基本的かつ重大な学び
傷だらけのヤクザ者が必死に語る。
春先の事だ……組織でジョバンニの右腕だった男が死んだ。
ファビオ・トーラスという男だ。
明け方に川に浮いている所を発見された。
大量の酒を飲んでおり、酔っぱらって足を滑らせ溺れ死んだ事故として処理されている。
「……けどよ。俺たちはありゃぁ、絶対に何かがあって消されたんだって……噂し合ってた」
「何かとはなんだ?」
それに対しては男は必死に首を横に振る。
「そこまでは知らねえ! 本当だ! 外のモンにそんな話を流すワケがねえ。けどよ、フツーじゃねえだろ? デケェ組の大幹部の副官がよお、そんな風に死んで見つかるとかよ……」
「……………」
春先か……。
少し時間が空いてはいるがようやく掴んだ被害者周辺のトラブルの話だ。
詳しく調べてみる価値はあるだろう。
そう思ってジェイドは裏路地を出る。
表通りに入った時には彼の頭の中からもう背後の男たちの事は綺麗に消えてなくなっていた。
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ジェイドは早速入手した情報を二人と共有した。
「……ようやく一歩前進ってヤツだな! じゃあオレもそのファビオってのが死んだ一件について調べるとするか」
停滞気味の状況に若干辟易していた様子のマチルダが活力を取り戻す。
「半年くらい前ですし、どれだけ情報が残ってるんですかね。調べてみたら結局本当に事故死ってセンもあり得なくはないのですよ」
張り切るマチルダに対してクレアがきしし、と歯を見せて意地悪く笑った。
とはいえ、クレアの危惧ももっともな話である。
肝心な事を知っているかもしれないファミリーの構成員たちは当然口が堅いだろう。
昨夜は向こうから絡んできてくれたので痛めつけたが流石にこちらからそういう手に出るわけにもいかない。
「まずは……その男のプロフィールからだな。どんな男だったのかがわかれば何か突破口もあるかもしれない
ジェイドが名前しか知らない男の事を想像しながらそう言った。
事故死したとされている組織の男、ファビオ。
彼のことを調べていけば果たしてどのような事実が浮かび上がってくるのだろうか。
……………。
そして二日後。
三人はそれぞれ調べてきた事柄を共有する。
「……アヘン?」
顔をしかめるジェイド。
いきなりきな臭いワードが出てきた。
「おう。遺体からはアヘンをやった痕跡が出たらしいぜ」
例によって騎士団の詰め所に出向き事件の記録を見せてもらってきたマチルダ。
アヘンは麻薬であり当然王国法により売買や使用は禁じられているがマフィア等の大きな収入源として密かに闇で流通している。
「けど事故死の判断は変わらなかった。酔っ払いが足を滑らせたのと、酔っぱらった上にラリったのが足を滑らせたってのじゃ大して違いがあるわけでもないしな」
「メルキースは海運業者から出た組織ですからね。アヘンにはかなり強いと思うのですよ」
クレアが言うように何故海運出身のマフィアだとアヘンを扱うのに有利なのか?
それは王国で流通するアヘンのほとんどは海外からの密輸品であり輸送には船が使われるからである。
「売り物を個人としても楽しんでたという事か……? 僕が調べてきた感じではあまりアヘンに溺れるような男ではないように感じたが」
首をかしげるジェイド。
彼が調べてきた所によれば、ファビオは地方都市の孤児院出身の孤児であり早くから非行に走りチンピラのようになって王都に流れてきた。
そしてそこでメルキースファミリーに入って、後に頭角を現し大幹部であるジョバンニの片腕と呼ばれるまでに上り詰める。
ヤクザ者ではあるが明るく面倒見がよくケンカが強いので下の者からは慕われていた。
頭の回転も速い男であったらしい。そうでなくてはマフィアの大幹部の片腕にはなれないだろうが。
「アヘンをやっていたなんて話は出なかったな」
くしゃくしゃになったセピア色の写真を取り出すジェイド。
そこに映っている男はやや垂れ目気味の精悍な二枚目だ。
日焼けしていて体格がよくレンズに向かって作った笑みは人懐っこい。
「死亡当時27歳。彼女がいたらしいのですよ。名前は……」
クレアがメモを取り出して読み上げる。
……………。
翌日、午前中。
王都のとある商店の並ぶ通りの一角にある洗濯屋。
一人の女が手動の洗濯機のハンドルを回している。
銀色の髪の若い女だ。
ややスレた感じがするものの顔立ちは整っている。
「ラウレッタさん」
「うん……? 誰よ、あんた」
声を掛けられて振り返った作業員の女……ラウレッタが不審げに眉を顰めた。
そこに立っていたのはジェイドである。
「突然すまない。自分はある調査会社の職員だ」
ジェイドが頭を下げて挨拶する。
「ファビオ・トーラスさんの事について話を聞かせて欲しいと思ってやってきた」
「はぁ? 今更何よ……。アイツは酔っぱらってバカな死に方をした。それだけでしょ」
それに付いてはジェイドは返答はしない。
彼は冬の湖面のように澄んだ目でただラウレッタを見つめる。
少しの間、二人の間に無言の時間が流れた。
「……女みたいな綺麗な顔しちゃってさ」
やがて根負けしたように嘆息するラウレッタ。
「もう少しで休憩時間なんだ。昼を取る間だけなら話を聞いてもいいよ」
「ありがとう。感謝する」
作業に戻った彼女の背に頭を下げるジェイドであった。
………………。
やがてラウレッタの昼休憩の時間になり、二人は近所の大衆食堂に入った。
彼女はランチを頼み、ジェイドはコーヒーのみを頼む。
このラウレッタと言う女性はファビオの死亡時の恋人とされている女性だ。
「今更アイツの何が知りたいって?」
「単刀直入に言うが、彼の死が事故ではないと考えている人がいる。それで我々が調査している」
今回の調査はジョバンニ殺人事件の捜査の延長としてのものなのだが、そこまでは説明はしない。
すると彼女はフンと鼻を鳴らしてほろ苦く笑う。
「そんなの、あの時散々あたしが言ってたじゃん……」
「その根拠を聞いてもいいか?」
やはり恋人の死は事故ではないと思っていたラウレッタ。
……だとすれば殺人であるという事になる。
「アイツはさ……独りの時は飲まないんだよ。飲むときはあたしか、組の上の人たちか、舎弟たちのどれかと絶対に一緒だ。でもあの夜はアイツはその誰とも一緒にいなかったっていう。それにアイツが行きつけのどの店もあの夜は来てないって」
カツンカツンとフォークでパスタの皿を突いているラウレッタ。
「でもあたしがどれだけそう説明したって誰も取り合っちゃくれなかったよ。騎士団も、組のヤツらもさ。アイツの舎弟たちだって、あんだけ可愛がられて面倒見てもらってたのにさ。死んだ途端にもう全然関係ないですみたいなツラしちゃってさ……」
ぐすっと鼻を鳴らすラウレッタ。
語尾がわずかに水気を含んで震えている。
「ファビオの死体からはアヘンをやってた痕跡が出た。ファビオはアヘンをやってたのか?」
そんな彼女にジェイドは少しだけ顔を寄せると声を抑えて言った。
「……!! やってない……と思う。あたしの前でやった事はないし、ラリってるのを見た事もない」
当時を思い出そうとしているのか何かを考えながら慎重に言葉を選ぶようにラウレッタがそう言った。
「……アイツ、子供欲しがってたんだよ。アヘンは子供にも悪い影響が出るから自分はやらないって。金ができてたからあたしと子供と暮らせる家を買う予定なんだって言っててさ」
「………………」
「そんなヤクザ者の話を真に受けたあたしがバカなだけだったんだけどさ……」
テーブルの上にぽつりぽつりと涙の雫が落ちた。
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「お帰り、どうだった?」
戻ってきたジェイドを事務所で出迎えたマチルダとクレア。
「……………………」
コートを脱いでコート掛けにそれを掛けると無言でジェイドは椅子に座る。
何やら思う所があったような表情だ。
「何と言うか、大事な人がいるのなら死んだらいけないな……と思った」
「またえらく基本的かつ大事な学びを得てきたですね」
何やら感慨深げに重い息を吐いて言うジェイドにクレアが微妙な表情になっている。
「けど、それは確かにあなたは頭に入れておいたほうがいいのです。すぐ突っ走りますからねジェイドさんは。一回落ち着いて頭の中に自分を心配している人の顔を思い浮かべるのですよ」
「そんな突っ走るかな……」
マチルダが出してくれたマグカップを口へ運びつつ、今度はジェイドの方が微妙な表情だ。
ともあれ、彼はラウレッタから聞いてきた話を二人にも聞かせた。
「恋人って言ったって組員じゃないしなぁ。知ってる事といえばやっぱりそのくらいか」
「ああ。ファビオも稼業の話は彼女にもほとんどしていなかったらしい。そういうルールだったんだろうし、あまりヤクザ者としての自分の生々しい部分を彼女に知られたくなかったのかもな」
「まあ他殺説は強まったですね。彼女の話を鵜呑みにするならですけど」
飲んでいないはずの酒で泥酔しやっていないはずのアヘンで酩酊状態となって溺れ死んだファビオ。
仮にそれが故意の殺人であるとして……。
「ファビオを殺したのは誰だ? 兄貴分のジョバンニか? ジョバンニが殺された事はそれに関係しているのか?」
「だとしたら何で七ヶ月も経ってから? という疑問が出てくるですね」
ジェイドとクレアが二人で悩んでいる。
全ての情報の断片が微妙にちぐはぐであり噛みあってくれない。
「それに死体をバラバラにした謎の怪物だ。そんなもんが急にどっから出てきたんだろうな?」
マチルダがそう言って、唸って悩む三人だ。
「とにかく、わからない事をはっきりさせていかないとな。事実が判明した上で無関係なら考えから省けばいい。古いところから順番にいくとしてまずはファビオの死因だ。殺されたのか……もしそうだとしたらやったのは誰か。動機は?」
「界隈を仕切ってるマフィアの大物とその右腕だった男がどっちも死んだんですよね? 初めは№2、それからトップ。仮に№3みたいなヤツがいたとしたら繰り上がっていってトップに立つのでは?」
推理を披露するクレアを驚いた顔で見る二人。
「なんだよ。冴えてるじゃねえか。急に頭良さそうな発言しないでくれよな、ビックリするから」
「ずっと頭いいのですよ! エリートなのです!! 普段どういう見方してるんですかねこのデカ女!!!」
バンバンとテーブルを両手で叩いて興奮している学術院の怒髪天ウサギであった。




