再会、歩く国際問題
エルフ……細面で体付きや顔立ちが人間に比べて整っていて見目麗しい者が多い種族である。
頭が良い者が多く魔術的素養にも優れる。
寿命が長く大体のエルフは五百年以上。高位の者となると二千年近く生きた例もあるという。
……それ故にか出生率が低い。
人間と比べれば十分の一以下である。
「現時点での人口差はエルフの八倍かぁ」
資料を見ながら難しい顔をしているアムリタ執政官。
サンサーラ大陸での各種族の人口比率を見ているのだ。
それによれば現在この大陸の人間種族はエルフ種族の凡そ八倍の数である。
エルフとその他ドワーフや獣人など、人間以外の種族全てを足しても人間の数には届かない。
この人口差というものがアムリタの目的を阻む大きな壁である。
それだけ数が上回っている種族に自分たちと同等の権限を与えたらどうなるか……。
支配者と被支配者の立場が逆転するのではないか。
そう危惧して警戒されるのは当然の流れであった。
(ただ、そこを逆に何かに利用できないかしら。エルフの警戒心を逆手に取った何かを)
何か思いつきそうで中々出てこない。
うんうん唸っているといつの間にやら傍らにマコトがいた。
どうやらノックの音も耳に入っていなかったらしい。
「ご主人、お客様っスよ。何か怪しい人っス」
「え……?」
苦笑気味に言うマコトに怪訝そうな表情になるアムリタであった。
………………。
何か怪しい人……マコトは来客をそう説明した。
なるほど、彼女の言う通りである。
エスニックでカラフルな布をターバンにして同じくカラフルな布をマフラーとマントにしているその男は確かに怪しいと形容するのがもっとも相応しい気がする。
ターバンの下に長耳が見えているのでエルフ種族のようだ。
ただ本当に怪しいだけの男であればマコトは自分に繋がない。
彼女が彼はOKとした理由があるはずなのだが……。
「……お待たせしました。アムリタ・アトカーシアです」
応接間に出向いて挨拶をする。
内心眉を顰めていることは表情に出さないように気をつけながら。
すると……男は名乗り返すでもなくマフラーからくぐもった笑い声を漏らしているではないか。
「すっかり立派になったものだな……お嬢ちゃん」
マフラーをずらしニヤリと笑った鷲鼻で悪人面の男、それは……。
「ああぁぁッッ!!!????」
思わず大口を開いて驚愕するアムリタ。
「ぬはははッ!! 久しぶりだなぁ!! 一先ずはお互いの無事を乾杯する事にしようではないか!! というわけで何か出してくれ。なるべく高い酒をな」
素顔を晒したのは王国切っての問題中年、ギエンドゥアン・マルキオンであったのだ。
………………。
「何でおじさまが帝国にいるのよ。それに、その耳は……?」
「こんなモン、作り物に決まっとるだろうが。こんなオモチャでも付けておると案外エルフで押し通せるものだ」
怪訝そう、かつイヤそうなアムリタに対して付け耳を外すギエンドゥアン。
マコトが彼を屋敷に入れたのは正体を見破っていたからであろう。
そして、アムリタはギエンドゥアンの口から実は彼がキリエと一緒に帝国に来ていたという事を初めて聞かされるのであった。
「キリエ~ッッ!!! 言っときなさいよ!! こんな歩く国際問題を持ち込んでおいて!!!」
「いやいや、そう褒めるな。流石のわしでも照れ臭いぞ。……いや、褒めてないなそれ」
高笑いしてからふと真顔になるギエンドゥアンだ。
「それで、おじさまは三年間も何をしていたの?」
ようやく一息ついてお互いに向き合って座るアムリタとギエンドゥアン。
彼は要求した通りの高い酒を出してもらって上機嫌である。
「わしらは親友で仲間だろうが。当然お嬢ちゃんの力になるべく各地を奔走していたのだよ」
「へえ~……」
半笑いで聞いているアムリタ。
勿論彼の言う事は欠片も信じてはいない。
「ちょっとな、会ってほしい御方がおるんじゃ。お嬢ちゃんにとっても悪い話じゃない」
「………………」
思わせぶりに口の端を上げるギエンドゥアン。
本当に……本当に人相が悪い。
その顔だけ見ていると無条件でNOを出してしまいそうになる。
そんな所が妙に懐かしくて……アムリタは笑った。
「いいわよ。……誰と会わせてくれるのかしら?」
「すまんがそれは言えん事になっとるんだ。日時が決まったらここへ来て欲しい。お互いに護衛は一人までにしようと先方は言っとる」
受け取った二つ折りの紙を広げて見るアムリタ。
そこには自分も名前は知っている大神都でも指折りの会員制高級クラブの店名と住所が記されていた。
「……ふーん。まあいいわ。折角おじさまがお膳立てしてくれたんですものね。お会いしましょう」
「おおッ! 流石だなぁその決断力。繰り返し言うがお嬢ちゃんにとっても悪い話じゃない。この秘密の会合が終わればきっとわしに感謝する事になるであろう。ぬははははッ」
愉快そうに笑っているギエンドゥアンを「しょうがないなぁこの人は」みたいな顔で見て苦笑しているアムリタとマコトであった。
………………。
ギエンドゥアンが上機嫌で引き上げていった後のこと。
「お会いさせておいて何なんスけど、よかったんスかねえ? OKしちゃって」
「構わないわよ。もしこれが罠で私を嵌めようとしているのだとしても、こんな異世界まで来て三年も掛けるその執念と情熱に免じて付き合ってあげる事にするわ」
眉毛を八の字にしているマコトに肩をすくめるアムリタ。
一つだけ確かなことはギエンドゥアン・マルキオンという男は自分の利益の為にしか動かない。
この話がここからどう転ぶにしても彼は儲かる仕組みになっているという事だ。
その上で自分がどういう目に遭うのかはまだわからない。
……ただ、100%の悪意だけでもないのがギエンドゥアンという男でもある。
今回の話も単に自分を陥れて彼が儲けるだけの罠ではないのではという気も……ほんの少しだけはあったりするのだ。
(我ながら、あの人には少し甘いかなとは思うんだけどね)
内心で密かに苦笑するアムリタであった。
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そして、日時を調整してギエンドゥアンの紹介によるさる人物とアムリタの秘密の会合の日がやってきた。
アムリタは指定された時刻に護衛であるマコトを伴い、指定された店へと訪れる。
会員制の店でアムリタは会員ではないが、話は通っているらしく輿を降りるとすぐにボーイがやってきて彼女は店内に案内された。
どんどん奥へと進んでいくボーイ。
アムリタは知らなかったが、そこは既に会員でもほんのごく一部である特別な者しか立ち入ることのできないエリアだ。
「………………」
優雅に歩きながら少し自分の鼓動が早くなっている事を感じるアムリタ。
感じる。ここは相手のホームだ。
この先は自分の戦いである。
「こちらでございます」
そう言って頭を下げるボーイ。
何十にもヴェールの掛かったその先は広いフロアで……。
(うわ……)
思わず息を飲んで足が止まる。
円形のフロアの外周を巨大なアーチを描く水槽が囲んでいる。
その中には様々な美しい魚が優雅に泳いでいた。
淡く青い明かりに照らされまるで自分が海中にいるかのような錯覚に陥る。
「おーっほっほっほっ! 如何かしら? 御気に召して? 私の自慢のフロアは……」
部屋の中心のやはりアーチ型の長椅子から立ち上がった一人の女性。
全身を貴金属で飾った豪奢な衣装の美しい女性のエルフだ。
真紅の緩やかにウェーブの掛かった長い髪に化粧の濃い顔。
紅を引いた艶やかな唇が笑みを刻んでいる。
(「私の」……所有者……!)
この店は初めて訪れるが会合が決まった日に詳細はもう調べてある。
所有者は……十二神将。
「こうして実際に会うのは初めてですわね。今日の日を楽しみにしておりましたのよ。私は『征玉戦神』……玉神パラーシュラーマ」
彼女は……玉神パラーシュラーマは戦神であると同時にこのサンサーラ大陸最大の商人でもある。
『黄金郷商会』の商会長。
再び長椅子に腰を下ろして足を組むパラーシュラーマ。
その背後には従者の如くギエンドゥアンが無言で控えている。
(誰が来るのかと思ったらまさか十二神将とは……。どうやって取り入ったのよ、おじさまは!)
「お招きに預かり光栄でございます、玉神様」
内心で激しく動揺しつつも平伏するアムリタ。
予想していなかった「神」との面会は心臓によろしくない。
「そう硬くならなくてもよろしくてよ、アムリタ執政官。貴女とは是非こうやって一度じっくり話し合ってみたいと思っておりましたわ」
パラーシュラーマに促され、長椅子に座るアムリタ。
「まずは乾杯する事に致しましょう。私たちの素敵な出会いに……」
チリンと涼やかになるグラス。
互いに唇を湿らせ、改めて向き合うアムリタと玉神。
何の用ですか、などとは口が裂けても言えない。
あらゆる意味で機嫌を損ねてはいけない相手である。
「私はね、常々貴女の思想と活動に共感しておりましたのよ。人間たちは何て可哀想なのでしょう。どうにかして自由の身にしてあげたい、と……そう思っておりましたの」
そう言って絹のハンカチで涙を拭く仕草をするパラーシュラーマ。
そんな彼女を笑顔で見ている無言のアムリタ。
しかしそんなアムリタの内心は表情とは裏腹に冷めていた。
(……嘘ね。この方はそんな博愛主義者ではないわ。これまでに人間種族の為に特に何かをしたという記録もないし)
人間寄りの十二神将がいるのなら自分の情報網に確実に引っ掛かってきているはずだ。
そういったエルフ側の協力者がいないものかとこの三年でアムリタは大陸中を当たって、実際に何人かの協力者を得ているのだ。
今もウィリアムが彼女の名代として大陸各所を巡っている。
そんなエルフたちの話でも彼女がそういう思想を持っていたり慈善的活動を行っているという話はまったく聞かれなかった。
……しかし、そんな彼女の真意や思惑等どうでもいいといえばどうでもいい。
そう話を振ってくるのなら乗るだけである。
「……偉大な玉神様にそう言っていただけたかと思うと感動で胸がはち切れそうでございます。ですが奴隷制度改革を提言するには神将位に就かねばならず、今の自分では力不足で……」
「あら、就けばいいのですわ。十二神将に。おなりなさいな……アムリタ。私が貴女の推薦人となりましょう」
どくん、とアムリタの心臓が大きく鳴った。
想像以上にあっさりと自分の向けた水に対し望んだ返答を返してくるパラーシュラーマ。
だが、これは……。
アムリタの本能が警鐘を鳴らしている。
このまま進めば危険だ。ここまでは全て恐らく彼女の掌の上。
彼女の真意を見抜かなければ。
自分は今試されている。
艶然と微笑むパラーシュラーマだが、その目は笑ってはいない。
……自分の対等のビジネスパートナーとなり得るのか。
今この戦神はそこを見極めようとしている。
知らず知らずの内に汗を掻いていた手を膝の上でグッと握るアムリタであった。




