決裁の時
青天の霹靂…………そうとしか言いようがない。
この男が、アムリタが十二神将になる為の推薦人を引き受けてくれるというのだ。
皇帝ギュリオージュの実弟、闘神ラシュオーンがだ。
「これまでのお前の働きぶりを見てきた」
またも意外なことを言うラシュオーン。
政治のことなど興味もないのかと思っていたが……。
「政を司る者としての能力に問題はないようだ。そして俺に土をつけるほどの猛者を従えている器量を考えれば神将位に推挙してもいいだろう」
……きちんとアムリタという人間を評価した上での判断だという事だ。
流石に負かされた相手だからいう事を聞く、みたいに単純な話ではない。
ただこの申し出を素直に受けてしまっていいものか。
アムリタには懸念がある。
「ですが、闘神様。私は人間族を奴隷の身分から解放することを目的にしていまして……」
「それは俺にとってはどうでもいい事だ。賛成でも反対でもない。お前に相応の力があるのならば実現できるだろう」
ラシュオーンは言葉の通り、意に介さぬといった風であるが……。
「でも、私の推薦人になればラシュオーン様も賛成派だと見なされてしまいます」
「それも俺の知ったことではない。そう思いたい者には思わせておけばいい」
そこでハッとなるアムリタ。
この見た目よりも遥かに冷静で思慮深い皇弟が今自分が口にしたような事を考えていないはずがない。
その上で彼は引き受けると言ってくれているのだ。
直接協力はしないが、結果的にアムリタが自分の名前を……影響力を利用することを黙認してくれるという事だ。
「ありがとうございます! ラシュオーンさま!!」
感極まって大きく頭を下げるアムリタ。
「やはり、俺の捕まえたこいつの方が少し大きいだろう」
「何言ってんだし。ウチのやつの方が大きいし」
……しかしその時には既に闘神はエウロペアと捕まえたカブトムシのサイズで張り合っていて聞いていないのであった。
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主神城トリーナ・ヴェーダ……その中枢、森羅万象の間。
日中の屋内でありながらその広大な円形の部屋のドーム状の屋根の内側は星空である。
現実の宇宙だ。
魔術により空の彼方の光景を投影しているのだ。
その星空の下、浮かぶ大きな宝珠の上で胡坐をかくブロンドのエルフの少女。
帝国の絶対神、皇帝ギュリオージュ。
一説によれば彼女の魔術は時を止め、死者すらも蘇らせると言う。
そして集っている十一人の戦神。
武と治を司る最強の十二神将たち。
皇帝の側近、ドワーフの大賢者マハトマもいる。
最後に……緊張で顔色が悪いアムリタ。
「これより審議を行う」
厳正な空気の中、静かに告げたギュリオージュ。
神将たち全員が彼女に向けて片膝を床に突き深く頭を下げた。
「アムリタよ、前に出るのじゃ」
地面と水平に右手を差し出す頭上の皇帝。
「……って、そなた何で吐きそうな顔をしておる」
「すいません、吐きそうなんです……」
真っ青なアムリタは口に手を当ててよろめいていた。
緊張が限界を超えて膝に来ている彼女が微妙にガクガク揺れている。
「このアムリタ・アトカーシアを十二神将に推挙したいとの申し出があった」
ギュリオージュの言葉に応じて軽く片手を上げる三人。
天神トリシューラ。
玉神パラーシュラーマ。
闘神ラシュオーン。
いずれもがエルフ種族。
そして一人は皇帝の実弟。
「意見がある者は申し出るがよい」
「あり得ん話だッッ!!! 我は断じて認めんぞ!!!!」
ギュリオージュの言葉の末尾にかぶせるように怒号を挙げた黒い鎧のエルフ。
羅神ラーヴァナの叫びには耳にしただけでも鼓膜が焼き付いてしまうかと思うほどの強い憤怒と憎悪が滲んでいる。
「人間だ!! 人間だぞ、その小娘はッッ!! それが我らと同等の神を名乗るだと!!?? 馬鹿げている!! お前たちは気でも狂ったのかッッ!!!」
推薦人となった三人の神将たちを順に指さしながら絶叫するラーヴァナ。
フッ、とそれを鼻で笑い飛ばしてトリシューラが腕を組む。
「神将位に相応しいかどうかは種族によってではなく能力と人格によって判断されるべし、でしょう? 永い帝国の歴史で奴隷から神将となった例はいくつかあるはず。お前の指摘は的外れよ、羅神。お前こそ人への憎しみで正しい判断ができなくなっている」
「それはキサマだッッ!! その小娘に入れあげてからすっかりおかしくなっているだろうがッッ!!!」
さらに過熱し声量が上がるラーヴァナ。
トリシューラは涼しい顔で肩をすくめてそれを受け流す。
「私がおかしくなっているとしたら、玉神と闘神はどうなの? ……いずれにせよ、そうだというのなら他の神将たちと正せばいいだけの事よ。聞いてごらんなさいな。お前以外の神将たちはどう判断するのかを」
トリシューラの言葉にラーヴァナはハッとなって推薦人以外の十二神将たちを見た。
「おいッッ!! 何か言えお前たちも!!! 奴隷が我らと同格になろうとしているぞ!!! 反対しないか!!! 屈辱だろうがッッ!!!」
必死に煽るラーヴァナだが、それに呼応しようという戦神はいない。
「我は異議なし。現時点でその娘に神将位に不適当と判断するだけの材料は何もない。無論未だ未熟な面はあろうが、在位中の成長を期待すればよい範囲の話だ」
腕組みをした空神ガルーダが首を横に振る。
「右に同じよ。やりたいというのであればやらせてやればええ。いつまでも巧神の後任もおらんで歯抜けのままでは寒々しいわい」
冗談めかしてギヒヒッと笑い声をあげる幻神ビャクエン。
「……ヴァジュラッッ!! おいヴァジュラ!! 何か言え!!」
「落ち着け、ラーヴァナ。時代の風を読め。今は彼女の方から吹いているぞ。歯向かうのは賢い立ち回り方ではない」
口の周りを覆った髭を指先で整えながらヴァジュラはゆっくりと首を横に振る。
自分と同じく人間種族を強く蔑視していたはずの雷神も乗ってこない。
愕然として言葉を失うラーヴァナ。
結局、ラーヴァナ以外に反対の声を上げる戦神は誰も出てこなかった。
「決まりのようじゃな」
……決裁の時が来た。
森羅万象の間が水を打ったように静まり返る。
「アムリタ・アトカーシア……そなたは本日この時より『征星戦神』を名乗るがよい。星神アムリタよ、そなたが新たな十二神将じゃ」
「……………」
アムリタが万感の思いで片膝を突き皇帝に向かって深く頭を下げる。
「謹んで拝命致し……おえっぷ!!!」
「何でまだ吐きそうなんじゃ!!!」
えずいたアムリタに仰け反るギュリオージュ。
「すいません……なんならさっきより吐きそうです……。なんか目の前で私のせいで喧嘩はじまっちゃうし……」
相変わらず真っ青な顔で口を押えているアムリタだ。
「おのれぇぇッッッ!!! 我は認めんッッ! 断じて認めんぞ!!」
叫んだラーヴァナが高い位置にある自らの座を飛び出し、アムリタに向かって高速で飛翔する。
「! アムリタ……!」
呆然としているアムリタの手を引いて抱き寄せるトリシューラ。
羅神は一瞬前までアムリタのいる位置を突っ切ってそのまま大扉に激突し、それを粉々に粉砕しつつ飛び去ってしまった。
どうやらアムリタを攻撃しようとしたのではなく立ち去るほうが目的だったようだ。
その黒鎧の背にはトンボのそれに似た透明の羽があり、それを高速で羽ばたかせていたようだが……。
「と、飛べるんですね……あの方」
トリシューラの腕の中でかすれた声で言うアムリタ。
「あいつの鎧はね、生きているの。生き物なのよ、あれ。希少なある特殊な甲虫を生かしたままで魔術で装甲の形に加工しているものよ」
優しい手つきで抱きしめたアムリタの頭を撫でながらトリシューラが教えてくれる。
「仕方のない奴じゃ。……ラーヴァナに三月の謹慎を申し渡せ」
はぁ、と渋い顔で嘆息するギュリオージュにその場に残った全員が頭を下げた。
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サンサーラ大陸に新たな神が生まれた。
星神アムリタ……奴隷である人間種族からの千数百年ぶりの神。
ファン・ギーラン帝国は軍事国家であると同時に宗教国家でもある。
信仰の対象となるのは絶対神である皇帝とそれに仕える十二の神将たちだ。
つまり全ての帝国民……この大陸に生きる者たちにとって、神将の就任は崇める新たな神の誕生も意味していた。
この地にやってきてから三年半でアムリタは帝国の神の一柱となったのである。
大陸各地は喜びに包まれ多くの祭事が催されている。
懸念されていた人間種族からの就任という事での反発も今のところはほとんどないようだ。
それだけ十二神将とは帝国民にとっては絶対的な存在という事なのだ。
後はこの三年間でウィリアムが大陸各地を旅してその土地土地の人間種族に対して比較的好意的なエルフの有力者たちにコンタクトを取ってくれていたという事も大きい。
老冒険家は大陸中でアムリタが受け入れられる下地を作ってくれていたという事だ。
そのウィリアムは凡そ二年と数か月ぶりに大神都に戻ってきた。
「やれやれ、どうにか間に合ったか。就任記念祭典はどうしても見ておかなければと思って大慌てで戻ってきたよ」
ダチョウのようなフォルムで後ろ足が異様に発達した爬虫類に跨って帰ってきたウィリアム。
走竜と呼ばれるこの生き物は馬が存在しないこの大陸ではメジャーな騎乗用生物だ。
「お帰りなさい、先生。お手紙はいつも楽しく読ませて頂いてましたよ。あと、めちゃくちゃファンレターが来てます」
苦笑しているアムリタ。
ウィリアムの荷物の中には彼がいつも名刺代わりに持ち歩いている『ウィリアム冒険記』の一巻と二巻が入っていた。
それを彼の許可を得てアムリタの手配で帝国語に翻訳し発行したのである。
帝国民たちにとっては異世界の冒険譚という事になるが、アムリタ達が元いた世界同様にこの物語は大陸中で大ヒットとなった。
「出版してくれて本当によかった。私も助かっているよ。作者だと言えばどこでも待遇が大分よくなるからな」
笑いながらそう言ってウィンクするウィリアムであった。




