学術院から来た才女
王宮内、女神の大聖堂。
王国の守護神が祀られたこの神聖な空間は今、陰鬱な緊張感に包まれている。
祭壇の台座にある3m近くもある大きな女神の石像の……その右手に掲げられた錫杖の先端にロープが縛り付けられてそこから男が逆さまに吊り下げられているのだ。
だらんと両腕が垂れ下がった若い男。
白目を剥き大きく口が開いている……凄惨にして壮絶な表情だ。
現場には多くの衛士たちが集まっている。
その内の一部が今、遺体を下ろす為の梯子を持って戻ってきた。
三台の梯子を掛けて複数人で慎重に遺体を下ろす。
……そして、ようやくその作業が終了した時大聖堂に新たな一団が入ってきた。
衛士たちは一斉に直列の姿勢になり敬礼する。
やってきたのは王子クライスと従者たちであった。
「…………………………」
床に敷かれた毛布の上に横たえられたアルバートの亡骸。
王子は無言で歩み寄ると膝を屈してアルバートの上体を起こし、そして抱きしめる。
「お前の無念は必ず私が晴らす。どうか、空の上から見守っていてくれ……アル」
沈痛な表情で声を震わせる王子に思わず周囲の衛士たちも涙ぐんだ。
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クライス王子の側近、一等星ハーディング家のアルバートが殺害された。
このニュースは衝撃を持って王宮内を駆け巡った。
単なる殺人事件ではない。
犯人は被害者を晒し上げるように大胆にも大聖堂の女神像から逆さに吊るしたのである。
何やら強いメッセージを感じさせる行いではあるまいか?
古来より吊るされるのは罪人と相場が決まっている。
それを女神の間にて行うのは……これは裁きだ、神罰だと言いたいのか。
犯人は? その意図は?
王宮では人々がひそひそと囁き合っていた。
……………。
王子ロードフェルド・ボレア・フォルディノス執務室。
その部屋の主は今、口をへの字に結んで配下の者たちからの報告を聞いている。
大王の長兄、ロードフェルド……彼は長身でがっしりした体格に引き締まった顔付きの男である。
柔和で理知的な顔立ちのクライスとは異なり意思が強そうな美形だ。
銀色の髪の毛をやや逆立て太目の眉の端も上方向に跳ねている。
そしてその下には強い眼光を放つツリ目気味の大きな目。
「武人」を自認する彼は宮殿内でも鎧姿でいる事が多い。
金色に縁取りされた白銀の鎧は彼の特注のもので凛々しく勇ましいというパブリックイメージの形成に一役買っている。
「……アルバートがな。殺した後に吊るし上げるとは惨たらしい事をするものよ」
一通りの報告を聞き終えるとロードフェルドは深い息を吐き出す。
政敵の側近の訃報だがその事をあまり喜んでいる様子はない。
「我々の派閥ではあるまいな?」
そして抑えた声で言う。
側近は首を横に振ってそれを否定した。
「派閥の者が動いた様子はありません」
側近はそう言うがそれだけで安堵はできない。
自分の派閥とは言うがそこに所属している者たち全員がロードフェルドの意思の下に制御された状態であるというわけではないのだ。
独自の判断で動くものがいたとしてもおかしくはない。
何しろこの先の自分の栄枯が関わっているのである。
「アルバート・ハーディングはクライス様に重用されておりました故、内部分裂の可能性もあります」
「ふうむ……弟がそこまでの真似をしでかす輩を側に置くかな」
懐疑的な様子のロードフェルド。
弟クライスの人望と人心掌握術は彼も認めるところだ。
「いずれにせよ、誰がやったのか……犯人を探し当てろ。どう処理するにせよ他陣営よりも先にその正体に辿り着ければ我らのアドバンテージとなる」
「それにつきましては、オーガスタス卿が既に……」
側近の言葉にロードフェルドが肯く。
オーガスタス・ハーディング……十二星ハーディング家の現当主にしてアルバートの血を分けた実の兄だ。
政治的都合で兄弟それぞれ別の派閥に属していたがオーガスタスは弟を家族として愛していた。
その悲憤はかなりのものだろう。
「ならばオーガスタスには見つけても暴走はするなと釘を刺しておけ」
厳かに命じるロードフェルドであった。
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……憂鬱な気分だ。
ジェイドは黙々と職務をこなしている。
普段よりも精力的とさえ言えるほど勤勉に。
「浮かない顔ね?」
なるべく表情には出さないように気をつけていたが王妃にも指摘されてしまった。
しかしそういう時の返事は予め考えてある。
「はい。何でも一等星の御方が殺されてしまったと聞いております」
死んだ貴族を悼み、自分の職場で凄惨な事件が起こった事を憂いて不安に思っている……と、そういう体でやり過ごそうと決めている。
「私はその内こういう事になると思っていたよ。王宮は人の命よりも権力の方が大事な連中がうろついている魔境だからねぇ。おぉ、怖い怖い」
言っている内容ほどに怯えてはいないように見える王妃。
どちらかといえば彼女は政争を冷めた目で見ており呆れているようだ。
(……まさか私がやったとは夢にも思っていないでしょうけど)
そう考えると彼女にだけは罪悪感を感じるアムリタである。
(それにしても……)
今朝からずっとアムリタの頭を悩ませているのは、言うまでもなく誰が修練場からアルバートの死体を運び出し大聖堂で吊るしたのかという事だ。
地上3,5mほどの高さの場所に男一人を吊るすというのは、一人二人でできる事ではないので複数人の犯行によるものらしいというのが通説だ。
そもそも、殺害現場は大聖堂だと思われている。
当然と言えば当然か。
離れた修練場で殺し、そこから大聖堂へ運んでくるなどと苦労は大きいし誰かに見つかるリスクも高すぎる。
そんな危険で無駄な事をしているとは誰も想像していないのだ。
……だが、自分だけは知っている。
誰かがその危険で無駄な事をしたのだ。
いや、やった当人にとって無駄だったのかどうかはわからないが。
そして自分にとって最大の問題は……。
(あれをやった誰かは、私の殺しを見ている可能性がある)
そこである。
あれほど警戒したのに、それでも付近に潜んでいる何者かを見落としていた。
偶然、深夜に修練場を訪れたところ死体を発見した。
これだけなら極めて可能性は低いものの、全くありえないという話ではない。
だがその見つけた死体を通報せずに大聖堂に運んで吊るしたとなるともう偶然の可能性は完全にゼロだ。
あれをやった誰かは、ジェイドが立ち去った後で死体があるのをわかっていて修練場に足を踏み入れた。
その前にもう決めていたのか、それとも死体を前に思いついたのかはわからないが極短時間の内に大聖堂に運んで吊るす事を決めて実行に移している。
(なんで? の部分もどうやって?? の部分もまったくわからなすぎて気味が悪いわ)
結果だけ言うのであればこの謎の人物の行動は操作のかく乱には大きく役立ってくれている。
何せ肝心な殺害現場である修練場はそうとも思われず今日も通常に使用されているのだから……。
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毎日のように顔を出していた面々もここ数日は流石に姿を見せていない。
職務が忙しいのか、それとも自粛か。
正直今のジェイドも正常な状態であるとは言い切れないのでありがたい。
警邏の時間を利用し、大聖堂へとやってきたジェイド。
あの日からここは意識して避けてきたが流石にそろそろ野次馬を装って様子を見にいってもいいのではないかと。
だが残念ながらまだ大聖堂の入り口は閉鎖されていた。
クライス王子直属の近衛兵が番兵として立っている。
殺されたのがクライス派の重要人物なので公式な捜査はクライス派閥で行う事になったのだ。
「……?」
それはそれとして、そのクライス派の近衛と誰かが口論になっているようだ。
「……だーかーらー! あなたたちじゃ見つけられない事件の真実を私が見つけてあげるって言ってるんですよ! 大人しくそこ開けて中に入れてください!!」
食って掛かっているのは文官のローブの少女……? に見えるが成人していなければ王宮の文官にはなれないので実際は成人女性なのだろう。
こげ茶色の髪の毛を襟足の辺りでお下げにしており、大きなベレー帽に似た形状の帽子を被っている。
前のめりに詰める文官の娘であるが近衛兵たちも頑としてそこは譲らない。
「駄目だ! ここは誰も通せん!! 入りたければクライス様にご許可を貰ってきなさい!!」
「くれるんならそうしてます!! でも、私が学術院所属だからOK出さないでしょ!!!」
王立学術院。この国でも最上級の研究機関。
その院長は王女リュアンサ・リューグ・フォルディノス。
……なので学術院所属の者たちは皆継承戦においてリュアンサ派閥だと目されている。
「……おい」
文官の娘の肩に後ろから手を置く。
「ふわっ!? な、な、なんです……? どちら様ですか?」
慌てて振り返って口篭もる文官の娘。
大きな帽子を被っていると思えば、振り返れば大きな丸いメガネを掛けている。
一々付属物が大袈裟な娘である。
瞳が大きく愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。
眉間と鼻の頭の間にわずかにそばかすがある。
「ナンパなら他を当たってください。ご覧の通り立てこんでいますので!」
「そうじゃない。警邏の衛士だ。こんな所で騒いでいたら迷惑だろう。ほら、行くぞ」
半ば強引に肩を押して文官の娘をその場から遠ざける。
去り際にチラッと背後を振り返ると近衛兵が「助かったぜ」とでもいうかのようにニヤッと笑ってこちらに向かって軽く手を上げていた。
……………。
「なんで邪魔をするんですか。後ちょっとで中に入れるところだったのに」
大聖堂から一先ず離れ娘を長椅子に座らせる。
彼女は頬をフグのように膨らませてむくれていた。
……何故さっきの口論から「もう少しで通してもらえる」になるのだろうか。
「例の事件を調べているのか? 職務で?」
「いいえ、個人的にですよ。学術院の職員にそんな権限はありませんからね。……でも、こういう時こそ私の優れた脳細胞が役立つ時なんです。何もしないわけにはいかないでしょう?」
えらく自慢げな娘である。
えっへんと胸を張っている。
「……で、あなたは誰なんですか?」
「さっきも言っただろう。警邏の衛士で、名前はジェイドだ。アルディオラ妃殿下の直属だ」
こちらがそう名乗ると彼女は無遠慮にジロジロと自分を至近距離で眺め回す。
「ふむふむ、ちょっとデリカシーないですけど中々カッコいい方ですね。ジェイドさんですか……」
一頻り眺めてから何やら、うんと肯いている文官娘。
「よし、合格ですよ。私は学術院のクレアリース・カーレオン。クレアと呼んで下さい。こうしてお会いしたのも何かのご縁です。運命の羅針盤が私と貴方でこの事件を解決しろと言っています。助手役をお願いしますね、ジェイドさん」
あまりにも澱みなく、迷いなくハキハキと一気に言い切るものだから思わずジェイドは肯いてしまった。
それから数秒間考えて。
「……なんだって?」
と、彼は顔を歪めるのだった。
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