第5話:犯行の前日
聖堂内陣での接見は、二〇分余りで終了した。
「教会図書館での書物閲覧許可についてだが――」
私とキャロルが至聖所を退出する際、マレットは上機嫌で言葉を掛けてきた。
「あとで司書に話を通しておこう。明日からでも利用できるようになっているはずだ」
やはり宝飾品を献上した選択は、間違いではなかったらしい。
しかも早々に要望が叶っただけでなく、マレットは明後日催される晩餐会に出席するよう、思い掛けなく私に勧めてきた。翠玉の腕輪が余程お気に召して頂けたと見える。
この調子なら私の本当の目的が何なのかなんて、想像もしていないだろう。
ひとまず今一度、恭しく謝意を述べてから、その場を辞した。
信徒席が並ぶ区画まで引き返すと、助祭のハロルドがこちらへ歩み寄ってきた。
このあと私とキャロルが泊まる部屋を、司教区長館に用意してくれているという。
またしてもタガート聖堂の敷地内を、そこまで連れていってくれるらしい。
司教区長館は、マレットと接見した聖堂本体の西側に併設されていた。
宗教施設の別棟としては、非常に贅を凝らした設えで、まるで迎賓館のように見える。
もっとも華やかな建築は、聖堂本体ほど洗練されておらず、悪趣味な印象だった。
尚、こちらの館でも所々、壁や柱の装飾部分が淡く煌めいていたりする。
「破魔の宝珠」の魔力は、聖堂敷地内のあちこちを循環しているのだろう。
ハロルドは、私とキャロルをそれぞれ館内二階の個室へ案内した。
通された客室には、上等な内装で飾られ、立派な家具が設置されていた。
ただ幸いにして、建物の外観ほどに派手ではなく、居心地悪さを感じない。
宿泊者の安眠に配慮してか、室内には無駄に光っている箇所もなかった。
先程馬車から持ち去られた荷物も、ここへ運び込まれていた。
「もし何かお困りのことがあれば、いつでも一階へおいで下さい。玄関ホールを正面出入り口側から左手の廊下へ進むと、使用人部屋がございます。そこに大抵誰か詰めておりますから、お声掛けを頂ければ対応するはずと存じます。私に取り次がせることもできますので」
それからハロルドは、夕食の準備が済んだらまた伺います、と付け足して立ち去った。
「いやあ……凄く立派なお部屋を貸してもらえましたけど、正直今日は気疲れしましたよぉー」
ハロルドの姿が見えなくなってから、キャロルは溜め息混じりに言った。
「このあとクリスさまはどうします? あたしは夕食の時間まで、少しだけ休憩させて頂きたいんですけど」
なるほど精神的な疲労が辛い、という言い分はよくわかる。
そこでキャロルとはいったん、各々にあてがわれた部屋の前で別れた。
客室で一人になると、ざっと周囲を見回してから、窓辺に歩み寄る。
窓は大きな両開きのもので、床から天井まで格子に硝子が嵌め込まれていた。
向こう側はテラスになっており、建物の裏手に広がる樹林を臨むことができる。
私は、鍵を外して窓を開け、午後の空気を室内に取り入れた。
壁際に置かれた安楽椅子へ腰掛け、上体を背もたれに委ねる。
直後に窓の両脇で、カーテンが揺れ――
物陰から、黒ずくめの青年が姿を現わした。
犯罪組織「夜鳥」の成員の中でも、最高の暗殺者であるオリヴァーだ。
あらかじめ打ち合わせていた通り、ここまで密かに単独行動でやって来たのだろう。
私より一日遅れてウィンシップを出発したが、途中で追い越されていたのは知っている。
ここには逆に半日以上先行して到着し、すでにあちこち調査しはじめているはずだった。
以後は私と二人だけで接触する機会を、ずっと探っていたに違いない。
オリヴァーは、テラスに続く窓の傍で、柱の側面に身を寄せながら話し掛けてきた。
「マレットとの接見は、悪くない内容だったようだな我が首領」
「まあ一応、それなりにね。献上品も気に入られたようだし」
どうやら接見の場面は一部始終、経過を見守ってくれていたらしい。
万一不測の事態が生じた場合に備え、聖堂内陣のどこかで身を潜めていたのだろう。
いずれにしろマレットとのやり取りを今更説明せずに済むのは、非常に手間が省ける。
「オリヴァーがタガート聖堂を訪れたのって、今回が初めてだったかしら」
「ああそうだ。存外特殊な建築の施設で、構造を把握するのが面倒だった」
たしかめるように訊くと、暗殺者の青年は相変わらず淡々とした口調で認めた。
オリヴァーは王国騎士だった頃から、ブラキストン州各所を旅歩くことが多かったという。
だがそれでも特定の宗教施設へ立ち入る機会は、目的がなければあまりないのかもしれない。
「タガート聖堂全体の印象としては、地上の派手な建物だけでなく、かなり地下区画が広大な点に特徴を感じる。設備や通路の位置関係が入り組んだ造りで、屋外の墓地以外にも、聖堂内陣の下に霊廟が存在する部分は見過ごせない」
オリヴァーの聖堂に対する所感は、犯罪組織の成員として大変実務的だった。
「しかも地下霊廟の奥には、厳重に監視された区画がある」
「……厳重に監視された区画?」
新たな情報に注意を引かれ、思わず鸚鵡返しにたずねてしまった。
まだ私は地下霊廟に立ち入ったことがないけれど、存在自体は前々から聞き知っていた。
しかしながら、その奥深くに特殊な領域があるというのは、完全に初耳だ。
オリヴァーは、感情の機微が薄い面持ちのまま、ゆっくりとうなずく。
「実は侵入可能な隙がないか窺ってみたのだが、常に守衛が複数警備していて、接近するだけでも容易ではない。あるいは強引に突破できるかもしれないが、現状で騒動を起こすのは得策と思えなかったので引き返してきた。ゆえにあの奥がどうなっていて、何があるかはまだ不明だ」
「それで正解ですよオリヴァー。もし地下霊廟の先に何があるか判明したとしても、いたずらに聖堂関係者の警戒心を刺激すれば、その後の仕事がやり難くなるから」
判断の正しさを請け合ってから、私は安楽椅子を少し揺らした。
瞼を軽く伏せ、手足のちからを弛緩させつつ、思考を巡らせる。
――聖堂地下の最奥には、何があるのか。
まず見込みが一番ありそうなのは、秘宝「破魔の宝珠」が安置されている可能性だろう。
あるいはそれと共に貴重な財宝が眠っているのかもしれない。あのマレットなら、どれだけの金品を隠し持っていたとしても、不思議ではないと思う。
――でも財宝だけなら、正直「守衛が厳重に警備している」という点に引っ掛かりを感じる。
ウォルバートンでは、宗教施設から財物を窃盗することが大変な重罪と考えられている。
何しろ「教会泥棒」という言葉があるぐらいだ。そうした悪行に及んだ人間は、神々の呪いで未来永劫苦しむと言われる。天罰怖さに盗賊でさえ、聖職者の財産はまず標的にしない。
翻ってみれば、そういう俗信が蔓延る異世界で常時、厳重に警備する意味は何なのか。
――単に「破魔の宝珠」が収蔵されているだけでなく、何某か部外者に立ち入られたくない理由がある場所だってこと……?
と、そこまで推量が進んだところで。
アランが先日「マレットは大口の収入源を持っている」と言っていたのを、ふと思い出した。
かつて悪徳官吏ボッツとの交渉の中で、たぶん「喜捨」の取引材料に使われていた何か。
ひょっとすると、その謎の答えが聖堂地下最奥にあるのではないだろうか……。
「……マレットの悪行を暴き出し、そののちに抹殺する計画だけど」
私は静かに瞳を開き、安楽椅子の上で居住まいを正した。
頭の中で考えをまとめ、オリヴァーに改めて企図を伝える
「当初の予定から、幾分か修正が必要になりそうね。ただどのように進行し、目的を達するか、概ね算段は付きました。今のうちに仔細を打ち合わせておきましょう」
○ ○ ○
今回の犯行計画においては、主に二つの点が問題で修正が必要になった。
そのうちのひとつは、明後日の晩餐会だ。
そうした催しがあると把握していなかったせいで、段取りを変更せねばならなくなった。
もっとも新たな前提で企てを練り直すと、それはそれで面白い状況を作り出せそうに思う。
もうひとつは、地下霊廟の奥にある区画の件だ。
やはりマレットの悪事を暴くためにも、オリヴァーの報告にあった場所は調査すべきと思う。
そこまでどういう手順と方法で侵入するかも、予定の中に組み込まなきゃいけないだろう。
ただいずれにしろ計画実行時の展開に関して、基本的な方向性は変わらない。
事前に充分な準備を重ねてきたことだし、それを応用するだけのつもりだった。
実は今回行使を予定している魔法のため、こっそり「触媒」も持ち込んでいる。
まあそれがどんなものかは、そのときが来てみてからのお楽しみだ……。
さて、翌日のこと。
私は、助祭のハロルドを通じ、聖堂地下の霊廟を拝観させてもらえないか、と願い出た。
オリヴァーの情報に頼るだけでなく、立ち入れる範囲の様子は自分の目でたしかめたかったし、犯行前に仕込んでおきたいこともあったからだ。
主に地下霊廟には、コッカーマス地方出身の貴族を中心とした亡骸が埋葬されている。
そうした身分の高い故人に敬意を表し、この機会に祈りを捧げておきたいのですが――
などとマレットに伝えたところ、「それは良い心掛け」と、二つ返事で受け入れられた。
尚、教会図書館を利用できるようになるのは、今日の午後からになるという話だ。
そこで地下霊廟の拝観を優先して、ハロルドに案内してもらうことにした。
一夜明けて疲労が抜けたのか、キャロルも元気に同行してくれるという。
タガート聖堂本体を蒼天課の時刻(午前九時)に訪れ、内陣外縁に設置された階段を下る。
出入り口になっている鉄扉の前には、守衛が二名佇み、周囲に警戒を怠っていなかった。
ハロルドが声を掛けると、道を開けて通してくれる。
地下霊廟は、規則正しく通路と玄室が配置された空間だった。
元の世界の表現を用いるなら、内部が「碁盤の目」状に整備されていた。
直線的な通路が地下を縦横に貫き、交差を繰り返す構造を成している。
そうして無数の十字路が、一箇所置きに遺体の葬られている玄室となっていた。
部屋の中央や壁面の横穴には、いずれも装飾を施された棺が安置されている。
また驚くべき特徴としては、通路や玄室に天使を模した彫像が飾られているのだが――
それらがなんと地下の暗闇で淡く輝き、付近を照らす灯りの役割を果たしていた。
聖堂の外装と同じく、ここでも「破魔の宝珠」の魔力が各所を循環しているらしい。
おかげで霊廟内を移動する際には、ランタンの類が不要だった。
私とキャロルは、地下霊廟の中を二時間余り掛けて、ゆっくり見て回った。
玄室毎に棺の前では跪き、祈りを捧げて、白い花を数本ずつ供えていく。
この花もハロルドに頼んで、事前に用意してもらったものだ。
キャロルも含めた三人で、束にして霊廟へ持ち運んでいた。
彫像が放つ光で、花弁の内側がきらきらと煌めいている。
「それにしてもここ、地下なのに本当に四六時中あちこちが光っていますねぇ」
キャロルは、霊廟内を献花して歩きながら、おもむろに囁き掛けてきた。
大きな瞳を左右にきょろきょろ動かし、「ほぇ~っ」と感嘆を漏らしている。
それから何気なく、恍けたことを言い出した。
「とっても綺麗ですけど、死んでからもずっと明るい場所で寝ていて、貴族の人は安眠できるんでしょうか。あたしはやっぱり、寝るときには暗い方が落ち着くんですけどー」
ところで、じかに地下霊廟を拝観してみた印象としては――
まず何より、通路や玄室を巡回する守衛の数が、想像していた以上に多い。
オリヴァーが地下最奥までの侵入を断念したのも、得心せざるを得なかった。
聖堂の敷地内でも、ここには地上の施設と遜色ない警備網が敷かれている。
こうなると、いよいよ地下霊廟の奥に何があるのか、逆に興味が湧いてきた。
少なくとも何か、マレットの悪事を決定的に裏付ける証拠があるに違いない。
ほとんど私は、そうした確信に近いものを感じはじめていた。
○ ○ ○
地下霊廟では、おそらく誰にも悟られず、ひと通りの目的を果たせた。
あとは計画実行時のお楽しみだ。いずれ面白いものが見られるはず。
拝観を終えて地上に戻ると、聖天課(正午)の鐘が鳴った。
いったん司教区長館へ戻り、食堂で昼食をご馳走になる。
そうして午後から、私とキャロルは別行動になった。
キャロルは「他の待祭の方たちのお仕事を、少し手伝ってこようと思います」という。
聖堂へ来てからこっち、歓待されるばかりで働いていないから、居心地悪いそうだ。
それが済んで尚、時間に余裕があったら、ペティグルーの街へ出てみたいらしい。
噂の焼き菓子を食べたり、中央広場の周辺を観光したりするつもりの様子だった。
私としては、キャロルに希望を取り下げさせようとは思わなかった。
これから私の方は、日暮れ頃まで教会図書館に篭もって、読書する予定なのだ。
建前として一応、タガート聖堂には書物閲覧のために訪問したことになっている。
とすれば上辺だけでも、図書館で書物を読み耽っている体を装わねばならない。
いくらキャロルが補佐役の同行者でも、私の小芝居に付き合わせる気はなかった。
本人に勤労や行楽の意欲があるなら、この機会にやりたいようにやればいい。
かくいうわけで私は単身、教会図書館へ向かった。
図書館の建物は、タガート聖堂本体の東側に併設されている。
司教区長館とは丁度、敷地内で反対の位置に当たる場所だ。
尚、聖堂敷地内にある建造物などの位置関係を整理すると、
中央:タガート聖堂本体(※地下は霊廟)
西側:司教区長館
東側:教会図書館
北側:墓地/森林
南側:正門/前庭
ということになる。
私は墓地や森林に沿った道を選び、聖堂の裏手を大回りして歩いた。
ここを真っ直ぐ道なりに進めば、教会図書館の前に出るはずだった。
……ただし途中で、道端の木陰に見知った少年が佇んでいた。
昨日正門で別れてから、ずっと姿が見当たらなかったアランだ。
アランは木陰から出てきて、深く一礼して寄越す。
次いで無言で歩み寄ってきたかと思うと、私の脇をすり抜けたのだが――
すれ違う際にちいさな鉄製の筒を、こちらの手の中に押し付けてきた。
私も何も言わず、その筒を懐中に隠し持って、図書館の建物へ急いだ。
教会図書館に入ると、受付の司書が親切に館内を案内してくれた。
私は、取り分け高度な治癒魔法の専門書がある場所まで、連れていってもらった。
そこで書物を開き、司書が下がって一人になってから、先程渡された筒を取り出す。
手のひらほどの大きさもないが、内側に羊皮紙の巻物が詰められていた。
机の上でこっそり広げてみると、細かい文字で報告が書き込まれている。
――――――――――――――――――――――
晩餐会の件は黒男からの定時連絡により確認
当方は進捗良好、味方の配備も明日夜までに
予定の数が揃うはず――……
――――――――――――――――――――――
「黒男」というのは、オリヴァーのことだ。
アランと相互に連絡を取り合い、状況把握に努めているらしい。
すでに晩餐会が催されることも情報共有していて、計画の準備は順調に進んでいるようだ。
他の「夜鳥」の成員も、タガート聖堂の周辺に駆け付けつつある、ということが読み取れる。
一方で犯行計画自体とは直接関係ないが、アランは「昨日から聖堂敷地内にある庭師の小屋で寝泊まりさせられている」と、巻物の末尾に自身の近況も書き記していた。
私やキャロルのように聖職者じゃないから仕方ないが、待遇の差に不満は隠し切れていない。
「……まあ明日の夜にはマレットの命運も尽きるはずだし、それで溜飲を下げてもらうしかないかな」
私は、苦笑混じりにつぶやき、羊皮紙の巻物を筒の中へ戻した。
これは他人の目に触れないよう、あとで燃やしておこう。