まぼろしを斬る
林の中を吹き抜けていく風にピンクのツインテが靡いている。
余裕の笑みを浮かべているエウロペア……しかし彼女のこれは大体よくわかっていない時も何故か見せる笑みなので実際の彼女の優位を表しているとは必ずしも限らないのであった。
よくわかっていないのに自信ありげ!
よくわかっていないのに偉そう!!
それがエウロペアというメイドである。
そんな風に一人のメイドが余裕の佇まいでいる近くでもう一人のメイドがビャクエンと互角の立ち合いを演じていた。
格闘戦の僅かなスキを突いてクナイを放つマコト。
そのクナイはビャクエンの胸板に突き立った……かと思えばそのまま透過してしまい背後の木の幹に突き刺さった。
(だぁッ!! やっぱりすり抜けるっス!! それなのに……それなのに!!!)
ビシッ! と頬を浅く掠めていった白猿の棍の先端。
その部分に赤みが差してジワッと血が滲む。
(……あっちの攻撃は食らうと傷を負うっスよ!! 意味わかんないっスね、どういう仕組みなんスか)
不快げに眉を顰めるマコト。
こちらの攻撃は全てすり抜けてしまうのにあちらの攻撃は当たる。
素手でも武器を変えても同じだ。
掴めもしない。
戦いながら周囲の様子を……仲間たちの様子を伺うマコト。
もしかしたらすり抜けないビャクエンがいるのではないか? そうだとしたらその一体が本体なのだろう……そう思うマコトであったが。
(ダメっスね。全部すり抜けるヤツっス)
他の仲間たちも全員が自分と同じ状況のようだ。
アムリタの拳も、イクサリアの生み出す真空の刃も……全て彼女たちが戦っているビャクエンは透過して無効化してしまっている。
ただどういうわけかエウロペアと対峙しているビャクエンだけはその透過の優位があって尚攻めあぐねている様子で両者はにらみ合いになっているが……。
……アムリタたちが交戦している場所から200m程離れた木の上。
太い枝の上で胡坐をかいているビャクエンがいる。
このビャクエンが本体だ。
初めから彼はアムリタたちに本体は晒していなかったのである。
今戦っているのは彼が仙術によって生み出した幻影……まぼろしだ。
だが単なるまぼろしではない。
強い思念によって相手の脳に信号を送りこんでこちらから触れた時の刺激や痛みを実際に神経に感じさせているのだ。
その信号は実際に相手に負傷が発生するほど大きい。
それがビャクエンの分身の正体だ。
「……うゥ~む、だが竜だけはイカン。竜は我が術の天敵よ」
高位の真竜とは存在自体が魔術の塊のようなものだ。
向こうとしては見ているだけ、話しているだけ、息をしているだけのつもりであってもそれが魔術として作用する事がある。
どんな些細な事から術が破られるかわからない。
ならば……。
……………。
「ギヒヒヒッッッ!!!」
哄笑しながら向かってくるビャクエンに迎撃の体勢を取るエウロペア。
だが老猿は大きく跳躍してメイドの背後に降り立ちそのまま彼女に背を向けて走り出した。
向かう先は……アムリタだ。
彼女は今自分が戦っているビャクエンと背後から迫るビャクエンとに挟撃される形になっている。
「アムリタ……ッ!!!」
それに気付いたイクサリアが露骨に動揺して集中を乱す。
「ホレどうしたァッ!! 胴がガラ空きじゃぞッッ!!!」
ビャクエンの蹴りがイクサリアの腹にめり込む。
「が……ふッッ!!!!」
吹き飛んで砂埃を挙げながら地面を転がる王女。
その隙に二匹のビャクエンがアムリタに取り付いた。
「少しの間眠っておれッ!!」
鱗粉をアムリタの顔に吹きかける白猿。
これもまた幻術。
脳に全身が麻痺したかのような信号を送る。
単に脳に信号を送るだけなら視覚的な挙動は不要にも思えるが、実際にはそうではない。
見た目に「~されたので~の状態になるかもしれない」と相手に思わせることは信号の効果に大きく影響するのだ。
「……くっ……!!」
激しく膝を揺らしながらも倒れずに持ちこたえているアムリタ。
しかしその視界も意識も激しく明滅している。
常人であれば一瞬で完全に昏倒する信号が脳にいっているのにだ。
(やはりこの娘もただ者ではないのォ……)
そう思いつつもビャクエンはアムリタの背後に回り込み、片腕で彼女の頭部を抱き込むようにしながらもう片手にいつの間にか持っていた短刀の刃を首筋に当てた。
「よし全員動くな。勝負ありじゃ」
アムリタを抱えているビャクエンがニヤリと笑った。
「……………」
ウィリアムが二本の剣を地に投げ出す。
抵抗する気がない事を示しているのだ。
同じようにマコトも両手を軽く上げて降伏の意を示す。
(よし勝ったッ! ならば長居は無用じゃ)
ここからでも赤竜の動向によっては逆転される恐れがある。
「この娘は預かっていくぞ!!」
意識が朦朧としているアムリタを小脇に抱えて大枝に跳躍するビャクエン。
「アムリタ……」
連れ去られて行ってしまう彼女を呆然と眺めつつ、イクサリアが掠れた声を出した。
太い枝から枝へと飛び移りながら去って行ってしまうビャクエンとアムリタ。
そして追跡を警戒するようにその場に残って一同を牽制している残りの四体。
「アムリターッッッッッ!!!!!」
王女のその血を吐くような叫び声は……。
一陣の烈風と化して周囲を薙ぎ払った。
「ギヒヒヒッ!! いくら叫ぼうが無駄じゃッッ!! 真空の刃は効果が無……」
嘲笑うビャクエンの脇腹が風に引き裂かれ、鮮血が散った。
「!!!????」
負傷したビャクエンが驚愕の表情で凍り付き、そのまま背景に溶けていくかのように消えてしまった。
変化はそれだけではない。
イクサリアの風の刃を浴びてはいないはずのその場の残り三人も、やはりまったく同じ脇腹から出血しながら苦しみながら消えていく。
……同時刻、離れた場所にいる本体も同じ個所に傷を負って血を吐いていた。
「がバハッッ!!! あ、あ、あり得んッッ!!! どういう事じゃッッッ!!!??」
イクサリアの風が幻影を斬った。
その結果、本体である自分も同じ個所に傷を負った。
まぼろしを斬る……そんな事はできない。
まぼろしはまぼろし。その場にいるように見えているだけの実際は存在していないものだ。
実際はないものを、あるように見えているだけのものを斬る事などできるはずがない。
……だが、彼女の風は自分の作り出した幻影を斬って本体を負傷させている。
となれば理由は一つ。
あれは風ではないのだ。
風の姿をしているだけの彼女の意思そのものだ。
彼女は自分の風が相手を斬ったと思った。信じた。願った。
だからそれは理屈を超えて現実となった。
現実を侵食する意思の刃……それが彼女の能力の正体だ。
「こんな手段でわしに攻撃を届かせるとは……ッ! 他の戦神どもにも伝えてやらんと……今度の遊び相手は歯応えがあるぞッ!!! ギヒヒヒヒッッ!!!!」
血を滴らせる脇腹を手で押さえ、脂汗の浮いた顔にそれでも笑みを浮かべると跳躍し木々の間の闇の中に消えていくビャクエンであった。
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ヴェーダ大神都……帝国の中枢、首都である。
一千万人の暮らす超巨大都市。
その中心部に主神城トリーナ・ヴェーダが経っている。
魔力を動力として動く床。昇降してそのまま上階や下階に運んでくれる床など、アムリタたちのいた世界の技術水準からすれば想像もできないような数々の魔道科学の技術が費やされている城だ。
宙に浮く巨大な水晶球の上で胡坐をかいて瞑想しているブロンドの神秘的な美少女。
皇帝ギュリオージュだ。
その巨大水晶の前にビャクエンが跪いている。
老猿の腹部に巻かれた包帯には痛い痛しく赤色が滲んでいる。
そしてその獣人の隣に寝かされている意識のない少女……アムリタだ。
「……話はわかった。お前に傷を与えられる使い手がおるとはのう」
目を閉じたままで皇帝が口を開く。
それに対し無言で深く頭を下げるビャクエン。
「ところで……お前二人で行ったじゃろ。相方はどうした?」
「あ……」
しまった、という表情になる老獣人だ。
近所のオッサンをどっかに置き忘れてきてしまった。
「まあよいわ。傷も癒さずに報告に来たのか」
「まずはご報告を、と思いましてなぁ」
痛みに耐えているらしきビャクエンの額には汗の玉が光っている。
「フフフフ……年寄りがはしゃぎすぎじゃろう。話はわかった。まずは傷を癒してまいれ。その娘はわらわが預かる」
「御意にございまする皇帝陛下。ならばこの場はこれにて……」
跪いたまま再び深く頭を下げるとそのまま消えてしまうビャクエンだ。
そしてギュリオージュは倒れているアムリタを見下ろした。
「異境人か。久方ぶりよの。今までのように富や好奇心に目が眩んだ者たちか? それにしては少しばかり毛色が違うようじゃが……」
水晶球の上のギュリオージュが手をかざすと、アムリタがひとりでにふわりと浮き上がる。
ゆっくりと上昇して皇帝のいる高さまで持ち上がるアムリタ。
「ん……? なんじゃ、こやつ?」
目を細める皇帝。
彼女の左右色の違う瞳が淡く輝く。
するとアムリタの姿が変化していきジェイドになった。
「一つの身体に男と女が同居しておるのか。ふははは、これは面白いぞ。このような者は八百年間見たことがないわ」
楽し気に笑う皇帝。
するとジェイドがゆっくりと降下し再び床に横たえられた。
「気に入った。こやつはわらわの手元に置くとするぞ。これ、誰ぞおらぬか」
ぱんぱん、と皇帝が手を叩くと数人の白い衣の侍女が出てきて恭しく頭上の彼女に向かって頭を下げた。
「……そやつ、薄汚れておる故、清めてやるがよい。その後で着替えを与えてやれ」
再び頭を下げた侍女たちがジェイドを抱えて退出していく。
「色々と覚えさせてわらわの身の回りの世話をさせるのじゃ。……おい、誰か『財神』ガネーシャを呼んでおけ。あれこれ教えさせるのならあやつがよかろうて」
再び手を叩く皇帝。
すると先ほどの数人とは別の侍女たちが姿を現し、頭を下げてから退出していった。
「数百年ぶりに少し退屈が紛らわせそうじゃな」
んー、と胡坐の姿勢のまま伸びをして満足げに微笑むギュリオージュであった。




