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戦神、〆切りに追われる

 アムリタが皇帝ギュリオージュの侍女として働き始めてから半月程が経過した。


 今日も彼女は甲斐甲斐しくギュリオージュの身嗜みを整えている。


「失礼致します」


 彼女の長い金色に輝く髪に櫛を通す。

 艶やかで滑らかな皇帝の御髪はまるで絹糸だ。


「ふむ、心地よいぞ。大分仕事にも慣れたようじゃな」


「……日々、精進しております」


 畏まって頭を下げる。

 慣れてきてはいるものの、それでも皇帝や身分の高いものたちの心証を損ねないようにと毎日必死だ。

 怒りのポイントを全て把握できているわけではないのだ。

 ふとした事から不興を買うような事があれば立場は一変しかねない。


 アムリタは自分の役割を忘れてはいない。

 今だ与えられた部屋に置かれたままのロードフェルド王子の親書……あれをギュリオージュに手渡さなくてはならない。

 ……といっても読める者が自分しかいないので結局渡した後で自分が通訳する事になるが。


「王国から来たと言うたな」


「……!! は、はい」


 アムリタが親書の事を考えていたのとちょうどタイミングを同じくして皇帝の口から王国の名が出た。


「いわれてみればそのような国もあったな」


「………………」


 どこか遠くを見るような視線で気だるげに言うギュリオージュ。

 その言葉からは彼女が王国をどのように思っているのかは読み取る事ができない。

 ギュリオージュは即位して八百年以上だという。

 それならば六百数十年前に建国された王国と不可侵の約定を交わしたのは彼女のはずだ。


 一瞬親書や自分の役目の事を話そうかと思ったアムリタだが、結局そのまま口には出さなかった。

 この話題で勇み足だけはするわけにはいかない。

 折角絶好のポジションを得たのである。

 この利を活かして信頼を得てこちらの要求を通しやすいように下地を整えなければ……。


「そういえば昨夜、またトリシューラが来たぞ。そなたを寄越せと言うておる」


「あぁ……」


 何とも言えない表情で何とも言えない声を出すアムリタ。

 あの妖艶な美女は自分の何がそんなに気に入ったのだろうか……。

 一度ほんの短時間顔を合わせただけだというのに。


「換わりに巨象に積みきれぬ程の黄金を支払うと言うておるぞ。また値段が髄分と上がったものじゃのう。気分はどうじゃ?」


「……畏れ多いです」


(……というより意味わかんないわよ。意味わかんなすぎて怖いわ)


 あんなにこの世の全てを手にしていますみたいな美女が自分に何の執着をしているのか。

 得体が知れなすぎて恐怖である。

 剥製にされて飾られたりするのではあるまいか。


「たまに逢うてやるがよい。そのくらいであればわらわも何も言わぬ。無駄に嫉妬心を煽る気もないしのう」


「御意にございます、陛下」


 色々と思うところはあるものの……その辺りは飲み込んで頭を下げるアムリタであった。


 ───────────────────────────────


 主神城トリーナ・ヴェーダではアムリタは大人気であった。

 理由は色々とある。容姿が優れているというのもその一点だ。

 後は大神都では引っ込み事案で暗いというのが人間族の主なイメージだがそれを覆す彼女の堂々とした立ち振る舞いが物珍しいというのもあった。

 後は……。


「アムリタっ! 丁度良かったわ! 手伝って!! また締め切りをブッちぎりそうなの!!」


 ……単純に彼女が優秀であるという事だ。


 自室より顔を出して必死にアムリタを手招きしているのは眼鏡を掛けた橙色の髪のエルフ女性である。

 ローブのようなゆったりとした装束を着て神官のような筒状の帽子を被っている。

 瞳は大きく丸くエルフ族の例に漏れぬ整った顔立ち。……しかし今は目の下に濃い隈を作って荒んでいる様子。

 長い髪を襟足の辺りで編みこんでいる。

 そんな彼女は帝国の誇る十二神将の一人、『征穹戦神(セイキュウセンシン)』ガーンディーヴァである。


「は、はい。只今……」


 呼ばれて慌てて小走りに駆けていくアムリタだ。

 そんな彼女の手を引いたガーンディーヴァが自分の部屋に引っ張り込む。


「ガンディ先生、修羅場になる頻度が高すぎませんか……?」


「言わないで!! 自分でもわかっているから……!!」


 この半月で泣き付かれてアムリタが彼女の手伝いをするのはこれで三度目だ。

 部屋に入ると空気がどんよりと澱んでいる。

 死んだ目をして原稿に向かっているエルフのアシスタントが三人。

 ……ガーンディーヴァは神将でありながら今この大陸でも屈指の人気を誇る漫画家でもあるのだ。


 主に年若い男女のラブコメを描き人気を博している。

 代表作のタイトルは『キミの瞳はラビリンス』……現在最新刊417巻が発売されたばかり。


 今取り掛かっている原稿もその『キミラビ』の最新話の原稿のようだ。


「ごめんね~、折角興味持ってくれて読んでくれてるのにネタバレ原稿手伝わせちゃって……」


「大丈夫ですよ。先の話過ぎてネタバレにもなってないです」


 ガーンディーヴァが読んでみて、とキミラビ全巻貸してくれたので読み進めている途中なのだ。

 何度か手伝っている内に漫画原稿のベタ塗りやトーン貼りはすっかり手馴れたものになっているアムリタ。

 今回も早速デスクに就くと早速筆を手にしてベタ塗りを開始する。


「どの辺りまで読めたの?」


「180巻くらいですね。やっとラオ(ヒロインの片想いの相手)とマイア(ヒロイン)が仲直りした所です」


 アムリタにとってみれば習得したばかりの帝国エルフ語の読み書きの成果を試す丁度いい教材である。

 流石に大人気の漫画だけあって確かに面白い。面白いは面白いのだが……。


(劇中の経過がエルフ目線過ぎて滅茶苦茶長いのよね……)


『キミラビ』はエルフの少女マイアと彼女が片想いしているエルフの青年ラオの二人を主軸に進むラブコメだ。

 共に良家の子女であったマイアとラオ。

 ところがある時マイアの家は事業の失敗から多額の借金を抱えて没落してしまう。

 貧民になってしまったマイアだがそれでも彼女は持ち前の明るさと知恵と機転で次々に困難を乗り越えていき、幼馴染であるラオとの仲も少しずつだが進展して、といったストーリーなのだが……。


(まさか些細なすれ違いからケンカしてしまって険悪になった二人が仲直りするまでに巻数50巻近く、劇中時間で半世紀が流れるとは思わなかったのよね……)


 人間だったらケンカしたまま死に別れである。

 そういう所で人間とエルフの種族差というものを感じずにはいられない。


「ところでガンディ先生、トリシューラ様の事なんですけど……」


「トリシューラぁ?」


 原稿から顔を上げたガーンディーヴァがやや剣呑な視線を向けてくる。

 ……両者の関係はあまり良好ではないのかもしれない。


「あの高慢ちき女がどうかした?」


「トリシューラ様はよく自分を最強の十二神将だっておっしゃっているんですが、私は以前ガネーシャ様にラシュオーン様が帝国最強だと伺っていて……どういう事なのかな、と」


 アムリタが問うとガーンディーヴァはああ、と納得したように肯いた。


「そうね~……。最強といえば肉弾戦なら皇弟殿、術ならトリシューラでしょうね」


 私があの二人より劣っているという意味ではないけどね! とガーンディーヴァは付け足す。

 穹神ガーンディーヴァは無双の弓の達人である。

 得意とする距離や戦況がそれぞれ異なるのだ。


「ではラシュオーン様とトリシューラ様が戦ったら?」


「それは皇弟(ラシュオーン)殿でしょ。トリシューラ(あいつ)は認めないと思うけどね」


 ふふん、と意地悪く笑うガーンディーヴァであった。


 ────────────────────────


 余暇を利用してドワーフ族の賢者マハトマに帝国エルフ語の読み書きを習っていたアムリタ。

 彼は皇帝の最側近であり知恵袋でもある。


「ほう、素晴らしい。もう完璧ですな」


 大きな鼻の下を濃く長い髭で覆ったローブ姿のドワーフはアムリタから手渡された教材を捲りつつ感嘆の吐息を漏らした。


「マハトマ様、相談がありまして……」


「何ですかな?」


 マハトマはドワーフなので思い切ってアムリタが親書や自分が帯びた使命について打ち明けてみる。

 どうにかして皇帝ギュリオージュにこの話を了承してもらう手段はないものか、と。


「なるほど……。単なる流れ者の器量ではないだろうとは思っておりましたが、そのような事情でしたか」


 納得したようにうなずいてから一転彼は難しい顔をして腕を組んだ。


「しかしですな、お気の毒ですがあなたの道は非常に困難なものであると言わざるを得ません。皇帝陛下はこのサンサーラ大陸を今の状態で完成していると思っております。外からの風を入れる事は望まれておりません」


「そうですか……」


 落胆して声のトーンが落ちるアムリタだ。


「これまでも何度か同様の話はありましたが、いずれも陛下は拒否されております。今回に限って考えを変えられるという事もありますまい」


「………………」


 落ち込んでいるアムリタを少しの間眺めていたマハトマがオホン、と咳払いを一つした。


「ですが……まったく手がないというわけではありません」


「……!」


 弾かれたように顔を上げるアムリタ。

 老賢者はモノクルを外すとそのレンズを布巾で拭っている。


「過去に何度か同じ事があったと申しましたが、いずれの時も皇帝陛下は側近や神将たちを集めて意見を聞いております。賛同が多ければ考えると申されましてな。つまりは……」


「賛成してくれる人を集めれば望みはある……!」


 瞳を輝かせるアムリタ。

 静かに肯くマハトマ。


「困難な道である事に変わりはありませんがね。当時外界との交流に賛成した者はわしと神将からは二人……その内一人はもう職を辞しており現在は神将位にはおりません」


 という事は……現時点では賛同者は二人という事だ。

 その前回賛成している神将が今回も同じようにしてくれるという保証もないが。


「ありがとうございます! なんとか頑張ってみます!」


 決意を込めた瞳でマハトマに頭を下げるアムリタであった。


 ………………。


 鼻息を荒くして自室に戻ってきたアムリタ。


「ガンディ先生なんて原稿お手伝いしてるんだから味方してくれないかしらね。……まあそんな簡単な話じゃないか」


 独りごちてから苦笑するアムリタ。

 すると外からトントンと窓をノックする者がいて彼女は飛び上がった。


「ッ!!!」


 ここは地上六階。窓の外は何もない虚空のはずである。

 こんな事をする者には一人しか心当たりがいない。


「イクサ……!!」


 窓を見るアムリタ。

 しかしそこにいたのは彼女の想像していた人物ではなく……。


「………………」


 風に翻る黒いロングスカート。

 窓の外の糸目のメイド……マコトが「お静かに」というように口の前に人差し指を立ててニヤリと笑ったのだった。

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