キミの瞳がエビデンス
妻は思慮深く心優しい女性だった。娘は天真爛漫で明るく太陽のような子であった。
妻は人間族の奴隷たちにもエルフ族と同じ生活をさせていた。
自分はそれは少し過剰な温情ではないかと思っていたが愛する妻のする事なので反対はしなかった。
……ある時、自分の屋敷は炎に包まれた。
妻と娘は逃げ遅れて焼け死んだ。
自分は神将の任務で遠方にいて、戻った時には全ては終わっており物言わぬ家族の骸と焼け落ちた家の残骸があるだけであった。
火元は奴隷の部屋で、居眠りをしていて明かりの蠟燭から燃え広がった火事であった。
学者になりたいと言っていたその奴隷は夜遅くまで勉強をしていたのである。
妻もそれを応援し、本などを買い与えていた。
……愚かな人間。
少し優しくしてやって自由を与えてみればこの始末だ。
妻を悲しませても、もっと奴隷は奴隷として扱うべきだったのだ。
「……奴らは、ゴミだ」
酒臭い息を吐きながら暗い情念の籠った声でラーヴァナが言う。
「まったくもってお前の言うとおりだよラーヴァナ。気の毒だが奥方は連中への接し方を間違ってしまったな。奴らは消耗品であって家畜だ。相応に扱わねば悪さをしてこちらに害をなす」
言いながら空になったラーヴァナのグラスに酒を注いでやるエルフの男。
トリシューラと同様の褐色の肌で口の周りに品よく切り揃えられた髭を蓄えた美丈夫だ。
中分にした銀色の髪は背の中ほどまで伸ばされている。
彼は十二神将『征雷戦神』……雷神ヴァジュラ。
「奴らを使った面白い遊び方を教えてやろう。奴隷同士を武装させて戦わせるのだ」
「そんなん、毎日闘技場でいくらでもやってんじゃん」
半眼の戯神メビウスフェレス。
「戯神か。いつもいつの間にか混ざっているなお前は。……まあよい、お前も聞け。闘技場でやっているようなあれは健全すぎるのだ。妙味というものがまるでない」
ヴァジュラが自慢げに語る。
彼は自分の屋敷の地下に秘密の闘技場を作っており、そこに親しい人物を招いて奴隷同士を殺し合わせて見せているのだが……。
「戦う両者の妻や子を磔にしておいてな。戦う奴隷が傷付けば同じだけそいつも槍で突くのだよ。自分がへまをすれば愛する者も傷付く、自分が死ぬと愛する者も死ぬ。悲痛な顔で殺しあう者どもを見物するのはなんともいえない趣があるぞ」
「うっへぇ~……悪趣味~ぃ」
べえ、と長い舌を出して顔をしかめるメビウスフェレス。
ラーヴァナは無言でグラスを傾けている。
「ギリギリの状態まで追い込まれた時にこそ剝き出しの本当のそいつが顔を出すのさ。それを眺めて酒を飲むのが本物の贅沢だ。闘技場で喜んでいるような奴らは私に言わせればまだまだ二流だよ」
「流石にそれは陛下にバレたら何か言われんじゃないの?」
なんとなくうそ寒い表情のメビウスフェレス。
奴隷の扱いについては帝国法により過度の虐待は禁じられているのだ。
「良い顔はされぬであろうがな。……まあ、せいぜいが口頭でお叱りを受ける程度であろうよ。そうなればまた別の遊びを考えるさ」
ふふふ、と笑ってグラスを傾けるヴァジュラであった。
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穹神ガーンディーヴァは落ち着かない様子である。
(天神の部屋って無意味にだだっ広いうえにゴージャス過ぎてモヤモヤするのよね)
突然呼ばれてトリシューラの部屋にやってきているガーンディーヴァ。
同じ女性の神将同士、付き合いは数百年にもなるが部屋に招かれたのなど初めてのことだ。
お互いに……「違うな」と思っていた二人。
性格的にも価値観的にも仕事上の付き合い止まりでプライベートの交流はこの先もないだろうと双方が思っていた。
そのはずなのに……。
(でも、流石にお酒は美味しいわ)
杯を傾けて思うガーンディーヴァ。
トリシューラが愛飲している桃の酒である。
初めは無言でただ飲んでいた二人だったが、やがてアルコールが入るとぽつぽつ会話が発生するようになった。
話題はラーヴァナの事になる。
「逆恨みでしょ……どう考えたって。奥様とお嬢さんの事は気の毒ではあるけど」
「そうねぇ」
彼の性格を一変させた火災の事は二人も知っている。
その事に同情はしつつもその後の彼の人間族への苛烈すぎる扱いには眉をひそめている二人だ。
「……でもどうしたの、急に。あんた何百年も何も言ってなかったじゃない。その話」
「だってあいつ、私のアムリタを殺そうとしたのよ?」
どんよりとした視線をガーンディーヴァに向けるトリシューラ。
よくは思っていなくてもこれまではラーヴァナには不干渉だったはずの彼女。
「あんたのじゃないでしょ。……陛下の御付きであろうと見境なしかぁ。ぶっ壊れてるわね」
はぁ、とため息をつくガーンディーヴァ。
戦神たちは皆強大であり過ぎるが故に「我」も強すぎるのだ。
時として平気で法を乗り越えて自分の意思を優先させる。
巧神然り、羅神然りだ。
「私がその場にいれば守ってあげられるけど、いない所でやられたらと思ったら……」
握りしめたトリシューラの拳からゆらりと赤い魔力のオーラが立ち昇った。
「ちょっと、やめなさいよ。あんたたちがぶつかったら主神城がなくなる」
顔をしかめるガーンディーヴァにトリシューラは首を横に振った。
「今のところはそういう事は考えていないわ。またアムリタに手を出して来たらわからないけどね……。それにねえ、私は考えたのだけど……」
トリシューラがどこか遠くを見るような眼をした。
「それで仮に私が羅神を涅槃に送ったとしても、アムリタはそれを喜ばないと思うのよね。彼女の為を思うのなら私は羅神を殺さずに考え方を変えさせないといけないんじゃないかしら」
「……………」
やや引き攣った顔で呆然となるガーンディーヴァ。
「何よ、その顔は」
「誰かの気持ちを考えるとか……。ちょっとあんた……本当にトリシューラ? その皮を剝がしたら下に別のやつがいるんじゃないでしょうね?」
配慮はさせるものであって自分はしない。……それが天神トリシューラであったはずだ。
「うるさいわね。私にだってそういう気分の事だってあるわ」
ふん、と鼻を鳴らしてからトリシューラが俯く。
「……だって、好きなんだもの」
そして彼女はぽつりと呟いた。
(あ~、本気なのね)
そんな神妙な様子のトリシューラを前にしてグイッと一息に杯を空にするガーンディーヴァ。
(でもごめーん、それはそれとしてわたしはわたしでジェイドを狙ってますんで! チャンスあればパクッとペロッといく気ですので!!)
トリシューラから見えてはいない角度でお茶目な表情になりペロッと舌を出すガーンディーヴァである。
「……そういえば、読んだわよ貴女の『キミの瞳がエビデンス』」
「読んだならタイトル間違うなよ……。眼球が証拠物件にされてんのよ」
半眼でボヤいてからふと我に返ってブッと酒を吹いてしまうガーンディーヴァ。
「げほッ! 読んだ!? あんたがわたしの本を!!??」
「ええ、アムリタが面白かったというから。確かに中々のものだったわ、褒めてあげる」
尊大にお褒めの言葉を下さるトリシューラ。
口に出すことはなかったものの、漫画本文化というものに対して冷めた態度であったはずの彼女がだ。
「はぁ……まあ、それは……恐悦至極」
微妙な表情でとりあえず礼は言っておく原作者。
「おかげで彼女との共通の話題が一つ増えたわ、褒めてあげる」
「はぁ……まあ、それは……勝手にしろよ」
微妙な表情でケッと吐き捨てる原作者。
そして原作者は小皿に手を伸ばして……それが空であったので空しく虚空を掻いた。
「ちょっとナッツ食べ過ぎじゃないの?」
「え? 私はそんなに食べていない……」
二人の視線がなんとなく吸い寄せられるように同じ方を向いて……。
「おっすおっす」
そこでリスのように頬を膨らませてナッツを食べている青い肌の魔族の女を見るのだった。
「また出た。いつも貴女はいつの間にかいるわね」
はあ、とため息をつくトリシューラ。
彼女が現れたということは秘密の女子トークはここまでだ。
誰の味方か誰の敵か、よくわからない戯神メビウスフェレス。
何となく全員と交流があり、胡散臭がられつつも激しく拒絶もされていない。
割とざっくばらんに話せるのだが、それでも一番重要なことを打ち明けられる相手ではない……という何とも微妙な立ち位置の十二神将だ。
「さっきまで羅っさんと雷さんと飲んでたよ。相変わらず人間の悪口ばっかだね~あの人らはさぁ」
けらけらと笑っているメビウスフェレス。
十二神将の飲み会から飲み会をはしごしている。
「十二人中の人間嫌いツートップだからね……」
ふぅ、と疲れたように嘆息するガーンディーヴァ。
その事さえなければ優秀な執政者であり優秀な軍人なのだが……。
トリシューラが戯神を見て目を細める。
「アムリタの話は……?」
「出てなぁ~い。匂わせみたいのはあったけどねぇ~。釘刺したんでしょ? そんなら多分余程のことがない限りは手は出してこないと思うよ。トリリンが本気なのは多分向こうには伝わってる。やったら最後殺し合いになるのわかってっからね。そこまで踏み込んではこないと思うにゃ~」
ひょいとナッツを上に放ってそれを器用に口でキャッチするメビウス。
「だけどそれだけにフラストレーション溜めちゃってるね。関係ない子が大分ぶっ壊されてた」
「……………」
眉を顰めるトリシューラとガーンディーヴァ。
無関係の奴隷を八つ当たりで殺害したということだ。
部屋の空気が暗くなってしまったが、そんな事はお構いなしのメビウスフェレス。
「アムリタは可愛いね! 昨日お尻触っちゃったよ、うっひひひひひ」
「ちょっと何してくれてんのよ!!! あのケツは私のなんだから勝手に触らないでよね!!!」
突如憤怒の形相で戯神の襟首を掴み上げるトリシューラ。
それでもメビウスはへらへらと笑っている。
「……いや、あんたのケツでもないでしょうよ」
そんな二人を冷めた目で見つつ手酌で酒を注ぐガーンディーヴァであった。




