背骨を引っこ抜きましょう
皇帝の浴室。
湯浴みをしているギュリオージュの傍で控えているアムリタ。
「城が騒々しくなってきたようじゃな」
黄金の浴槽で寝そべりゆったりと手足を伸ばしながら皇帝は思わせぶりにそう言って横目でアムリタを見る。
「え、え~……そ、そ、そうでしょうかぁ」
その視線を真正面から受け止められずに目線を逸らすアムリタ。
ギュリオージュは暗にアムリタに対して「お前何か引っ掻き回してないか?」と言っているように思う。
別にアムリタは城の中を引っ掻き回しているわけではない。
あれこれと企みながら毎日を過ごしてはいるが……。
請われるまま皆の手伝いやら息抜きの相手などを務めつつ、時に殺されかかったりしているだけである。
「そなたから見てこのファン・ギーランはどうじゃ? わらわの帝国は……」
「……………」
非常に……難しい問いがきてしまった。
これはどう答えるのが正解なのだろうか?
当たり障りなく「素晴らしい国だと思います!」と言っておくべきだろうか。
しかしそれは「つまんねーヤツ」認定を食らいそうである。
自分の問いかけに対して真摯に答える気はなくおべっかを使って上手く切り抜けようとするような者だと思われてもしょうがない。
ざばっ、と湯船から立ち上がるギュリオージュ。
椅子に座った彼女の身体を丁寧に洗い始めるアムリタ。
「私は……人間ですので……」
泡立てたスポンジで小柄な皇帝の腕を洗いながら慎重に口を開く。
彼女が好む力の入れ方はもうすっかり習得済みだ。
「同じ人間が奴隷として酷い目に遭っているのを見るのは悲しいです」
「……………」
迷ったが結局はある程度正直にアムリタは話すことにした。
この先の自分の目的を考えてもその部分に触れずにいるわけにはいかない。
黙殺してしまえばこの国での人間のそういった扱いを許容したとも受け取られる。
自分を使いに出したロードフェルドも人間を奴隷扱いする国と笑顔で付き合いを持ちたいわけではないだろう。
王国には奴隷制度はない。
実質的な部分はともかくとして社会の仕組みとしてそういった階層は存在していない。
「で、あろうな……」
ギュリオージュの反応はどこか虚無的に聞こえた。
「じゃが、人間の奴隷は我が国にとって極めて重要な存在なのじゃ……アムリタよ。単なる労働力としてだけではなく、な」
「社会の不満のはけ口として……でしょうか?」
アムリタが返答すると皇帝はスッと目を細めた。
「やはりそなたは賢いな」
「……………」
遜って礼を言う気にはなれずにただ頭を下げるに留めるアムリタ。
どうやら正解だったようだ。
劣った存在として人間を酷使することでエルフたちは自尊心を満たしている。
奴隷は統治に対する不満が出ないようにエルフたちのガス抜きする役割を負わされているわけだ。
人は自分よりも下の者を見ると現状への不満を薄れさせる……「あいつらよりはマシだ」と。
「この帝国はそのように出来上がってしまっておるのじゃ。わらわでもそれはどうにもならぬ」
それは……本来であれば従者に聞かせるような事ではないように思う。
どのような気持ちでギュリオージュは今自分に帝国の「歪み」について語っているのだろうか……?
例えるのならば国が人体とすれば人間奴隷はその背骨とも言える。
初めからそれありきで体は成り立っているのだ。
背骨がよくないので無くしてしまいましょうとはいかない。
暗澹たる気持ちで帝国の数千年の歴史に思いを馳せるアムリタであった。
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……行き詰った。
アムリタ・アトカーシアは非常に渋い顔で自室の中をうろうろと歩き回っている。
やはりどう考えても帝国の奴隷制度が障害である。
個々に好意的に見てくれている者がいなくもないとはいえ、そりゃ自分たちが奴隷と見なしている種族の集まった国が対等の交流を求めてきても応じようと言う気にはなれないだろう。
(ぐあ~……困ったわね。もうこれ詰んじゃってるんじゃないの? どうしようもなくない?)
大体がそもそも帝国がデカすぎる。
王国は中央大陸に存在する二百数十の国の中ではトップレベルの大国である。世界中という括りでも五本の指に入る規模の国だ。
明確に王国より上と言える国は東方の皇国くらいなものであった。
それが……その中央大陸に匹敵する大陸を丸ごと領土としているのがファン・ギーラン帝国なのだ。
正直言って比べてみる気すら失せるほどの差がある。
奴隷制度の話がなかったとしてもまともに取り合ってくれるか怪しい相手なのに……。
がしがしと頭を掻いて唸る。
これはもう、自分がどうにかできる話ではない。
後はとにかく皇帝に媚びを売って、どうにか自分と仲間たちを王国へ帰して貰えないかと頼んでみるだけだ。
ここまで接してきてギュリオージュはまったく話が通じない相手という訳ではない事はわかっている。
なんなら連れてきてしまった者の責任として自分は残ってもいい。
自分が残ると言えばイクサリアも同じく残るだろうが……。
(よし、それしかなさそうね。その方針でいきましょう。何とか先生やマコトやエウロペアは向こうへ帰してあげられるように……。キリエは……あれはどうでもいいかな……)
キリエは放っておいても勝手に戻ってきそうな気がするアムリタだ。
ちなみにそのキリエがギエンドゥアンを連れてきているという事をアムリタは知らない。
自分がするべきことが決まって少しだけ気持ちが前向きになったアムリタ。
そのタイミングで彼女の部屋の戸がノックされる。
「……はい?」
「アムリタ、トリシューラ様が御呼びよ」
それはすっかり馴染になったトリシューラ付きの侍女の声であった。
……………。
呼び出しを受けてすぐにアムリタはトリシューラの部屋までやってきた。
「御呼びでしょうか? トリシューラ様」
「よく来てくれたわね」
笑顔で自分を出迎えてくれるトリシューラ。
彼女の豪奢なベッドの上に無造作に沢山の装束が並べられている。
「おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れるアムリタ。
どの服も華やかであるが派手すぎず品があって可愛らしい。
ただ彼女が着るにはほんの少し幼い感じがするような……?
「私のお抱えの仕立て屋に貴女の服を作らせてみたのよ。さあ、着てみせてくれる?」
「ええええ!! 私にですか!!? ……畏れ多い事でございます」
恐縮しながらも着替えを始めるアムリタ。
これは自分用に仕立てられた服だというのであればもう着るしかない。
他の人にどうぞというわけにはいかないのだろうし……。
照れながらも一着ずつ着た様子をトリシューラに披露する。
彼女は一々「素敵よ」とか「とても愛らしいわ」と無邪気に喜んでくれている。
(あぁ……この人は……)
本当に……本当に自分の事が好きなのだ。
手を叩いて子供の用に喜んでいるトリシューラを見て今更ながらにそう実感するアムリタだ。
そんな事を考えていたら、何となくベッドに座っている彼女に歩み寄っていた。
「……………」
座りながら自分を見上げているトリシューラ。
それを彼女のすぐ前に立って見下ろしている自分。
視線を交差させた二人の無言の時間が流れる。
そして、アムリタは屈んで彼女の頬に手を添えるとそっと口付けた。
トリシューラは……抵抗しない。
その勢いのままベッドに倒れる彼女をアムリタが組み伏せたような体勢になる。
(……うあ、勢い余ってやっちゃった! イクサみたいな事してるわ、私!!)
いつも自分がされているような事を自分がしてしまった。
こういう時のアムリタは大体が受け身だからだ。
しかし、これはもう……。
やや息を上気させ潤んだ瞳で自分を見上げているトリシューラ。
なんか、こういう時は積極的なようなイメージの彼女であるが……少し意外だ。
(今更そういうんじゃないんです、とか言えたはずないわね。よし覚悟を決めたわ。もうこのままイクサっぽい感じでいけるとこまでいくわよ!!)
常に情愛は受け入れる側と思っていた自分にも肉食な面は眠っていたようだ。
知らなかった自分の一面に驚きつつ、トリシューラに覆い被さるアムリタ。
……そんな自分の首に彼女の細くしなやかな腕が巻き付き抱き寄せられた。
………………。
…………。
……。
窓から柔らかい月光が差し込んでいる。
時刻は深夜に差し掛かろうとしていた。
ベッドの中で身を寄せ合っているアムリタとトリシューラ。
二人とも一糸まとわぬ姿でだ。
(結局いくとこまでいっちゃったわ。……流石ね、王女式攻略法)
多少自棄気味に思うアムリタである。
自分でも上手く説明の出来ない衝動に押される形で彼女と身体を重ねてしまった。
「……すみませんでした」
一方的に情欲をぶつけてしまった気がする。
詫びるアムリタをトリシューラが胸元に抱き寄せる。
「何を謝る事があるの? 私は今この上なく幸せな気分よ。この天上の心地は貴女がくれたものなのよ、アムリタ」
「トリシューラ様……」
まだ少し艶っぽく息を乱しているトリシューラ。
「天神の異名で呼ばれるこの私に天上の気分を味あわせるなんて、生意気ね」
胸元に抱き締めたアムリタの額に何度も口付けをしながらくすっと笑ったトリシューラ。
「ねえ、貴女のいた国の話を聞かせて。貴女はどうして帝国にやってきたの?」
「はい。少し長い話になりますが……」
請われてアムリタは語った。
自分のいた王国の話を。そして自分がどのような使命を帯びてこの地にやってきたのかを。
『しかし、その役目は果たせそうもありません。駄目だったんです』
……自分の話はそう結ばれるはずであった。
あまりにも困難な課題。巨大にして堅固過ぎた帝国……その歴史と成り立ち。
もう、自分ではどうする事もできそうにない。
……そうだ、彼女にも自分の仲間たちを帰すための口添えを頼めないだろうか?
そうすれば皇帝が自分の頼みを聞き入れてくれる確率も上がるのではないか。
それはとてもいい案に思える。
それなのに……。
どうしてか……その言葉が口から出てくれない。
「私には無理でした」
と、その一言が声になってくれないのだ。
「私……わたっ……」
言葉に詰まるアムリタ。
代わりに溢れ出たのは涙だった。
無性に悔しい。悲しい。
腹立たしい……力のない自分が。
「私、やらなきゃいけないんです。無理なのに。そんなのできっこないのに……だけど私が、私がやらなきゃいけないと思うんです……っ!」
帝国の背骨を……引っこ抜く。
この国の人間たちを奴隷から解放する。
「おやりなさい、アムリタ」
トリシューラが優しく微笑み、再度アムリタを抱き締める。
「やるのよ、アムリタ。貴女がやるの。この私が……『征天戦神』トリシューラがどこまでも力になるわ」
「うぅっ……うあっああああ……っ!!」
トリシューラの腕の中で子供の様に泣きじゃくるアムリタ。
そんな彼女を褐色の肌のエルフはいつまでも優しく抱きしめ、その頭を静かに撫で続けるのだった。




