どの痛みを背負うのか
多数の傷を負ってアムリタの領地、アルハーリア州へと逃げ込んできた人間族の奴隷たち。
その数は七人。命に関わるような傷を負っている者はいなかったが全員が酷く怯えてしまっていて、話をする事もままならない状態だ。
狩りの獲物のように彼らは武装した隣州の兵士たちに追い立てられてこっちの州に逃げ込んできたらしい。
そしてその奴隷たちを捕えよと命を受けてやってきた隣接する属州ジアーグの領主、羅神ラーヴァナの副官であるゼダとエルフ兵士たち。
「……………」
無表情に彼らに対応しているアムリタであるが内心では沈痛な表情で頭を抱えていた。
(いやぁ……敵ながら見事な悪知恵。よくもこんなあくどい事を思い付くものだわ)
考えるまでもなく、奴隷たちはあえてこちらへ逃げ込む様に誘導されたものだ。
ラーヴァナ側はこれをアムリタとの抗争の火種にするつもりでいる。
逃げた奴隷を返さないと言うのならそれを口実に攻め込んでくる気なのだろう。
かといって素直に奴隷を返せば、それはアムリタが奴隷たちが逃亡罪で処刑されるのをわかっていて見捨てたという事にされてしまう。
もしそうなれば……アムリタが奴隷を見捨てたと噂になれば。
自分が進めようとしている人間種族の奴隷解放……その活動の信用と説得力が失われてしまうだろう。
奴隷の窮地を救おうとしなかったくせに! というわけだ。
「現時点で、そのような報告は受け取っていません」
あくまでも冷静に、感情を出さないように気を付けながらアムリタが言う。
一先ずは白を切る。
「確認して参りますのでお待ち頂けますでしょうか」
「結構。何日でも待ちましょう。主からは奴隷を連れ帰るまで帰参する事叶わずと厳しく言われておりますのでね」
嘲るように鼻を鳴らして言う全身を黒色装甲で覆った副官ゼダ。
時間を稼いで一度相手を帰らせるように仕向けても無駄だと言っているのだ。
……………。
一先ず彼らを応接間に待たせて別室へ移動したアムリタ。
そこにはイクサリアとウィリアムが待機していた。
「……ちょっと、困った事になったわ」
素直に弱音を口にして渋い顔をしているアムリタ。
イクサリアが出してくれたコーヒーをグイッと一息に呷る。
気付けに自分が好む非常に濃い淹れ方をしているものだ。
流石にイクサリアはよくわかっている。
「どちらを選ぼうが……君は傷を負う事になるだろう。私からはどうすればいいとも言ってあげられないが」
目を閉じたウィリアムは静かに首を横に振る。
「しかし、一つだけ私が言えることがあるとすれば全てが丸く収まる選択肢というのは人生においてほとんど存在しないのだ、アムリタ。人が選べるのは、どの痛みを背負って生きていくのかという事くらいなんだよ」
「そうですね、先生。……私もそう思います」
辛そうな表情で苦笑するアムリタ。
この老冒険家の言う通りに自分は今選ばなければいけない。
奴隷を見捨てる罪を背負うか。
奴隷を助けて、属州の皆を戦争に巻き込む罪を背負うのか。
……そのどちらもに誰かの死があるだろう。
その失われていく命を自分が背負わなければいけない。
それが……その責任を負うという事が人の上に立つという事だ。
「……いやぁ~、駄目っスねえ。お酒出しておきましたけどあの人たち手を付けようとしないっスよ」
「そう。残念ね……。泥酔したら崖下に落として『そんな人たちは来ていません』って言い張るつもりだったのに」
戻って来たマコトににやれやれと肩をすくめるアムリタだ。
「キミも大分ステキな手段を選べるようになってきたね」
そんなアムリタを見て嬉しそうに表情を綻ばせるイクサリア。
……………。
……一方その頃。
応接間のゼダと属州ジアーグのエルフ兵士たち。
応接間に待たされている彼らは余裕の表情だ。
「時間を稼ごうとしても無駄だ。星神は奴隷を見捨てられまい。我らは引き渡しを拒否されたという事実を手土産に羅神様の下へと戻り戦に備えればよい」
「今頃どうするのか側近たちと必死に話し合っているのでしょうが、滑稽ですな。人間風情が思い上がって十二神将などと……身の程を知らないからこのような目に遭うのです」
ゼダとエルフ兵士が抑えた声で密談をしている。
……そこに、ノックも無しに急に扉が開いた。
顔を出したのはピンクのツインテールのメイドだ。
彼女は室内をきょろきょろと見回してから首を傾げた。
「アムリタいる? ……あれ、いないし。そんで知らん人らがいるし」
「何だ、この無礼な奴隷は」
不躾に入ってきて部屋の中を見回しているエウロペアに露骨に不快そうな声を出すエルフ兵士。
「おい貴様! この方をどなたと思っているのだ。十二神将ラーヴァナ様の副官であるゼダ様だぞ! 無礼であろうが!!」
「あ、そーなん? うちはエウロペア。最強無敵のエリート美少女じゃんね」
あっけらかんと聞き流して自慢げに名乗ってピースしているエウロペアだ。
「ゼダ様、この娘例の……闘神様を……」
エルフ兵士の一人がゼダに耳打ちをする。
それを聞いて納得したように鷹揚にうなずく黒装甲のエルフ。
「なるほどな。不敗のラシュオーン様に土を付けて増長しているというわけか。……愚かな、それで卑しい自分の生まれが変化するというわけでもあるまいに」
そうしてゼダは初めてエウロペアに興味を向けたかのように彼女の方を向いた。
それまでは視界に入れるのも不快だというように顔を背けていたのだ。
「それにしても闘神様も随分と鈍っておいでだったようだな。こんな下賤な小娘に後れを取ろうとは……高貴なるエルフ種族の、それも十二神将ともあろう御方が。我らも同じく帝国のエルフとして恥じ入るしかないわ」
露骨な嘲りの言葉……それにエウロペアがピクリと反応する。
はっきり言って彼女にはゼダの持って回った言い回しのせいでその台詞の全てを理解できたわけではなかった。
しかし口調と空気から悪く言っているのだという事は感じ取れた。
「ねえ、ちょっと……アイツはウチの友達じゃんね。アンタみたいのに悪口言われる筋合いないし」
詰め寄ってくるエウロペアに鼻を鳴らし、ゼダは首を傾けた。
「本当に躾のなっていない奴隷だな。主人の程度も知れるというものだ」
そう言うゼダの全身からゆらりと殺気の赤いオーラが湯気のように立ち昇る。
「いいか? 小娘……鈍ったラシュオーン様を倒して増長しているのだろうが、このゼダとて武勇で知られたラーヴァナ様の片腕……狼藉を働く気なら命を持って償う事にな……あポォォん!!!???」
……ドガッッ!!!!
口上の途中でゼダの脳天に拳を落としたエウロペア。
身長差があるので軽くジャンプしてからの一撃だった。
派手な音を立ててその場に崩れ落ちて動かなくなったゼダ。
フルフェイスの黒い兜が胴鎧に真上から半分めり込んでしまっている。
「うわっ……弱すぎだし。ご、ごめんって。軽く小突いたつもりだったし」
……彼女にしては軽い一撃だったつもりの拳で沈黙してしまったゼダに逆にエウロペアの方がうろたえている。
「ゼダ様ッ!!??」
「キサマぁ!! やってくれたな……ッ!!!」
身長が15cmくらい縮んでしまった指揮官の惨状にエルフ兵士たちが一斉に殺気立ち、武器を構えた。
「だからゴメンって言ってんじゃんね!! ウチ悪くないし!! こいつが異様なまでに雑魚ぴっぴだっただけだし!!!」
迫るエルフ兵士に慌てるエウロペアであった。
……………。
「……何事なの今の物音はッ!!!」
派手に争う物音が響いてきて慌てて応接間に戻って来たアムリタ。
ドアを開けて飛び込んできた彼女が目にしたのは凄惨な光景であった。
隣州のエルフ兵士たちが……。
壁にめり込んだり、窓を突き破って半分外に身を乗り出していたり、アルマジロみたいに床で球形になっていたり……いずれも意識はない。というか命はあるのだろうか、これは。
そして彼らの指揮官たる羅神の副官ゼダは頭部が半分ボディにめり込んだ姿で床に座り込み土下座をするような姿勢で床の上で動かなくなっていた。
「……ご、ごめん、アムリタ。ウチこんなんする気じゃなかったし……ほんとに」
「……………」
しょげて俯いているピンク頭のメイド。
怒られると思っているらしく、見ていて可哀想になるくらい落ち込んでいる。
その光景に少しの間アムリタは愕然としていたが……。
「……ぷっ」
やがて、噴き出して笑顔になった。
「いいのよ、エウロペア。貴女はよくやってくれたわ。お陰で吹っ切れました」
「……???」
怒られると思っていたアムリタは急に自分を抱き締めて優しく頭を撫でているアムリタに状況がよくわからないと言うような困惑顔だ。
「誰かいる?」
アムリタが室外に声を掛けるとすぐに数人のドワーフたちがやってきた。
「へえい、お側に控えておりますでな。……おお、派手にやりんさったのう」
屋内の惨状、死屍累々のエルフたちを見ても殊更驚く風もなく感心しているエルフたちだ。
「悪いのだけど、コイツらを州境のあっちがわに放り込んできてくれる? このままでいいわ。……あ、ちょっと待ってね」
机の上の便箋にペンを取り出して走り書きをするアムリタ。
「『こちらの州に逃げ込んできた人々は保護します。お返しする気はありません。悪しからず』……と。後は署名して、ハイOK」
折り畳んだ便箋をゼダの鎧の隙間に差し込んだアムリタ。
「……ジアーグと戦争になるわ。コイツらを転がしたらすぐに準備に入って頂戴」
「合点でさぁ! 待ってましたぜ!!」
「おおッ!! ジアーグのクソどもに今度こそボルガン様の恨みをぶつけてやるわいなぁ!!」
ドワーフたちは拳を振り上げて猛っている。
これから戦争になるのだという悲壮感は欠片もない。
むしろ喜んでいるようにすら見える。
考えてみれば隣州の長、ラーヴァナは彼らに慕われているボルガンが十二神将から失脚して片腕を失う原因を作った男だ。
長年彼らも怒りを腹の底に押し殺して過ごしていたのだろう。
ならば……それを思う様発散してもらうだけだ。
後には引けない。
憎悪に狂った羅神と決着を付ける時がきた。
決意を秘めて拳を握るアムリタであった。




