闘神ラシュオーン
慌てて応接室に顔を出すアムリタ。
すると、そこでは意外な二人が歓談の最中であった。
「……そこでね、私は言ってやろうとしたんだよ。『おいその汚い手を離せ悪党!』ってね。ところが彼らの言葉はまだ勉強中でちょうどいい言い回しが思い浮かばなかった。仕方がないので知っている単語を必死に繋ぎ合わせて罵ったんだが、後で知ったがたまたまその言葉の組み合わせが慣用句になってしまっていてね。私は奴らに『親孝行しろよ!』って叫んでいたというわけさ」
「まぁ……うふふ、相変わらず貴方は、楽しい御方ね」
軽妙なトークでエスメレーを笑わせている老人、ウィリアム。
この二人が面識があったとしてもそれはまったく驚くような話ではない。
……ウィリアムが元王妃が大幅に若返っていることに対してどう思っているのかは別として。
「ようこそおいでくださいました、先生」
「やあ、アムリタ。この前は満足に挨拶もできずに慌ただしく去ってしまって申し訳なかった。ああいう争いに混ざって戦っていたことがバレると家人がなぁ……大層怒るんだよ。年齢を考えろとかね。心配して言ってくれているのだから仕方がないが」
口の周りから顎のラインを銀色の髭で覆ったダンディがアムリタと握手を交わす。
「いいえ、こちらこそあれだけ助けてもらっておいてお礼を伝えることもできなくて……」
いまや権力や権威にあまり遜る心理の無いアムリタが畏まる数少ない相手がこのウィリアムだ。
本当の大物とはこういった自然体の人物を指すのではないかと彼女は思う。
大王ヴォードランも、彼は彼でこの上もなく自然体なのだ。
「こんな年寄りでも若い君の力になれたのであれば光栄だ。……さて、今日の訪問の理由なのだが」
思わず背筋を正すアムリタ。
老冒険家の声の調子が少し変わったのを感じ取る。彼は真剣な様子だ。
単なるご機嫌伺いに顔を出したというわけではないらしい。
「君がエルフに付いての情報を集めていると聞いてね。逆に私も君がどのような案件を抱えているのか調べさせてもらったよ」
キラリと瞳を輝かせたウィリアムがやや前のめりになる。
「……『蒼玉の森』へ行くのだね?」
「はい。あらゆる準備が整ったらという事になりますけど」
ウィリアムの言葉を肯定するアムリタ。
蒼玉の森はロードフェルド王子に教えられた王国内でエルフが住まうという森林地帯の事だ。
国土の北西に存在している。
この森自体が約定により一切立ち入り禁止となっている。
するとやおらウィリアムはパァン! と両手を重ね合わせてアムリタを拝み始めた。
「頼むッッ!! 私も同行させて貰えないだろうか!! かの森を探索してみるのは若い頃からの私の夢なのだ!!」
「……は、はい?」
思わず呆気に取られてポカンとしてしまうアムリタだ。
「自国に禁足地の神秘の森があるというのに、そこに行ったことがないというのは冒険家の名折れ。どうにかして入る方法はないものかともう何十年も思い焦がれ続けてきたよ。流石に勝手に入ろうものなら大問題を通り越した凄まじく深刻な事態になるだろうからね」
「それは、そう……でしょうねえ」
よりにもよって十二星が種族間での重要な取り決めを破るわけにもいかないだろう。
「もし同行を許してくれるのであれば勿論全力で君たちのサポートをさせてもらう。私の経験と知識が役立つ場面もあるのではないかな」
「そうですね。こちらとしてはむしろ頭を下げてお願いしたいところではありますが……。いつ出発になるかとか、現段階では全くわからないですよ?」
申し訳なさそうにアムリタが言うとウィリアムはゆっくりかぶりを振る。
「大丈夫だ。もう何十年も待っているのだからね。それが一年二年増えたところでどうという事もない」
「それなら是非お願いします」
笑顔で握手を交わす二人。
こうして、アムリタの困難な旅に心強い同行者が加わることになった。
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ウィリアムからエルフという種族の特徴に付いて教わる。
彼らは非常に長命であり、見目麗しく尖った長い耳を持つらしい。
「男女ともに長身で華奢でね。木製、革製の品物を好んで逆に金属製の品物を忌諱する傾向にある」
「なるほど」
大先生の説明にうんうんと肯いているアムリタだ。
……………。
同時刻。
某国、某所。
栄えた巨大な都の中心部に位置する円形闘技場……そこは今二千人近くの観客に埋め尽くされている。
観客のほとんどが若い容姿で尖って長い耳を持つ……エルフ種族である。
歓声を上げる彼らの視線の先にいるのは闘技場に立つ一人の男。
彼もまたエルフだ。
しかし、彼は巷に広まるエルフ種族の外見からは大きく逸脱している。
身長2m25cm……種族の成人男性の平均身長182cmを大きく超える巨体。
日焼けした褐色の肌。上半身は数本の革製ベルトが巻かれているだけでほぼ裸体と言っていい。
鍛え上げられた筋肉の塊たる身体を惜しげもなく衆目に晒す。
肘から手の甲にかけてだけ見事な装飾の黄金の籠手を装着している。
下半身は純白の袴のような、スカートのような装束でありサンダルを履いている。
顔立ちはまつ毛が長い切れ長の目をした、そこは種族の特徴に漏れぬ引き締まった美形である。
背の中ほどまである銀色の長髪が乾いた風に靡いている。
手にした武器は巨大な剣。これもまた見事な装飾の黄金の鍔と柄を持つその剣は刃渡りだけでも2m近くある。柄から切っ先までほぼ一定の刃の幅も50cm近く。とにかく長大な剣だ。
その巨体の褐色エルフと対峙するのは石で出来た巨兵である。
魔術により創造され使役される岩巨兵。
巨石を繋ぎ合わせて構成された体躯は超大男であるエルフ戦士を更に見下ろせるほどに大きい。
黄金の大剣を構えるエルフ戦士。
ガコンガコンと大きな音を鳴らしながら両腕を振り上げる岩巨兵。
……両者の間に乾いた風が吹き抜けていく。
そこで対戦の開始を告げる大鐘が鳴り響いた。
両者が同時に大地を蹴り相手に向かって突進する。
勝負は一瞬であった。
黄金の大剣が唸りを上げて岩巨兵に振り下ろされる。
斜めに両断され二つになった巨兵はそれぞれ別の方向に吹き飛んでいき、その先で地面に叩きつけられてバラバラに砕け散った。
場内の熱狂は最高潮に達する。
「皇弟ッッ!! 皇弟ッッッ!!!」
彼を称えるエルフたちの叫びが木霊する。
しかし、重たい剣の切っ先を地面に落としたエルフ戦士の表情はいま一つ晴れない。
そんな彼に近付いてくる足音がある。
「そう湿気た顔をするでない。皆お前の戦いぶりを褒め称えておるのじゃ。せめて顔を向けるくらいはせぬか……ラシュオーンよ」
「姉上……」
ラシュオーンと呼ばれたエルフ戦士が顔を上げる。
そこにいるのは弟とは対照的に陶器のような白い肌を持つ種族としては小柄なエルフ女性。
エルフ種族としても殊更に容姿が年若く見える。
人で言うのなら二十歳になるかならないかといった顔立ち。
切れ長の瞳が左右で蒼と碧で色が異なっている。
必要最小限の部分を覆うだけの踊り子のような布地の少ない装束を着て全身を豪華な貴金属で飾っている。
そして、彼女の周囲にはそれぞれ色の違う大人の頭部ほどのサイズの五つの宝珠が浮いている。
「皇帝陛下ッッッ!!! 皇帝陛下ッッッッ!!!!」
女性の登場で更に熱狂する観客たち。
彼女はそんな観衆に向かって堂々と片手を上げて応える。
「姉上、このような相手では我が修練の成果をぶつけるに値せぬ」
石片と化した巨兵をチラリと一瞥して言うラシュオーン。
「困った奴じゃ。この人形も最高位の帝国術師が数日間掛けて仕込んだものであるというに……。最早そなたの力比べの相手が務まるのはドラゴンくらいのものであろう」
姉上と呼ばれたエルフ女性がやれやれと肩をすくめる。
「乾く。……乾くのだ。姉上。我が魂が、我が血が闘争を求めている。闘争こそが我が生き様……我に戦いを。皇帝ギュリオージュ」
「まあ待つが良い。そなたの望みはこの姉がよく理解しておる。いずれそなたに相応しき相手を用意する故、それまでは心を鎮めて過ごすのじゃ」
ギュリオージュの言葉に頷くとラシュオーンは黄金の大剣を肩に担ぎ結局観衆たちを一瞥することもなく闘技場を去っていった。
「……ふぅむ。いっそのこと、蒼玉の森の境界を越えてくる腕の立つ狂戦士でもいればよいのじゃがのう」
遠ざかっていく弟の大きな背を見ながらぽつりとこぼすギュリオージュであった。
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山積みの葉書を前にして微妙な表情のアムリタだ。
「とりあえず……もうあからさまにダメっていうのこっちで弾いて、それでやっとこんな感じね」
苦笑するアイラも疲れた様子だ。
新聞や張り紙で国内に広くエルフの情報を求めた結果がこれである。
「善意で送ってくれているのだからちゃんと目を通しましょう」
「わかりました。では読み上げさせていただきます」
シオンが積みあがっている葉書の一番上のものを手に取る。
「パダルミス市にお住いのペンネーム『股関節亜脱臼』さんからのお葉書です」
「何をしたんでしょうね。階段を踏み外したりしたのかしら」
相手のペンネームに律義に反応するアムリタ。
「『こんにちは楽園星様、初めてお手紙を差し上げます』」
「……まあ、それはそうでしょうね」
相槌を打ちながらアムリタはマグカップを口に運びコーヒーを飲む。
「『子供のころ、祖母からエルフの話を聞いたことがあります。エルフは普段は川や湿地に住んでいて、青緑色のぬめった肌を持ち、頭には皿があり、背中には甲羅を背負っているそうです』」
「……もうここまでで、既に私が得ている情報と200%食い違っているのだけど?」
遠い目をする楽園星。
「『川で遊ぶときはエルフに水底に引き込まれないように気をつけろと祖母はいつも言っていました。プレゼントは楽園星ステッカーでお願いします』だそうです」
「……何が悲しくてそんな種族と友好関係を結びに行かなきゃならないのよ。とりあえずステッカーは送ってあげて」
コーヒーをグイッと一気に呷って嘆息するアムリタであった。




