星神祭
十二神将『征雷戦神』ヴァジュラ。
見目麗しいエルフ種族の例に漏れず非常に整った容姿を持つ褐色の肌の美丈夫だ。
口の周りを覆った短めの髭がトレードマーク。
美しいものをこよなく愛する彼は大神都を中心としていくつもの劇場や美術館を所有し、多くの芸術に関連する優れた才能を持つ若手のパトロンとなっている。
大陸最大の商人でもある玉神パラーシュラーマほどではないが美術品を中心とした商いも行っており財も多い。
そして無論、異名でもある雷の術を巧みに使いこなし多種の武器の達人でもある。
容姿や趣味などから臣民の人気が高い神将でもある。
ラーヴァナ同様に奴隷種族である人間を物としか思っていないという冷酷さもあるものの、これは多くの上位臣民のエルフたちに共通している点なので彼が特別という事でもない。
そのヴァジュラが主神城の廊下で戯神メビウスフェレスに呼び止められた。
「最近ずいぶんイイ子ちゃんになっちゃったみたいじゃん?」
「ああ、その話か。アムリタ執政官が神将に昇座したからな。今のうちに身綺麗にしておいたほうがいいだろう。何かあって、過去に遡って難癖をつけられては面倒だ」
残酷な遊戯の駒として人間の奴隷を屋敷の地下に監禁していたヴァジュラだが、最近になってその全てを開放している。
アムリタが十二神将になったからには遠からず人間種族は彼女によって奴隷の身分から解放されるだろうという判断だ。
「バレなきゃいーじゃんの精神じゃなかったの?」
「そうではないぞ、戯神。露見したときにせいぜいがお叱りを受ける程度で遊んでおくのが賢い大人というものだ。本気で罰を受けたり立場を危うくするような遊び方をするのは愚か者だ」
ふふ、と余裕の体で雷神は笑う。
「人間がダメだというのなら別の遊びを考えるだけだ。正直、奴隷で遊ぶのにも少々飽きてきた所だからな、ちょうどいいといえばちょうどいい」
何人もの取り巻きを連れて悠々と立ち去っていく雷神ヴァジュラ。
「……ちぇっ、なーんかつまんないの」
その背を見送って口を尖らせるメビウスフェレスであった。
────────────────────────────────
新しい十二神将が選ばれる。
しかもそれは奴隷の種族である人間からであるらしい。
そのニュースは元神将である巧神ボルガンのいるジャハの村へも届いていた。
人間たちを庇って、異境人たちを庇って利き腕を捨てて神将の地位を退いた老ドワーフ。
新たな神将は彼の後任という事になる。
彼の担っていた職務を引き継ぎ、現在は一時的に皇帝直轄地となっている彼が治めていた属州を治めることになるだろう。
「あの嬢ちゃんがな……。そうか……」
隻腕のドワーフが大神都の方角を仰ぎ見て目を細めている。
濃い髭と深い皺に覆われたその顔からは彼が何を思っているのかは読み取る事はできない。
しかしそのゴツゴツとした大きな手は少しだけ震えているように見えた。
それから彼は自分の暮らしている小屋へ戻り、棚を開けて一本の酒のボトルを取り出す。
ラベルが色褪せている非常に古い酒だ。
「今夜は久しぶりにこいつを開けるとするか」
それはこの老人が特別な日や凄く喜ばしい事があった日だけに開ける特別な酒であった。
────────────────────────────────────
新たな十二神将『征星戦神』に任命されたアムリタ。
戦神としての彼女の最初の大仕事は自分の就任を祝う祭事を成功させることである。
「……で、何なのよこのマニュアルは!!」
分厚い書物を途中まで読んで頭を抱えているアムリタ。
就任記念の祭典は自分の称号をとって『星神祭』と名付けられた。
新たな十二神将が誕生した時には慣例として必ず行われる催しである。
記念式典でもあり新たな神の誕生を祝う神事でもある星神祭。
祭典の一連の流れは古来より厳格に細かく定められているのだ。
「……これは凄いね。スムーズにいっても16時間くらいかかるそうだ」
「過去最大の試練だわ……」
げんなりしているアムリタ。
彼女が投げ出した祭典の手順が示された本をパラパラとめくったイクサリアも苦笑している。
何しろその場面場面で自分がどう振舞うのか、どのように受け答えをするのか。
姿勢は顔の角度までを細かく決められているのである。
「このくらい暗記できなきゃ神将サマの資格はないって事なんスかねえ」
「神に厳しすぎる……」
マコトが出してくれたカップからはハーブティーの良い香りが漂っている。
彼女の得意としている疲れの取れるブレンドだ。
その香りを楽しみつつも必死に分厚い書物に立ち向かうアムリタであった。
─────────────────────────────────
広大な大神都の一角にある羅神ラーヴァナの屋敷。
主人は今、皇帝より謹慎を命じられて閉じ籠っている。
憎悪の戦神ラーヴァナ……彼の精神は未だに深い闇の中にあった。
屋敷にいるのは彼だけだ。
今は使用人たちも遠ざけている。
妻と娘を亡くしてからもう百五十年以上が経っているが彼はその後、後添えを迎えようとはしなかった。
亡くした妻と娘への愛が深すぎた。
だからその死の原因となった人間族に対する憎しみも根深いのだ。
謹慎を命じられてからの彼は酒に溺れる毎日を送っている。
居間には無数の空瓶が転がっており、周囲には酒の匂いが満ちていた。
昼間からカーテンを閉め切った部屋で彼は今も暗い瞳で何もない空間を見つめ続けている。
そして、ふと思い出したかのように彼は足元の酒瓶に手を伸ばし……。
持ち上げてそれが空である事を知ると無造作に放って壁に叩きつけた。
……あの人間族の小娘、アムリタは人間族を奴隷から解放する為に十二神将になったという。
晴れて神将となった彼女はその政策を推し進める事だろう。
「……荒れてるね。カーテンくらい開けたらいいんじゃない? 今日はいい天気だよ」
いつの間にか……室内に自分以外の気配があった。
青い肌の女がいる。小柄な女。
赤紫色の髪の頭には大きな角が二本。
戯神メビウスフェレスだ。
「何をしに来た」
声のした方をみようともせずにラーヴァナは低い声を出す。
「何って、様子を見に来たに決まってんじゃ~ん。落ち込み過ぎて首でも吊ってたらどうしようってさ~」
おどけて言う戯神に小さく鼻で嗤う羅神。
……自死か。そんな事が許されるのならどれほど幸せか。
あの日から、妻と娘を亡くしたあの日から自分は行きながら死んでいるようなものだ。
人間への憎悪だけがこの身体を動かしている。
「失せろ。我に会っている事が露見すればお前もただでは済まんぞ」
ラーヴァナは謹慎中の身。
誰に会う事も禁じられている。破れば面会した両者共に罰を受けることになる。
「おやぁ? 私を気遣ってくれてんの? やさし~ぃ」
赤い瞳の灰色の目にラーヴァナを映してメビウスフェレスはニヤッと笑った。
「でもさ、そんな事よりもさ。どーにかしないといけないんじゃないの? 君の嫌いなアムリタちゃんをさ。このままじゃあの子、人間族を奴隷じゃなくしちゃうよ?」
「………………」
座るラーヴァナの、その手の甲に血管が浮く。
酒臭い戦神の、その鋭い目付きが一層険しくなった。
「既に下準備もバンバン進めてるっぽいからね~あの子。誰も止められないでしょ。この前のあれ見たでしょ? あのヴァジュラですらもう迎合する気でいるよ」
戯神が笑っている。
優しく、そして妖しく。
「ホラ、想像してごらんよ? 明るい日中の大神都の大通りをさぁ……誰の許可もなく人間たちが笑顔で歩いてるワケ。エルフよりずっと数が多いんだから、彼らは。その辺は人間だらけになってエルフは端っこの方に……」
「ガァァァッッッッ!!!!!!」
咆哮し勢いよくラーヴァナが立ち上がった。
そして彼は荒い息を吐いて肩を上下させている。
「許せないんでしょ? 怒ってるんでしょ? ……だったらそれをわからせてやらなきゃいけないんじゃないの?」
そうだ。
……その通りだ。
例えそれが時代の流れなのだとしても、自分が間違っているのだとしても。
この怒りと憎しみだけは紛れもない真実。
それを刻みつけてやらねば、この国に……大地に。
自分は憤怒する者。憎悪する者。
修羅の神……ラーヴァナ。
「やるんなら私が手を貸すよ。……この戯神メビウスフェレスちゃんがさぁ」
最後まで優しい声を出しながらニヤニヤと笑っているメビウスフェレスであった。
───────────────────────────────────
『星神祭』の日が数日後に迫っている。
今大神都全体がその準備で大わらわである。
方々で櫓が組まれたりアーチが建てられたり、一日で用済みとなるものなのにかなり本格的な建造物ばかりだ。
それだけ帝国にとってこの祭事は重要なものであるという事なのだろう。
広大な大神都を一日掛けて回るのだ。
各地の史跡や神殿で決められた神事を執り行いながらである。
……………。
今、アムリタの屋敷には大勢のエルフたちが詰め掛けており衣装合わせの真っ最中であった。
十二神将とはその名の通り神にして武将。
白い優雅な衣と勇ましい黄金の武具が彼女のために用意されている。
「素敵だよ、アムリタ。本当に女神様のようだ」
戦神の装束に身を包んだアムリタを見て瞳を潤ませているイクサリア。
「いやー……ちょっと照れ臭いわね、これは」
言葉の通りに照れて笑っているアムリタの笑みは若干引き攣り気味。
そこへ両手で木箱を持ってウィリアムが入ってきた。
「アムリタ、ジャハの村のボルガン師からお届け物だ」
何だろう? と不思議そうな表情で木箱を受け取るアムリタ。
手にした感じ、大きさの割には重量を感じるが……。
木箱の中身は金の冠であった。
見事な装飾が施されている。
ボルガンが手ずから用意したものなのだろう。
「凄い……」
思わず圧倒される。
確かに……これは正しく神の戴く冠であろう。
「付けてみたまえ」
ウィリアムに促されて宝冠を戴くアムリタ。
「………………」
すると、イクサリアが、ウィリアムが、マコトが……。
そしてエルフたちが無言で彼女に向ってひれ伏した。
「……ちょっと! やめてよそういうのは!!」
それに対して真っ赤な顔でうろたえるアムリタであった。




