイクサリアを払いのける事はできないアムリタであった。


 ………………。

 …………。

 ……。


 狭いベッドの中で互いに向き合っている。

 二人とも一糸纏わぬ姿だ。

 身に付けていた物はベッドの周辺に乱雑に散らかっていた。


「……あんまり、言いたくないけど」


「何かな?」


 じっとりした半眼のアムリタに相変わらずイクサリアは優しく微笑みかける。


「貴女……大分ヘンよ? 言われた事ない?」


「よく言われるよ。気にした事はないけどね」


 あっけらかんとしているイクサリア。

 少しは気にしてよ、と思うアムリタだったが彼女が俗に言う「普通」であればこうなる前にどこかで自分たちの関係は破綻し破滅していたかもしれないので強くは言えない。


「私に殺されてもいいと思っていたの?」


「うん」


 迷わずに王女は肯いた。

 実際、先ほど自分が首を絞める体勢になった時に彼女は抵抗しなかった。

 それどころか手を伸ばした自分に喉を差し出してきた。

 それはこちらができないと思っていたのではなく、そうなっても構わないという無抵抗だった。


「私が好きなの?」


「そうだね。今はキミのことしか考えられない」


 これもまた迷いのない返事だった。


「私は女なのに?」


「そこはあまり気にならないかな。驚きはしたけどね。本当に男の人だと思っていたから」


 くすくすと笑っているイクサリア。


「生まれて初めて誰かを好きになって……しかもその人は同性だった。男の人だと思って好きになったけど、女の人だとわかっても気持ちは変わらなかった。嬉しかった。それは私の気持ちが性別にも左右されない本物だったという事だから」


「えーと……」


 そうかなぁ、と疑問に思うアムリタ。

 同性だったら気持ちが変わったとしてもそれは気持ちがニセモノだったとも言い切れない気がする。


 ともあれ……もうどうしようもない。

 自分が死んでも守らなければならない秘密の大部分が彼女に露見してしまった。

 挙句に身体の関係までできてしまった。

 今から彼女を殺める事はもうできそうにない。


 だとすれば道は二つ。

 ここで諦めて破滅するか。


 ……どこまでも彼女を巻き込むかだ。


「それで、貴女はこれからどうしたいの?」


「私の気持ちをキミが受け入れてくれるのなら、まずは詳しい事情を知りたいかな。好きな人の事はなるべく知っておきたいから」


 イクサリアにはもう本名をフルネームで名乗ってしまっている。

 聡明な彼女であればそれだけでももう遠からず真相に近いものには辿り着いてしまう事だろう。

 だが、彼女が勝手に関わってきた事で自分にそのつもりはなかったとはいえ、もう彼女の人生を大きく歪ませてしまった自分の口からそれを告げるのが筋というものではないだろうか。


「……知りたければ教えてあげる。つまらない話よ」


 それは何も知らない箱入り娘が一人、現実と言うものを思い知らされて奈落に落ちた話だ。


 そうして……自分は事の経緯を王女に語った。

 話しながら涙が出るかと思っていたが、実際はそういう事もなく最後まで淡々と語り終えた。


「……………………」


 最後まで語り終えるとイクサリアは無言でベッドの中のアムリタの手を引いて胸元に抱き寄せる。

 慰めてくれるのだろうか……と思ったらまた覆いかぶさってきて唇を奪われた。


「んムムムム……!!」


 ………………。

 …………。

 ……。


「……なんであの流れからもう一戦するのよ!!!」


「キミが悪いんだよ。あんな凄惨な話をあんな淡々とした調子でやられたらこちらはたまらない気分になる」


 むくれているアムリタにイクサリアは悪びれずに微笑んでいる。

 ……それにしても腹が立つほど美形だ。

 微笑む彼女はまるで美の女神をモチーフにした絵画か彫刻である。


「話はよくわかったよ。どんなに利己的な理由でも構わないとは思っていたけど……キミの憎悪と殺意は全て正当なものだ。半端な同情やわかったような事を言うつもりはない。ここからの私の愛情は全て行動で示す事にしようかな」


 若干呆れの混じった半笑いでアムリタは王女を見る。


「引き続き、巻き込んでいいって事ね? そう解釈するけど」


「ああ、いいよ。アムリタを傷つけた奴らも邪魔する奴らも……一人残らず殺そう」


 なんでもない事のように王女は平然と言い放つ。


異母兄(あにうえ)さまも勿論だ。私が手を貸すよ。……キミの復讐を半分、私が貰おう」


 ……あぁ。


 哀しいような虚しいようなやるせないような。それでいてたまらなく幸せなような。

 そんなグチャグチャな気分で王女を見る。

 壊れてしまっている。自分は一度死んだ時にそうなったが、彼女はいつからそうだったのだろう。

 異端と言われてきた王女イクサリア。

 本当に彼女は根底の部分から常人とは異なる世界を生きているのだ。

 人の言う「禁忌」は一切彼女を縛る枷とはならないのだ。


「誓うよ。私の全てを……キミに捧げる」


 愛ゆえに肉親すら殺すという彼女をどこか眩いものを見るように、遠くを見るように表情なく眺めているアムリタであった。


 ────────────────────────


 王子クライスの執務室。


 重厚な木製の執務机に座る王子はいつもよりも幾分険しい表情をしている。

 原因は言うまでもなくアルバートの死だ。

 側近の青年を失った事は想像以上に王子にとっては痛手であった。

 能力的にも政治的にもだ。

 そして……いざそうなってみると心情的なダメージも決して軽視できるものではない。


「私たちの理想の前には多くの障害が立ちはだかっているな。アル」


 王子がそう呟いた時、ゴンゴンと部屋の戸が些か乱暴にノックされた。


「入りたまえ」


 クライスが静かに告げるとバーンとこれまた乱暴に執務室の扉が開け放たれ、ドカドカと下品な足音を響かせて男が一人入ってきた。


 厳つい中年男だ。オールバックにした黒髪には僅かに灰色の房が混じる。

 日焼けした四角い顔には大きめなやはり四角い鼻があり、その下には濃い目の口髭を生やしている。

 そして戦歴を物語るかのような顔や全身の無数の傷痕。


「よう坊ちゃん、久しぶりだな」


 男はそう言うと主人の許しも得ずに葉巻を取り出して咥え、火をつけた。


「急な呼び出しですまなかった、バルトラン」


 葉巻の煙に若干目を細めながら王子が言う。

 バルトラン・ガディウス。十二星(トゥエルブ)、「猛牛星(マッドブル)」のガディウス家の傍流の男だ。


「別にィ。構いやしねえよ。くれるもんさえくれりゃァ仕事するだけだ。こっちはよ」


 フーッと大きく紫煙を吐き出してからニヤリと笑ったバルトラン。

 ガディウス家は元は十二星でも武闘派で鳴らした家だったのだが、大王の粛清により当時の一家の長は討たれ穏健派の当主を据えられ権力の座からは遠ざけられた。

 前当主時代の腕利きたちは地方へ飛ばされたりとその後は冷遇されている。

 この男、バルトランもその一人である。


「……雑にやれる任務(シゴト)ではないぞ」


「げははははッ!! そいつァ泣けてくるぜ。……でもよ、坊ちゃん」


 目を細めて言うクライスに交渉するバルトラン。

 そして歴戦の魔戦士は瞳を冷たく輝かせる。


「俺っちの心配がしてぇんなら、もう10年は現場で経験積むんだな。ヒヨッコに気ィ使われるほど老いぼれちゃぁいねえよ」


「結構だ。錆び付いていないのはそのよく回る舌だけではないという事を証明してもらおう」


 王子は取り出した封筒をバルトランに手渡す。

 口髭の男は受け取った封筒から中身を取り出すと広げて目を通した。

 ……そしてヒューッと口笛を吹く。


「うひょ~ぉ、こいつぁ……本気だなぁ坊ちゃんよ」


「怖気づいたか? 言っておくが今から抜けますは聞かないぞ」


 王子のその言葉に対して言葉では返答せずにただ不敵に笑うバルトラン。

 彼は仕事の内容が記されている紙に葉巻を当てて火を付けると暖炉の中へ放り込んだ。

 そして「猛牛星」の男は振り返らず肩越しにヒラヒラと手を振って執務室を出ていく。

 扉の音は入って来た時よりも幾分か静かであった。


 再び一人になった室内で王子は黙考する。


()()()()の暁には状況は一気にこちらに傾くだろう。……しかし、だからといってそれまではやられっぱなしというわけにもいかない)


 光輝の人と称される男の目が冷たく光る。


「まずは……あちらの『天車星』にも墜ちてもらうとしようか。公平にな」


 冷たく静かな呟きは、それを放った者以外の誰の耳にも届くことはなく虚空に溶けてきえていった。

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