第2話:穢れた世界に復讐を誓う
この世界は不条理が溢れ、穢れている。
元の世界も異世界も、その点は似たようなものだ――
私は貴族としての素性を捨てざるを得なくなった日、そう確信した。
もちろん転生先での来し方を振り返れば、前世よりましな部分も少なくない。
例えば、貴族の家に生まれ、幼少期から魔法を学べた環境は幸運だった。
それに逃げ延びた先で遠縁を頼り、聖職者になれたことも、恵まれた血筋のおかげだろう。
まあその出自で命の危険に遭遇したのと、相殺してチャラになりそうな気もするけど……。
ただ裏を返すと、そんな「親ガチャ」に勝ててなかったら、どうなっていたことか。
もっと根本的なことを言えば、いまだに封建社会のウォルバートンは本気でヤバい。
元の世界でも生きるの辛いなーと何度も思ったけど、仮に異世界で出自が貧民だったら、正直未来がちっとも見えていなかったんじゃないかな?
……でも実際には貴族なんかより、そういう人たちの方が圧倒的に多いわけで。
彼らは、世界をより良くするために努力する機会さえ、充分に与えられていない。
そう考えると、やっぱり世界は穢れている。
――穢れた世界を、変革したい。
いつからか、暗い願望が胸の内で燻りはじめた。
特権階級に支配された異世界。
庶民を家畜のように見做す貴族たち。
不正もすべて、権威や金銭で握り潰される社会。
恣意的なかたちで、簡単に歪められてしまう法律……。
腐敗し切った世の中に対し、私がこの手で《《復讐》》してやりたかった。
あってないに等しい秩序は破壊し、新たな世界を再生したかった。
そうした願望が具体性を帯びはじめたのは、聖職者として助祭位に就いた頃だ。
しばしば教会には、罪を犯して、悔い改めようとする人々が訪れる。それに場合によっては、こちらから牢獄に赴き、捕えられた囚人と対話する機会もある。
私はそこで、穢れた世界のせいで罰せられた咎人と、少なからず知り合った。
例えば、貴族が犯した罪を擦り付けられ、身代わりに裁かれねばならなかった人など。
彼らの大半は、自らの運命に対し、どうしても納得できない、不条理だと考えていた。
それは聴罪師の補佐として告解に耳を傾けていても、ごく自然な感覚と思われた。
――不当な罪を負わされた人々を、どうにか救わなければ。
強い義憤に駆り立てられ、気付いたときには行動していた。
私は、理不尽に罰せられた罪人が逃亡するのを、密かに手助けし、匿うようになった。
あるときは隠れ家を用意し、あるときは変装させ、あるときは身分を偽らせ、救い続けた。
何某か危険な障害に遭遇しても、私には聖職者の肩書と、猛勉強で習得した魔法がある。
権力の側に与する相手に迫られると、宥めすかし、欺き、ときに排除して、難局を凌いだ。
……さて。やがて、そうした秘密の反社会活動を続けていくうちに。
私は、裏社会で多くの罪人たちから、慕われるようになっていた。
それも一人二人じゃなく、いつの間にか一〇〇人二〇〇人という規模で。
理不尽な境遇から救い出した人々の数は、それほどにまでも達していた。
まるで予期しなかったけれど、悪くない展開かもしれない、と私は考えた。
こうした状況を利用すれば「穢れた世界に復讐する」という願望を、もしかしたら達成できるのではないか?
自分の手足となって、同じ理想のために戦ってくれる人材がいることは、歓迎すべき状況だ。
そう。彼らを束ね、非道な権力者に鉄槌を下す、秘密の組織を作り上げればいい……。
それから私は数年の月日を掛けて、徐々に理想をひとつのかたちへ練り上げていった。
これがのちにレドメイン王国最大の犯罪組織「夜鳥」が誕生する端緒であり――
表向き「聖女」を演じる傍ら、私が「首領」という裏の顔を持つに至る背景だ。
○ ○ ○
「ええっと。ホジキンソン子爵の件は、ご苦労様でしたオリヴァー」
私は、机を挟んでオリヴァーと相対しながら、腰掛けた椅子の上で身動ぎした。
「我が首領」と呼ばれるのは、どうにも居心地悪さを覚えてしまって落ち着かない。
犯罪組織の顔役になって、かれこれ三年余りが経つが、一向に慣れなかった。
「でもちょっと、その呼び方は止めてもらえないかしら? いつも言っているはずだけど」
「事前の調査と違わず、ホジキンソンは私有地の別宅を非合法な娼館にして、若い女性を二〇人ばかり囲っていた。どうやら皆、ブラキストン州の各地から誘拐してきた娘だったらしい」
改めて要望を伝えたものの、オリヴァーは一顧だにする様子もなかった。
報告を淡々と続ける。呼び方の件は、些末なことだと思っているらしい。
「娼館に拉致監禁したあとには、どの娘も従順な娼婦になるまで、徹底的に仕込まれたようだ。悪趣味極まりないが、ホジキンソンは平民女性を《《玩具》》としか見ていなかったのだろう」
オリヴァーが報せたところによると――
娼婦の娘たちは、何かしら非道な手段で加虐され、思考力を奪われていたという。
そのためホジキンソン暗殺後に解放されても、大多数が廃人同然の容態だったらしい。
囚われの身のあいだも、逃走の意思すら持てなかったとみて、間違いなさそうだった。
尚、娼館に集められた娘は、ホジキンソンから性的行為を強要されていたのみならず、日常的に客を取って相手をさせられていたようだ。
彼女らを買って弄んでいた人間には、経済的に恵まれた男性が多かったと見られている。
王国貴族や外国の要人、豪商などの他、なんと聖職者が含まれていた形跡まであるとか。
ホジキンソンは、下劣な富裕層の肉欲につけ込み、金を荒稼ぎしていたのだろう。
「痩せて武芸の心得もなく、枯れ木のような男だったがなホジキンソンは」
オリヴァーは辛辣な表現で、自らが手に掛けた貴族を評した。
「しかも死の間際まで、見るに堪えない醜態を晒していた。手足を縄で縛り付け、毒入りワインの杯を口元に近付けているあいだにも、泣き喚きながら命乞いし続けていたからな」
「……その場に居合わせなくて、良かったわ。そんな光景を目の当たりにしたら、きっと不快さで気分が悪くなったでしょうから」
私は、軽くかぶりを振りつつ、率直な感想を述べた。
罪もない女性の人生を蹂躙した人間の最期として、ホジキンソンのそれは最低だ。
オリヴァーが語る光景を思い浮かべてみるだけでも、胸の奥がむかむかしてくる。
そこで気を取り直し、報告の内容に基づいた要点を一件、確認するようにたずねた。
「ところでホジキンソンのことは計画通りに毒殺して、私たちの関与を断定できないように偽装してきたのよね?」
「ああ、そこは一切抜かりない。自殺とも他殺とも見えるような状況を工作して、殺してきた。仮に殺人と判別されたとしても、『夜鳥』の仕業と決め付けられる証拠は残さなかったはずだ。近頃は組織の名も巷で多少知られるようになってきたから、疑惑の目を向けられる程度のことはあるだろうが」
オリヴァーは首肯して、さらに真顔で続ける。
「それにしても、あんたが調合した毒薬の効果は覿面だった。さすが我が首領……」
標的を殺害するために提供した毒物について、感心しているらしい。
しかし相変わらず、私に対する妙な呼び方が気になってしまう。
さりとて抗議しても、従う気はないだろう。これまでもそうだったし。
無駄を悟って仕方なく、その点は聞き流しておく。
「今回渡した毒薬は、『黒蛇の牙』っていうんだけどね」
私は毒物に関して、補足の説明を加えた。
「たしかに強力な品ではあるけれど、どんな場合でも必ず効果が期待できるわけじゃないから。今後もどこかで使用する機会があるかもしれないけど、そこのところは注意しておいてね」
すなわち、猛毒も常に絶対の暗殺手段ではない。
無論「黒蛇の牙」は、基本的には非常に致死性が高い猛毒だ。
実は服毒させるだけに限らず、刃物に塗って斬り付ける用途でも、対象に効果を発揮する。
無味無臭で、見た目も無色透明な液体のため、殺害した遺体には使用の痕跡が残り難い。
しかし邪悪な暗黒魔法の中には、なんとこうした猛毒を無効化してしまうものがある(!)。
毒を以て毒を制すといった趣きの話だけど、どんな事物にも対抗手段は存在するものだ。
ゆえに犯罪組織の一員たるもの、常にゆめゆめ油断してはならない……。
重ねて釘を刺すと、オリヴァーは神妙な面持ちでうなずく。
「なるほど弁えた。その訓戒は、しかと心に刻んでおこう我が首領」
オリヴァーは、あくまで妙な呼び方を止めるつもりはない様子だった。
曲がりなりにも人殺しに関わる密談の中で、不謹慎な発言は止めてもらいたい――
と思うのだが、オリヴァーとしては別段ふざけているつもりはないのだろう。
この黒ずくめの青年は根が真面目な上、思考に実際的すぎるきらいがある。
たぶん、それが時折一周回って、周囲におかしな印象を与えるだけなのだ。
――きっと犯罪組織に加わるようになる以前は、王国騎士だったからだろうなあ……。
私は、心の中でそんなことを考えたが、口に出しては何も言わなかった。
かつての罪人を中心に構成された犯罪組織「夜鳥」には、複雑な事情を抱えた成員が多い。
オリヴァーに限らず、そうした過去を短絡的に掘り返す行為は、極力慎むことにしている。
だから私はその後のオリヴァーとのやり取りも、無駄な逸脱は避けた。
あくまでもホジキンソンの件に話題を止め、報告の続きに耳を傾ける。
子爵領は傍系の貴族に相続されたこと、相続人によって娼館は解体されたこと(ホジキンソンの血縁は真っ当な感性の持ち主だったらしい)、行き場を失った娼婦の多くは精神障害者施設のような場所へ送られたこと、など……。
オリヴァーの話を聞くにつれ、今回も計画が遺漏なく完遂された事実を、改めて確認する。
それにより、悪徳貴族の醜悪な企てがまたひとつ潰えたことを、強く噛み締めるのだった。
○ ○ ○
私は翌日、午前中から信徒会館の厨房に立った。
本日は教会敷地内の農園で、信徒の皆が農作業に従事してくれている。
そこで彼らの労務に報いるため、賄い料理を振る舞う手筈になっていた。
献立は、主として収穫した野菜と鶏肉を煮込んだスープだ。
私は、前世の知識に基づく味付けを、下働きの女性に実践して教えた。
鶏がら出汁にバターを溶かすと、岩塩を加えながら野菜を茹でていく。
それほど手の込んだ品ではないけれど、異世界文化においては珍しいレシピらしい。
調理中に大鍋から立ち昇る香りで、皆が食欲を刺激されているのが伝わってきた。
完成したスープは木の器に注いで、待祭のキャロルが忙しなく運んでいく。
集まった信徒全員に残らず賄いを配り、鍋が空になるまで好きなだけ食べてください、などと明るく声を掛けていた。誰に対しても親身で、相変わらず社交的な子だ。
午後に入り、炊事がひと段落したところで、私とキャロルも休憩を取った。
自分で調理したスープを、黒パンと共に食す。我ながら良い出来だった。
さらに食後には、甘い果実を切り分けて、他の信徒と楽しむ。
「こういう果物はそのまま食べても、新鮮で美味しいですけど」
キャロルは、瑞々しい果実を摘まみながら言った。
「噂じゃ最近ペティグルーの街だと、焼き菓子を作るときに使ったりするそうですよ。たっぷり砂糖や蜂蜜に漬けたりしてから……ああ、いっぺん食べてみたいなあ~」
ペティグルーは、ブラキストン州の中でもウィンシップより大きな都市だ。
異世界であっても、女子がまだ見ぬ甘味に憧れる気持ちは同じらしい。
ちなみに教区の住人の中でも、オリヴァーは農作業に参加していなかった。
怠惰だからではなく、墓掘りと一緒に働くことを、他の信徒が忌避するからだ。
死体を埋葬する人間の手で、食べ物を生育する仕事に関わって欲しくない――
そういう俗信じみた感覚は、非合理的だが理解できなくもなかった。
その後は私やキャロルも加わって、夕方まで農園での作業を再開した。
食事で英気を養ったことにより、信徒の皆もいっそう精力的に働いてくれた。
大勢で労務に携わっていると、連帯感が生まれ、心理的な距離も近付く。
身体を動かす間にも世間話が弾み、地域の様々な噂が耳に入ってきた。
どこの家の男女が結婚しそうだとか、この頃は近所の老爺が腰痛で悩んでいるとか、今年は羊の生育状況が良好だとか、東の森に魔物がねぐらを作って困っているとか……。
無害な風聞から、見過ごしておくと将来問題化しそうな事柄まで、その内容は多岐に亘る。
そうした話題の中でも、非常に気掛かりだったのは、
「最近は街の盛り場で、暴力事件が増加傾向にある」
という件だった。
取り分け若年層の事案が頻発していて、飲食街の治安が悪化しているらしい。
信徒の中からは「そうした界隈に入り浸っていた息子が家を出ていったきり、一週間も帰ってこない」などと嘆く声も聞かれた。何かしら事件に巻き込まれてしまったのではないかと、心配しているそうだ。
まあとにもかくにも、この日は「聖女」として半日充実した時間を過ごした。
日没前には信徒の子供が駆け寄ってきて、笑顔で何か差し出してきた。
受け取って検めてみると、花のかたちを模した木彫りのペンダントだった。
「これみんなで作ったやつ、クリスさまにあげるよ」
信徒の子供は、ちいさな男の子で、照れ臭そうに言った。
「おかあちゃんが『クリスさまは賢い聖女だから、ちゃんと感謝しなきゃいけない』って言ってたんだ。だから贈り物さ。もし気に入ったんなら、着けてみてくれよなー」
「……ふふっ。ありがとう、大切に使わせてもらいますね」
私は早速、手作りのペンダントを身に着けてみせた。
多少形状に歪な箇所もあるが、素朴な温みを感じる品だった。
元の世界じゃ、こんなプレゼントをもらうことなんてなかったな……
などと、内心こっそり感傷的な気分になる。
信徒の男の子は、私の胸元で揺れるペンダントを見ると、満足そうに「うん、似合ってる」と言った。まるで女慣れした色男みたいな口振りだったから、私は笑いを堪えるのにわりと努力が必要だった。
――ああ、みんな素敵な人たちばかりだ。大人も子供も質朴で、善良だ……。
信徒の皆の優しさに触れ、温かい感情が湧き上がる。
ただ同時に一方で、私の心には暗い影が差していた。
――だからこそ、不条理は許せない。真面目な人々を苦しめるものは、私の手で滅ぼさねば。
○ ○ ○
その日の農作業が終わり、信徒の皆が引き上げていく。
私も農具を片付け、信徒会館の戸締りに取り掛かった。
すでに陽は半ば、地平の彼方へ没し掛けている。
……と、会館各階の窓を閉めて回っている最中。
途中の廊下で、前方の曲がり角に人影が見て取れた。
かなり若い、というよりも、まだ少年に近い年齢の男性だった。
栗色の髪、愁いを帯びた水色の瞳、透き通るように白い肌。
綺麗に整った面立ちには、絵画的な美貌が備わっている。
ただし地味で草臥れた着衣は、典型的な平民のそれだ。
「クリスさま。拝命していた計画の一件に関し、ご報告に参りました」
「それはお疲れ様ですアラン。首尾はいかがでしたか?」
微笑み掛けると、その少年――
アランは、恭しく頭を下げた。
こうして傍でよく見ると、やはり相当な美少年だと思う。
しかし小柄で、背丈は私より頭半分ほどしか高くない。
「はい。ケズイック伯爵領の官吏ボッツですが、僕の部下が陥穽に嵌めることに成功しました。クリスさまの企図なさった通りに事態が運んだ模様です。あれなら破滅も間近でしょう」
アランは、喜悦を押し殺すような声音で話す。
そう。この少年もまた、犯罪組織「夜鳥」の成員なのだ。
単独任務の遂行を好むオリヴァーと異なり、部下を指揮して目的を達成する場合が多い。
また弓や吹き矢など、飛び道具の使い手だ。斥候を得意とし、情報収集能力が高かった。
平時はここの司祭館や信徒会館で、使用人を装って暮らしている。
尚、アランはかつて、ダーヴェントの貧民街で盗賊団に属していた。
しかし複雑な経緯をたどったのち、現在は私に協力してくれている。