殺意と憎悪のケモノ
ジョバンニ・トルボ……享年41。
王都でも最大規模のマフィア組織メルキース・ファミリーのボスに次ぐ地位の大幹部。
性格は粗暴で残酷。ただし気前のいい一面もあり恐れられつつも部下には慕われてもいたという。
頭の中で被害者の情報を反芻しながらジェイドは街を歩いている。
愛人と一緒に夜道で襲われて惨殺された裏社会の大物。
……何故彼は殺されなければならなかったのだろうか?
まずは情報収集だ。
……………。
表向きの冷静さとは裏腹に張り切って街を回り始めたジェイドであったが、現実は彼の意気込みをあざ笑うかのように空回りの連続であった。
なんといっても周囲すべてを縄張りとしている巨大マフィアの幹部の話だ。
何か知っていそうな者は一様に口が重い。
ペラペラ喋ってくれる者は大した情報は持っていない……と大した収穫がないまま時は過ぎて疲労だけが溜っていく。
結局ジェイドは夜の街を歩き続け、これといった情報を得ることができずに明け方近くに事務所に戻ってきた。
「ただいま……」
疲れた様子で脱いだコートをソファに放ったジェイド。
「よ、お疲れさん。ははっ、その調子じゃ成果はイマイチだったみたいだな」
先に戻っていたらしいマチルダがすぐに湯気の立つマグカップを出してくれる。
中身はホットミルクだ。少し混ぜてあるハチミツの甘みが冷え切った身体に優しく染みていく。
「ぬああああ!!! 一晩で三回も補導されたのですよ!! 目が節穴のヤツばっかなのです!!!」
……そして最後にブチ切れながらクレアが戻ってきた。
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それから……明け方も近かったので三人はひと眠りした。
目を覚ましてシャワーを浴びてサッパリしてから食事の時間。
遅い朝食なのか早めの昼食なのか、中途半端な時間の食卓にはとても豪勢な料理が所狭しと並べられている。
「作ってる時間なかったから近所の食堂から取り寄せだ。ハラ減ってるだろ? ジャンジャン食ってくれよな」
「取り寄せすぎなのですよ。真昼間からなんのパーティーなのですか」
呆れ顔で言いつつもガツガツと食事の手が止まらないクレア。
ジェイドも無言でもりもり食べている。
「ンで、昨夜の情報交換といくか」
「僕の方は全然だった。やっぱりメルキースやジョバンニの名前を出しただけで露骨に煙たがられるな。関わり合いにはなりたくない、みたいにな」
ガジガジとハムを挟んだパンを食べながら肩をすくめるジェイド。
「たまに口が軽い奴もいたが、そういうのは大体が酒代目当ての大した情報は持ってない奴だ」
徒労に終わった聞き込みに精神的にお疲れモードのジェイドだが、それはそれとしてよく食べる。
「私は周辺のほかの組とのメルキースファミリーの力関係を調べてきたのですよ。……まあぶっちゃけ他の組とのイザコザはほぼありえないのです。メルキースが一強過ぎて他はメルキースのおこぼれで成り立ってるような弱小ばっかりなのですよ。そんな大手の幹部を狙えるくらい骨のある構成員を抱えてるって組もなさそうでしたし」
「となるとヤクザの揉め事じゃなくて個人的なウラミか、さもなきゃ通り魔的な無差別の殺しか……」
うーん、とマチルダは悩んでいる。
「大体が犯人は人間なのです? 獣人種族にだって人食いなんてやる人はいないのですよ。どっかで飼ってた猛獣が逃げ出して事件を起こしちゃってから飼い主が慌てて回収みたいな……」
「流石に逃げ出したらあれだけの事件を起こす生き物を人に知られずに飼うのは難しいんじゃないか」
クレアの推理に曖昧に笑うジェイド。
そういう事があるのなら鳴き声なり匂いなり近所にそういう噂があってもよさそうだ。
調査結果報告会はいつの間にか近況報告をメインとした雑談に切り替わっている。
「……あっはっは、そうそう、よくクレアと話してたんだよ。次に会った時に滅茶苦茶エラそうになっててタメ口利いたらブチ切れられたらどうしようってさ」
「そんな事があるはずがないだろ」
大笑いしているマチルダに苦笑するジェイド。
「それにしても一等星から平民になってまた一等星なのですよ。一番上と下を大ジャンプで往復する人生なのです」
クレアもけらけらと笑っている。
昼間でアルコールも入っていないというのに夜の飲み会のような空気である。
「僕は僕だ。肩書で何が変わるというわけでもない。十二星はやってもいいかなと思ったから引き受けた。数奇な人生を送っている僕が家から引き継いだものではなく最高位の貴族に選ばれるというのも面白いと思ったからな」
ジェイドが静かに言って食後のコーヒーを口にする。
「やれる事をやるだけだ。それでいいなら続けるし、ダメだというのなら降りるから他の誰かが代わればいい」
権力を持っても財力を持っても、相変わらずそれらには執着はない。
ないならないであの通りの外れの小さなパン屋に戻ったっていいのだ。
……あの店はもう人に譲ってしまっているけど。
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ジェイドがマチルダの手伝いのために捜査に加わってから数日が経過した。
今のところこれといって捜査に進展はなく、新たな有力情報は得られていない。
「……詰所に行って死体のことを色々聞いてきたぜ」
寒さに身を縮めながら事務所に戻ってきたマチルダ。
彼女が騎士団の詰め所で聞いてきたのは死体の状態に付いてである。
それによれば二人の殺害は極めて短時間のうちに行われている。
付近の住人が深夜に悲鳴のようなものと争うような物音を聞いているがごく短い間の事であったと証言している。その住人は酔っ払い同士のケンカだろうと判断しそれ以上はその物音に注意を払おうとしなかった。
繁華街のすぐ近くの裏路地である現場では酔漢同士のケンカは日常茶飯事だからであった。
「一瞬で殺して、その後で死体をメチャクチャにしてる。鋭い牙とか爪とかを持ってるヤツらしいって話だ」
「メチャクチャにしたのは……殺してから?」
ジェイドが問うとマチルダはそうだ、と肯いた。
滅茶苦茶にされた事で死んだのではなく、死んでから相手は死体を破壊していったのだ。
「相当粉々にされてるんだが、結局無くなってるパーツとかはほとんどないらしい。食われたりはしてないって事だな」
死体の損壊そのものが目的だったという事であろうか。
殺した相手をわざわざ徹底的に破壊する。
極めて短時間の内にそれを終えて姿を消しているので弄んだというわけでもなさそうだが……。
「とすればやっぱり強い恨みが原因なのでしょうかね。殺した相手をそこまでしてやりたいっていうのは半端なことではないのですよ」
クレアの想像にジェイドは同意の意味で肯いた。
「恨みというセンならジョバンニがやっぱりメインの標的か。ヤクザの大物だし恨んでる奴はいるだろう」
「どっちにせよ犯人は相当なバケモンだ。爪やら牙やらを持ってるらしくて、人を短時間であそこまでぶっ壊せるってなるとな」
十分な設備と時間があればやれる者はいるだろうが……犯人は素手で人体を簡単に解体できるパワーの持ち主であると推測される。
「ジョバンニの周辺であったトラブルをちょっと遡って調べてみるか」
腕組みをしたジェイドが呟くようにそう言った。
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そしてまた深夜の繁華街。
情報を求めて翡翠の髪の青年は酒臭い雑踏を行く。
日が変わればそこにいる者も変わることがある。
当たりを引き当てるまでは地道に足を使うしかない。
そして、彼が何件目かのバーを出た所で……。
「止まってもらおうか、兄ちゃん」
……数人の男たちが彼を取り囲んだ。
全員がいかにもなヤクザ者である。
長く威嚇と暴力の世界に身を置いている者特有の剣呑なオーラを身に纏っている。
「熱心にあれこれ調べてるらしいな」
男の一人が刃物を抜いてそう言った。
「仕事だからな」
ジェイドが短く返答するとその胸元へ男はナイフの切っ先を突き付けた。
「お仕事に一生懸命なのは褒めてやるがよ。シロウトが突っつきゃ思わぬ大怪我をすることになるハチの巣だってあるんだぜ?」
「それは怖いな」
セリフとは裏腹に無表情のジェイドだ。
「こんな所で目立ちたくない。一本奥へ入ろう」
更に彼がそう口にするとヤクザ者たちが半笑いで顔を見合わせている。
彼らとしては人目のない場所なら思うさま実力行使ができる、わざわざそんな場所へ自分から誘うとはな……と言いたいのだろう。
だが連中はそれがジェイドにとっても同じ環境なのだという事を失念していた。
……………。
打突音も短い悲鳴もすぐに止む。
ほんの数分で裏路地は静けさを取り戻す。
ジェイドに絡んできた五人のヤクザ者たちは全員が辛うじて意識は留めているといった程度に痛めつけられて地面に転がって呻いている。
全員が刃物を携帯していて荒事に慣れた男たちだったが、その程度ではジェイドにとっては小さな子供の相手をするようなものだ。
「お前たちはメルキースか?」
最初に自分にナイフを突き付けてきた男にそう尋ねると相手は血で汚れた口元を無理やりに笑みの形に歪める。
「さぁて……どうだかな……ぐほッッッ!!!??」
「白を切るのは自由だが後遺症が残らない怪我で済んでいるうちに喋ったほうがいい」
容赦なく顔面を蹴り上げたジェイド。
(初手からああいう接触の仕方をしてくれるとこっちも手加減しなくていいから楽でいいわね)
内心ではアムリタがそんな事を考えている。
「……ちがッ! 違う!! 俺たちはメルキースじゃねぇッ! この界隈を仕切ってる組のモンだッッ!!」
血を吐きながら必死に早口でまくし立てる男。
「だが指示はメルキースから出ている」
ジェイドが静かに言うと男が何度も肯いた。
……脅しも下請けというわけだ。
「知っての通りメルキースファミリーのジョバンニが殺された事件を調べている。ジョバンニの身の回りであった何か変わったことを教えろ。どんな些細な事でもいい。こっちが気に入る情報を出せれば命だけは助けてやる」
初めから殺す気はないが、そう言って相手を脅すジェイド。
男はしばらくぜいぜいと呼吸を荒げていたが……。
「……わかった。あそこであった、おかしい事っていやぁ……あれしか……あれしかねえ……」
やがて血だらけの顔で喘ぐようにそう言ったのだった。




