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第1話:生まれ変わって、表と裏の私になる。

 ――ああ~もっといっぱい勉強したかったなあ……。



 交通事故で死ぬ直前、そんなことを自然と意識の片隅で思い浮かべていた。


 私はちゃんと青信号で、横断歩道を渡っていたのに――

 いきなり交差点に猛スピードの自動車が突っ込んできて、私の身体をはねたのだ。


 死の一瞬は、まるで世界がスローモーションみたいにゆっくりと流れていた。



 それにしても、人生って不条理だ。

 きっと世界は何もかも(けが)れている。


 思えば私の人生、子供の頃から不条理を感じてばかりだった。

 遊び人の父親のことは、名前しか知らず、顔も見たことがない。

 母親に女手ひとつで育てられ、来る日も来る日も貧乏暮らし。


 それでも真面目に勉強して、いい学校を卒業すれば、必ず未来は《《まし》》になる! 

 と信じて、お金がないなりに毎日一生懸命に勉強した。


 何かを学ぶこと自体は、とても楽しかった。

 ちょっぴり賢くなるたび、悲惨な世界を少しでも変えられると信じていた。

 塾へ通ったり、いい参考書を買ったりはできなかったけど、それでも必死に頑張った。

 志望校へ特待生で進学して、授業料を減免してもらい、お金をかけずに勉強し続けた。

 そうして大学生になり、母親は泣いて喜んでくれて、もう一息で幸せになれると思った――……



 にもかかわらず、その矢先に現実はこれ! 


 いつでも世の中は、私のことを不条理で痛め付けようとする。

 極め付けに交通事故で殺されるとか、正直ちょっとウケる。


 私は、すっかり世界に(あき)れ果ててしまっていた。

 それで意識が途切れるそのときにも、もうどうでもいいか、と捨て鉢な気持ちになっていた。

 どうせ努力も何もかも、短い人生の中で一時的な自己満足にしかならなかったのだから。



 ……それだけにまさか絶命からほどなくして、自分が再び目を覚ますとは思いもしなかった。




     ○  ○  ○




 次に意識を取り戻したとき、私は他の世界の住人になっていた。


 異世界ウォルバートン。

 どうやら私は、そういう場所に生まれ変わってしまったらしい。

 気が付いて目を開ければ、新生児の女の子になっていた。


 ――ま、まさかこれが噂に聞く異世界転生なの……!? 


 前世で勉強ばかりしていた私でも、そうしたものが元の世界で漫画やアニメ、ライトノベルの題材として扱われていたという知識ぐらいならある。

 しかし自分が体験するとは、驚愕(きょうがく)以外の言葉で表現する方法がない。



 何はともあれ心機一転、私は新たな人生を歩み出すことになった。



 さて。ウォルバートンは、元の世界で古い時代のヨーロッパに近い雰囲気の土地だ。

 中世よりも、いくらか近代寄り程度の文明水準だろうか? しかし前世で勉強した知識を基に照らしてみると、まだ銃器や望遠鏡などは発明されていないらしい。


 異世界での私は、地方領主の一人娘になってしまった。

 なんと転生先の父親は、レドメインという王国の貴族だ。

 爵位は伯爵で、ウイングフィールド家の当主を務めている。

 つまり、その子供である私も伯爵令嬢。うわあ。


 この異世界では、非常に裕福な出自だと言える。

 起居している屋敷の中には、革張りの書物が大量に並ぶ書斎もあり、食べ物にも不自由しない(※もっとも味が元の世界の料理より優れているということはない。残念)。


 ――人生が格差社会の底辺から、いきなり上位層に鞍替(くらが)えしちゃったなあ。


 貴族の娘としての幸福を、私は日々の中でしみじみと感じていた。

 まさか執事や侍女にかしずかれる生活なんて、元の世界じゃ想像もできなかったよ……。

 それに血筋のおかげなのか、鏡で見る新しい自分の面立ちも、なかなか可愛らしかった。

 元の世界で今の容姿だったら、自惚(うぬぼ)れて清楚系アイドルでも目指していたかもしれない。

 さらさらした長い髪なんて、まるで少女漫画のヒロインみたいだ。



 そうして何より、蔵書があるぐらいの家だから、勉強する環境にも恵まれていた。


 私にとっては正直、それが一番幸せだった。

 元の世界でどれだけ頑張りたくても、経済的な制約の範囲でしか許されなかった勉強。

 しかし貴族の一人娘として生まれ変わった人生では、思う存分打ち込むことができる! 


 もちろん異世界で学べる知識や教養は、元の世界のそれとは違う。

 例えば、化学や医学、物理学なんかは未発達で、日本で進学校に通う高校生の方が(はる)かに高度な教育を受けていると思う。


 ただしウォルバートンには、代わりに「魔法学」のような学術分野が存在している。

 そう。ここにはまるで超能力みたいな魔法が実在し、日常に溶け込んでいるのだ。

 見方を変えると、そういう事象が普通に存在する世界で、地球上と同じ内容の学問が発展するはずもない。根本的に同じ自然法則が通用するかも怪しいよね……。



 でもまあとにかく。

 それならそれでと、私は魔法を沢山勉強した。


 異世界での父親であるウイングフィールド伯爵は、

「どうせなら、嫁入りしたあとに役に立つことを身に着けた方がいいと思うが……」

 なんて、私が勉強している姿を見るたび、苦笑交じりにぼやいていたけれど。

 本能的な知識欲は、心の奥から()き出して、どうにもこうにも(おさ)えられない。

 前世の鬱憤(うっぷん)を晴らすようにして、とにかく私は魔法を学びまくった。



 ……けれども、一四歳になった頃。

 私は、やっぱり異世界も、決して優しい場所ではないことに気付く。


 レドメイン王国の貴族には、ウイングフィールド家を(うと)んでいる一派が存在していて――

 その連中が不当な言い掛かりを付け、伯爵家の屋敷へ唐突に私兵の一団を差し向けたのだ。

 不意の襲撃で、ウイングフィールド伯爵は討ち取られて、他の家族も運命を共にした。

 ただ私だけは、焼け落ちる屋敷の中から執事の手で救い出され、辛うじて落ち()びた。


 結局、私は転生先でも穢れた世界の不条理に遭遇したわけだ。




     ○  ○  ○




 それから、あっという間にまた一〇年が経過した。

 今の私は二四歳。すっかり大人になってしまった。


 で、いったい何をしているのかというと――……



「はい、これでひとまずは大丈夫ですよ」


 お婆さんの治療を済ませ、私は安堵(あんど)の溜め息を()いた。


 ここはウィンシップ郊外の聖シャロン教会で、至聖所がある内陣に隣接した一室だ。

 教区に住むお婆さんが運び込まれてきた直後は、衰弱してかなり危険な状態だった。

燈禍熱(とうかねつ)」の深刻な症状にうなされて、息も絶え絶えと見て取れた。


 でも現在は熱も下がり、部屋のベッドで穏やかに眠っている。

 どうやら、私の治癒魔法が効果を発揮してくれたようだった。



「ああ、聡明な聖女クリスティナ! うちの母親は、これで助かったんですね?」


 すぐ隣に(たたず)む男性が、(すが)るような声音で私の名前を叫んだ。

 今治療したお婆さんの息子だ。顔がくしゃくしゃに(ゆが)んでいる。


「本当にありがとうございます。どうお礼を申し上げればよいのやら……」


「どうぞお大事になさってください。この病気は、どれほど優れた魔法の使い手が治癒しても、絶対に根治することがない種類のものですから」


 私は、男性の方へ向き直り、柔らかく微笑してみせた。

 それから、(かたわ)らで控える小柄な少女に目で合図を送る。


「今後は御母堂に毎日一服、水精草(すいせいそう)から調合した粉薬を飲ませてあげた方がいいですよ。こちらのキャロルであれば、街の薬品店に口利きしてくれるでしょう」


「はいっ、承知しましたクリスさま! あたしにお任せくださいっ」


 小柄な少女は、結い上げた鳶色の髪を揺らしながら、元気よく応じる。

 この快活な女の子は、待祭のキャロルだ。私より四つほど年下で、たしか今年二〇歳になる。

 約半年前から聖シャロン教会で働いていて、治癒魔法は未熟だが、勤勉で人当たりがいい。



「それでは、これで私は失礼します。あとはよろしくねキャロル」


 残務をキャロルに引き継ぐと、私は救急の病室と化した部屋を辞した。

 出入り口のドアを通り抜ける際、室内を今一度振り返って、様子を(うかが)ってみる。

 キャロルは患者の息子を(はげ)ましつつ、予後に必要な薬について説明していた。

 熱心な対応で、いつもながら安心して任せておける――

 普段のキャロルは「何とか待祭のうちにかっこいい男の子を捕まえておきたいんですよぉ~」などと(のたま)っており、いかにも年頃の少女といったふうで危なっかしいのだが。


 ちなみにウォルバートンでは、結婚適齢期が元の世界の日本などより早い。

 ましてや聖職者は、職位が上がると結婚し難くなる、という制約が存在する。

 なのでキャロルが(あせ)る心情は、一応理解できなくもない。



 ――私みたいに司祭位に()いて、教会ひとつ任せられちゃうと手遅れみたいだからなあ。


 思わず心の中で、自嘲(じちょう)せざるを得なかった。

 そりゃあ元々前世だって、色恋沙汰には縁がなかったけど。

 まさか異世界に来てまでも、未婚ルートへまっしぐらになるとは。

 折角転生して美人になったのに、顔の良さを全然()かせていない。


 ――いやまあ、そもそも「聖職者になってしまった」という現状自体、改めて転生後の経緯を振り返ってみても、完全に想定外だったんだけどね……。



 そう、この私――

 異世界で「クリスティナ」と呼ばれている私は今、なんと聖職者を務めている。

 神々に仕え、教区の信徒に寄り添い、ときに魔法や薬で病や怪我を(いや)す仕事だ。



 ウイングフィールド伯爵領の屋敷が焼け落ちた、一〇年前のあの日のあと。

 一命を取り留めた私は、レドメイン王国東側に位置する田舎町のミルズへ逃れた。

 そこには亡き父親の遠縁が暮らしていて、密かに身を寄せる当てがあったからだ。


 遠縁の人物は王国貴族の出自だが、国教である「星辰(せいしん)教団」に奉職していた。

 この世界では、家を継げない貴族の次男や三男が、信仰の道へ入ることは珍しくないらしい。

 私は父の遠縁を頼った行き掛かり上、自分も聖職者として働くことを選ばざるを得なかった。


 またウイングフィールド家の生き残りであることを隠すため、素性を(いつわ)る必要もあった。

 それで以後「クリスティナ」と名乗り、伯爵令嬢としての過去を伏せながら生きている。

 なし崩しの展開ではあるものの、この際は致し方なかった。



 ただ幸いにして、私ことクリスティナには聖職者としての適性があったようだ。

「星辰教団」へ入信してから一年余りで待祭位に就くと、その後もとんとん拍子で副助祭、助祭と職位が昇格し、三年前に二一歳で司祭となった。

 女子であることも踏まえると、異例のスピード出世らしい。

 いつからか「聡明な聖女」なんて()(たた)えられるようにもなった。少し恥ずかしい。


 そうして、司祭就任を機に地方都市ウィンシップへやって来たわけだ。

 現在はここ聖シャロン教会と、その周辺教区の代表者を務めている。

 じかに教区で接する機会がある信徒さんは皆、善良で付き合いやすい。



 私は、教会の廊下を奥へ進み、裏口のドアから屋外に出た。


 聖シャロン教会は、ウィンシップ郊外のちいさな丘の上に建っている。

 召霊課(しょうれいか)(午後三時)を告げる鐘が鳴ってから、まだ然程(さほど)()っていない。

 初夏の空は青く、日没までは時間がありそうだった。


 建物の裏には、下り坂がやや左へ曲がりながら、(ゆる)やかに伸びている。

 その道を(はさ)んで、敷地の外側に近い場所には、墓地と樹林が広がっていた。

 一方で内側寄りには、長閑(のどか)な田園と共に、質朴な(おもむ)きの館が見て取れる。


 田園の中に建っている館は、二棟あり、いずれも外壁が白い。

 片方は私の起居する司祭館で、もう片方は信徒会館だった。



 私は迷わず、司祭館へ向かう。

 法衣の裾を()らないように坂道を下り、やがて建物の正面にたどり着いた。

 玄関ドアを開くと、屋内に踏み込む。一階の隅に位置する部屋に入った。

 古びた書き物机と、木棚が設えられた一室。私の書斎だ。


 机の前で愛用の椅子を引き、おもむろに腰掛ける。

 背もたれに上体を預け、ひと息入れていると――


 私が今入ってきた書斎の扉を、外側からノックする音が響いた。

 教会から戻ってきて落ち着く間もなく、来訪者が現れたようだ。

「……どうぞ」と声を掛け、入室をうながす。



 扉を開けて姿を見せたのは、黒ずくめの衣服を着用した青年だった。

 さらに髪も黒く、瞳も黒い。身体付きは細身だが、長身でかなり筋肉質だ。

 たしか私より少し年上で、二七、八歳のはずだが、もう少し年嵩(としかさ)に見える。

 たぶん面差しが精悍(せいかん)で、(すき)のない挙措のせいだろう。


 この青年は、名をオリヴァーという。

 聖シャロン教会の敷地内で、墓地の脇に建つ粗末な小屋に住んでいる。

 平時は墓掘りが生業(なりわい)で、葬儀のたびに棺を埋める穴を作るのが役目だ。


 ……ただし他にも、他所(よそ)では言えない仕事に手を染めていた。



「先日の決定に従って、王国貴族ホジキンソン子爵は始末してきた。指示された計画通りに事態を運んだから、不手際はないはずだ」


 オリヴァーは突然、恐るべき言葉を口にした。

 音もなく室内を歩き、書き物机を挟んで私と向き合う。

 双眸(そうぼう)は、こちらへ射抜くような視線を投げ掛けていた。


「今ここで不都合がなければ、暗殺の詳しい顛末(てんまつ)を報告しよう。――どうする、我が首領(きみ)?」


 ごく素っ気ない口調で、オリヴァーは問い(ただ)す。


 表向きの私、聖女と呼ばれるクリスティナに対してではなく――

 私が隠し持つもうひとつの、「首領」という裏の顔に対して。

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