第10話:穢れた世界に捧げられる歌
「この短刀の刃には、致死性の毒物が塗ってあります」
キャロルは、短刀の刃をちらつかせて言った。
「それほど深く刺したつもりはありませんが、かなり効果が発現するのは早い毒です。治癒魔法で解毒しようとしても、もう詠唱するだけの集中力を維持できないでしょう」
「――たぶんこれ、『黒蛇の牙』ね」
私は、即座に毒物の種類を特定して言った。
「夜鳥」の犯行においても、標的を暗殺する場合に時折用いられる猛毒だ。
自分で以前に何度か調合したこともあるから、すぐにそれと見てわかった。
キャロルはひとつ溜め息吐いて、軽くかぶりを振る。
「クリスさまがいけないんですよ……。これまで折角マレットを利用して、禁忌薬物の生産拠点を確保してきたのに。あの俗物司教を抹殺したことはともかく、きっとお仲間の皆さんと生育中のラメドまで燃やしちゃったんでしょう? あそこまでされたら、さすがにあたしもクリスさまを放置しておけません」
「マレット司教と禁忌薬物の一件、やっぱりあなたが黒幕だったのねキャロル」
――そう、やはりキャロルが裏で糸を引いていた。
実は薄々、私もそれと気が付いていた。
少なくとも「破魔の宝珠」を利用した栽培場の構想は、マレットが独自に思い付いたものとは思えなかった。頭の中は欲得塗れだが、ああいう大胆な悪知恵が働く人物ではない。
つまり、どこかに「司教しか立ち入れない場所で古代遺物を使って、ラメドの樹を秘密に栽培すれば大金を儲けられる」と、教唆していた人間がいるはずなのだ。
ただそれがキャロルだという確証はなかったから、すぐさま殺して排除してしまうことまではできなかった。そこは私の甘さだと思う。
そうして今の言葉を聞く限り、すでにキャロルも私の「裏の顔」を知っているらしい。
刺される直前まで虚言を並べ続けていたのは、無駄な労力だったようだ。
「最初にあなたを怪しいと思ったのは、ウィンシップで暴力事件が頻発するようになった頃よ」
私は、腹部の傷口を手で押さえながら言った。
「近頃は若者の生活が乱脈だとか、街の盛り場で喧嘩する人間が増えただとか……。色々原因が憶測されていたけれど、あれはすべて禁忌薬物を摂取した人が起こした事件でしょう。当時それがマレットの企てにつながるとは思っていなかったけれど、ラメドの薬が関係している可能性は充分あり得ると思っていたわ」
教区のお婆さんも、一週間余り帰宅していないという息子が亡くなった。
とすれば、身近で禁忌薬物が出回っていて、それを斡旋している人物が存在するはずだ。
そうして推理を進めていくと、ウィンシップで一定以上の薬学知識を持っているのは誰か、という疑問に突き当たる……。
「そうするとねキャロル、そういう人はあなたぐらいしかいないの。私以外にウィンシップで、薬品店に処方箋を出せるほど薬学に詳しい人はね」
キャロルが「燈禍熱」の患者と接したときのことを思い出す。
水精草の粉薬について説明し、薬品店に便宜を図ろうとしていた。
ああいった患者とのやり取りは、この子にしか任せられない。
しかし地方都市のウィンシップで、学問を修得できる機会は多くないのが現実だ。
私自身もそうだけれど、専門的な知識を持つ人間は大抵、他地域の出身者だった。
そうしてキャロルが聖シャロン教会で働きはじめたのは、約半年前。
元々、私が代表を務める教区で生まれ育ったわけじゃない……。
と、私が語り掛けるうち、キャロルの顔は徐々に蒼くなりはじめる。
薄い微笑もすでに掻き消え、驚愕でかすかに唇が震えていた。
「……え、嘘。待ってください、いったいどうして――」
キャロルは息を呑み、信じられない、と言いたげな面持ちで続ける。
「とっくに全身に毒が回っているはずなのに、どうして死なないんですか!?」
「残念ねキャロル。たしかに『黒蛇の牙』は強力な毒物だけど、どんな場合でも必ず効果が期待できるわけじゃないの。薬学以外は勉強不足ね、知らなかったんでしょう」
私は、浅く呼気を吐き出して、穏やかに微笑み返す。
やはり知識は武器だ。転生してからも沢山勉強して、本当に良かった。
聖職者がよく学ぶ薬学や治癒魔法だけじゃなく、暗黒魔法のことも。
「暗黒魔法には、猛毒を無効化してしまうものもあるの。そうして、薬学に詳しい人間が自分の命を狙うことがあるかもしれない――そんなふうに感じているとき、それを使って万が一の事態に備えておかない理由なんてある?」
法衣の胸元を探り、懐に入れていた品を取り出す。
以前、信徒の子供から贈られた木彫りのペンダントだ――
暗黒魔法の効果を込めてあり、身に付けていれば猛毒を防ぐことができる。「屍の粉末」を生成した際と同様、魔力付与術との合わせ技で作り出しておいたものだ。
世の中には、一見みすぼらしくても、宝石をあしらった品より価値の高いものがある。
「あなたとマレットの接点を疑いはじめたのは、私がタガート聖堂へ出向くことになったとき。あなたが同行するって言い出して、それが妙だと感じたからよ」
私は、自分の腹部に当てていた手を離し、ゆっくり姿勢を正した。
もう出血はなくなっている。刺された傷口は、治癒魔法で塞いだ。
毒さえ防いでいれば、生死に関わるような深手じゃない。
魔法行使のための集中力も、当然しっかり維持していた。
「『ペティグルーで焼き菓子を食べたい』という口実はいかにもキャロルらしいような気もしたけれど、そのために往復で一週間以上も旅に出ようとするのは、さすがに少し怪しいと感じた。でもあなたとマレットに連絡があって、ここには悪事の相談をするために来ようとしていた、と考えれば得心がいくわ」
たぶん聖堂に到着して以後、キャロルは密かにマレットと何度か面会していたのだろう。
私が教会図書館に出入りし、別行動になった際などは、格好の機会だったに違いない。
いかに禁忌薬物を売り捌くかについて、打ち合わせしていたのだと思う。
翻ってみると、キャロルはマレットと初対面ではなかったし、当然タガート聖堂を訪れたのも初めてじゃなかったわけだ。
「ねぇキャロル。きっとあなた、過去にもブラキストン州のあちこちで、禁忌薬物の売買を取り仕切ってきたんでしょう。ウィンシップだけに限らずね」
私はキャロルを見詰め、改めてたずねた。
「でもいったい、どうしてそんな悪事に手を染めるようになったの?」
「……どうして? そんなの決まっているじゃありませんか」
動機を問われ、キャロルは不意にせせら笑いを浮かべる。
大きな瞳の奥に一瞬、深くやり場のない憎しみが滲んだ。
「この世界は穢れていて、不条理だらけだからですよ!」
それは悲痛で、投げ遣りな叫びだった。
私は身を硬くし、いかなる態度を示すべきか迷った。
震える声音を絞り出すようにして、キャロルは続ける。
「あたしは子供の頃、孤児院で育ちました。両親は元々商人でしたが、あるとき強盗に襲われ、金品を粗方持ち去られた上、どちらも惨殺されてしまったからです。孤児院での暮らしは酷く惨めで、あたしは親なし子の境遇から抜け出すため、毎日必死に勉強しました……」
努力の甲斐あって、キャロルは一〇歳頃からの五年間、薬師の家へ引き取られたという。
里親となった人物が勤勉さに感心し、異世界での成人年齢まで、養育を請け合ったらしい。
以後もキャロルは地道な勉強を続け、薬学の知識を身に付けるに至った。
ところが一五歳になり、里親の庇護を離れてから、キャロルは再び不条理に直面する。
薬学の知識を買われ、星辰教団に所属するようになったものの、彼女がどれだけ仕事で実績を積み重ねても、それが思うような評価を受けることはなかったそうだ。
「結局ね、庶民が出自の親なし子なんて、星辰教団じゃお呼びじゃないんですよ」
キャロルは、自嘲的に言った。
「上級職位の聖職者って大抵、何だかんだと出自が貴族じゃないですか。それで家族が教団側に喜捨したりして、その見返りに出世していくっていう。逆にあたしみたいな子は、誰も後ろ盾になってくれる人がいない時点で、どんなに頑張ったって褒められもしないんです」
その主張には否定し得ない事実が含まれていたので、強く反論できなかった。
私は本来の身分を偽っているが、教団内に亡き父親の遠縁に当たる聖職者がいる。
遠縁の人物が貴族出身だからこそ、私が年若くして司祭位に就けた面はあると思う。
「だから仕事に見切りを付けて、人並みに結婚しようかなって考えたりしたこともありますよ。かっこいい男の子を捕まえたいって、たまにクリスさまには話していたと思いますけど」
でもそれじゃやっぱり納得できないんです、とキャロルは悔しそうに続ける。
「真面目に頑張っても報われないなら、頭を使って他の手段に訴えるしかないじゃありませんか。庶民に生まれただけで実力を認められない、こんな世の中じゃ……」
「それであなたにとっては、その手段っていうのが禁忌薬物を広めることだったの?」
私は、堪りかねて問い質した。
糾弾するような口調になったのは、道徳心がそうさせたわけじゃない。
キャロルの言葉を聞いていて、ただただ悲しくなってしまったせいだ。
「罪もない青年を暴力事件に巻き込んで死なせたり、誘拐されて娼婦になった女性を薬物中毒にしてしまうような手段――そんなことを続けて、何になるっていうの」
「今更クリスさまにそんなことを、聖女ぶって言われたくなんかないです」
キャロルは、歯噛みしながら絞り出すように言った。
「あたしも裏社会で取引していますから、犯罪組織『夜鳥』の噂だって知っています。あの組織の首領がクリスさまだっていうのを確信したのは、今回の一件を通してのことですけど――」
……キャロルが続けて打ち明けたところによると。
今夜の騒動が起きた直後、これが非常に組織的な犯行で、しかも私がタガート聖堂を訪問したことに発端がある、と気付いたのだという。
なるほど晩餐会に顔を揃えた面々の中でも、私だけは明らかに異質な出席者だった。
しかも「夜鳥」の存在を把握していて、いつも私の傍にいたこの子であれば、そこから事件の指示役が誰か見抜いたとしても、不思議じゃない。
ただし禁忌薬物を密売するためにウィンシップへやって来たことと、そこで私が教会の司祭を務めていたことのあいだに因果関係はなく、運命の悪戯だったようだけれど。
「クリスさまがどういうつもりで、犯罪組織の首領なんかしているのかはわかりません」
キャロルの目つきが、これまでになく鋭さを増した。
尚も掠れ声で言葉を紡ぎ、おもむろに身構える。
「だけど世界が穢れていて、ロクでもない、って気持ちはどこかにあるんじゃないですか。わざわざマレットを追い詰めて殺したのだって、きっとそういう意識が働いているからでしょう? 世間じゃ『夜鳥』を義賊扱いする人もいますし、地下のラメドを燃やしてあたしの目論見を邪魔したことだって、見方次第じゃ絶対的な悪事とは言えないかもしれない……」
キャロルは手に持つ短刀を、今一度振りかざした。
そのまま勢い任せに前へ踏み込み、こちらへ猛然と躍り掛かってくる。
毒が無効化されるとわかって、私を物理的に斬り殺そうと考えたらしい。
「でも、それでも! あなたは結局、あたしと同じ犯罪者ですよ!」
叫び声と共に振り下ろされた短刀は――
しかし、私の身体まで届くことはなかった。
突如キャロルが苦悶の表情を浮かべ、床の上へ倒れ込んだからだ。
短刀は手のひらから滑り落ち、目を剥いて身体を痙攣させはじめる。
空いた手で喉を掻き毟り、何か言葉を発しようとするが、それもかなわない。
ほどなくキャロルの手足は動かなくなって、そのまま瞳から生気が失われた。
私が行使した暗黒魔法「息絶えろ闇の底で」を、まともに受けて死亡したのだ。
対象を窒息させる魔法で、私の技術なら高速詠唱で発動できる。マレットを倒す際に使用したものと比べて、敵を死に至らしめる確実性は低いけれど、女の子一人を殺害するだけなら効力は充分だった。
私は、絶命したばかりの遺体の傍らで屈み、死に顔を覗き込んだ。
「……そうね、私もあなたと同類よ。立場が逆だったら、殺されていたのは私だったかもね」
○ ○ ○
犯罪組織「夜鳥」がタガート聖堂を襲撃してから、半月が経過した。
そのあいだに王国から派遣された調査団により、事件現場は徹底的な検証がなされた。
専門家は当初、数々の犯行に及んだ侵入者を特定するために乗り込んできたんだけど……
むしろ聖堂内部の各所からは、次々と過去にマレットが関わった悪事の証拠が発見され、彼らにとっては思いも寄らない調査結果を得るに至ったようだ。
とはいえコッカーマス地方有数の宗教施設で、元代表者が長期間に亘って悪事を重ねていたと知れれば、とんでもない醜聞になる。
ましてや一部の名門貴族まで関与が疑われると判明すれば、猶更だろう。
そのため事件の詳細に関しては、星辰教団と王国側が水面下で結託し、それぞれ全力で隠蔽に取り組んでいるらしい――
と、私はアランの情報網を通じて知った。
また事件の規模や内容から、これを「夜鳥」の犯行と考える人物も、裏社会では少なくない。
ただ一方では、あえて宝飾品を盗んでおいた工作が奏功し、「義賊的な犯罪組織が金品を持ち去るだろうか」と疑問を呈する声もあって、真相を看破した者は多くなさそうだ。
私としては計算通りの状況で、望ましい結果に満足している。
「夜鳥」の関与した事件が特定の印象で語られるようになるのは、危険だからだ。そうした傾向から統率者の人物像が類推されると、組織の成員以外に私の正体が露見しかねない。
宝飾品を売却すれば、今後の活動資金にも充てられるし、一石二鳥だった。
尚、聖堂地下では多数の晩餐会出席者が死亡したけれど、そこにはペティグルー侯爵をはじめとし、大なり小なり領地や資産を保有する人物が含まれていた。
そうした人々の急死により、それぞれの血族間では降って湧いたような後継者争いが勃発していると聞く。結果的に事件の混乱は、多方面へ飛び火しているようだ。
ところで私が少し気にしているのは、事件当日に「操霊術」で使役した不死族のことだ。
魔法を解いたあとには、各個体がその場で挙動を制止し、単なる死体に戻ったわけだけど。
あのあと聖堂の関係者は、屍をすべて元の墓へ埋葬し直したそうだから、頭が下がる。
地下霊廟のものも含め、大変な手間を掛けさせることになってしまった。
それから、決してそのついでというわけではないが――
キャロルの遺体も、タガート聖堂で弔ってもらうことになった。
司教区長館で殺害したあと、私は密かにアランの手を借り、あの子の亡骸をタガート聖堂で火災が生じていた場所へ移動させておいた。キャロルの遺体は翌朝になって発見されたけれど、そのおかげで窒息の原因が魔法によるものだとは、誰も気が付かなかった。
事件当夜の火災に巻き込まれて死んだ、ということで処理されたわけだ。
ちなみに私の馬車を警護していた傭兵二人は、どちらも無事に生存している。
……さて、ウィンシップへ帰還したあと。
キャロルの急死を身近な人々に伝えると、誰もが衝撃と悲しみに打ちひしがれた。
聖シャロン教会では後日、教区の信徒が有志を募り、故人を偲ぶ会が催された。
遺体は聖堂に残してきたため、葬儀を営むことはできなかったものの、亡くなったキャロルに祈りを捧げたい、という人は少なくなかったのだ。
――あの子の正体は、間違いなく重罪人だった。
キャロルの死を悼む人々を見て、私は複雑な感情に囚われた。
――でもそれでいて、これだけの人たちから愛されていた理由もわかる。あの子は薬学の知識を、悪行以外にもちゃんと役立てていたのだから……。
きっともう少し恵まれた境遇に生まれ、努力が報われれば、キャロルは幸せになれたと思う。
穢れた世界の不条理に苦しんで、あの子も自ら生き方を歪めざるを得なかったに違いない。
そうして私も、異なるかたちで時間を共有できれば、キャロルを手に掛けずに済んだ……。
――あなたは結局、あたしと同じ犯罪者ですよ!
キャロルが最期に発した言葉を、ふと思い出す。
あの子の指摘は正しい。私もまた「夜鳥」の首領という、重罪人なのだ。
大義のためと言いながら、聖女の姿で周囲を欺き、悪行を重ねてきた。
いつかは私も何らかの裁きを受け、それこそキャロルと同じように殺されるのかもしれない。
……でも、覚悟はできている。
特権階級が専制政治を敷く社会で、たぶん他に何かを変える手段はない。
穢れた世界を打ち砕けるなら、私は喜んでその生贄になるつもりだ――……
かくしてキャロルを追悼する催しが終了し、さらに数日が過ぎた。
夜も更けた頃になってから、聖シャロン教会の司祭館へ立ち入る人影が二つあった。
「夜鳥」の成員であるオリヴァーとアランだ。私の執務室を、二人は密かに訪ねてきた。
彼らがもたらした情報は、州境に出没する山賊が王国貴族と裏で取引しているらしい、というものだった。
なるほど地方の統治者による、典型的な反社会勢力との癒着だ。王国の腐敗を象徴している。
私は、それが「夜鳥」の関与すべき案件であることを、オリヴァーとアランに伝えた。
すぐに二人は承知し、具体的な犯行計画を練りはじめる。
大まかな方策がまとまったところで、私はいつものように宣言した。
「――それでは、穢れた世界にいざ復讐です」
<表向きは聡明な聖女ですが、裏の顔は犯罪組織の首領です。・了>