異境の厄介者
柳生キリエはアムリタの血縁上の親だ。
彼女の男性態である鳴江柳水がある女性との間に設けた子供がアムリタなのだ。
つまりアムリタにとってキリエは遺伝子的には父親と言うややこしくもめんどくさい間柄なのである。
「なんであんたが帝国にいるのよ……」
「お豆腐を買いに出たらあなたにも食べさせてあげたくなってね。最近は王都でも質のいい東方の食材が手に入る様になって嬉しいわ。リュアンサのお陰ね」
リュアンサの仕掛けた東方ブームによって王都では東方の品々を取り扱う店が随分と増えた。
それはいいのだが……。
「そんな事で異世界まで来なくていいでしょ」
「異世界ねぇ……」
ジト目のアムリタに対し、キリエがくすっと笑う。
「言うほど異世界でもないわよ、ここは。私たちの暮らしていた中央大陸からすると北東の位置にある大陸ね」
「大昔そうだったけど、その大陸を丸ごと異世界に移動させたものでしょう?」
ウィリアムから聞いた大昔の古文書ではそうなっていたはずだ。
「それは意味的には合っていると言えなくもないけど事実を正確に言い表してはいないわ。別に大陸はどこにも移動していない。今も中央大陸の北東に変わらずに存在しているのよ」
キリエの説明に眉を顰めるアムリタ。
……いや、そんな事はあり得ないだろう。
あのエリアはただ海原が広がっているだけだ。
どの世界地図を見た所で大陸が記載されているものはないし、そこにそんなものがあると口にする者もいない。
「意味が分からないといった顔ね」
何を言ってんだコイツ……みたいな渋い顔をしているアムリタ。微笑んでいるキリエ。
「ではこのそこにあるはずなのにない事になっている大陸の正体は何か……それはね、巨大な認識阻害の魔術」
「認識阻害……?」
益々アムリタの表情が歪む。
「例えば、今あなたの目の前のテーブルの上に花瓶が乗っているとするわね。ところがその花瓶はあなたには見えないし触る事も出来ない。だとしたらそれはもうないのと一緒じゃない?」
「まあ……そうね」
まだ釈然としない様子ながら肯くアムリタ。
認識できない物は存在していないのと……一緒。
「それと同じよ。遥かな大昔にこの大陸にはそういう認識を阻害するとんでもなく巨大な魔術がかけられている。確かにそこにあるのに外からは誰もそれを認識する事ができない。そして内側にいる者たちも外側を一切認識する事ができない。それが世界から隔絶されたこの大陸の……エルフたちの帝国の正体ね」
大陸はそこにあるのに、外からは見えないし触れられもしない。
正しくは見えていても、触れていてもその情報を脳が受け取らないのである。
「それってもうどうにもできないんでしょう?」
「そうねぇ。現代の魔術のレベルではどうやったとしても解除はできないでしょうね」
……だとすれば結局はこの大陸は異世界にあるのも同じである。
キリエが意味としては合ってると言えなくもないと言ったのはそういう事か。
「はぁ。ご教授どうもありがとうね……。あんまり今の私にプラスになる話ではなかったけど」
事実とすれば壮大な神秘ではあるが、アムリタが今しなければならない事には何も寄与しない話でもあった。
「……『傲慢な姫君』の能力はちゃんと使いこなせている?」
「アロガ……? 何?」
急に話題を変えたキリエにまた盛大に顔を顰める事になるアムリタ。
「戦闘中に相手の魔術的特技を模倣して自分も使いこなす能力……何度かやっているわよね?」
「ああ、あれ……あれそんな厳つい名前だったの……」
初めて知った自分の能力の名前であった。
「やっぱりあれもあんた由来の能力だったのね」
「そうよぉ? 感謝してくれてもいいのよ? ママに。いえパパでしたっけ、どっちでもいいけど」
ハッ、と思わず乾いた呆れ笑いが出てしまうアムリタ。
彼女は……柳生キリエは自分にとっては親ではない。血の繋がりはあったとしても。
そして味方でもない。時折力になってくれる事はあるが。
肉親と慕うには、味方だと信頼するには危険すぎる女だ。
気まぐれにとてつもない災厄をお遊び感覚でぶつけてくる。
彼女が軽い気持ちで介入すると騒動の規模と被害が何十倍にも膨れ上がるのだ。
「お願いだからここでは大人しくしていてよね。今はとてもじゃないけどあんたの相手はしてられないのよ」
「そう聞くとなんだか私がとんでもない厄介者みたいじゃない」
ぶー、と口を尖らせるキリエ。
みたい、じゃなくて実際に厄介者なのだと……そんな無言の抗議を込めて冷たい目をするアムリタであった。
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はぐれ者たちの集落、ジャハ。
元神将であるボルガンの庇護下にあるこの村での生活は当初ウィリアムたちが想像していたよりも大分裕福なものであった。
住人達は付近の鉱山から多種の鉱石を採掘し、それを大神都に売る事で生計を立てている。
一部はボルガンと彼の弟子たちが美術品やアクセサリーに仕立て、それも売り物としている。
普通に暮らしていくには十分な収入があるのだ。
「あはは、待って~! エウロペア!」
「お姉ちゃ~ん!」
今、エウロペアを追い回している子供たちもみすぼらしい恰好をしている者はいない。
人間、獣人、ドワーフ……ここではあらゆる種族が平等に生活している。
「はいはい、ジャリんこ、こっちだし。ウチに追いつけたらご褒美あげちゃうじゃんね」
……そしてそんな多様な種族の子供たちの面倒を見ている、意外と子煩悩なツインテメイドであった。
「ここはいい村だな」
「そうかい。ありがとうよ」
ウィリアムが素直な気持ちで称賛すると、言葉とは裏腹に大した感慨もなさそうに煙管を吹かすボルガンだ。
この村がどういった場所であるのか。その成立の経緯はこの老人から聞かされている。
「別に正義感でも博愛主義でもねえよ。気に入らねえんだ。立場の弱い連中をいたぶる奴もそれを当たり前だと思ってる奴もな。だからちょいと歯向かってやろうと思ったって、そんだけの話だ」
ボルガンはそう言っていた。
だがウィリアムにはわかる。これはそんな軽い話ではない。
それだけで戦士が自分の利き腕を落とそうとは思わないだろう。
「連れてかれちまったっていうお前の仲間のお嬢ちゃんの事は俺も知り合いに当たってやる。だからもうあの居眠りしてるみてえな目の娘を夜に出すのはやめろ」
「……ああ、わかった」
どうやらマコトが夜にこっそり抜け出して都にいっていた事はとうにバレていたようだ。
素直に肯くウィリアム。
彼としても一番大事なアムリタの現状に付いては先日マコトが直に接触して確認してきてくれている。
これ以上彼の意に反してマコトに諜報を続けさせる理由はない。
「お前さんたちぁどいつもこいつも大したスゴ腕だ。いざとなりゃあ強引に押し通ろうと考えてんのかもしんねえ。だがな、それじゃバカでけえ仕組みを変えることはできねえんだよ」
「世話になっている身だ。そこまで身勝手に振舞う気はないさ」
苦笑してパイプを吹かすウィリアム。
淡々と語っているようで根っこには実感が籠っているボルガン老人の言葉であった。
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……私は、誰かの目に映る自分の姿なんて気にしたことはない。
帝国のエルフたちに最も美しいエルフは誰かと問うたならばその多くはトリシューラの名を挙げる事だろう。
その事をトリシューラ自身も自覚している。
彼女は物心ついた時から自分が人にどう見られているのかを気にしたことはない。
常に自分の考える最良の生き方をしてきただけだ。
自分自身に恥じることがなければ、妥協がなければ正当な評価も羨望も称賛も勝手に付いてくるものだ……彼女はそう考えていた。
(その私が今、誰かの評判を気にしている……)
「天神トリシューラが乱心した」
「彼女は人間などに心を奪われて堕落してしまったのだ」
そう自分を蔑む者たちがいる。
その声が自分の所にまで届いている。
「……煩わしいこと。言いたいことがあるのなら私に直接言えばいいのに」
物憂げにそう言って彼女は紅茶のカップに唇をつける。
普段であれば気にも留めないはずのそんな雑音が妙に気にかかるのは自分の中に迷いがあるからではないのか……そう彼女は悩んでいた。
「陰口しか叩けない者の言う事など天神様が気になさる必要などありません」
「……………」
侍女の言葉にも彼女の表情は晴れない。
「私は……変わったかしら」
「はい、御変わりになられました。前よりお優しくなられて……畏れながらわたくしめには今の天神様の方が前よりもずっとお美しく素敵に見えております」
微笑む侍女。
……そういえば、以前彼女の笑みなど見たことがあっただろうか?
そんな事を考えるトリシューラの耳に、窓からわーわーという歓声が遠く聞こえてきた。
「騒々しいわね。何なの……?」
「今日は闘技場に皇弟様がお出になられますので、観戦者が盛り上がっているものと」
ああ、と不快そうにトリシューラが口元を歪めた。
最強である自分よりも一説によれば強いとされている『闘神』ラシュオーン。
トリシューラとしては目の上のたんこぶのような存在である。
「あんな粗暴で野蛮な男の戦いを見て何が嬉しいのやら」
「でも、この前アムリタも観戦したいと言っておりました」
無言で突然立ち上がるトリシューラ。
バネ仕掛けかと思うほどの機敏な動作に一瞬侍女がやや仰け反る。
「すぐに闘技場の席を手配してちょうだい。私とアムリタの分をね」
「かしこまりました」
頭を下げる侍女に特に驚きはない。
この話題を振った時からこうなる事は想定済みである。
「アムリタを呼びに行かせて。私が闘技場に連れて行ってあげると言ってね。神将の観覧席で見物させてあげましょう。きっとあの子は喜ぶわ。うふふ」
そう言って笑った彼女の表情はやっぱり以前の彼女のそれよりも大分柔らかいもので……。
以前よりも美しいと言った自分の言葉は決して世辞の類ではないと改めて確認する侍女であった。




